――⑤――
わめく染谷を無視して、教室の扉を空ける。すると、廊下の壁にもたれかかっている人と目が合った。僕が声を掛ける前に、その人がこちらに向かってくる。僕を呼び出した先輩で間違いないだろう。
やってきた先輩が、僕の正面に立つ。
細身の体つきをしている。だが十分に鍛えられているのであろう、制服の裏に隠れた筋肉のせいか妙な威圧間を感じる。柔らかい七三分けの髪型が特徴敵で、ぎりぎり見える刈り上げからは、独自の美意識を感じせる。
この人はモテるだろうな……と、醸し出すオーラに充てられそうになった。この大人っぽい雰囲気は、女々しい性格の染谷には出せないものだ。
そんな人が、いったい何の用だろう。部活にも委員会にも所属していないので、年上の先輩と接する機会が少ない僕は、少し緊張していた。
しかし次の瞬間、そんな心配は吹き飛ばされる。
「僕は月元耕也。青山霞の恋人だ」
顔を合わせ、開口一番にそう言われた僕は、息を詰まらせた。
「ここじゃなんだから、向こうで話そう。なに、立ち話で十分だ。時間を取らせる気はない」
そう言うなり、月元という先輩は速足でこの場から離れて行く。
あまりのショックに立ち尽していた僕は、ハッとして追いかけた。
不可抗力なんだ。
まさか、向こう側から接触してくるなんて、思いもしなかったんだ。
でも、仕方ないんだ。だって無視するわけにもいかないんだから。
心の中で、アラクネさんに弁解を試みるが、ポケットの中の携帯は今もぶるぶると震えている。怒ってはいないだろうが、この事態はアラクネさんにとっても予想外なのかもしれない。内容を確認したいが、今の状態では無理だろう。
廊下の突き当たりまで進むと、前を歩いていた先輩は立ち止まり、振り向く。
「さっそくだけど、単刀直入に聞かせて貰う。君は、青山霞のことが好きなんだろ?」
堂々とそう言われて、僕の喉からうめき声が漏れた。
正直に「はい」と言うべきか、それとも「いいえ」と嘘を吐くべきか。そもそも、この月元という先輩は僕から聞き出してどうしようというのか?
僕は言い返すべき言葉を模索する。が、混乱して上手い言葉が思い浮かばない。
月元先輩は、僕が無言で慌てる様子を見ていた。鋭い目を更に細めて、じっとりと観察するようだ。そして、ふっと、口元から小さく息を漏らす。
「もう十分だ。なるほど、先ほど話した大塚が言った通りなんだな」
「え……?」
「明らかに好意がある。それも、かなり根深い恋心を抱いている」
「お、大塚さんがそう言ってたんですか?」
な、なんで大塚が知ってるんだ?
そんな話、一度もしたことがないのに。
「いいや、そうは言っていないがね」
僕の動揺を無視するように、月元先輩は続きを話す。
「並木は青山と話す時はいつも嬉しそうだし、話していない時も、隙を見つけてはチラチラと横目に見ていた――と言っていたね。他にも、並木は裏表の無い奴だから直接聞いた方が確実だし早い。とも言われたな。それで実際に話してみて分かったが、彼女の助言はどれも正しかったようだ。……君は間違いなく、正直者だ」
褒めてるんだか、馬鹿にされているんだか。
ただ、そう言われて素直に喜ぶ奴は馬鹿だと思った。
「それで、青山さんの彼氏が僕にわざわざ何の用ですか?」
皮肉だと受け取った僕は、苛立ちを隠そうとしながらそう言った。
しかし、言葉に心なしか棘がある。
ええそうですよ、正直者で悪いか。
「そう怒るなよ……いや、むしろ怒ってくれて構わない。僕は君と仲良くするつもりはないからな。ただ、君がちょっと可愛かったのが誤算だっただけだ」
月元先輩の鋭い目が、更に細められる。その視線から敵意を感じた僕は、無意識の内に一歩だけ後ろに下がってしまった。
月元先輩は低い声で、まるで脅すように言う。
「青山霞には僕という恋人が居ることを忘れるな。それが分かったら、二度とメールも送るな」
「それはアンタが決める事じゃない」
言葉が喉から飛び出していた。
その直後になって、先輩相手に生意気な口調だったと気付いたが、どうしても止まらない。
続けて「そうまでしなきゃ不安ですか?」と、挑発するような言葉を口にしていた。
「ああそうだよ」
しかし、月元先輩はあっさりと認めてしまう。
それがどうしたと言わんばかりに両腕を組み、顎を上げて僕を見下ろす。
「僕は霞が心配なんだ。君みたいな女装が趣味の変態なんかに関わってほしくないんだ」
「本気で言ってるんですか」
「何も間違ってないだろう、可愛い並木くん?」
嘲るような笑みを浮かべたその顔を見た瞬間、頭が真っ白になった。全身の血液が熱くなり、目の前の男がとても憎らしく見える。
だけど、ぐっと堪えた。
血が出る程握りしめた拳を顔面に叩きつけてやりたい。だけど、常識的に考えて先輩を殴るわけにもいないだろう。
イラっとしてしまったのは確かだが、これは既に乗り越えた過去だ。
そう自覚すると、握り締めた拳から力が抜けていく。
どうやら、あの頃と比べて少しだけ大人になったらしい。
「なんだ、せっかく挑発してやったのに乗ってこないんだな、つまらない」
本当につまらなそうに月元先輩は言う。
「……すみませんね」
また罵倒攻撃が来ると予想した僕は、奥歯を噛んでグッと堪える姿勢になる。
だが、月元先輩の罵倒が来ない。視線が僕から外れ、僕の方を向いたまま遠くを見るような目つきになる。
ふと、背後に気配を感じて、僕は振り向く。
そこには青山さんが立っていた。この話題の中心人物である彼女は、暗い表情で俯いていた。
「……ねぇ月元さん、あたしの友達に、なんでこんなことするの?」
怒りと悲しみ、両方の混じった声が、耳元で囁くように聞こえる。
青山さんの感情が、間近で伝わってくる。
「ただ話しているだけだよ」
「嘘、並木に酷い事を言おうとしてた」
「僕を信じないんだ? それで、この可愛い並木くんを信じると?」
可愛いと連呼されて、頬がピクリと痙攣する。こいつ、再び激高させて、僕の印象を下げようとしているのか?
そう思い冷静になろうとしたが……何かが違う気がする。
月元は僕の顔を全く見ていない、その後ろの青山さんだけを見ている。僕を怒らせることが目的ではなく、青山さんにだけに言っているようだ。
「可愛い並木くんがそんなに大事か?」
まるで言い聞かせるように、何度も何度も。
青山さんは何も言い返さず、ただ黙って俯いていた。歯を食いしばり、床を見つめている。
いったい何が起こってるんだ?
これが、一般的な恋人関係の形か? 僕には何か異様に見える。
「おっと、言い過ぎたね。ごめんよ並木くん」
と、ようやくこちらを見た月元に、僕は「あ、いえ」とだけ返す。すると口元をしかめ、少しだけ気に入らない表情になった。
僕は携帯を取り出し、青山霞のアドレスを指差しながら言う。
「あの、言いたいことは全部伝わったんで、そろそろこの辺で辞めませんか? なんなら目の前でアドレスを消してもいいですよ」
「……いや、分かってくれたならそれでいい。話は以上だ。僕は自分の教室に帰る」
そう言うと、僕と青山さんを横切って、月山先輩は行ってしまった。廊下をまっすぐ歩き、階段を上っていった所まで見送ると、
「……ちっちゃい先輩だ」
そう言って、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
でかいのは態度偉だけで、言葉使いが偉そうなのは自信が無いからだと、僕にはそう思えた。
僕のクラスメイトから事前に情報を探ってまでして、それでやることは悪口と挑発だけとはお笑いだ。大爆笑だ。
……でもまさか、僕のことを女装が趣味の変態とまで言ってくるとは思わなかった。
どうやら僕は、心底嫌われているらしい。その理由については考えるまでもない。青山さんへの好意を知っているからだろう。
でも、いくら年下が相手だからって、初対面の相手にそこまで言うか普通?
僕がちらりと青山さんの方を見ると、同じようにして青山さんも僕を見ていた。
それを見て、少しだけ笑ってしまう。青山さんのしおらしい態度なんて、初めて見たかもしれない。
「な、なんで笑ってるの? 怒ってないの?」
顔色を探ろうとする青山さんに、僕は笑顔のまま答える。
「ちょっとイラっとしたけど、青山さんの顔を見ていたら気持ちが落ち着いてきた。……あの先輩、月元さんだっけ、あれ、なんだったの?」
僕が素直に疑問を口にすると、青山さんの表情がまた暗くなる。
「え、えぇっと……私も、偶然並木と話している所を見かけただけだから……話の流れがよくわかってなくて」
「そうなんだ。でも、あの先輩と付き合うのは辞めた方が良いと思うよ」
ハッとした時にはもう遅い。
つい口から本音が滑り落ちていた。それを聞いてしまった青山さんが「ま、そう思うのも当然だよね」と乾いた笑みを浮かべる。
「ごめん。正直に言い過ぎた」
「いいよいいよ、それよりごめんね並木。月元さんが変なこと言って」
ぺこりと頭を下げる青山さん、その後頭部を見つめた僕は、苛立ちに表情をしかめた。
青山さんが謝る必要なんて微塵も無いのに、月元の代わりに頭を下げるのは納得がいかない。それどころか、この謝罪は親密な二人の関係を表しているように見えた。
こんなものを見せられては……我慢なんてせずに月元を罵っておけばと後悔してしまう。
「な、並木……やっぱり怒ってるの?」
僕が黙っていると、頭を上げた青山さんはまた顔色を伺おうとする。面倒くさくなった僕は「だからもう気にしてないって」と、ぶっきらぼうな返事をした。
この怒りは月元に対してだけではない。だが青山さんはそれに気付かないだろう。
「それじゃ、僕も戻るよ。ご飯の途中だしね」
口から溢れそうになった溜息を噛み殺し、僕はここから去ろうとした。もうこれ以上聞いた所でストレスになるだけだ。一刻も早く傍から離れたい。これ以上一緒にいると、余計なことを喋ってしまいそうで怖い。
「ご、誤解しないで欲しいの!」
だけど、青山さんは僕の腕を掴んだ。僕の歩みは強引に止められる。
「あたしは、その、えっと……なんて言えばいいのか分からないんだけど……でも、お願いだから誤解しないで!」
「うん?」
意味が分からず眉をひそめていると、腕を掴む力が更に増す。
「そうとしか言えないの……分かってよ、並木」
力の込めすぎか、それとも、何かを恐れているのか、青山さんの手は震えている。
分かんないよ。誤解って何がだよ。分かって欲しいなら、分かるように説明してくれよ。
だけど、このすがるような声を聞いてしまっては、そう簡単には切り捨てられない。
「僕にどうして欲しい?」
深く考えたわけでもなく、そんな言葉が自然に口をついていた。青山さんが僕に何を求めているのか、そんなものは分からない。でも、何かを求めているのなら、それに応えたいと思う。
そんな想いが伝わったのか、青山さんは掴んでいた手を緩める。そして、何かを言おうとして口を開き、口を閉じては迷う素振りを見せる。それを何度か繰り返した後、ようやく言葉を発した。
「これからも私と友達でいてくれる?」
「勿論」
「そっか……即答してくれて安心した。ありがとね」
青山さんはほっとした顔になる。そうして、掴んでいた手から完全に力が抜け、するりと離された。少しだけ名残惜しい。そんな感情を心に押しとどめ、僕は軽い調子で言う。
「何か手助け出来ることがあったら言ってよ」
「そんなこと言っちゃうと、本当に頼っちゃうんだからね」
ここまで苛立っていながらも、良い人を演じようとする自分自身に腹が立つ。だけど、これが本音だから仕方が無い。
青山さんの笑顔を見て、嬉しいような、悲しいような、複雑な気分だった。




