――⑦――
校舎から渡り廊下に出ると、氷のように冷たい風が吹き荒れていた。空を見上げると、分厚い曇天が太陽を覆い隠していて、どことなく景色が薄暗く見える。どうやら、本格的な冬が迫ってきているらしい。寒さに体をぶるりと振るわせながら、僕は歩みを進める。
体育館にはすぐに到着した。分厚い扉は閉じられていて、中の様子を見ることは難しそうだが、時折ボールを叩きつける音や、シューズのこすれる小気味の良い音が聞こえてくる。
中で活動をしているのは間違いないが、部外者でしかない自分では体育館の中には入れないだろう。しかし、僕の目的はそもそも遠くから除くだけなので、閉じられた扉は問題ではない。体育館の壁には換気用の小窓があり、中を覗くだけならそこから見るだけで十分なのだ。
僕は体育館の出入り口を通り過ぎ、そのまま進んで体育館の側面へと回り込む。
そうして小窓へと向かおうとしたのだが……どうやら、先約が居たらしい。
「あ」
思わぬ事態に、僕は間の抜けた声を発した。
小窓の前を陣取っていたのは、僕の知らない二人の少女だった。ボブカットの女の子と、ロングヘアーの女の子。身長は二人とも僕と同じくらいだ。学校の制服を着ているので、生徒だということは分かるが、面識が全く無いのでそれ以上のことは分からない。
彼女達は、小窓の向こうへと熱烈な視線を送っていて、僕が来たことにも全く気が付いていないようだ。僕は体育館の壁に視線を移し、他に小窓が無いか探してみたものの、他の窓は完全に閉じられている。この寒さでは仕方ないだろう。
『どうしました? 早くもトラブルですか?』
悩んでいると、アラクネさんからメールが来る。
おそらく、唐突に止まった足音で判断しているのだろう。本当にこの子は、僕のことをよく観察している。
「小窓の前に女の子が居るんだ」
僕は小窓の少女達に聞こえないように、小声で返す。
『なるほど……では、仲良くなってしまいましょう』
「え?」
いつものように良い案をくれると期待していたが、流石にこの提案は予想外だった。
というか、あまり僕のコミュニケーション能力に期待しないで欲しい。知らない女の子に話しかける勇気なんて持ち合わせていないぞ。
「……僕はそこまでフレンドリーな性格じゃないって」
『いえ、並木君なら大丈夫です。』
「……その勘違いが僕を追い込んでいると気付いてくれ」
アラクネさんの提案を否定し、僕は重い溜息を吐いた。今日の所は帰った方が良いのかもしれない。そもそも、青山さんの顔を見たくなったのは唯の思いつきでしかなく、見ること事態には何の意味も無いのだから。
そう思い直した僕が、きびすを返そうとすると、
『勘違いしているのは並木君の方です。』
まるで退路を断つかの如く、アラクネさんの言葉が送られてくる。
『あなたは人相が悪いわけでは無く、むしろ可愛いお顔をしています。穏やかな雰囲気もあるし、私のようなコミュ障ストーカー女と仲良くしてくれる器量だってあります。』
唐突なほめ言葉に、少しだけ頬が熱くなる。突然何を言ってるんだ、この子は。
『もう一度言います。勘違いをしているのは並木君だけです。この事実は私だけの知る所ではなく、染谷君も、青山霞も、みんな知っています。気付いていないのは、本人である並木君だけ……ここまで言えば分かりますよね? つまり、並木君はとても魅力的な男子なのです!』
「分かったよ分かった。もう分かったから勘弁してくれ」
『分かってくれましたか?』
「誉められすぎて胃がムズムズする。……それと、僕からも言わせてもらうけど、アラクネさんだって勘違いしているよ」
褒めてくれるのは嬉しいのだが――褒め言葉の中に紛れ込んでいた、どうしても気に入らない部分を修正させてもらう。
「さっき自分のことをコミュ障ストーカーだなんて言っていたけど、僕は困ってないから。だから、自分の性格を悪く言う必要は無いからね」
返事を聞く前に携帯を折り畳み、ポケットに閉まった。ここまで言わせて、むざむざ帰るのは情けなさすぎる。腹をくくった僕は一歩を踏みだし、少女達の側へと向かう。
さて、どうやって声を掛けるか……とりあえず、笑顔を作って話しかけてみよう。
「やあ、こんなところで何してるの?」
僕が後ろから声を掛けると、少女達はビクンと痙攣でも起こしたかのように体を振るわせた。
そして、恐る恐るといった様子で、ゆっくりと振り返り、僕の顔を仰ぎ見る。
こうして向き合ってみると、幼い顔つきをしているのが分かる。多分、一年生だ。見覚えがなかったのも当然だろう。
少女達は何も言わずに、じぃぃと、僕の顔をのぞき込むようにして見つめている。僕が言う次の言葉を待っているのだろうか? 何にせよ、この不毛なにらめっこを続ける気は無く、僕は堂々とした態度のまま口を開く。
「ここから何か面白いものが見えるなら、僕も見てみたいなーと、思ってさ」
「いえ、決して、面白いものが見えるワケでは……」
ボブカットの子が、おずおずと言う。
「つーか、なんなのアンタ? アタシ等に何か用?」
ロングヘアーの子が頬を吊り上げ、露骨に苛ついた様子を見せる。
僕は体格が小さいから、年上には見えないのだろうけど、それにしても攻撃的な態度だ。しかしそんなことで気を害することなく、僕は穏やかな笑みを浮かべた。
「いやいや、僕も仲間に入れて欲しいなぁ、と思っただけなんだ。開いてる小窓はここだけだからさ」
「何? アンタも月元先輩のファンなの?」
……ん? なんだって?
今、なんだかスゴい単語を耳にした気がするぞ。
「ここは……バスケ部の練習風景が見れる場所なんです……それで、私たちみたいなファンの女の子達が、こっそり覗いているんです」
僕が両目を瞬かせていると、ショートカットの子が丁寧に説明してくれた。
「そ、そうなんだ。確かに、月元先輩は格好良いもんね。男の僕にも分かるよ」
「へぇ、アンタにも分かるんだ」
ロングヘアーの子が、口元をにやりと歪めて笑う。
僕が首を縦に振ると、更に上機嫌になったようで、
「そうよね、やっぱり月元先輩の魅力は本物なのよ。雑誌のモデルになっても良いくらいのイケメンだもの。バスケ部のキャプテンで人望も厚くて、勿論プレーも部内で一番。これまで男子のファンが居なかったのが異常だったのよ。でも、それも今日で終わり。アンタならファンクラブの会員に加えてあげてもいいわ。ほら、携帯出しなさい。わたしが登録してあげるから」
ロングヘアーの少女の口から、月元を誉め称える言葉が矢継ぎ早に繰り出される。それを聞いて、ボブカットの少女がニコニコと微笑む。
すっかり気圧されそうになった僕は、ポケットから携帯を取り出す。それをロングヘアーの子が奪い取るような手つきで受け取った。
二人の視線が、小窓から携帯へと移る。その隙に、僕は小窓へと目を向ける。
広い体育館はちょうど真ん中が太いネットで区切られていて、僕から見て手前を使っているのがバスケ部、奥を使っているのがバレー部になっているようだ。ダンダンと、ボールが連続して叩きつけられるドリブルの音と、バスケットシューズのこすれる音が妙にうるさく聞こえる。練習するバスケ部員達を無視して、僕の目は青山さんを探す。
しかし、見つからない。
奥で練習するバレー部員達は、コートを挟んだ部員達が紅白試合を行っているのだが、その中に青山さんが居ない。コートの外にて、試合を見ている連中の中にも居なければ、点数を記録している位置や、審判が立っている場所にも見あたらない。
もしかして、今日は休んでいるのかもしれない。だとしたら、とんだ骨折り損だ。せっかくここまで来たのに。
「そういえばアンタの名前を聞いてなかったわね。登録に必要だから教えなさい」
ガックリと肩を落とすその後ろから、僕の気持ちなんて全く知らない少女が声を掛けてくる。面倒だが、まだ話を合わさなければならない。携帯をさっさと取り返す為にも。
「並木だよ、並木陽太」
「ふーん、一年の中じゃ聞かない名前ねぇ。まぁアンタ、影薄そうだもんね」
ロングヘアーの少女がポチポチと携帯を操作し、入力を終える。これで登録は完了したらしい。用が済んだ携帯を手渡され、受け取った僕はポケットに仕舞う。
「それじゃ、僕は満足したから帰るよ。じゃあね」
当然だが、後でさっさと退会しよう、と心の中で決意し、用の無くなったこの場所から離れようとすると、
「あなたは、もしかして、女装美少年の並木先輩ですか?」
制服の袖を捕まれて、僕の体がピクリと止められる。
ぎょっとして振り向くと、掴んでいたのはボブカットの少女だった。頬を赤く染めながら、僕の驚く顔を食い入るように見つめてくる。
「女装美少年? なにそれ?」
ロングヘアーの子が怪訝そうに眉をひそめると、ボブカットの子は目を見開き、「知らないの!!? 去年の文化祭の伝説を!!」と大声を発した。
ゾッと、背筋に大量の氷をねじ込まれたみたいだった。この子は僕のことを知っているらしい。このままでは熱く語り出してしまいそうだ。そんなことをされてしまっては、あまりの恥ずかしさに悶え死んでしまう。
考えている余裕は無かった。僕は強引に手を振り解き、急いで逃げ出そうとする。
「待って並木先輩! お願いだから待って!」
少女が叫びに似た声で、僕を呼び止めると同時に、背後から両肩をがっちりと捕まれ、強引に動けなくされてしまった。
「せめて握手だけでも! 並木先輩!」
はすはすと、荒い息使いが耳元で発せられる。興奮する様子が間近から伝わってきて、僕は内心で舌を巻いた。青山さんを探しに来ただけなのに、どうしてこんな目に合わなきゃならないんだ――心の中で絶叫する。
その直後だった。
「アンタ達、その辺にしときなさい」
耳に届いたのは、制止を促す声。
それを認識した瞬間、捕まれた肩から力が消え、逃げようとしていた僕の体が前へ飛び出す。つんのめるようにして数歩進み、転んでしまいそうになる。
なんとかバランスを取って体制を戻すと、何が起こったのか確認すべく、すぐさま振り返った。
――真っ先に目に映ったのは、僕の目的だった女の子。
肩まで伸ばされた、ほんのりと茶色に染められた髪に、一般的な女子生徒よりも遙かに長身の彼女は、今は長袖のジャージに全身を包んでいる。
そして、片手には何故か竹箒が握られていて、もう一方の手には、僕の肩を掴んでいた少女の手首を握りしめていた。
「な、な、なんですかぁ!?」
ボブカットの少女が痛みの混じった声を上げると、その手が解放される。
いつのまに彼女は、ここまで近づいていたのだろう。
全く気付けなかった僕と少女達は、何も言えずに目を丸くして驚いた。
「並木に酷いことすんなって言ってんのよ、後輩」
低い声でそう言って、僕らよりも遙かに高い位置から、見下ろす。仁王のような立ち姿はとても頼もしく、びくびくしていた僕に圧倒的な安心感を与えてくれる。
青山霞。
僕が欲しいものを全て持っている、憧れの女子だった。




