――⑭――
青山さんのギブアップ宣言を聞いてすぐ、僕はエスケープゾーンを探した。だが、まさか最初の驚く場面に到着する前に根を上げる客がいるとは想定していなかったのだろう。辺りを見回しても逃げ場はみつからない。
僕等は前へと進むしかないのだろう。とはいえ、青山さんはまともに歩ける状態では無いらしく、僕の肩を渾身の力で握りしめ、額を僕の背中に押し付けた状態になった青山さん。もはや自分の力では一歩も歩けない程、精神的にやられてしまったらしい。
仕方ないので、僕等は来た道を引き返した。本当はルール違反なんだろうけど、他に客が居ない今の状況なら許して貰えるだろう。背中にひっつく青山さんの重みを感じながら、よたよたとよろけながらも、なんとか僕は入り口まで帰って来た。
カーテンの声は、僕を見るなり大声で笑った。
「あはははは! そんなに怖かったかい、オジョウチャン!」
「あの、マジで参ってるみたいなんで、辞めたげて下さい」
「そうかい。……ここから出てすぐの所にベンチがあるから、そこで休ませてあげな」
「どうも」
笑われたのが不快だった僕は、そっけない返事をしてお化け屋敷の外へ出た。空に輝く太陽が妙に眩しく感じて、たまらず目を細める。お化け屋敷から離れると、周囲の客達の喧騒が聞こえてきた。
「青山さん。もう大丈夫だよ」
僕が背中越しに話しかけると、ようやく、固く握った両手を離してくれた。それで僕がホッとしたのもつかの間、青山さんは全身の力が抜けたように、その場にペタリと座り込んでしまう。
そして、はぁ~~~~、と長いため息が吐き出され、
「腰、抜けちゃった」
涙で濡らした両目を細め、開き直った様な笑顔を見せる。
なんだか、僕も一緒に溜め息を吐きたい気分だった。
そこまで怖かったのなら、どうして無理をしようとしたんだ。万が一、実際に幽霊が飛び出す場面がもう少し早くて、もし出くわしていたら、もっともっと酷い結果になっていたんじゃないか。こんな風に、腰を抜かしながら笑っては居られないような状態になっていたんじゃないか。
僕は拳を強く握り締める
「今日はいっぱい楽しもうね。……って言ったのは、何処の誰だっけ?」。
そして、無意識の内に、絞り出すような声でそう言っていた。
消耗し、疲れ切った様子の青山さん。まだ恐怖が抜けきっていないのであろう、青くなった顔に、額には小粒な汗を滲ませ、荒くなった呼吸を抑えながら僕に心配をかけないよう、にっこりと笑顔をつくっている。
なんだか、涙が出そうだった。
知らず知らずの内とはいえ、僕が青山さんをここまで追い込んでしまった。
「ごめんね、並木。ホントごめん。怒っちゃった?」
「……怒って無いよ。ただ、ちょっと悲しいだけ」
大好きな女の子を酷い目に合わせてしまった衝撃は、心に深い爪後を残した。
青山さんを直視出来なくなった僕は、たまらず天を仰ぎ見た。
その後、僕は青山さんに肩を貸し、ふらつきながらもなんとか立ちあがらせた。おばけ屋敷の受付で言われた通りに近くにあったベンチへと移動し、ゆっくりと座らせる。
改めて青山さんの顔色を見ると、少しだけ血の気が回復していた。が、それでも貧血気味の病人のような危うさが見え隠れしていて、まだ本調子には程遠い。
「ちょっと待ってて。僕、自販機で水買ってくるよ」
「うん……ありがとね」
動けない女の子一人を残して行くのは少し不安だが……急いで帰ってくれば大丈夫だろう。僕は速足になってその場を離れた。身近に自販機は見当たらず、辺りを見回しながら園内を散策する。
園内にいるお客さん達は皆楽しそうで、こんな中で辛気臭い顔をしているのは僕だけだろうな、と、自虐的な思考が脳裏をよぎった。どうやら僕は、この状況に結構参っているらしい。
それを自覚した瞬間、歩く速度が落ち着き、普段通りのペースになった。青山さんから離れたことで、緊張から解放されたのだろう。慌てていた気持が冷静になり、落ち着きを取り戻す。
「僕は、どうすべきなんだろうな」
そうひとりごちると、すぐ傍を通り抜けた女の人がこちらを見た。が、自分に宛てられた言葉では無いとすぐに気付き、離れて行く。
迂闊だった……独り言を聞かれて恥ずかしく思いつつも、今までならこんな時、アラクネさんがメール送ってくれたのにな――と寂しさが込み上げてくる。
……もし、アラクネさんが僕と同じ状況だったら、どうしただろうか?
ふと、そんな考えが頭に浮かぶ。お化け屋敷が苦手だと事前に調べ上げ、別のアトラクションへと向かっていただろうか?
――いやそもそも、遊園地に行く前に、ここへ誘った意図を浮き彫りにしていただろう。それが自分にとって吉であるか凶であるかハッキリさせてから、デートに挑んだ筈だ。アラクネさんが、こんな曖昧な状態を良しとする訳が無い。相手の思惑を徹底して分析し、自分にとって最良の結果を作り出すに決まってる。
そこまで想像して、では、僕にとっての最良とは何だ。と考えてみる。
このデートが終わって、青山さんとより深く親密になれたとしても……青山さんには依然として彼氏がいる。ここに一緒に来て楽しんでいたのも本来であれば月元先輩だった筈。それが今回僕なのは、たまたま不運が重なったからで……。
でも、本当にそうなのか?
あの手紙の内容を鵜呑みにしたのは、悩んだ所で僕には理解が及ばなかったから。
いくら不自然だと思っても、それを嘘だと断言できる理由が無ければ、何を言っても言いがかりでしかなくなってしまうからだ。
それに、悩んでも仕方が無い。という気持ちもあった。僕があれこれ考えた所で、どうせ現状は何も変わらない。僕は青山さんのことが好きだけど、 青山さんは僕のことが好きじゃない。
だから――例え青山さんが月元先輩と付き合っていなかったとしても、誰か別の男子と付き合うだろう。間違っても、その位置に居座るのは僕なんかじゃない。
「なんか……自分で考えてて悲しくなってくるな……」
ふと、僕の耳に、風を切り裂く轟音が聞こえた。
その音は頭上から発せられたらしく、顔を上げると、さっき乗ったジェットコースターが発進しているのが見えた。どうやら、考え事に没頭している間に結構な距離を歩いていたらしい。ちょうど傍に自動販売機を見つけた僕は、小銭を投入しペットボトルの水を買う。
ガタンと音がして、取り出し口に水が落ちてくる。
その瞬間だった。
寒気を伴った嫌な予感がして、全身に怖気が――後ろに誰かがいる。
僕よりずっと長身で、近くに立たれるとその体が日よけになってしまって肌寒く感じてしまう。足元に伸びる影は、僕の存在を否定するように、僕の影を覆い隠している。その影の手が、ゆっくりと、僕の後頭部へと伸ばされ――全力で走った。水をその場に放置し、振り向いて相手を確認する前に、 その場から離れる。
誰かの指先が、僕の後ろ髪に触れた。
一瞬早く察知したおかげで、すんでの所で掴まれずに済んだ。
僕はそのまま大勢の客の中に紛れ込み、もみくちゃになりながら距離を取る。人波の隙間から、自動販売機のあった場所を覗き見る。
そこにいたのは月元先輩だった。
幸いにも、目は合わなかった。




