――⑨――
結局、どれだけ頑張っても掃除は終わらなかった。グラウンドを半周ほどした所で、最終下校時刻を告げるチャイムが鳴り響いてしまった。ほぼ無言になっていた僕等は、その音を聞いて、ハッと頭を上げる。どうやら作業に集中しすぎていたらしい。陽は完全に落ちていて、暗くなった空には三日月が浮かんでいる。そしてグラウンドには、今や誰一人として部活に勤しむ生徒は居ない。
居るのは、僕と青山さんの二人だけになっていた。
「いっけない! 更衣室が閉められる前に着替えないと!」
「それじゃ、僕はゴミ袋を捨てに行くよ」
「ごめん。お願いするね!」
言うとすぐさま早足で去っていく青山さん。それを見送り、僕はゴミ袋の数を確認する。
その数、十六袋。
一人で運ぶにはしんどい量だ。両手で二袋ずつ持っていくと考えても、八往復しなくてはならない。
青山さんが帰ってきてくれれば有り難いのだけれど……。
でも、バレー部の人達と沢山話すことがあるだろうし……。
やっぱり自分だけで頑張ろうと思い直した僕は、袋を両手で掴み上げた。
ふらつきながらも、校舎の裏手にあるゴミ捨て場へと向かう。どうやら想像以上に疲れているらしく、まっすぐ歩くことすら難しいみたいだ。人が居ないグラウンドを横切り、ゴミ捨て場にたどり着く頃には、もう足が悲鳴を上げていた。
そこには自分以外の誰かが集めたのであろう、ゴミ袋が山のように集まっている。その一角に向かって、持ち運んできた袋を放り投げた。
これを、繰り返すのか……後七回も。
「アラクネさん、今から手伝いに来る?」
『やですよ、自分で頑張ってください』
携帯を開き、返信をチェックする。
来ないのは分かっていたけど、なんだか態度がそっけない。
「そんなに怒らないでよ、ちょっと手伝っただけじゃん」
『私が怒っている理由はそれじゃないです』
予想を外した僕が、頭を傾げる。
てっきり、覗きに行くだけの予定だった筈が掃除を手伝うことになってしまって、自分と話をする時間が減ってしまったことに怒りを覚えているのかと……。そう思っていたのだが、どうにも違うらしい。
素直に「じゃあ、どうして?」と聞いてみると、『並木君はアレですね、たらし男という奴ですね』と、よく分からない答えが返ってきた。
「たらし男って……」
『精神的に弱っている人を見つけては、優しい言葉を掛けてあげる。それを無自覚にやってのけるから天然は恐ろしいですよ』
「そんなんじゃないよ、アラクネさん」
『でも、青山霞の並木君に対する見方は変わりましたよ。並木君のことを軽視しなくなりました。良かったですね。』
「……」
たっぷりと皮肉を込めた賛美を受けて、僕は無言のまま苦い顔になった。
喜んで良いのやら、悪いのやら。ただ、アラクネさんの不機嫌の正体はハッキリした。自分の好きな男子が、自分の嫌いな女子と仲良く共同作業をしているのが気に入らなかったのだ。でも、それで僕の落ち込みが回復するなら、話すなとは言えないし我慢するしかない。と、アラクネさんは考えていたのだろう。
しかし、そう理解していても納得出来ない気持ちの方が大きかったらしく、メールの猛攻が凄まじい勢いで送られてくる。
『月元先輩に見られなくて良かったですね。二度と近寄るな、と言われたばかりなのに、そのすぐ後に楽しそうにお喋りするなんて。もし私が月元先輩と同じ立場ならブチギレしてますよ、ブッチーンです! ほんとに迂闊でしたよ分かってます?』
「ごめんごめん、次から気をつけるよ」
『なんですか、その気のない返事は。私は並木君の為ならどんな事でもしますけど、自ら破滅しようとされてはどうにも出来ないですよ。ていうか、次からって言いましたけど、まさか「次も似たような機会にあって欲しい」なんて考えてるのではないでしょうね? それは、青山霞がまた同じようなトラブルを起こして欲しい、という意味にも取れますよね。まぁ青山霞の性格を肯定したのは並木君ですし、バカは死ななきゃ治らないって言いますけど、そもそもあんな女を好きになった並木君はもっと馬鹿っていうか……いやいや何を言ってるんですか私は! 並木君は素敵ですよ!』
「アラクネさんちょっと落ち着こうか」
『ごめんなさい。私、こんなことを言うつもりは……』
「分かってるよ。いつも心配してくれてありがとね」
言うと同時に、携帯を閉じた。閉じた携帯をズボンのポケットに仕舞い込み、ここまで来た道を戻る。
少し錯乱していたとはいえ、アラクネさんの言っている内容はもっともだ。月元先輩にバレたら大問題になるのは間違いない。迂闊な行動は慎む必要がある。今後は注意しないと。
こんな風に話が出来るのも、今日で終わり。
それを自覚した瞬間、胸を締め付けるような苦しみに襲われる。名残惜しさを感じない訳がない。だけど、仕方ない。納得するしかないんだ。
むしろ、最後に楽しく話せただけでも良かったと思うべきだろう。小さく息を吐いて、気持ちを落ち着ける。冷たい空気が肺を通り、白い息となって口からこぼれる。
意識を切り替え、さっさと掃除を終わらせようと早足になる。
そうして校舎の角を曲がった瞬間。
「あ……」
青山さんと対面した。
心臓がドキリと跳ねる。
制服姿に着替えた彼女は、両手に四つのゴミ袋を持って、僕の前に立っていた。先程まではジャーシによって隠されていた長い手足が、妙に色っぽく見えて、とっさに僕は目を逸らす。
「思ったより早かったんだね」
「うん。みんな思ったより怒ってなかったみたい。あたしに悪気が無かったこと、すぐに理解してくれたよ」
それを聞いて僕は微笑みを浮かべた。
しかし、良い報告だったにも関わらず、それを告げた青山さんの表情には何処か陰がある。それとは別の、何かトラブルでもあったのだろうか?
例えば――考えたくないことだが……実は月元先輩が掃除のことを知っていて、僕について何か言われたとか。
もしそうだとしたら、想像するだけでも背筋が寒くなる。
しかし、そんな僕の予想は大きく外れていたらしい。
「並木がさっき話してた相手って、前に言ってた彼女?」
それを聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。




