第1話 始まりの日
「しかし、暑いな……もう8月になると言うのに」
「そうっすねー」
ここは王国【アマノハバヤ】の街道の一つ。
普段からあまり使われてはいないが今は大所帯の団体がぽつんと行進している。
王位継承権第4位のアッシェ・サンドリオンを護衛する一団があるだけだ。
彼ら王国の騎士達は彼女を守るためにここに居る。
しかし、王になる権利を持つと言っても第4位、それも女だ。
彼女のことを良く知っている人間もいない。
王族を守ると言うのは光栄なことだが――中身にまではさほど興味を抱いていない。
それは彼らがそれほど偉くもないが、出世の望みがないほどではない程度の中途半端な立ち位置に居る騎士なためだ。
庶民にも広く知れ渡っている第3位階の騎士【切り斬り舞い】ブレイド・ルナカルラや、第2階位であっても武術でのし上がった【武士煌】レイオン・ファラブリスなどはもちろん来ていない。
だが、王族の護衛には通例として第3位階が一人は参加するもののはず。
なのだが彼らはそれほどの使い手ではない。
「は~」
「ため息つかないでください」
気の抜けた様子で馬に乗っている彼らは何も疑問に思わずに進む。
随分とのんびりしている。
まあ、王族の護衛などこんなものだ。
万が一などそうそう起こらないから万が一という。
いざ襲われたとなると、相手は最初から王族を害すつもりで来ている――ゆえに死闘からは逃れられない。
逆に言えば、それくらいの覚悟がなければ王族など早々襲えない。
「まあ、楽勝な任務で良かったよ。王族の馬車を狙おうだなんて山賊がいるわけないからな」
「そうっすね。でも、この暑さだけはどうにかならないっすかね」
それでも敵はいるわけで。
人間でなくとも熱さが敵。
行軍は鎧をつけて行われる――つまりはとても蒸し暑いのだ。
それで何時間も歩き詰め。
愚痴を吐きたくなるのもしょうがなかった。
「冷気魔法でも使うか?」
「魔法使うのにいくら必要だと思ってんすか?」
「ま、俺らみたいな下っ端騎士にゃお札の一つも買えませんってか」
「あ、そういえばお姫様はどうなってるんでしょう」
「そりゃ、侍女の連中がなんとかしてるだろ。俺らは侍女たちが乗ってる馬車の前方と後方から警護してるだけだからどうしようもないぜ」
「あれ? 伝令が来ましたよ」
「ん? ホントだな。なんか用かな」
「案外お札の無心だったりして」
「王族がそんな乞食みたいな真似するわけ――いや、お前のものは俺のものとか言い出してもおかしくないか。まだ10歳にもなってないって話だしな」
「そうですね。何がどうなって今まで王宮の中から出てこなかったお姫様を引っ張りだしたんでしょうね」
「そんなの知るかよ。やんごとなきお方々の考えなんざ俺たちにわかるはずねえっての」
「いや、それより伝令を聞かなきゃマズイんじゃないすかね」
「……お前が無駄口叩きやがるから」
「ちょ、それ酷いっすよ」
「うっさい、お前は黙っとけ」
「せんぱ――」
侍女の一人がやってくる。
なぜ私が下っ端騎士と話さなくてはならないのだ――と、見下している。
今にも鼻をつまみそうである。
感じが悪いことこの上なかった。
「何か御用でしょうか。我ら騎士にあなた方のお力になれることがあったらなんなりとお申し付けください」
対してこちらは丁寧に対応せざるを得ない。
自分はただの下っ端騎士であるのだから。
「姫様はこの暑さでお疲れです。馬車を止めなさい」
「了解いたしました。では、姫様の馬車をお止めください。周囲は我らで警戒するのでご安心を」
侍女は用事は済んだとばかりに引き上げる。
「ねえ、先輩?」
「なんだ、とりあえずサボってるように見えない程度に姿勢を正せ」
「さっきの酷くないっすか?」
「まあ、なんだ――下っ端は黙って働いてろってことだろ」
「先輩まで!?」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始める。
「お前さ……よくこの暑さでそれだけ元気でいられるよな」
「は? ええ、まあ――元気だけが取り柄っすから」
「褒めてねえよ」
「ああ、暑い――先輩がそんなこというから声出すのもダルくなってきましたよ……」
「お前な――ん?」
「どうしましたー」
「アレを見てみろ、花だ」
「あー、咲いてますねー。風に揺れて、涼しそうでいいなー」
「違う。なんでアレはあそこまでしおれてる?」
「は? もう8月っすよ。この暑さにやられたんじゃないっすかね」
「いや、そんなことはありえない。今日に限って熱波が襲ってくる? そんなことがありえるかよ。それなら城の予報士共は全員死刑台に送っとかなきゃな」
「あーだるい……」
「そう――これは……敵の魔法攻撃を受けている……っ!」
「へー、そうなんですか。暑いなー」
「お前、反射符はどうした」
「え? 冷気のお札なんて持ってませんよー」
「ぐ……! この馬鹿――。いや、反射符なら馬車の中にあったはず。この規模の魔法相手ならおまじない程度にしかなりゃしないだろうが、急いで取りに――」
足がもつれた。
「うぐっ!」
そして転ぶ。
「うううう……!」
ガリ、と指が地面をひっかいても立ち上がれない。
この暑さが全ての体力を奪い去ってしまった。
「先輩ー? 寝るんですか……なら、自分も」
すぐにいびきを立てて寝てしまう。
こいつには期待できない。
だが、自分ももはや……
視界が真っ白に染まっていく。
何も考えられない。
ああ、暑い。
――鎧、脱いでおけばよかったか……
「やれやれ。魔法の実験も兼ねていたので、反射符くらいは使ってほしかったのですがね。ま、それもいいでしょう」
影が一つ。
陰鬱な調子でささやく。
その眼には優しさというものが欠片もなく、敵意のみがぎらぎらと光っている。
怖い目だ。
人を実験動物くらいにしか思っていない。
「実験の観察は終わったか?」
影が重なる。
こちらの眼には何も写っていない。
情動の欠片すらもない。
きっと、人を殺すときにも何一つ感慨を抱かないのだろう。
この闇の住人は。
「はい、姫はこの炎熱地獄で真っ先に死んでいるでしょうしね。しかし、少しずつ少しずつ対象を殺すまで温度を上げていく、呪いの追尾結界に囚われたからと言って――死ぬまで攻撃に気付かないというのは、さすがに平和ボケしすぎでしょう。我々の戦争は一度も終わったことなどないのですよ? 権力で成り上がった騎士では実戦すら経験しない時代ですか」
「大規模砲撃魔法の準備が整った」
「では、撃ってください。今回は姫の護送中に敵の部隊に襲撃されたという筋書きです。遠慮なくかましてください」
「了解した」
もはや息もしていない騎士達の亡きがらに無慈悲にも砲撃が撃ち込まれる。
抵抗もできない体は四散してバラバラに。
ああ――この男たちには人の情さえもないのか。
「さて、いい具合に殺せましたね。では、引きましょうか。跡形もなく消し去ってしまっては、死体の確認も手間でしょう」