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アラクネさんは大好きな彼を見守りたい  作者: 石橋いも
三章 並木陽太と青山霞
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――⑤――

 わめく染谷を無視して、教室の扉を空ける。すると、廊下の壁にもたれかかっている人と目が合った。僕が声を掛ける前に、その人がこちらに向かってくる。僕を呼び出した先輩で間違いないだろう。

 やってきた先輩が、僕の正面に立つ。

 細身の体つきをしている。だが十分に鍛えられているのであろう、制服の裏に隠れた筋肉のせいか妙な威圧間を感じる。柔らかい七三分けの髪型が特徴敵で、ぎりぎり見える刈り上げからは、独自の美意識を感じせる。

 この人はモテるだろうな……と、醸し出すオーラに充てられそうになった。この大人っぽい雰囲気は、女々しい性格の染谷には出せないものだ。

 そんな人が、いったい何の用だろう。部活にも委員会にも所属していないので、年上の先輩と接する機会が少ない僕は、少し緊張していた。

 しかし次の瞬間、そんな心配は吹き飛ばされる。

「僕は月元耕也。青山霞の恋人だ」

 顔を合わせ、開口一番にそう言われた僕は、息を詰まらせた。

「ここじゃなんだから、向こうで話そう。なに、立ち話で十分だ。時間を取らせる気はない」

 そう言うなり、月元という先輩は速足でこの場から離れて行く。

 あまりのショックに立ち尽していた僕は、ハッとして追いかけた。

 

 不可抗力なんだ。

 まさか、向こう側から接触してくるなんて、思いもしなかったんだ。

でも、仕方ないんだ。だって無視するわけにもいかないんだから。

 心の中で、アラクネさんに弁解を試みるが、ポケットの中の携帯は今もぶるぶると震えている。怒ってはいないだろうが、この事態はアラクネさんにとっても予想外なのかもしれない。内容を確認したいが、今の状態では無理だろう。

 廊下の突き当たりまで進むと、前を歩いていた先輩は立ち止まり、振り向く。

「さっそくだけど、単刀直入に聞かせて貰う。君は、青山霞のことが好きなんだろ?」

 堂々とそう言われて、僕の喉からうめき声が漏れた。

 正直に「はい」と言うべきか、それとも「いいえ」と嘘を吐くべきか。そもそも、この月元という先輩は僕から聞き出してどうしようというのか? 

僕は言い返すべき言葉を模索する。が、混乱して上手い言葉が思い浮かばない。

 月元先輩は、僕が無言で慌てる様子を見ていた。鋭い目を更に細めて、じっとりと観察するようだ。そして、ふっと、口元から小さく息を漏らす。

「もう十分だ。なるほど、先ほど話した大塚が言った通りなんだな」

「え……?」

「明らかに好意がある。それも、かなり根深い恋心を抱いている」

「お、大塚さんがそう言ってたんですか?」

 な、なんで大塚が知ってるんだ? 

 そんな話、一度もしたことがないのに。

「いいや、そうは言っていないがね」

 僕の動揺を無視するように、月元先輩は続きを話す。

「並木は青山と話す時はいつも嬉しそうだし、話していない時も、隙を見つけてはチラチラと横目に見ていた――と言っていたね。他にも、並木は裏表の無い奴だから直接聞いた方が確実だし早い。とも言われたな。それで実際に話してみて分かったが、彼女の助言はどれも正しかったようだ。……君は間違いなく、正直者だ」

 褒めてるんだか、馬鹿にされているんだか。

 ただ、そう言われて素直に喜ぶ奴は馬鹿だと思った。

「それで、青山さんの彼氏が僕にわざわざ何の用ですか?」

 皮肉だと受け取った僕は、苛立ちを隠そうとしながらそう言った。

 しかし、言葉に心なしか棘がある。

 ええそうですよ、正直者で悪いか。

「そう怒るなよ……いや、むしろ怒ってくれて構わない。僕は君と仲良くするつもりはないからな。ただ、君がちょっと可愛かったのが誤算だっただけだ」

 月元先輩の鋭い目が、更に細められる。その視線から敵意を感じた僕は、無意識の内に一歩だけ後ろに下がってしまった。

 月元先輩は低い声で、まるで脅すように言う。

「青山霞には僕という恋人が居ることを忘れるな。それが分かったら、二度とメールも送るな」

「それはアンタが決める事じゃない」

 言葉が喉から飛び出していた。

 その直後になって、先輩相手に生意気な口調だったと気付いたが、どうしても止まらない。

 続けて「そうまでしなきゃ不安ですか?」と、挑発するような言葉を口にしていた。

「ああそうだよ」

 しかし、月元先輩はあっさりと認めてしまう。

 それがどうしたと言わんばかりに両腕を組み、顎を上げて僕を見下ろす。

「僕は霞が心配なんだ。君みたいな女装が趣味の変態なんかに関わってほしくないんだ」

「本気で言ってるんですか」

「何も間違ってないだろう、可愛い並木くん?」

 嘲るような笑みを浮かべたその顔を見た瞬間、頭が真っ白になった。全身の血液が熱くなり、目の前の男がとても憎らしく見える。

 だけど、ぐっと堪えた。

 血が出る程握りしめた拳を顔面に叩きつけてやりたい。だけど、常識的に考えて先輩を殴るわけにもいないだろう。

 イラっとしてしまったのは確かだが、これは既に乗り越えた過去だ。

 そう自覚すると、握り締めた拳から力が抜けていく。

 どうやら、あの頃と比べて少しだけ大人になったらしい。

「なんだ、せっかく挑発してやったのに乗ってこないんだな、つまらない」

本当につまらなそうに月元先輩は言う。

「……すみませんね」

 また罵倒攻撃が来ると予想した僕は、奥歯を噛んでグッと堪える姿勢になる。

 だが、月元先輩の罵倒が来ない。視線が僕から外れ、僕の方を向いたまま遠くを見るような目つきになる。

 ふと、背後に気配を感じて、僕は振り向く。

 そこには青山さんが立っていた。この話題の中心人物である彼女は、暗い表情で俯いていた。

「……ねぇ月元さん、あたしの友達に、なんでこんなことするの?」

 怒りと悲しみ、両方の混じった声が、耳元で囁くように聞こえる。

 青山さんの感情が、間近で伝わってくる。

「ただ話しているだけだよ」

「嘘、並木に酷い事を言おうとしてた」

「僕を信じないんだ? それで、この可愛い並木くんを信じると?」

 可愛いと連呼されて、頬がピクリと痙攣する。こいつ、再び激高させて、僕の印象を下げようとしているのか? 

 そう思い冷静になろうとしたが……何かが違う気がする。

 月元は僕の顔を全く見ていない、その後ろの青山さんだけを見ている。僕を怒らせることが目的ではなく、青山さんにだけに言っているようだ。

「可愛い並木くんがそんなに大事か?」

 まるで言い聞かせるように、何度も何度も。

 青山さんは何も言い返さず、ただ黙って俯いていた。歯を食いしばり、床を見つめている。

 いったい何が起こってるんだ?

 これが、一般的な恋人関係の形か? 僕には何か異様に見える。

「おっと、言い過ぎたね。ごめんよ並木くん」

 と、ようやくこちらを見た月元に、僕は「あ、いえ」とだけ返す。すると口元をしかめ、少しだけ気に入らない表情になった。

 僕は携帯を取り出し、青山霞のアドレスを指差しながら言う。

「あの、言いたいことは全部伝わったんで、そろそろこの辺で辞めませんか? なんなら目の前でアドレスを消してもいいですよ」

「……いや、分かってくれたならそれでいい。話は以上だ。僕は自分の教室に帰る」

 そう言うと、僕と青山さんを横切って、月山先輩は行ってしまった。廊下をまっすぐ歩き、階段を上っていった所まで見送ると、

「……ちっちゃい先輩だ」

 そう言って、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 でかいのは態度偉だけで、言葉使いが偉そうなのは自信が無いからだと、僕にはそう思えた。

 僕のクラスメイトから事前に情報を探ってまでして、それでやることは悪口と挑発だけとはお笑いだ。大爆笑だ。

 ……でもまさか、僕のことを女装が趣味の変態とまで言ってくるとは思わなかった。

 どうやら僕は、心底嫌われているらしい。その理由については考えるまでもない。青山さんへの好意を知っているからだろう。

 でも、いくら年下が相手だからって、初対面の相手にそこまで言うか普通? 

 僕がちらりと青山さんの方を見ると、同じようにして青山さんも僕を見ていた。

 それを見て、少しだけ笑ってしまう。青山さんのしおらしい態度なんて、初めて見たかもしれない。

「な、なんで笑ってるの? 怒ってないの?」

 顔色を探ろうとする青山さんに、僕は笑顔のまま答える。

「ちょっとイラっとしたけど、青山さんの顔を見ていたら気持ちが落ち着いてきた。……あの先輩、月元さんだっけ、あれ、なんだったの?」

 僕が素直に疑問を口にすると、青山さんの表情がまた暗くなる。

「え、えぇっと……私も、偶然並木と話している所を見かけただけだから……話の流れがよくわかってなくて」

「そうなんだ。でも、あの先輩と付き合うのは辞めた方が良いと思うよ」

 ハッとした時にはもう遅い。

 つい口から本音が滑り落ちていた。それを聞いてしまった青山さんが「ま、そう思うのも当然だよね」と乾いた笑みを浮かべる。

「ごめん。正直に言い過ぎた」

「いいよいいよ、それよりごめんね並木。月元さんが変なこと言って」 

 ぺこりと頭を下げる青山さん、その後頭部を見つめた僕は、苛立ちに表情をしかめた。

 青山さんが謝る必要なんて微塵も無いのに、月元の代わりに頭を下げるのは納得がいかない。それどころか、この謝罪は親密な二人の関係を表しているように見えた。

 こんなものを見せられては……我慢なんてせずに月元を罵っておけばと後悔してしまう。

「な、並木……やっぱり怒ってるの?」

 僕が黙っていると、頭を上げた青山さんはまた顔色を伺おうとする。面倒くさくなった僕は「だからもう気にしてないって」と、ぶっきらぼうな返事をした。

 この怒りは月元に対してだけではない。だが青山さんはそれに気付かないだろう。

「それじゃ、僕も戻るよ。ご飯の途中だしね」

 口から溢れそうになった溜息を噛み殺し、僕はここから去ろうとした。もうこれ以上聞いた所でストレスになるだけだ。一刻も早く傍から離れたい。これ以上一緒にいると、余計なことを喋ってしまいそうで怖い。

「ご、誤解しないで欲しいの!」

 だけど、青山さんは僕の腕を掴んだ。僕の歩みは強引に止められる。

「あたしは、その、えっと……なんて言えばいいのか分からないんだけど……でも、お願いだから誤解しないで!」

「うん?」

 意味が分からず眉をひそめていると、腕を掴む力が更に増す。

「そうとしか言えないの……分かってよ、並木」

力の込めすぎか、それとも、何かを恐れているのか、青山さんの手は震えている。

 分かんないよ。誤解って何がだよ。分かって欲しいなら、分かるように説明してくれよ。

 だけど、このすがるような声を聞いてしまっては、そう簡単には切り捨てられない。

「僕にどうして欲しい?」

 深く考えたわけでもなく、そんな言葉が自然に口をついていた。青山さんが僕に何を求めているのか、そんなものは分からない。でも、何かを求めているのなら、それに応えたいと思う。

 そんな想いが伝わったのか、青山さんは掴んでいた手を緩める。そして、何かを言おうとして口を開き、口を閉じては迷う素振りを見せる。それを何度か繰り返した後、ようやく言葉を発した。

「これからも私と友達でいてくれる?」

「勿論」

「そっか……即答してくれて安心した。ありがとね」

 青山さんはほっとした顔になる。そうして、掴んでいた手から完全に力が抜け、するりと離された。少しだけ名残惜しい。そんな感情を心に押しとどめ、僕は軽い調子で言う。

「何か手助け出来ることがあったら言ってよ」

「そんなこと言っちゃうと、本当に頼っちゃうんだからね」

 ここまで苛立っていながらも、良い人を演じようとする自分自身に腹が立つ。だけど、これが本音だから仕方が無い。

 青山さんの笑顔を見て、嬉しいような、悲しいような、複雑な気分だった。


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