――⑥――
月元先輩との対話を終えて、僕は自分の教室へ戻った。
すると、僕の席には大塚さんが座り、正面に座る染谷へと熱っぽい視線を向けていた。そういえばそういう状況だったな、と小さく苦笑する。
帰ってきた僕の存在に気付いた大塚さんは椅子から立ち上がり、ズカズカといつもの大股でその場を去っていく。そのどこか嬉しげな表情を横目に、僕は自分の席に座る。
染谷は、死んでいた。
死体と見間違うくらい、真っ白になっていた。
椅子の背もたれに全身を預けた姿勢のまま、うつろな目を天井へと向けていて、僕が戻ってきたことにすら気付かない。声を掛ける気にはなれずに、僕は途中まで食べていた昼食を再会した。
もうすぐ、昼休みが終わる。
午後の授業を受けている間、僕の意識は全く別のものを見ていた。
教科書とノートを開いてはいるものの、教師の解説や黒板に書かれた内容は、全くと言っていい程頭に入ってこない。
その代わりに、僕の目前に広がっているのは、つい先ほどの光景。
月元先輩が睨むような目で僕を見下ろし、俺の彼女に近づくなと言うだけでなく、僕のコンプレックスを容赦なく攻撃してくる。そんな場面がずっと、明確な映像となって頭に浮かんでくる。
我ながら、先輩相手に堂々とした態度だったと思う。
普通ならあまりの怖さに動けなくなっていた所だが、青山さんに関わる内容では言い返さずにはいられなかったらしい。
やっぱり僕は、青山さんが好きだと痛感させられる。
でも、そんな気持ちは捨てなければならない。
青山さんとの友人であることを辞めるつもりもないが、これまで通り仲良くできるかどうかは……正直な所、あまり自信が無い。
だって青山さんはもう、月元先輩のものになってしまったのだから。僕の知らない所で、僕の知らない笑顔を向けている青山さんを想像するだけで、心が砕けそうな苦痛に見舞われる。奥歯を強くかみ、激痛に堪えるようにして、胸の皮膚を引きちぎらんばかりに掴む。
あの時ちゃんと失恋しておけばよかった。
心の底から、そう後悔した。
授業の終了を告げるチャイムが鳴り、壇上に立つ教師が何かを言って、教室を後にする。それと同時に、友達同士の会話を楽しむ声が聞こえてきては、まるで音楽プレイヤーのボリュームを調節するようにして、喧噪が徐々に小さくなっていく。そしていつしか、耳には何も聞こえなくなり、
『並木君!?』
アラクネさんからメールが届き、バイブレーションがポケットの中で機動する。
それで僕はようやく、意識を取り戻した。
「あれ、授業は?」
周囲を見渡すと、自分一人しかいない教室はとても静かで、不気味さを感させる。どうやら、とっくにホームルームは終わった後のようだ。
窓から差し込まれる夕焼けの光が、室内を照らし、改めて時間の経過を実感する。
『もうとっくに終わりましたよ。大丈夫ですか?』
「大丈夫……だと、思う。たぶん」
『眠っていたんですか?』
「いや、寝てはいないと思うけど……でもなんだか、考え事をしていたような気がするよ」
『そうですか……』
机の上に広げっぱなしだった教科書とノートを鞄に詰め込み、僕は椅子から立ち上がる。両手を伸ばすと背中からポキポキと音が鳴り、ずっと同じ姿勢でいた披露が少しだけ楽になる。
口を開けてふわぁと欠伸をすると、鞄を肩に吊った僕は教室から出た。
速足で廊下を歩き、階段を下りる。カツカツと、床を叩く自分の足音だけが静かな校舎の中で反響する。
『ドコへ行くのですか?』
ふと、アラクネさんが疑問を口にした。
「何処ってそりゃ、昇降口だよ。靴を穿き変えなきゃ」
僕は周囲を気にすることなく、返事をする。これだけ静かなら近くに人は居ないだろう。
『それは変です』
「変って、何が?」
『並木君の歩調では――自分の教室から廊下に出るまでに十三歩、廊下から階段までに二十七歩、一階まで降りて昇降口にたどり着くまでに五十九歩。……それらを合わせた合計九十九歩が、外に出るには必要になります』
僕がした何気ない質問は、とんでもない思考を引きずり出してしまったらしい。ピタリと、僕は立ち止まる。足音が消え、周囲が完全な無音になった。
アラクネさんは、僕の驚愕に気付いていないのか、普段の会話と同じ様子で話を続けてくる。
『ですが、今は既に百四十三歩、上靴で廊下を歩く足音が続いています。それはつまり、何処か別の場所を目指しているのだと、考えられます』
「……かなわないなぁ、なんでもお見通しなんだね」
とぼとぼと、再び歩きだした僕の足取りが重いものに変わっているのは、異様な方法で指摘されたそれが図星だったからだろう。
だけど、今から僕が向かう場所を告げるのは抵抗があった。出来ることなら、バレずにこっそり向かいたかったのだ。
しかし、アラクネさんに隠し事が通用するわけもなく。
『まぁ、聞くまでも無いんですけどね。並木君は分かりやすいですから。体育館ですよね?』
それもバレてしまっていたらしい。
目的地を言い当てられて、僕はたまらず表情を歪める。
ここまで見透かされていてはもう、言い訳は無意味だろう。だが、遅かれ早かれバレてしまうとは思っていたので、少しだけ気持ちがすっきりもした。もとより、アラクネさんを出し抜くのは無理だと思っていたのかもしれない。諦めに似た気持ちが、胸の中に満ちていく。
この落ち込んだ精神状態では、上手く説明するのは不可能だろう。
「青山さんと直接話をするつもりは無く、遠くからこっそり見るだけのつもりだった」
なので、僕は正直に告げる。
そうしようとする理由については、正直な所、自分でもよく分かっていない。気持ちに整理をつけようとしているのかもしれないし、単に青山さんの頑張る姿が見たいだけなのかもしれない。だけど、アラクネさんはそれすらも見透かしているかもしれない。ストーカー歴も長いみたいだし。
僕の行動を聞いたアラクネさんは、非難することは無かった。ただ、賛成をするつもりも無いらしい。
『でも、今日はバスケ部も練習していますから、月元先輩も居ますよ? それでも行くんですか?』
「……え、ホントに?」
そう聞かされて、僕は頭を悩ませる。あの先輩と再び顔を合わせるのは避けるべきだろう。ましてや、青山さんに近寄ろうとする所を見られてしまえば、かなり面倒な事態に成りかねない。
アラクネさんは既に月元先輩がバスケ部に所属していることを調べていたらしい。
『大マジです。バレたらどうなるか分かりませんよ?』
「だよね……どうしようかな」
『悩んでいる素振りを見せているつもりでも、歩調が一切変わっていないのですが』
両手を組み、頭の中では迷っていたつもりだったが――いつものペースで歩き続けていることに、僕自身が驚かされる。
僕は分かり易いのだと、改めて自覚した瞬間だった。




