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04『“はじめまして”』

 当日は、俺が理子さんの部屋に迎えに行った。たくさんある荷物の半分をもってやり、東京駅へと向かう。

 これが最後だと感じているのだろう、お互い何を話していいのか分からず、東京駅につくまで二人ともほとんど無言だった。もったいないと思いながら無為に時間が過ぎていくのがひどくもどかしく感じられる。

 これが名残惜しいというのだろう、「友達がいようがいまいが変わらないドライな男」と言われた俺にしてはまったく似合わない感傷だ。


 いい加減、何故俺がこんな似合わない感情を抱いているのかは見当がついていた。だが、もうどうにもならない。理子さんは今日で俺の前から姿を消すのだから。

 お互いにほとんど無言のまま、東京駅の改札についてしまった。「ここから先はええよ」と、入場券を買おうとする俺を、理子さんは押しとどめた。

 

 時計は十七時二十五分を回ったところだった。新幹線は四十分発なので、あと十分は一緒にいられる。

 

「正人君はさ」


 理子さんはまっすぐに俺を見つめて言った。


「あたしがいなくなったら寂しい?」

「そいつはいなくなってみないと分からないな」


 嘘だった。

 いなくなって寂しくならないなら、見送りなんて似合わない真似はしない。


「でも今は確実に名残惜しいよ」

「誠意が感じられないなぁ」


 俺は、精一杯素直に答えたつもりだが、理子さんから帰ってきたのは、からかうような含み笑いだった。

 俺は観念したように大きく息を吐いていった。


「分かった、認めるよ。きっと寂しい。理子さんがいなくなれば俺は寂しくなる」


 初めは引っ込み思案で大人しいだけの女の子だと思っていた。だが、実際は慣れない上に知り合いが一人もいない合コンに一人で乗り込んでくるような度胸の据わった年上の女だった。

 つまらない女の子だと思っていた。だが、本当は話すたびに新しい何かを与えてくれる人だった。

 一緒にいれば、面白かったし、あまり気を使わずに済んだ人だった。

 地味なようだが、笑えば可愛いのを俺は知ってる。笑ってくれるたびに俺も嬉しい。


「俺は、理子さんが好きだった」


 そこまで俺が言い切ると予想していなかったのだろうか、理子さんの顔が真っ赤に染まる。


 だが、もう遅い。遅いんだ。元々手遅れだった。理子さんは初めから京都に帰ることが、東京を離れることが決まっていたんだから。

 俺は理子さんが東京にずっといることを疑っていなかった。でもそれは、ずっと東京にいてほしいという俺の願望に過ぎなかったというわけだ。観覧車で現実を突きつけられたとき、俺はそれに気がついた。


 見詰め合ったまま、いくらかの時間が過ぎた。不意に理子さんは左手につけた小さな腕時計に目を落とした。


「……そろそろ行かなきゃ」


 理子さんは俺が持っていた荷物を受け取ると、再び視線が合う。

 俺の告白はどう受け取られただろう。離れていく身で迷惑だっただろうか。


「ええと、何て言うたらええのかな……」


 彼女は、少し視線を泳がせて言葉を探すと「うん」と、納得のいった様子で頷いて答えた。

 

「ここは、こう言うべきやね」 


 荷物を持ち上げ、俺に背中を向ける寸前に照れた表情の理子さんから出た言葉は、俺の想像の圏外の言葉を返したのだ。


「“はじめまして”」


 * *

 

『次は表参道ぉ、表参道です。お降りのお客様はお忘れ物のないよう、ご注意ください』


 俺の意識を戻したのは、目的地に着いたことを示す車内アナウンスだった。

 電車を降りて、下宿のある骨董通りに入りながら、理子さんの「はじめまして」の意味を考えていた。

 間違えていた? そんなわけはないだろう。明らかに何らかの意図があってああいった。

 そのままの意味にとることもできない。意味が通らない。

 その次に、思い浮かんだのは「さかさま理論」だった。

 「はじめまして」を逆さにすると、「さよなら」か? いや、「さよなら」の反対派「こんにちは」だ。

 「はじめまして」は文字通り、ある人に初めて会ったとき、たった一回だけ使う言葉だ。「さよなら」と違うところはそこだ。「さよなら」は言ってもまた会えるが、同じ相手に二度は言わない。

 初めて会うんだから、その前は“一切会っていない”。

 よって「はじめまして」を逆さの意味にとると―――

(……もしかすると拒絶されたのか俺は)


 思考にふけっていたからか、ひとつの答えに絶望を感じたからか、不覚なことに俺は前方に知り合いが待ち伏せているのに、声をかけられるまでまったく気が付かなかった。


「よぅ、ま・さ・と・くーん」

「浮かない顔してるね、お姉さんが悩み事でも聞いたげるよ~」


 相沢と池西だった。下世話な笑顔から察するに、俺がどこに行っていたのか、知っているようだった。


「理子さんから聞いたのか」

「まーな。正人が行くならってことで俺らは遠慮したけど」

「何で?」


 一応聞き返すが、答えは分かりきっている。二人そろって出歯亀根性むき出しにしやがって


「だって、正人って理子さんのこと好きだったんだろ? 理子さんも正人のこと絶対好きだったしねー」

「そんな二人に割り込んだら馬に蹴られて死んじゃうよねー」


 何でそんな息ぴったりなんだ、お前ら。というか、俺の気持ちって周りから結構見えてたんだな。


「で、大好きな理子さんとお別れして寂しがってるところを慰めに」

「余計なお世話だよ。別に付き合ってたわけじゃないんだ」


 結局、三人連れ立って『ユークリッド』で飲むことになった。慰めるなんて奴らの方便だとは思っていたが、本当にただの口実だった。話といえば、日曜日のデートでした話や、送っていったときのことを根掘り葉掘り聞かれただけである。

 だが、結局「はじめまして」のことは二人には言えなかった。二人とも理子さんのさかさま理論は知らなかっただろうし。

 いつしか話題は理子さんと遊んだ思い出の話になり、相沢の別れた彼女の話、池西に迫った相沢の先輩の話へと変遷していき、いつの間にか来期の授業の話や、就職活動の話になった。


「就職なぁ。今は氷河期だし、ユーウツだなぁ」

「ミュージシャンはどうした?」

「それと現実の暮らしは別だぜ、やっぱ」

「あたしも来年の内に取れる資格取っとかないと、厳しいわー」


 どういう業界がいいとか、ブラック企業だとかの話になっていくうちに、「そうだ!」と池西が手を打ち、挙手した。「はい、先生!」


「よし、池西、発言を許す」

「杉浦さ、京都の会社に就職探したら?」


 正直、このとき理子さんのことはあまり頭になかったので、不意打ちを食らった格好になる。


「おお、それいいな」と、俺より早く池西の意を得た相沢が相槌を打つ。「そしたら、就職活動のついでに理子さんに会えるし、就職した一緒にいられるじゃん」


「女を追いかけて会社決めるのか?」

「でもこれといって方針決めてないんでしょ? 動機は不純でも方向性は固まるし」


 東京でも就職が冷え込んでるのに京都に行って仕事があるか。

 俺はそう反論しようとしたが、


「……そうだな。理子さんにメールでも打って相談してみるか」

「お、正人が乗った」


 相沢が、意外そうな顔をするが、一番驚いたのは俺だ。俺は何を言ってるんだ。好きな女を追い掛けて就職先を変える? どれだけ未練たっぷりなんだよ。ストーカーではないのだ。そんなことをしたら逆に気味悪がられるだろう。

 俺は気を取り直して酒のお変わりを注文する。


「テキーラ」

「「えっ」」


 目を丸くする二人をよそに、即座に、猪口より小さなショットグラスになみなみと注がれたテキーラが出てきた。俺はそれを受け取ると躊躇なしにそれを飲み下した。


 まるで爆発の衝撃のように、腹の底を中心に全身に熱が広がり―――


 今、俺は部屋に戻っていた。テキーラを飲み干した俺は、そのまま二人に俺の飲み代を預けると、そのまま部屋に帰ってきたのだ。

 俺は何も考えず、ただ熱に浮かされたような身体が動くに従って、着替えなどを肩掛けカバンに詰めた。

財布はある。中身も十分だ。

 荷物を詰めたカバンをもって外に飛び出した。

 東京メトロに飛び乗ってから、時間を調べた。今は二十時五十分。よし、間に合うな。


 ――品川発の新大阪行き最終、のぞみ269号に。

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