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結局の所、月元先輩は話がしたかったのではなく、自分の考えを聞かせたかっただけらしい。言いたいことを全て言い終えると、もう気が済んだのだろう。僕からの質問にも違和感を覚えた様子は無く、すんなりと答えてくれた。
月元先輩が僕に語った内容は、要するに『青山さんが好きなのは並木だから、さっさと付き合ってしまえ』ということだった。これまでの態度や、デートに誘った状況から考えて、君のことが好きなのは間違いないのだから、自分はもう手を引く。と言いたかったのだろう。
僕は月元先輩のことは好きではないけれど、好きな人の幸せの為に自分を傷つけるその行動力には驚かされた。あの人はきっと、本質的には優しいのだ。顔を蹴られたりもしたけど、今はもう、そんなことに苛立ちを感じたりはしない。
それどころか、これからやることを考えれば、むしろ罪悪感すら覚えそうだった。
僕は月元先輩の優しさや、青山さんへの想いを知った上で、それらをぶち壊そうとしている。
もう覚悟は決まっていた。
話を聞き、自分の中で考え、出した結論がそれだから。
「アラクネさん……僕は、分かってしまったよ」
遠ざかる月元先輩を見つめながら、一人呟く。周囲の喧噪にまみれているので、この声は届いていないかもしれない。だけど、言わずにはいられなかった。
この声が聞こえた所で、それが伝わるとは限らない。
少なくとも、僕の意志には賛同してくれないだろう。だけど、もう気持ちは決まった。
僕は、青山さんが好きだった。長い間、ずっとずっと好きだった。
同じように、僕のことを好きになって欲しかった。しかし、恋愛はそう甘くは無かった。
だけど、今日、キスされた。
あの時抱いた感情は、報われた喜びなんかじゃない。
きっと、悲しかったんだと思う。
まるで一心同体かのように、一緒に暮らしていた誰かの苦痛が、心に伝わってきたのかもしれない。
「ごめん……君の気持ちを、分かっていながら」
言いながら、携帯を取り出した。その直後、携帯がぶるぶると震えて、新着メールの受信を告げる。
僕は両目を閉じた。視界が真っ暗になり、周囲の会話の声が大きくなった気がする。
折り畳まれた携帯を開き、手触りだけで形状を確認すると、空いた方の手で携帯の半分――画面の部位を覆うようにして握り込む。
瞬間、心臓が鉛のように重くなった気がした。
ズクン、ズクン、と鈍い音が、全身を振るわせるようにして鳴り響く。
僕の心が、辞めろと言っている。そんなことをしたら、全てを失うかもしれないぞ、と。
失うことを恐れて、ここまで来てしまった。僕は臆病だから、それでも良いと思ってしまった。平穏で、穏やかで、トラブルの起こらない順調な世界。
だけど、それを作った神様が今、泣いている。
僕の代わりに傷ついて、ボロボロになって、でもそれが、僕の為だと分かっているから。
「……嫌だ」
それを想うだけで、力が沸いた。
自然と、握り込む手に圧力が加わり、ギリギリと軋む感触が、手のひらに伝わってくる。
大切なものが、手の中で壊れようとしている。携帯は、なおもバイブレーションの機動し、メールの受信を知らせ続けている。中身を確認したい感情を押し殺し、振り切るようにして更に力を込めると。
バキリと、小気味の音がして、携帯は二つに割れた。
覚悟はしていた、とはいえ。
あまりのショックに、僕はしばらく動けなかった。
翌日の月曜日、僕はいつも通り学校へ行った。昨日の夜、色々と考えていたせいで寝付きが悪く、妙に重たく感じる体を引きずるようにして、学校へと向かう。
教室へとたどり着き、青山さんがやってくるのを待つ。だが、それより早く担任がやってきては、朝礼を始める前に「今日は青山は風邪で休みだそうだ」とクラスの全員に告げた。
それを聞いたクラスメイト達が、「あの青山が!?」と、驚きの声を上げる。青山さんは元気で活発なイメージが強く、これまで学校を休んだことは一度も無かったから、その反応も当然だろう。
さて、どうしようかと考える。
昨日の夜から考えていた案では、昼休みか放課後に青山さんを呼び出して、二人きりになったところで話をしようかと考えていたのだが、検討が外れてしまった。
だが、新しい案はすぐに思いついた。
それなら、家に直接出向いてみるか、と考える。
ズル休みだろうし、いくら昼休みや放課後といえど、他人が聞いてしまう可能性のある場所では落ち着かない。それなら、向こうが安心できる場所の方が落ち着いて話せるだろう。
あ、そうだ。
どうせなら、少し驚かせてやろうかな。
状況が変わったことで、また一つ別のアイデアが浮かび上がる。僕はニヤつく頬を押さえながら、早く授業が終わらないかな、とじれったい気持ちになっていた。
それから学校が終わって、僕は早足に帰宅する。
自分の部屋には戻らず、別の部屋に向かう。そこには、家族の誰も使わなくなった、だけど捨てるには惜しい。と、そんな風に思われた服がねじ込まれたクローゼットがある。ほこりが被っていて、もう数年は開けられていないのが見て取れた。
だからこそ、そこに僕は隠したわけだが。
戸を開けると、扉に付着していたホコリが一斉に舞い上がり、たまらず僕はゲホゲホとむせる。最後に使ったのが僕なら、ほぼ一年ぶりの利用になる。こんなものが入っているのが知れたら、家族会議になるのは間違いないだろうから。
僕はお目当ての着衣を掴むと、早足にその場を去った。
電車を降りて、駅から歩き、住宅街に入って十分くらいだろうか。なんとなく見に覚えのある程度の記憶を頼りに進んでいると、『青山』と記された表札を見つけた。たどり着いた頃には既に夕刻で、想定していたよりも時間が掛かってしまっている。早く呼び出そう。
そう思って、呼び鈴のスイッチに手を伸ばそうとして、ピタリと動きが止まった。
もしも、ここで青山さんが出てこなかったらどうしよう。別の誰か――両親のどちらかだったりしたら、どうやって事情を説明しよう。家の中から応答された場合でも同じことだ。
携帯で呼び出すのも無理だし、公衆電話を探そうにも、ここまでの道のりでは見つけられなかった。
思わぬ難題に頭を悩ませていると、ガチャリと音がして、家の扉が開けられた。そして、片手にエコバックを持った女性――恐らく母親が出てくると、僕とばっちり目合った。
「あなた、霞のお友達?」
開口一番にそう聞かれて、僕はとっさに、コクコクコクと、首を縦に三回振る。
「霞ー! お友達が来てるわよー!」
母親は顔だけを家の中に向けて、大声を出してそう言うと、すたすたと歩いて何の躊躇もなく僕の側までやってきては「ゆっくりしていってね」と言って、通り過ぎて行った。
ポカンとしてその背中を見送っていると、家の中からドタドタと慌ただしい音がして、勢いよく扉が開けられる。
「な、並木!?」
「やー、青山さん。こんばんは」
僕は手を振って、のんきな挨拶を返した。




