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アラクネさんは大好きな彼を見守りたい  作者: 石橋いも
三章 並木陽太と青山霞
24/34

――⑫――

 ついにこの日がやってきた。

 ジリリと鳴る目覚まし時計を叩き、ベッドから身を起こす。目覚めは良く、カーテンから差し込まれた朝日が室内を暖かく照らしている。

 不思議と落ち着いた気持ちで、僕は着替えを始めた。パジャマを脱ぎ捨て、パーカーにカーゴパンツという、いつもの休日の服装になり、外の寒さに備えてその上からPコートを着込む。

 着替えを終えて洗面所へ向かい、顔を洗って、髪を整え、歯を磨く。これで準備は完了。朝食は面倒臭いからいいや。財布、携帯をポケットに入れ、忘れ物がないかの確認を終えると、玄関へ。ブーツを穿き、扉を開く。

 その瞬間、新鮮な空気が肺の中を満たした。

 気持ちの良い快晴だ。

 深呼吸を終えると、僕は外へと踏み出す。

「行ってきます」

 誰に聞かせる訳でもなく、一人呟く。

 鍵穴に鍵を差し込み、捻ってロックすると、僕は駅に向かって歩きだした。

 今日は日曜日。

 指定された約束の日だ。



 あの日、僕が昇降口で見つけた手紙には、日曜日のデートについての詳しい詳細が書かれていた。

 八時に駅で待ち合わせ、お昼ご飯は私がお弁当を作っていく。などなど、ぶっきらぼうな青山さんらしくない計画が考えられていて、その中には、僕が何よりも気になっていた『彼氏がいるにも関わらず僕をデートに誘った理由』についても、しっかりと書かれていた。

 なんでも――本当は月元先輩と一緒に行く予定だったけれど、部活の練習試合が急に入ったから行けなくなったらしい。チケットの期限は日曜日までしかなく、行かず捨てるのは勿体無い。他の友達を誘おうにも、里田さんと大塚さんにはそれぞれ用事があるらしく、でも一人で行くのは寂しい。だったら並木を誘ってしまおう――と、そういうことらしい。

 読み終えて、尚更意味が分からなくなった。

 いくら他に誘える相手が居ないにせよ、青山さんは、僕と月元先輩の口喧嘩をバッチリ見ている筈なのに。もし万が一、この事態が月元の耳に届いたら、どうなるか分かった物じゃないのに。

 本当は、断ってしまうつもりだった。

 しかし、本人と話す機会はこれまでずっと訪れず、メールを送ろうとしても向こうのアドレスが変更されていて届かなかったのだ。

 そうして、こっちの意志を伝える手段が一切無いまま当日を迎えてしまった。

 駅に近づくにつれ、緊張が高まっていくのが分かる。このデートは、何が起こるのか全く分からない。とにかく不安で仕方がないまま、待ち合わせ場所の駅まで向かう。

「アラクネさん・・・・・・いないの?」

 小声で呼んでみても、コートのポケットに潜む携帯はピクリとも動かない。

 手紙を見つけて以来、アラクネさんとは音信不通になってしまったのだ。いくら話しかけても返事は無く、もしかして盗聴機が壊れてしまったのかと思ってメールを送ってみても、返信は送られてこない。

 それが、何よりも僕を不安にさせた。

 僕はアラクネさんの実体を何も知らず、顔も名前も声も、何一つとして分からない。だから、向こうで何かトラブルがあったとしても、僕の方から助けに行く事が出来ない。せめて何か一言でも残してくれれば安心出来るのに・・・・・・怪我や病気等、一度始めてしまった悪い妄想はどうしても頭から離れてくれない。

 心配で心配で仕方がなかった。気懸かりの度合で言うなら、青山さんよりもこっちの方が大きいかもしれない。アラクネさんが側にいない日常はとにかく落ち着きが無く、まるで半身を失ってしまったような気分になる。何をするにも不便で、ただ歩くだけでさえ難しい気がするくらいだった。

 そんな気持ちを抱えたまま、この日を迎えてしまった。

 顔を俯けながら、僕は歩き続けた。



「おーい並木、こっちだよー」

 駅の待合室に足を踏み入れてすぐに、聞きなれた声が耳に届いた。まだ約束の二十分前だというのに、どうやら僕より先に駅に着いていたらしい。

 青山さんは、入り口から離れた所にある、備え付けられた椅子に座ってこっちを見ていた。それに僕が気付くと、手をひらひらと振ってくる。

 僕は無意識に小走りになっていた。休日の駅を利用する人はそれなりに多く、通行人を避けるようにして進む。……だが、青山さんとの距離が近づき、その姿が鮮明になるにつれ、僕の足は次第に遅くなっていく。

 そして、ついにはピタリと止まってしまった。

 僕の大きく見開かれた瞳は、椅子から立ち上がりこっちに向かってくる青山さんを凝視してしまっていた。

 いつもと雰囲気がまるで違う。

 なんだか、森の妖精を思い起こさせるような服装だ。

 薄い茶髪だった髪は、今や明るい栗色のボブカットに整えられており、襟にレースが施された厚手のコートに、広がる花のようなフリルスカートはとても可愛らしい。細長い足はぴっちりとしたレギンスに包まれ、ロングブーツからは歩く度に固い足音が発せられる。肩には小さなボストンバックが吊られていて、それがゆらゆらと揺れていた。

 妖精みたいな青山さんは、呆然と立ち尽くしたまま動けない僕の目前までやってくる。

 すると、何も言えないでいる僕の額へと手を伸ばし、デコピンをした。

「あいたっ」

 小気味のいい音がして、僕はたまらず額を押さえる。

「このー、失礼だぞ!」

 笑いながらそう言って、青山さんは自分の体に目を向けながら「あたしの格好、変かな?」と聞いてくる。

「そんなことないよ。とても似合ってる」

「ま、並木は絶対そう言ってくれるよね」

「本当だって、さっきはちょっと驚いただけだから! すんごく可愛いよ」

「ホント? ありがとっ」

 僕のほめ言葉に、青山さんは満足そうな笑顔になった。

 どうしてこうなったんだろう?

 状況が全く掴めない僕の気持ちは、好きな女子と一緒にいられる喜びよりも、困惑でいっぱいだった。

 本当に断らなくて良かったのだろうか? 

 僕には何も分からない。

 だってこの子は、僕の事が好きじゃないのだから。

 友達として信頼されているのは確かではあるが、恋愛感情が向けられるなんて絶対にありえない。ずっと片思いをしていた僕だから、悲しいくらいにそれを理解している。これは、最初にアラクネさんにも言われた事でもあり、覆しようのない事実だった筈だ。

 それが分かっている僕には、やはりこの状況が異常に見える。

 アラクネさんが側にいれば、青山さんの企みについて相談していただろうけど……。

「並木? どうしたの?」

 青山さんが心配そうにのそきこんでくる。僕が思い悩む表情になっていたからだろう。

「遊園地、僕も楽しみだよ。久しぶりだからさ」

 ごまかすようにして笑顔を作り、楽しげな声で言った。 

 今更悩んでいても仕方がない。

 行くと決めたのなら、心の底から楽しむのが筋ってものだ。

 青山さんの望みも、きっとそれだから。

「あたしも久しぶりだから楽しみ。今日はいっぱい楽しもうね!」

 到着した電車が目の前で停止し、扉を開く。

 電車に乗り、二人用の座席に並んで座ると、程なくして電車は発進した。



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