――⑥――
そうこうしていると、タバコを吸い終えた先生がやってきた。喫煙所での会話が思ったよりも弾んでしまったらしく、遅れてしまったことを謝っていたが、そんなのどうでもいいのが本音だ。
僕は利用者が記入するプリントに自分の学年と名前、病状を書き、鍵や道具の場所は里田都姫さんに教えて貰って勝手に使ったことを伝えると、思いの他すぐに解放された。これも里田さんの信用の賜物だろう。
僕は心の中で感謝して、学校の外へ出た。
大通りを走りながら、携帯をチェックする。一件の新着メールが来ていたので、僕はそれを開く。中身は文章ではなく、とある画像データだった。それを開くと、パッと画面に地図が表示され、駅から染谷の居場所まで、道順に赤い線が引かれている。これなら道に迷うこともないだろう。
駅に到着し、指定されたキップを買ってホームに立つ。時刻を見ると、針は夕方の四時を指しており、周囲は自分と同じような学生やサラリーマンでごった返している。落ち始めた太陽が朱色の光を放ち、ホームに停車する電車に反射する。その眩しさに目を細めながら、僕は電車に乗り込んだ。椅子には座らず、扉のそばの壁にもたれ掛かりながら、目的地への到着を待つ。
数分の後、駅に着いた僕は電車を降りた。
地図に記された赤い線の通りに進み、目的地へと向かう。駅から十分程歩いた先に、染谷がいる場所『アニメ伊藤』は見つかった。縦長の建物の店内を覗き見ると、中には本やポスター等が大量にあり、設置されたテレビにはアニメの映像がエンドレスで流されている。
目が合った。
「よう、染谷」
「な……並木? なんでここに」
建物の外から手を振ると、染谷は呆然としていた。
店の傍には広い公園があった。入口付近には自販機が設置されており、染谷は小銭を投入する。二回ボタンを押して、出てきた二つの缶の内の一つを僕に手渡す。あたたかいホットコーヒーだった。
公園の中に入ると、中央には大きな噴水があり、取り囲むようにして、いくつかのベンチが置かれている。
僕等はベンチに腰を下ろした。缶コーヒーのプルタブを開け、口を付ける。寒い外気温をから奪われた体温が取り戻されていくのを実感し、疲れを少しだけ忘れることが出来た。
「すまん、並木」
まず口を開いたのは染谷だった。深くうなだれ、地面を見つめたまま、絞り出すような声。
どう言い返せばいいか、僕は悩む。最初から怒ってはいないが、気にしないと言えば嘘になる。実際かなり痛かった。嫌な注目だって浴びてしまった。でも、悪いのは染谷だけじゃない、挑発してしまった僕にも原因はある。
「謝るなよ、僕だって悪かった」
「いや、どう考えても俺が悪いって」
「色々あったんだろ? そんな時に酷いことを言った僕も悪かったよ」
口を開いて、何かを言おうとした染谷は、口を閉じた。
数秒の沈黙の後、思い悩むような顔をする染谷に、僕は正直に言う。
「彼女と別れたんだよな」
「な、なんで知ってるんだ?」
「染谷の言動と行動から推測したんだ」
僕の推測は正しかった。だから、間違ったことは言っていない。
染谷は絶句している。まともな説明をする気が無い僕に、何らかの不信感があるのかもしれない。でも、アラクネさんの存在が明かせない以上、僕にはこう言うしかない。
ここで踏み込んだ質問をされても困ってしまうので、「染谷がアニメ伊藤に通いつめていることは、里田さんから聞いたよ」と言って、話題を横道に反らせる。
それを聞いた染谷は「あー……」と蚊の鳴くような声を出した。
「こういうの好きだったんだな、なんで隠すんだ?」
「だって、どう考えても俺のイメージと合わないだろ? 見かけがキモイ奴等のイカれた趣味って印象があるじゃねぇか。だから、俺は――」
「落ち着け、僕はそんな風には思ってないよ」
「う、嘘だ。内心じゃ俺のことキモイとか思ってるんだろ? そうなんだろ? そうだよな。キモイ上に暴力を振るう最低の奴だって、そう思って――」
「染谷」
「……あぁ、すまん」
冷静さを失った染谷の肩は、がぐがぐと震えている。決して寒さのせいじゃないだろう。顔面蒼白になり、されど目は血眼な染谷は、どう見ても普通じゃない。
「不安にならなくていい。ゆっくり、ゆっくりでいいから、話してみろ。楽になれるかもしれないぞ」
「……そうだな。少し、聞いてくれるか」
こうして染谷は、ぽつぽつと自分の話を始めた。
染谷には、一年前から付き合っていた彼女が居た。
何度も言うように、染谷は外見がモデルみたいに格好よくて、とにかく女子からモテる。だから実際、かなり女遊びが激しく、色々やらかしていたらしい。だけど、その彼女が付き合うようになってからは一切他の女には目を向けなくなったという。
僕は、その彼女を見たことがない。他校に通っているらしく、染谷が嬉しそうに電話をしている所は見たことがあるだけで、どんな人なのかは全く知らない。ただ、染谷が選んだ女なのだから、とにかく可愛いだろうと想像はつく。
染谷は、その彼女のことが本当に好きだったそうだ。
色んな所へ一緒に行って、美味しいものを一緒に食べて、楽しい思い出を一緒に作って……幸せな日々を満喫して……この辺は聞いても仕方ないというか、ただのノロケっぽい内容だから、真面目に耳を傾けていなかった。が、染谷が彼女のことを深く愛していたことは伝わってきた。同時に、それを失ってしまった絶望の深さも、胸をえぐり取られるような痛みと共に。
別れたきっかけは単純なもので。
アニメ伊藤に居た所を目撃されたのが原因だったそうな。
「あの時のあいつは、俺をゴミを見るような目で見ていた。その後、別れを告げる内容のメールが来て、それからは一度も会ってはくれなかった」
「それはなんというか……えらく短絡的というか」
「俺は、格好いい自慢の彼氏だったからな。そのイメージをぶち壊されて、失望したんだろうよ。弁解の余地なんか無かった。俺は必死に謝って、土下座までして、許しを請おうとしたけど、それがまた情けない姿で余計に格好悪くて、火に油だったな」
「へ、へぇー」
「今思えば、あの時、もっと堂々とするのが正解だったのかも。文句あんのか! って……そうすれば、あいつと別れずに済んだかもしれない。でも俺は、結構弱いんだ。みっともない短所がバレてしまうのを恐れて、隠してしまう程度の男なんだ。並木、お前の彼女と違ってな」
「だから、まだ付き合ってねぇ」
「……あぁ、そういやそうだったか。でも俺には、俺にできないことを平然とやってのけたその娘が、とても魅力的に見えるぜ。だからいずれ、並木も気付く。そしていつか付き合うだろうなって、相談に乗った時俺はそう思った。思うと同時に、怖くなったんだ」
「怖い?」
「もしそうなると、俺の為に割いてくれる時間が減ってしまうだろ? 誰だって友人よりも彼女の方を優先するからな。相手にされなくなった俺は一人になる。それが怖かったんだ」
はっきり言って、染谷の言動は女々しい。
だけど、一人を淋しく感じる気持ちは誰しもが持ちうる感情だろう。これまでの染谷の行動に納得した僕は「それで里田さんか」と言って、話の続きを促す。
「ああ、一人になりたくなかった俺は、俺のことを理解してくれそうな女と付き合いたかった。それで、アニメ伊藤でよく見かけていた里田なら、付き合っても同じ理由では振られないと思った。でも、まともに話をしたこともないのに、我ながらちょっと強引だったよな」
「ちょっと? 邪魔する僕をぶん殴ってまでしたアレが、ちょっと?」
僕が巻かれた包帯を指差さす。
「……ハァー……悪かった、すまん並木」
「もういいよ、僕は怒ってない。ただの意地悪だ」
僕は特大の溜息を吐き出した。それを見た染谷が、僕の顔色をじっと伺おうとする。
本当は怒っているんだろ? と言いたげな目で、僕を見る。
本性を表した染谷は、本当に女々しい。こちらがイライラしそうになる。
「いいか! よく聞け!!」
うっとおしくなって、僕は大声を出した。染谷は驚き、背筋をピンと伸ばす。
「誰がなんと言おうと、僕は怒っていない。殴られたくらいで、お前なんかにビビったりしない。染谷の本性が情けなくて、格好悪かったとしても、僕はその程度のことで失望しない。僕とお前は友人のままだ。分かったな!」
一人が不安なら、一人じゃないと言ってやる。
染谷を相手に、こんな風に怒鳴ったのは初めてだ。頭を打ったからか、くらくらと目眩を起こしてしまいそうになる。僕はおぼつかない足取りで立ち上がり、数歩歩く。
残ったコーヒーを一気に飲み干し、公園の隅に置かれたゴミ箱に向かって投げ捨てた。空き缶は見事にジャストミート。小気味のいい音をゴミ箱の中に響かせる。
僕がぐるりと振り向くと、染谷はまた背筋を伸ばした。
「明日、ちゃんと学校へ来ること、そして、青山さんと里田さんに謝ること、分かったな。それが出来たなら、僕が里田さんとの仲を取り持ってやる」
「ああ、分かった」
染谷はここで、ようやく笑った。憑き物が落ちたような、自然な微笑みだった。




