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アラクネさんは大好きな彼を見守りたい  作者: 石橋いも
一章 並木陽太とアラクネさん
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――④――

 学校の授業が終わり、残る理由の無い僕は家に帰る。

 いつもなら染谷と適当に買い物をしたりして、日が落ちるまでに家に辿り着くのは珍しいのだが、どうやら今日は用事があるらしくさっさと一人で行ってしまった。

 青山さんは部活だ。運動神経の良い彼女はば女子バレー部に所属している。放課後になってからが彼女の活動は本番になり、今も頑張っていることだろう。

『今日は暇ですね、並木君』

 住宅街を一人で歩いている僕にメールが届く。送信者は言うまでもない。

 僕は辺りを見回し、周囲に人がいないことを確認してから、「そうだね、でも今日は疲れてるから有り難いよ」と言った。

『ようやく二人きりになれましたね』

「僕……今一人っきりなんだけど」

『いえいえ、こうしてゆっくり話が出来る時間が、私にとっては十分すぎる二人きりなのです』

 ぶつぶつ独り言を呟いている姿は不審者にしか見えないので、アラクネさんと話すのはそれなりに骨が折れる。だが、いちいちメールを打ち返すのも億劫だ。

 そんな僕の気持ちについては分かってくれているらしく、アラクネさんも周囲に人が入る時はあまりメールを送っては来ないようだ。彼女は彼女なりに気を使ってくれているらしい。

 もっとも、それでも引けない一線というものはある。この盗聴機なんかがそうだ。

 なんでも、アラクネさん特性のものらしく、体の何処に着けられているのか分からない。トイレの時などは、止めろ、と言えば電源を落としてくれるらしいが、正直どこまで信用していいのか……でも、盗聴機だけなら許してやると言ったのは僕の方なので、それに関しては深く追求することはしない。

 僕等の関係は、信用無しでは成り立たないのだから。

 それが分かっているからこそ、こうして話をする機会が欲しかった。

「そういえば、僕はアラクネさんのことについて殆ど知らないんだ。だからさ、色々教えてよ。そっちばかり知ってるのは不公平だ」

『不公平だなんてそんな……好きな人のことが気になって調べるのは普通だと思います。並木君も、青山霞の情報を細かく記したノートを持っているじゃありませんか』

 悔しさと恥ずかしさが同時にこみ上げてくる。

 だが、今更そんなことで感情を爆発させていてはこの先キリがないだろうし、昨日のボディブロー級の驚きと比べれば、これくらいは軽いジャブでしかなかった。きっと部屋を掃除した時に見つけたんだろう。エロ本は勝手に捨てられたし。

 と、そんな風に考えられるくらいに冷静だった僕は、ごほんと咳払いし「僕のことはいいから、アラクネさんのことが知りたいんだ」と言って、話すように促した。

『それは、姿が見たいという事ですか?』

「本音を言えば気になるけど、それが許される人なら盗聴機なんか仕掛けないよね。だから、それはいい」

『……優しいんですね』

「優しいもんか、無理強いしたって意味無いのが分かってるんだよ。最初から諦めてるだけ」

『ありがとうございます』

 僕が無言になり、少しだけ間が空いた。

 アラクネさんの素性について、僕はまるで分かっていない。年齢だとか、 普段は何をやっているのかだとか、知りたいことは沢山ある。

『えっと、年齢は十五歳で、一応高校生です』 

「そっかそっか、十五歳ってことは、僕より一つ年下なんだね。一年生なのかな? へぇー」

『それと、私は女子です』

「うんうん、そうだよね。もし男だったら怖いもんね」






「え、もう終わり?」

『他に……言うべきことが……ありますかね?』

 今、すんごく長い間があった。

 思わず、話を聞くだけのつもりだった僕が口を挟んでしまう。

「あるでしょ! それだけじゃ全然分かんないよ。アラクネさんって会話が苦手なの?」

『失礼な! ただちょっと友達が少なくて、外にでるのが得意じゃないだけです』

「……ああ、一応高校生の一応って、そういうこと」

『勉強は得意だから問題ないんです』

「……成る程なぁ」

 今のやりとりで、分かったこと。

 まず、アラクネさんは高校生なのにあまり学校へ行っていない。そして、人と話すのがトコトン苦手で友達が少なく、だけど勉強は得意らしい。

 なんとなくアラクネさんの人なりが見えてきた気がする。脳裏に浮かぶのは、教室の隅に隠れるように集まっているオタクグループの女子。色白で細っこくて、ちょっと不健康そうでメガネを掛けているような、あんな感じの娘なのだろうか?

 だとしたら、僕の好みとは大きく離れている。

 どちらかというと、僕は活発で明るい女子が好きだ。青山さんもそっちの タイプだし、アラクネさんがそのことを知らない訳が無い。だから、自分のことを言おうとしなかったのかもしれない。とはいえ、このアラクネさんはあくまでただ想像でしかなく、本人がそうと決まった訳ではないのだが……引きこもりがちな女子が活発で明るいとも思えない。

 肺の奥からため息が出そうになり、なんとか噛み殺した。全部聞こえているこの状況は油断できない。僕はよくない想像を頭から振り払う。

「それじゃあ、僕の方から色々聞いてくね」

『……答えられる範囲でなら』

 文面から不穏なものを感じて、僕は身震いする。いかん、考えを見透かされたかもしれない。ここは流れを変えよう。

「今更気になったんだけど、アラクネって名前は本名なの? カタカナだし、ハンドルネームみたいにも見えるからさ」

『本名……知りたいんですか?』

 しかし、いきなり出鼻を挫かれる。

「なに、その駆け引き的な質問返し? やっぱり本名じゃなかったの?」

『いえ、私の名字は荒久根なので、正しいと言えば正しいです。ただ、下の名前の方はちょっと……』

「言いたくないの?」

『はい……』

「どうして?」

『えっと、ですね……インターネットで検索すると、上位に出てくるんですよ』

「え、えぇ!?」

 自分の名前でワード検索をするという行為は、インターネットの利用者の誰しもが一度はやったことがあるだろう。しかし、それで己自信の情報が表示されることは殆どなく、大抵は同姓同名の別人が上がってくるものだ。だが、アラクネさんの場合は事情が違うらしい。

「アラクネさんってかなり有名人なの? そういえば、盗聴機を作れるくらいだもんね。研究者とか? もしかして、『荒久根 盗聴器』。で検索したら出てくる?」

『だ、駄目ですよ! 機械関連のワードと組み合わせちゃ駄目です!』

「だから名前を言いたがらなかったのか。もし顔写真なんかも一緒に掲載されていたら、姿を隠している意味が無くなっちゃうもんね」

『ほ、本当にやめて! 恥ずかしいです!』

 僕は声を上げて笑った。少し虐めただけで慌てるアラクネさんがなんだか面白い。

 どうやら研究や発明の分野で有名な人らしい。と、また新たな一面が見えて、僕は少しだけ安心した。

「なんとなく、アラクネさんが分かってきた気がするよ」

 人付き合いが苦手で、あまり学校へ行っていない女の子。だが勉強は得意で頭が良く、中でも機械関連の知識は相当なものらしい。インターネットで検索すれば名前が上がってくるのは凄い。

『……こうなったら、今のうちに私のことを特集した記事やブログをまとめてクラッキングして消してしまえば……あああでもそんなことしたら逆にそれが事件になって記事になっちゃうかもだし……うぅぅ』

「あのさ、メールで独り言っぽい内容を送らなくてもいいよね」

『あ! いえ、違うんです。音声を文章に変えるソフトを使っているので、声に出した後に無言になると勝手に送っちゃうんです。話してる感覚を楽しみたいので』

「徹底して手が込んでるね」

『勿論、ソフトは自作です』

 どうやら、アラクネさんの自分に対するコンプレックスは並大抵では無いらしい。僕に姿が見られることを何よりも恐れているようだ。盗聴機と自作ソフトを使用し、回りくどい方法を取ってまでして、僕との会話を成立させようとしている。

 何故、そこまで姿を見せたがらないのか、非常に気になる。だけど素直に聞いても教えて貰えるとは思えないし、かといって、ネット検索で無理矢理知ってしまうのも気が引ける。

 だから、僕は少しも迷わず、はっきりとした口調で言った。

「安心してよ、検索なんて絶対しないから」

『え……』

「人なりはもう十分知れたから、これ以上の追求は止めておくよ」

 数秒の無言の後、

『それはそれで……関心がないみたいで残念なような』

「なんだそれ」

『乙女心は複雑なんです』

 わがままの間違いだろ、それ。



 家に帰ると、部屋の隅にまとめて置かれた監視カメラが全て無くなっていた。学校に居た間に回収されたのだろう。僕はカバンを置き、脱いだ上着をベッドの上に放り投げる。いつもなら自分の部屋に入ると同時に開放感と安心感を得られるのだが、今はもう一人、見えない女の子が近くにいるせいで、妙な緊張感があって落ち着かない。

 勉強机の上に放置された充電器に携帯を差し、アラクネさんの度重なるメールによって切れかかっていた電池を補充する。

 僕は椅子に座って、寝起きみたいに全身を伸ばした。

 そういえば、こんなに早く帰ってきたのは久しぶりだ。

 学校が終わると染谷と共に行動することが多く、ゲーセンやカラオケ、ボーリング場で遊んでいた。ここ最近はほぼ毎日、こんな生活だった気がする。当然、そんな日々が続ければ金は無くなる。携帯を買ってしまったことも相まって、僕の財布はすっからかんだ。

「暇だな」

 ぼんやりとした口調で呟く。

『勉強でも教えて差し上げましょうか?』

「ああそっか、アラクネさんは賢いんだっけ? じゃあ宿題でもしようかな」

 椅子から立ち上がり、放置された鞄の方を見る。だが、そのまま歩いて鞄を拾い上げに行こうとはせず、僕は再び椅子に座ってしまった。

「駄目だ、面倒になってきた」

『……ちゃんとやらないと』

「ここ最近、この時間帯は遊んでばかりだったから、どうも勉強する気になれないんだよ」

『染谷君とですね。四日前はショッピング、三日前はボーリングとビリヤード、二日前はゲームセンターとカラオケ、でしたね』

「まぁ、そうだね。別に今更驚かないよ」

『……むぅ、残念です』

「アラクネさん、君は小学生の頃、好きな子を虐めるタイプだっただろ」

 図星だったのか、返信が来ない。僕は大口を開けてあくびをすると、授業中に眠るようにして、上半身を机の上に寝そべらせた。すると、徐々に瞼が重くなってくる。

『寝不足ですか? 夜ふかしは体に毒ですよ』

「眠れなかった原因は間違いなくアラクネさんだからね」

 開いた携帯を横目に見ながら返事をする。昨日の夜は色々なことを考えていたせいで、深夜まで寝付けなかったのだ。阻止された告白のこと、アラクネさんの監視のこと、それらを許してしまった自分のこと――結論が出ない悩みに苦しみ、未だにどうするべきか分からないでいる。

 僕は上半身を起こし、背もたれに体を押し付けた。ギシギシと悲鳴を上げるような音が発せられ、椅子の老朽化を実感する。そろそろ買い換えたいけど、金はもう無い。

『眠るならベッドの方が良いですよ、机で寝てしまっては、眠気は取れても疲れまでは取れませんから』

 的確な助言だが、そもそも今の僕に眠る気は無かった。上半身を持ち上げ、グッと伸びをして眠気を吹き飛ばそうとする。

「怖いんだよね、ここで当然のように寝てしまって、大丈夫なのか心配なんだ」

『と、言いますと?』

「家族の誰にも見つからずに、易易と家の中に侵入できる女の子は、僕が眠っている間に何かしないだろうかって不安。アラクネさんはいじめっこ気質らしいからね。僕を驚かせて、反応を楽しんでる所が無いとは言わせないよ」

『……ごめんなさい、調子に乗ってしまいました』

 僕のまじめな声を聴き、これまでと調子が変わったのだと察知したのだろう。

 数秒の間の後、僕は独りで語り始める。

「もしあの時告白していたら、僕は間違いなく振られていた。実際、青山さんは僕に全く気がなかった。それは今日、青山さんと話していた時になんとなく分かった。つまり、アラクネさんは僕を助けてくれた」

 僕は携帯を見ながら話を続ける。

「だけど、アラクネさんは唯の良い人って訳じゃない。人の家に不法侵入し、カメラを仕掛け、盗聴器を忍ばせ、僕の行動を監視しようとした人だ。だけど、それに対して僕は怒っていない……まぁ、思うところはあるけど、それでもこうして普通に話をしているのは、自分の存在を堂々と知らせ、更にはカメラの位置を全て教えてくれたからだ。もしアラクネさんの正体が質の悪いストーカーだったとしたら、まず部屋の掃除なんてしないと思うし、自分の存在を仄めかすことはしないと思う。ましてや、証拠を持って警察へ行け。だなんて、絶対に言わないだろう」

 ストーカーの心理学なんて僕は知らない。だから、こうして言っている内容はただの憶測でしかなく、間違っている可能性十分にある。気付いていないだけで、カメラはまだ潜んでいるかもしれないし、警察に届けた所で何も解決しないかもしれない。

 消しきれない疑念は数え切れない程ある。

 でも、こうして話していて、なんとなくその人成を知って、信用したいと思っている。

 カメラも盗聴器も、不器用な女子が利用する精一杯のコミュニケーションの手段なのだと、そうであって欲しいと僕は願っている。

「僕はアラクネさんのことを信用したいと思う。アラクネさんは僕のことが好きで、でも顔を合わせて話をするのが苦手だから、こうした手段を取っている女の子なんだって。……僕を助けてくれたのは確かで、僕が嫌がることは辞めてくれる人なんだと、そう信じる。盗聴器を外さないのはその証だ。だから、アラクネさん――」

『私は並木君を絶対に裏切りません』

 返信が来た。端的で、ハッキリとした口調を想像させる内容が、画面に表示される。

『私は感謝しています……いえ、こんなに面倒で、酷いことをした私を許すどころか、信じてくれる並木君には、感謝なんて言葉じゃ足りないくらいです。私は、この関係を無くしたくありません。大好きな男の子とこうして話せる今の環境は、奇跡なんです。だから、だから……私は――』

 ここで文章は途絶えた。今、アラクネさんは言葉を選んでいるのかもしれない。僕の信用を勝ち得る決定的な言葉を探し、慎重になっているのだろう。

 だが、僕にはもう十分だった。鏡を見なくても分かるくらい頬が緩んでいる。

 この感情は、共感だ。

 好きな人と話せるだけで嬉しい。その感情は僕も知っている。だから、同じだと分かるのだ。

「言いたいことも全部言えたし、僕は寝るよ。宿題は晩御飯の後にやるから、そん時は手伝ってね」

『えっ? あっ――その!』

「それじゃ、おやすみ」

 僕はベッドの上に豪快にダイブした。放置された上着を足で払い除け、枕に顔を埋める。

 この時、僕はこのアラクネという、顔も素性も分からない少女ことを、少しだけ可愛いと思っていたのである。

 本人には絶対言わないけど、そう思ってしまったのだ。

 それが少しだけ悔しく、気に入らなく思う。

 何故なら、その感情を僕は青山さんに抱かせることが出来なかったのだから。

 こんな不器用で、コミュ障な子ですら好印象を与えられるというのに……。

 そんな気持ちと共に、僕の意識は眠りの世界へと沈んでいった。


次回、第2章『並木陽太と染谷亮介』に続く・・・

一応書けてはいるのですが、修正に時間を要するので、もうしばしお待ちを・・・

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