――②――
まさか並木君と直接話をする日が来るなんて、夢にも思いませんでした。
私は、自分の性格がとても臆病だと自覚していたので、自ら接触するなんて絶対に無理だと思っていたのです。
なのに、こうして動いてしまったのは、回りくどい裏工作では彼を止められないと分かったからでしょう。とはいえ、ここまで覚悟を決めたというのに、目隠しをして未だに自分を見せられないのは、我ながら筋金入りの臆病者だからだと認めざるを得ません。
家族以外の人間と会話を交わすのは、実に三年ぶりです。私が引き篭もるようになったのは、中学一年生の頃でした。
私は以前から内向的で、コミュニケーション能力が低かったです。
自分から話しかける勇気も無く、当然友達も少なかったです。背丈も小柄で、常に下ばかり見て俯いている女子でした。
幸いにも、いじめや無視等、酷い扱いは受けていません。私は勉強が出来たので、宿題を見せたり勉強を教えることで、なんとかクラスに馴染めていました。楽しい会話をしたことはありませんが、特別不幸な訳でもない、地味な女子。私はそんな立ち位置に居ました。
とある男子からの、告白を受けるまでは。
「それって、僕が青山さんにやろうとしたみたいな?」
「そうです、その告白です」
いつしか私は、並木君に自分の話をしていました。並木君なら馬鹿にせず聞いてくれると思ったのでしょう。そんなつもりは全く無かったのに、これも並木君の人徳みたいなものかもしれません。気付けば私は、自分でも全く意識していない間に、聞いて貰いたい言葉を口からこぼしていました。
「私に告白をしてきたのは、当時のサッカー部のエースでした。背が高くて格好良くて運動神経も抜群で、男女問わず全ての生徒から一目置かれる存在。……そんな彼が、告白してきたのです」
「へええ、なんだか染谷みたいだね」
「いえ、染谷君に月元さんを混ぜたくらいです」
「それは――女々しさ二倍だな」
「じゃあ、その部分を切り取って省いて下さい。それで完成です」
「超人だね」
「はい。そんな人でした」
「それで、返事はどうしたの?」
「断りました」
並木君の目が、私の手の中で見開かれました。まつげが擦れて少しくすぐったい。続いて口を開いて何かを言い掛けましたが、最後まで聞こうと思ったのでしょうか? 結局何も言わずに口を閉ざしました。
「すごく、怖かったです。クラスで全く目立たない私が突然告白を受けるなんて。しかも、学園で一番人気の男子からですよ? 今まで一度も話した事も無いのに。……これはもう、絶対に罰ゲームだと確信しました。告白に応じた瞬間、物陰から沢山の人が出てきて、私を馬鹿にする。と思っていました。だから……断ったんです。 するとですよ! 本当に悲しそうな顔をして! それは演技なんかじゃなくて! 私は!」
「いでででで! 目が! 目が!」
並木君の悲鳴を聞いて、慌てた私はとっさに手を離してしまいました。ですが、並木君は決して振り返ろうとせず、両目を閉じたまま佇んでいました。
「私は……自分の勝手な思い込みで、彼を傷つけてしまいました。断った事実はすぐに学校中のウワザになり、反感を受け居場所を失った私は、不登校になりました」
「……」
「そんな顔しないで下さい。私は、後悔していませんよ? 学校に行かなくても勉強くらい余裕です。私は頭が良いですから。それに、煩わしい人間関係から解放された喜びもありますからね。本当は高校に行くつもりもありませんでした。ママがどうしても行って欲しいと言うから、仕方なく通ってますけど」
「でも、ちゃんと行ってないんだよね?」
「………………良いんです。卒業して資格さえ貰えれば。テストは楽勝ですし、出席日数の計算もしています。問題はありません」
「本当にそうかな?」
そう言って突如、並木君は立ち上がりました。ゆっくりとした動きですが、私はすくみあがるくらい驚きました。
「ね、アラクネさん」
「な、な、なんですかっ!?」
「後悔してないって言うなら、そんなに驚いてちゃ駄目だよ」
「驚いてなんかいません!」
「じゃ、振り向いていい?」
「絶対駄目です!」
「わかった」
並木君は素直に応じると、またベンチに座り直しました。ゴスロリのスカートがふわりと揺れて、それを手で押さえる。そんな何気ない仕草がとても女の子らしい。間違いなく男の子なのに。こういう所がとても並木君らしいです。私は堪えきれずに吹き出してしまいました。
「何笑ってるんだよ」
「いえ、やっぱり私は、並木君が好きなんだなぁ。と思って」
「あのさ、僕やっぱり、振り向いて良い?」
「駄目です」
「ずるいなあ。僕だって、アラクネさんが好きなのに」
ぼやくように呟かれたその言葉。
並木君は、なにげない口調で、とんでもない発言をしてくれました。
あまりにも衝撃的すぎて、返事の言葉が何も思い浮かびません。そのくせ、心臓の鼓動は早鐘を打ち鳴らさんばかりに増していきます。
呼吸が荒くなり、思考が乱れてどうしようもない。喜びの感情が限界を遙かに越えて、私はショック死してしまうんじゃないかと、逆に恐怖すら感じてしまいそう。
「あ、あ、あ、あああああのっっ!」
「僕とアラクネさん、両想いだね」
「や、止めてくださいっ、これ以上はっ!」
これ以上聞き続けると、ホントに死んでしまう!
私にとってそれは言葉の暴力と何ら変わらない。例えるなら、冷たすぎるドライアイスに触れて火傷をするのと同じです。嬉しくて、嬉しくて嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて仕方ないのが逆に辛いです。
並木君は私の顔を知りません。姿形を、全く把握していないのです。
そんな状態で、好きになって貰えたのは奇跡のような物でしょう。ですが、その奇跡には限界があります。本人を見てしまうと、効果は無惨に消えてしまう。並木君は、自分のイメージによって形成された私を好きになっている。
それは当然です。今までずっと隠れていたのは私の方ですから。
並木君が好きになっているのは、あくまで可愛いと思い込んでいる想像上の『アラクネさん』であって、今ここに存在する「荒久根糸子」では無い。
だから、振り向いて欲しくない。
好きだと言ってくれても、振り返った瞬間に、気持ちが変わってしまうかもしれないから。
それだけは嫌です。……絶対に嫌っ!
「ねぇ、アラクネさん」
「嫌です!!」
振り返ろうとする並木君の肩を掴み、全力で押し返しました。だけど、私の力では男の子には叶いません。並木君がその気になれば、たやすく払われてしまう。だけど、並木君は優しい人です。そんなことする訳がありません。私が嫌がることを、並木君が、するわけ――。
「僕ももう、そろそろね、限界なんだよ」
並木君らしからぬ、低いトーンの声が発せられて、私は体をビクリと振るわせました。
明らかに、先程までとは雰囲気が変わっている。
「ねぇ、なんであの時、僕は自分の携帯を壊したと思う?」
「そ、それは……私の指図を受けないという、意思表示では……?」
「うん、半分正解。だけど、もう半分は」
言いながら並木君は、肩を掴む私の手に触れました。
そして――
「君をおびき出す。為だったりして」
私の手を、力強く掴みました。
手の感触から、絶対に離さない。という意志が、ものすごく伝わって来ます。
「君が一方的に会話に応じなくなったみたいに、僕だって無視を決め込んでみたんだ。そんな状態で計画と違うことをやれば、アラクネさんはなんとかして接触してくるだろう。その予感は的中した」
振り返ろうとする並木君を、渾身の力で何とか押さえ込もうとします。
だけど、同年代と比べても体力の無い私では、そう長くは持ちません。
「ごめんね、アラクネさん。僕は、君が思っているような優しい人間じゃ無いんだ」
並木君は、私の手を掴んだまま、強引に振り返りました。
そして、目と目が合わされそうになる瞬間、私は、並木君の胸へと、飛び込んだ。
まるで、ラグビー選手のタックルのように――とは、非力な私ではそう上手くはいきませんでしたが、それでも十分な体当たりでした。
私達は密着したまま吹き飛び、ベンチから少し離れた位置へと落ちました。私は無傷でしたが、盾にされて背中から落ちた並木君は、痛みに悶絶しています。
「ごめんなさい。でも、こんなことになるなんて、私は全く予想していませんでした」
苦痛に歪んだ目を夜空へ向けている間に、私はポケットから自家製護身用スタンガンを取り出し、それを並木君の腹部へとあてがう。
「あなたには幻滅しました。さようなら、並木君」
「待って、アラクネさ――」
スイッチを入れた瞬間、心から何かが抜け落ちていくのが分かった。
好きな人を自分の都合で傷つけた私には、喪失感を覚える資格すら無いというのに、我ながらどうしようもなく身勝手だと思う。
並木君は、小さな悲鳴を上げて意識を失った。
私の体をぎゅっと強く、抱きしめたまま。




