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アラクネさんは大好きな彼を見守りたい  作者: 石橋いも
二章 並木陽太と染谷亮介
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――④――

 そうして、午後の授業が終わる。

 流石に美術の授業までは助けて貰えず、僕はヘタクソな絵を描き上げ提出した。

 一応、頑張ってはいるし、努力は認めてもらえるだろう。成績表に最低評価が付けられていなければそれでいい。僕は美術室を後にし、早足で教室へと向かう。絵の完成に時間が掛かってしまったのだ。

 染谷が何かする前に戻れればいいけど……。

 胸に一抹の不安を抱えながら僕は廊下を走り、階段を駆け上り、教室の扉へと手を掛けた。その直後、

「さっきから辞めてよ!」

 大声が聞こえてきた。姿を見なくても分かる、これは青山さんの声だ。

「なんだよ、青山には関係ないだろ」

 続いて染谷の声。

「里田ちゃんが嫌がってるでしょ! 見て分かんないの!」

「わっかんねぇよ、言ってくんなきゃな。ねぇ里田さん、別に俺のこと嫌がってないよね?」

「あんたねぇ……っ!」

 やばいやばいやばい。

 焦った僕は扉を開き、急いで中へ入る。

 二人の言い争いは、教室の隅で行われていた。掃除用具の入ったロッカーの前で、染谷と青山さんが対峙しており、青山さんの背中では里田さんが小さな体を震わせている。遠巻きに見ている連中が、面白そうなものを見るような目を向けていて、それが少しだけ癪だった。

「染谷!」

 僕は叫んだ。教室にいる全員が僕を見る。少し小っ恥ずかしいが、それがなんだ。

「並木……か」

 染谷の声はか細く、力がない。

 僕は染谷の傍へと駆け寄り、その手を強引に掴んだ。多少強引でもいいからとにかく場所を変えたいと思ったのだが、僕の手はすぐに振りほどかれてしまう。

「なぁ染谷、どうしたんだ? 何をそんなに苛立ってる?」

「並木には関係ねぇよ」

「最初に自分と関係無い悩みを聞きに来たのは誰だ? アドバイスをくれたのは?」

 染谷は表情をしかめ、僕から視線を逸らした。

 まずやるべきは、里田さんへと向かっている染谷の意識を、こちらへと向けること。そうすれば里田さんは逃げられるし、僕も染谷の悩みが聞けるかもしれない。

 うつむき、何も言い返そうとしない染谷に、僕は声を掛け続ける。

「なぁにやってんだよ染谷、大騒ぎになってるじゃんか。いつものお前らしくないぞ」

 この物言いは少し挑発的か? いや、それくらいが丁度いい。

「いつもの俺って何だよ、お前、俺を理解したつもりになってんのか?」

「さっぱり分からないよ、染谷が何を考えてるかなんて、だから教えてくれよ」

「言った所で並木には理解できねぇよ」

「ああ、そうかもな」

「そうかもって何だ、俺を馬鹿にしてんのか」

 染谷の言葉はメチャクチャだ。頭に血が昇って、考えが纏まらないまま喋っている。だから、僕がちょっと尺に触る発言をすれば、意識がすぐにそっちへと逸れる。

 僕は目だけで青山さんを見た。

 それに気付いた青山さんは小さく頷き、背中で震える里田さんの両肩を抱きしめ、そそくさとこの場を離れて行く。

「あっ、待て!」

 遅れて気付いた染谷が手を伸ばしたが、僕がその腕を掴んだ。

「なんでだよ、なんで並木が俺の邪魔すんだよ」

「あの子達の邪魔をしているのはお前だ染谷、お前が邪魔なんだ」

「テメェ、並木!」

 瞬間、頭部に衝撃が走る。

 僕が掴んでいない方の腕で、染谷が殴りつけたらしい。

 咄嗟に手を話してしまった僕は、吹き飛ばされるように後ろへと後退し、誰かの机を弾け飛ばし、背中からその場に倒れた。

 元気よく立ち上がって、大声で怒鳴り返せれば、男同士の喧嘩っぽく見えたかもしれない。だが、そのあまりの激痛に膝が笑ってしまって、今の僕には四つん這いになることすら不可能だった。

誰かの悲鳴が聞こえる。

 ざわざわと、喧騒の声が大きくなる。

 呆然と、血に濡れた拳を振りかざしたまま、全く動かないでいる染谷が見える。顔に汗をかきながら、ぱくぱくと、その口を動かして――

「並木! 大丈夫!?」

「並木くん、しっかりして!」

 何かを言おうとした染谷を遮るようにして、青山さんが飛び込んできた。僕の傷口を覗き込み、怪我の度合いを確かめている。続いて里田さんが傍へとやってきて、傷口にハンカチを押し当てた。

「痛い!」

 触れられた傷口から、太い針で刺されたような痛みが発せられ、僕は思わず声を上げる。それに驚いた里田さんがビクリと震えて、ハンカチを手から落としてしまう。

「ご、ご、ごめんなさい!」

「ああもう、男の子だろ我慢しろ」

 青山さんはペタリと座り、僕の頭を自分の膝の上に乗せる。

 そして、落ちたハンカチを再び押し付けた瞬間、激痛が暴れた。

 里田さんの時とは圧迫力が段違いで、傷口に槍でもねじ込もうとしているかと疑いそうになる。

「良かった。傷口もそれほど深くないし、大丈夫そうね。でも一応、今から保険室に行こう。立てる?」

 僕は上半身を起こした。座った姿勢のまま、立ち尽くす染谷を見上げる。

その顔に表情は無く、ただ呆然と僕を見下ろしていた。先程までの怒りは消えてしまったらしい。その虚ろな瞳を、僕が黙って見返していると。

「立てないなら肩貸すね」

 言うと同時に、青山さんが僕の腕の下に首を回し、強引に立ち上がらせた。反対側には里田さんが立っていて、僕のことを心配そうな目で見ている。

「染谷、アンタって本当に最低よ」

 低くてドスの聞いた声が、すぐそばで発せられる。

 青山さんの真剣な怒りが間近から伝わってきて、とんでもなく怖かった。だが、固くホールドされた腕を振りほどく気にはなれず、半ば引きずられるようにして僕と青山さんは教室の外に出た。

 後ろから、てこてこと里田さんが付いてくる。

 首だけで振り返った青山さんは、ためいき混じりの声で言う。

「保健室に連れて行くくらい、あたし一人で大丈夫だよ、里田ちゃん」

「……何かさせて欲しい。はっきり断れなかった私にも、責任はあるから……」

「あたしは無いと思うけど……あ、でも、誰か先生に報告しなきゃいけないよね。だから残って――」

「アンタたちィ、これは一体何事よォ」

 のしのしと、正面から大股で歩いてくる大塚さん。

 青山さんが何かを言う前に、里田さんが僕等の前へと躍り出る。

「あのね、並木くんが染谷くんに殴られて怪我しちゃって、今から保健室に行く所なの。それで、まだ教室に先生が来てないから、先生が来たらそのことを伝えておいてくれないかな?」

「なにィ? やる気を出さなかった罰で音楽室の掃除を一人でやらされていた私に、更なる用事をたのむだとォ?」

「それは貴子ちゃんが悪いよね」

「……見ないうちに強くなったわね、アンタ。分かったわよォ」

「ありがとっ」

 大塚さんは僕の額を見て、なんとなく事情を察したようだ。すれ違いざまに「豆男のくせにやるじゃない」と呟き、傍を通り過ぎて行く。

それは違うと言いたかった。

 見ようによっては里田さんを助けたようにも捉えられるが、僕が余計な煽り方をしたせいで殴られただけとも取れる。その結果、女子達の手を借りて保健室に向かうという、なんとも情けない状況に陥ってしまった。

 もうちょっと上手くやれたんじゃないか? ……内心で反省する。


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