第2話 異界での目覚め
ここは……?
なんだか妙に体がだるいです。
寝転がっているのかな。
でも、それにしては身体が重い。
布団は――かぶってないですね。
妙にきらびやかな服を着ているみたいです。
おかしいな、俺は地味な服しか持ってないはずですのに。
というか、重すぎますね。
何枚重ね着してるんですか。
こんな服を着て眠った覚えもありません。
まあ、寝た覚えすらないから倒れたのかもしれませんけど――
――いくらなんでもこんな悪趣味な服を着せられることはない、と思いたいです。
ってか、狭い。
ここ小さい。
押入れの中ですか、ってそんなわけがないですね。
ここはどこでしょう。
すくなくとも病室ではありません。
こんな狭い病室があってたまりますか。
何か、すごい勢いで傾いています。
やれやれ、欠陥住宅とか目じゃないですよ、こりゃ。
20度くらいの傾斜はありますかねぇ。
まあ、いいです。
とりあえずふすまを開け――
――いや、壁でした。
しっぱい。
じゃあ、後ろを見てみると……|御簾≪みす≫?
上からリボン、というか布が垂れ下がっているのですが、これは……
こんな押入れなんてありましたっけねぇ。
――違います。
重要なのはそこじゃないのです。
その布の先、わずかに見える外は地面。
……意味がわかりませんよ。
とりあえず出ましょう。
――重い!
服がとても重いのです。
こんな服は着たことないですよ。
大体何重に重ねてあるんでしょうね――5重6重程度じゃきかないですよ。
……アホですか!
こんなのは脱いじゃえ。
とりあえず紐みたいなのを解いてここに置いておくことにしましょう。
上着になりそうなものを羽織って、外に。
「何……ですか……?」
見えたのは戦場跡。
まるで戦車の砲撃による掃討を受けたかのように屍が転がっていました。
……え?
自分が思ったことを反芻する。
屍、が――
「死ん……でる……?」
見間違えるはずがありません。
だって――頭が無くなったり、腹がちぎれていたりしているんですもの。
それは死体でしかありません。
血が香り、肉が散乱し、骨が覗く魂亡きかつて人間だったもの。
「ああ……あ――」
途方に暮れてしまいます。
私は……どうすればいいのでしょう――
「おや、これはまた――変なのがいるね」
「へ……?」
声をかけられた先を見てみるとおばあさんがいました。
黒いマントを羽織って、杖を持って――まるでおとぎ話の魔女みたい。
って、それじゃ私が詰んでませんか?
だって、そもそも魔女って悪い魔法使いのことだから善い魔女なんているはずが無いのですよ。
いや、それは原義のことでしたっけ?
萌えクトゥルフとか意味のわからないものもあるのですから、善い魔女だっているかも。
はい、希望を捨てては――
「ふん、邪魔になったから殺してしまえということか。ふん――やはり王宮の奴らの考えることは好かん」
……王宮!?
それはとても面倒くさそうなところなので――
あれ?
あれれ……
俺はそんな魑魅魍魎が渦巻く世界に足を突っ込んだ記憶は――
――記憶は……え?
よくわからない。
ない?
俺は……
俺は――
「違う。こんなのは俺じゃない……そうだ――こんな場所に居るはずが無い」
「おやおや……こんな場所に居るはずが無い、ねぇ。なら、どこに居ると思ってたんだい?」
魔女が意地悪く聞いてきます。
その声はまるで俺を嘲笑ってるよう。
そう感じたのは、自分が途方に暮れてるからでしょうか。
それとも、誰かを憎みたかったのかな。
「俺がいた場所は日本ですよ……! こんな、こんな――未開の場所じゃないですよ。馬、それに鎧? は! お笑いですよ――そんなもの着けてるような未開人とかかわりたくなんてありませんね」
「ぬしよ――騎士を侮辱するかの? お前を守って死んだというに」
魔女に剣呑な光が宿ります。
散らばっている――そう、4つにも5つにも分かれて散らばって、光の宿らない目で虚ろに空を見上げている騎士さんたちに同情でもしているのでしょうかね。
俺は関係ないです。
勝手に死んでいてください。
「私は一緒に死んでなんて言った覚えありません。あっちの馬車にも見覚えありません。戦闘に使うなら馬じゃなくて機械仕掛けの戦車にでもしやがれってんですよ」
「くく……面白い話を知ってるようじゃな。では、ぬしはどこから来たと?」
魔女の瞳が変わります。
これは、私のことをどう思っているのでしょうね。
ちょっと良く分からないです。
あんまり人と眼を合わせた経験が無いもので。
まあ、ここで思うことと言ったら不信ですかね。
傍から見たら俺なんて立派な不審者ですよ、ええ。
「……日本ですよ。魔女さんは知っていますか? まあ、世界地図すら知っているか怪しそうなものですけど」
「ふむ……知らぬ土地じゃな――そもそも世界地図など見れるのは……いや、それもせんなきことじゃな。で、ぬしはどうする? この分ではこの王国【アマノハバヤ】も知らぬようじゃしなぁ」
どうする、ですか。
そんなの一つしかありません。
私はみっともなくゴネるのは嫌いです。
そしてそれ以上に無駄は嫌い。
何をしても意味が無い、なら――私は何もしない。
あがくのなんて見苦しいだけですよ。
「そんなの知らない。知るはずないじゃないですか。こんなところに放っぽり出されてどうしろと言うんですか? のたれ死ぬくらいしかないじゃないですか。チートもないのに」
「ほう――では、諦めるのか」
諦める?
それ以前の問題なんですよ。
「はい、俺は不可能なことに挑むのは嫌いなのです。それに、ただ甘ったるいだけのご都合主義も嫌い。勢いだけでどうにかなる優しい世界ならそれでいいのかもしれませんけど、冷たい世界が特定の人物にだけ甘いのなんて――気持ち悪い。俺は理不尽にも転生させられて、理不尽に殺される。それだけでいいのですよ。そんな運命で十分です」
それがいい。
他人の手で踊らされるよりはよほど。
神様なんて死んでしまえ、とは――ちょっとヒネくれすぎでしょうかね。
「む――ではこのまま死ぬのか、それでいいのか」
「では、俺を助けてくれるのですか? 察するに、俺という人物はとても面倒くさい人でしょう。よく知りませんが、この体は王宮に関係する人のもの――ですよね。そして、変な魂まで乗り移ってる。こんな怪しい人をあなたは助けるのですか」
俺を助ける、ねえ?
魔女さんはその意味がわかっているのでしょうか。
それとも、ここは転生者やら憑依が頻発する地域なのでしょうか。
きっと、俺は異常なんだと思う。
そもそも、この体は俺のものではない――となぜか確信できる。
だって何一つ意味がわかることが無いんだもの。
世界が、常識が違う――この溝って、たぶん深すぎるよ。
「実は隠居生活で退屈しておっての。面白い話を聞けるんなら、助けてやってもよいぞ。それに、王宮の人間を囲ったとて今更――いや、なんでもない。ともかく、話をせんかの」
思わず笑ってしまう。
面白い話?
なら、聞かせてあげよう。
ご都合主義を笑い飛ばす皮肉に満ちた御伽話を。
あこがれを汚す物語を。
「ええ、いいですよ。お気に入りの話を聞かせてあげます。あなたも面白く聞けるのでは?」
「ほう、それは楽しみじゃの」
息を吸います。
そして、朗々と謡い出す。
ああ、なんだか声が綺麗。
俺が俺でないように。
「あるところに村娘がおりました。その娘は継母に苛められていました」
「のっけから酷い始まりじゃの」
「童話なんてそんなものです。王宮でダンスパーティが開かれましたが、村娘は行かせてもらえません」
「かなり話が飛んだの」
「はしょってますもの。で、一人悲しく家事をしていると魔女が来ました。その魔女は村娘のためにガラスの靴を用意してくれました。そして魔法でカボチャを馬車に、ネズミを馬に変え、衣装まで魔法で用意してくれました。しかし、その魔法は24時の鐘により解けてしまいます」
「村娘は見事王子様の心を射抜きました。しかし24時の鐘が鳴ったので逃げます。ガラスの靴の片方だけは置いてきてしまいました。なので王子様は持ち主を捜します。これから先ははしょってもいいのですが、語っておきましょうか」
「村中を回ったので当然継母の実の娘たちにもガラスの靴を履かせてもらいます。しかし、履けないので姉の片方は足の指を、もう片方はかかとを切り落として無理やり履きます。切り落としたのは実の母です――欲に目が眩むとはなんとも恐ろしいことですね。しかし、鳩の告げ口でバレます」
「とうとう村娘が履く番になりました。まあ元の持ち主だけあって履けるに決まっています。洗ったシーンは挿入されていませんが、さすがに姉の血で汚れた靴をそのままにはしないでしょう」
「それで結婚です。まあ、後日談として二人の姉の両目が鳩にくり抜かれる話がありますが、些細なことです。真っ赤になるまで焼けた鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされた継母はまた別の話でしたっけ。まあ、これで話は終了となるわけです」
語り終えた。
まあ、一見美しい村娘が王子様の心を射止めたサクセスストーリーに聞こえるでしょう。
というか、まさにその意味でシンデレラストーリーなどと言われることすらあります。
片腹痛いのです。
この童話はそんな救いのある話ではないのですよ。
「その物語がどうかしたんだい? お前の嫌いな村娘にだけの甘いご都合主義な物語だと思うのだけどねぇ」
あなたもそう思いますか。
しかし、この話は連綿と受け継がれてきた長き時を生きてきた物語です。
そんな単純に考えていいはずが無いのです。
「――いいえ。これは魔女が国を落とす物語。決して、意地悪な姉たちが裁かれる話でもなければ、村娘を祝う物語でもない」
そう、良い物語と言うのは表面をなぞるだけじゃないのです。
考察してこそ意味のある、そのような物語こそ語り継がれるに足るのです。
「その物語には馬車と馬が……すなわちカボチャとネズミがどうなったのか記されてはいませんよ。当然、この場合は王宮に残ったと考えるのが自然とは思いませんか。なればこそ、王宮は魔女の手に落ちるのです」
そう、考察してみればこそ物語の真価は問われる。
まあ、魔女さん相手だからこそ、ここまで引っ張ったわけですが――
――さすがに魔女の国落としは発想が飛躍していますね。
けれど、魔女が国に災厄を導いたのは当然考えられること。
なぜなら魔女とはそのような存在なのだから。
「そもそも言葉とは何でしょうね。私が生きていた国では言葉そのものに力が宿ると考えられてきました。“シンデレラ”の作中にも出ていますよ、魔法を打ち消す鐘の音が。普通に考えて、音が鳴ったからって魔法が消える道理はないでしょう。それは〈鐘〉という存在が言の葉によって規定されたゆえに持つ聖なる力です。鐘は鐘? すべての鐘が同じ音を鳴らすとでも? 鐘は鐘という言葉によって表されるからこそ〈鐘〉になった。ところで、魔女が王宮に侵入させた〈カボチャ〉と〈ネズミ〉はどんな力を持っているのでしょうね?」
ニタリと笑う。
これが俺の童話が好きな理由。
「カボチャは愚鈍。そしてネズミは病。これはただの言葉遊びかもしれませんが、言葉には魔力が宿るもの。つまりお姫様はお城に穢れを持ち込んだ愚か者。愚鈍に引きづられる病に憑かれた愚者。なんとも皮肉な物語。村娘が王子様に見初められて幸せを得るはずが、裏を返せば魔女に国を落とされた話でしかない」
見かけは美しくても、一皮むけば悲惨な終末が待っている。
ええ――破滅と聞くと心が踊る人間だっているのですよ。
「だから私はこの話が大好きです。聖と邪――混沌が混ざり合って皮肉な調和をなすこの物語が」
きっと、そう言い放った俺の目はほどよく濁っていたことでしょう。
魔女は俺の目をまじまじと見ると、ため息をつきました。
「これは――変な拾い物しちまったかねぇ」