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アラクネさんは大好きな彼を見守りたい  作者: 石橋いも
三章 並木陽太と青山霞
15/34

――③――

 翌朝、目覚めた僕は時計を見て驚いた。

 時刻は八時半と表示されていて、どうしようもなく遅刻が確定。しかしそれでも学校へ行こうと制服に着替えている最中に、そういえば今日は土曜日だったと気が付く。

 脱力し、途中まで着ていた制服を脱ぎ捨て、私服に着替えなおす。シャツの上からジャケットをはおり、カーゴパンツを穿く。そうこうしていると、『おはようございます』と、アラクネさんから朝のメールが来た。

「昨日、無理して宿題を終わらせちゃったよ」

『え、なんでですか? 今日ゆっくりやればよかったのに……』

「ははは、馬鹿な僕を笑ってくれ」

 充電器から携帯を外し、ポケットの中へ入れる。脱衣所に行き、歯と顔を洗ってしまうと、僕は玄関から外に出た。

 雲一つない青空が広がっていて、気持ちのいい快晴だった。

『何処に行くんですか?』

「朝ごはん。せっかくの休みだし、今日は外で食べようと思って」

 所々にある水たまりを避けながら、住宅街を抜けて大通りに出る。人ごみの中を歩き、様々な店が立ち並ぶ通りを横目に見ながら、今の気分に合った飲食店を探す。牛丼、カレー、ラーメン……違うなぁ。朝から重たいのは辛い。

「アラクネさんはもう食べた?」

『はい、簡単なトーストだけですけどね』

「そっかぁ……じゃあ喫茶店にでも行こうかな。コーヒーも飲みたいし」

 そうと決めたら、さっさと店に入ろう。お腹も減った。

 僕は手頃な喫茶店を見つけると、さっそく入店した。木目調の店内はとても落ち着いた雰囲気があって、結構気に入った。ちらほらと、食事を楽しみながらお喋りをしている客の姿がある。それらの人達から離れたテーブルを選び、腰を下ろした。

 窓から太陽の光が差し込まれ、ほんのりと暖かい。僕はメニューを開き、『本日のブレイクファーストセット』を選んで注文した。程なくして、サンドイッチとサラダとコーヒーを持ったウエイターがやってきて、僕のテーブルの上に置いた。

「ごゆっくりどうぞ」

 ウエイターが踵を返すと同時に、口を開けて勢いよく食べる。このパンは自家製なのだろうか? 市販のものより香ばしくて美味い気がする。サラダも水々しく新鮮で、食べれば食べる頬体に活力が漲ってくる。

早くも食事を平らげてしまった。空腹だった胃が満たされ、気持ちが穏やかになる。

 僕はコーヒーを一口飲み、携帯を見ながら小声で言った。

「今日はアラクネさんの為に一日を使うよ」

『……ど、どうしたんですか、急に』

 動揺するアラクネさんに、僕は話を続ける。

「昨日はさ、せっかく時間があったのに、あまり楽しい話が出来なかっただろ? だから、その埋め合わせがしたいんだ」

『そんな……いいですそんなの。理由を聞かせて欲しいと言ったのは、そもそも私です』

「ああ言えば、こう言うんだな……」

『え……』

「いい加減、僕の気持ちに気付いてくれよ。君のこと好きになりたいんだ」

『ええぇ!?』

「だから今日は、一緒に居ようよ」

 アラクネさんは、僕のことを一番に考えてくれる。いつも献身的な態度で、僕が困る前に助けようとしてくれる。それらを有難いと思いつつも、しかし、ここまでして貰える云われは無いとも思うのだ。

 だって僕等は、恋人同士じゃないのだから。

 保留で居続ける関係に疲れたのかもしれない。こんな生活を続けて、もう結構経っている。そろそろ決着をつけるべきだと、知らず知らずの間に考えていたらしい。

 これ以上長引かせるのは、お互いの為にもならないだろう。

『や……嫌です』

 だが、そんな僕の想いとは裏腹に、アラクネさんは拒絶する。

 僕は若干の苛立ちを覚えながら、その理由を訪ねた。

「何が嫌なの?」

『私は、並木君にとって便利な存在で居たいんです。困った時に私の力を頼ってくれるような……だから、日常のメインになる必要は無いんです。こうして話をしてくれたり、適度に利用さえしてくれれば、それで満足なんです』

 一瞬、表示されたメールを見て、僕は目を疑いそうになった。アラクネさんの気持ちにどんな変化があったのかは知らないが、過去に『絶対に振り向かせる』と言い切った人と同じ台詞とは思えない。まるで別人になってしまったみたいだ。

「何言ってんだ。利用するだけなんて、そんなの駄目に決まってるよ」

『でも、私は、今日までの日常が楽しかった。あなたと一緒に勉強したり、 お話したり、困った時にサポートをする日々は、たまらないくらい幸せでした。だから、並木君は青山霞と恋人になってください。そして私にはいつも通り、その手助けをさせて下さい』

「そんなの絶対に駄目だからな」

 アラクネさんの意志を、即座に否定する。

『何故ですか?』

「何故って……そんなのアラクネさんが不幸になってしまうからだよ」

『私は不幸なんかじゃありません、これ以上がないくらい幸せです』

「ちゃんとした恋人同士になった方が、もっと幸せになれるに決まってるよ」

『並木君は私に逃げようとしてる、本当は青山霞が好きなくせに』

 あの時逃げろといったのは君じゃないか。

 そう言いかけて、口を噤んだ。

 感情を誤魔化すようにコーヒーを口に付けて、窓の外へと目を逸らす。

『ごめんなさい……私、最低です』

 アラクネさんになんと声を掛ければいいのか、僕には分からなかった。アラクネさんも同じ気持ちなのだろう。

 そうして時間だけが経ち、コーヒーを飲み終えた僕は会計を済ませ、外へ出た。

 ぶらぶらと、目的も無いまま大通りを歩く。本当ならアラクネさんと一緒に過ごすつもりだったのに、まさかこんなことになるなんて。

「私に逃げようとしている。か……」

 アラクネさんの言い分は正しい。実際その通りなのだ。昨日聞かせた通り、僕は心の底から青山さんのことが好きで仕方なくて、それを十分理解しているから、アラクネさんは僕を突き放したのだろう。

 ふと思い出したのは、アラクネさんが頻繁に僕を守りたいと言っていたこと。

 それは彼女の愛情表現だった。こちらの予想が付かないことを平然と教えてくれる。顔を見せる以外なら、僕がお願いすればなんだって叶えてくれるだろう。献身的に尽くし、僕が喜ぶことで彼女も満足していたのだから。

しかし、関係を一歩前に進めようとした瞬間、ハッキリと拒絶された。それ以上は望んでいないと。

 もし、僕がアラクネさんと付き合ったら、彼女は素顔を見せてくれるのだろうか?

 ……ありえないだろうな。

 態々盗聴器をくっつけて会話するような相手が、それほど簡単に姿を見せるとは思えない。

 もし恋人関係になったとしても、僕等はきっとこのままだ。

 お互い触れ合うこともなく、以前と何も変わらないだろう。それが彼女には分かっていたから、求められても答えられないから、このままが良いと言ったのだろうか? 

 本人が言わないと分からないが、その考えが正解な気がした。

 顔も名前も分からないのに、考えだけが理解出来る。

 そんな僕等の関係は、とても歪んでいる。

 こんなことを思ってしまうのは、今更すぎるだろうか?



 いくら声をかけても反応を示さなくなったので、時間が余ってしまった僕は友人に電話をしてみることにした。携帯を開き、電話帳から染谷の名前を見つけ、通話ボタンを押す。すぐに回線は繋がった。染谷の開口一番の台詞は『ナイズタイミングだぜ、並木。俺も電話しようと思ってたんだ』という、興奮したものだった。

「そっちも暇してたのか」

『いいや、暇って訳じゃねぇんだけど……実はな、今から里田と一緒に映画を見に行く予定なんだ』

「……それは、スマン。空気が読めなくて」

 間の悪い僕がため息を吐くと、電話の向こうの染谷が慌てた声を出す。

『いや、そうじゃねぇんだ。俺も電話しようとしてたって言ったろ? 実はな、駅前で待ち合わせしてるんだが、約束の時間になっても来てくれねぇんだよ。それで暇してたんだ。』

「里田さんに電話してみたのか?」

『してねぇ。せっかちで心の狭い奴だと思われたくねぇし。……それに、里田って臆病な性格してるだろ? だから、俺からの誘いを怖くて断れなかったのかもしれないって思っちまってな』

「……まぁ、ありえるかもしれないけど」

 僕が同意すると、染谷の声が少しだけ暗くなる。

『でさ、もしかしたらいつもの友達――青山と大塚に相談してるかもしれないし、もしかしたら、今そいつらの所に居るかもしれない。だから並木、ちょっと電話してみてくれないか?』

「電話って僕が? でも知ってるのは青山さんの番号だけだぞ?」

『俺は青山の番号すら知らねぇんだ。それで、もし里田が傍に居たら、今日はもういい、無理言ってごめん。って伝えてくれ、頼む』

「……いいのか?」

『ああ、もういい』

 染谷の気持ちを聞いて、僕は言葉が出なくなった。あっさりと諦めようとしている染谷を励ますのは簡単だが、何も考えずに背中を押すのは無責任だろう。

 僕は少しだけ沈黙すると、口元を歪めながら、「わかった」と答えて、通話を切った。

 そして、青山さんへと電話をした。もし青山さんの傍に里田さんが居れば、染谷が待ちぼうけを食らったことは確実になり、染谷がフラれてしまう。

もしかしたら、単純に寝坊しているだけかもしれない。そうであってほしい、と願いながら、僕は耳元に携帯を押し付ける。

 だが、電話は一向に繋がらず、何度目かのコール音の後に留守番電話の音声が再生される。

 少し残念だが、約束もしていなかったから仕方ないだろう。僕は回線を切り、染谷に報告をしようとして再び画面を見た。

 ――その時だった。


『ごめんねm(_ _)m いま彼氏とデート中なんだ。また後で連絡するね』

 

 そのメールを見た瞬間、僕の思考は完全に停止した。

 顔面から、さっと血の気が引く音がして、町並みの音が徐々に薄れていく。

 往来する人達の足音や話し声が耳に入らなくなり、車が道路を走る音ですら、聞こえなくなる。がくがくと歯を鳴らしながら、僕は焦点の合わない目で携帯を見ようとした。が、心が拒絶している。そのあまりの衝撃に狂ってしまいそうだ。

 するりと、携帯が手から落ちた。

 カツン、とアスファルトにぶつかる音がして、耳が機能を取り戻した。

 落ちた携帯を拾い上げ、目を閉じながら、手触りで電源ボタンを押し込み、メール画面を消してしまう。

「アラクネさん居たら聞いてくれ。どうやら、青山さんには彼氏がいるらしい」

『そんな馬鹿な』

「今、メールでさらっと言われたよ」

 ふらふらと力無い足取りで、僕は自分の家へと歩いた。もはや立っていることすら苦痛だった。



 部屋に戻るなり、ベッドに倒れ込んだ。まるで全速力で走り続けた後みたいに、全身が動かなかった。それでもなんとか手だけを動かして携帯を目前に置き、会話が可能な状態を作る。

「アラクネさんは知ってたの……青山さんに彼氏がいたことを。それが、告白を止めさせた本当の理由?」

『違います』

「じゃ、どうして……?」

 僕が弱々しい声で質問すると、アラクネさんからのメールは止まった。

 答えに詰まっているのか、はたまた教えるつもりがないのか、一向に答えは送られてこない。

 それではない、と断言しておきながら、その理由を語ろうとしないのでは、どうやって信じろというのだ。

「まぁ、いいんだけどね。別に……」

 言えない理由が何にせよ、もう僕には打つ手がない。

 青山さんが彼氏とお付き合いしているのは事実なのだから。

『諦めちゃ駄目ですよ』

しかし、アラクネさんはそんなことを言う。

『だって、こんなの嘘ですから』

 諦めていた僕に無責任な言葉を投げかける。

「そう断言する根拠は? ちゃんと言ってくれないと分かんないよ」

『……私が、今まで並木君に嘘を吐いたことがありましたか?』

 弱った声で反論したものの、そう言われて口を噤んでしまった。

 確かに、これまでアラクネさんが僕を騙したことは一度もない。

 そんなの詭弁だと言ってしまうのは簡単だが、今日までの日々がそれを許さなかった。

 僕自身、アラクネさんは絶対に裏切らないと思い込んでいる。これまで助けられてきたのは確かな事実で、僕は本心から感謝の気持ち持っているからだ。

 それが逆に不安だった。

 これから先、アラクネさんが僕を騙すような事があっても、僕は絶対に気付けないだろう。

「僕は、アラクネさんを信じるよ。だから、君が何も教えてくれないなら、無理に聞こうとしない」

 絞り出すような声で言う。

 本当は知りたい。青山さんが嘘を吐く理由について、強引に問いただしてやりたい。

 だけど、我慢しなければならない。

『本当に、ごめんなさい……』

 アラクネさんの謝罪からは、悲痛な気持ちが見え隠れしていて、たまらず「人の秘密を臆面もなく知りたがった僕の方が酷い」と、フォローになっているのか分からない言葉を口にしていた。

『いえ、上手く説明出来ない私が悪いです。でも、どうしても今は伝えられないのです』

「……分かった、もうこの話題は止めよう。これ以上あれこれ聞かされると、好奇心が止められなくなる」

 こうして、僕は無言になった。布団にこもり、微動だにしなくなる。室内は、時折聞こえる車の走る音が耳に届く以外は、終始無音だった。

 失恋した筈なのに、悲しみの気持ちが心を埋めないのは、アラクネさんが『諦めるな』『嘘を吐いている』と励ましたからだろう。

 アラクネさんが僕を騙している可能性は十分にある。僕が悲しむのを食い止めようとした嘘だったとしても可笑しくはない。これまで嘘を吐いたことが無いのを利用して、彼氏の存在を嘘だと信じ込ませようとしているのではないだろうか? とも考えられる。

 だが、疑い出せば切りがない。

 何でも知っているアラクネさんと違って、僕には何も分からないから。

 こうして布団にこもり動かないでいる間にも、見えない所で誰かが行動を起こしている。青山さんに限らず、電波の向こう側にいるアラクネさんにだって謎はある。

 でも、人間なんて分からなくて当然なんだ。

 だから僕は、アラクネさんを信用する。

 顔も名前も、僕のことが好きな理由も一切教えてくれないけど、これまでの日々で色々助けられたのは事実だから、せめて自分の目で見たものくらいは信じたいと思う。

 それは、何も言わないと決めたアラクネさんの優しさだったり、守ると言ってくれた一言だったり、これまでの日常で感じた感謝の気持ちだったり――そのどれもこれもが僕にとっては大切なものだから……それと同じように、僕もアラクネさんのことを大事にしてあげたい。

 だが、そんな決意をしたからといって、落ち込んだ気持ちが回復するわけもなく。

「寝よう……」

 まだ昼前だが、今日はもう何もしたくなかった。泣くことも暴れることもせず、ただただ布団の中で眠り続けた。

 まるで死人のように、ずっとずっと眠った。


本当にすみません! 今月中に完結はちょっと無理そうです。

ちまちまと更新は続けて行くので、よろしくお願いします<(_ _)>

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