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01『あたしを飲みに連れてって』

 世の中はちょろいものだと俺は思っていた。実に俺はうまく生きていると自負していた。友達もたくさんいるし、女のほうにも、実はあまり困ることがない。自慢じゃないが、俺に気のあるそぶりを見せている女子は一人や二人ではない。俺のほうから「付き合ってくれ」といえばまず断らないだろう。

 とはいえ、イケメンというわけじゃない。ただ、人より少し気が配れるだけだ。そして、それが全てなんだと思う。

 

『人は自分を持ち上げてくれる人、自分にやさしくしてくれる人が好き』


 これは俺が高校の時に結論付けた理論で、いまだに覆されたことはない。



「え~、では、皆の飲み物も揃ったようですし、そろそろ始めましょうか!」


 場所はどこにでもある居酒屋。ふすまで区切られた個室に男女が三名ずつ、総勢六人が入っている。一人立っているのは今回の男女交流親睦会――要するに合コンである――を企画した軽音部の相沢だった。


「おー!」


 お世辞程度にノリのよい返事が返ってきて、相沢は大変満足した顔で自分の生中が注がれたジョッキを掲げてみせる。


「えー、本日はお日柄もよく実によい気候となりました。さて、もうすぐクリスマスです。ここにいる男女六人は悲しいことに聖夜を一緒に過ごす相手がおりません。この男女交流親睦会はその状況を打開すべく」

「カンパーイ」


 相沢の長い演説を打ち切って、俺は座ったまま梅酒ロックのグラスを掲げて声をかけた。


「ちょっと俺の話が!?」

『カンパーイ!』


 俺のイタズラが気に召したのか、全員が満面の笑顔で色とりどりのグラスを鳴らし合う。



 とりあえず、初対面の人が多いので、一人一人簡単に自己紹介を、という話になった。相沢はレディファーストということで、と女子に振ろうとしたが、女子三人は顔を見合わせるばかりでノッてこないので、「ここは俺たちが場を暖めてやるべきじゃないのか」と提案してやり、最初に自己紹介する。

杉浦正人すぎうら・まさとでーす。経済学部。クラブは無所属。お好み焼き屋でバイトしてまーす。気軽にまー君とでも呼んでください」


 自己紹介なんてどうせ覚えられないので、簡潔にキーワードだけ投げておくくらいがいい。あとはちょっと笑いを誘うユーモアを加えていればなおよいだろう。

 次は相沢だった。


相沢弘之あいざわ・ひろゆきでーす。同じく経済学部。クラブは軽音部でギターやってます。俺のことは」

「タワシ頭とでも呼んでやってください」


 またも俺は相沢に割り込んで言ってやった。相沢の髪型はあまり今時ではない、手のひらサイズに切り取ればタワシとして使えそうなほど見事なパーマの入った長髪だ。


「正人ー! これは俺の魂のコンセプトだ!」

「いじられ芸人のウリにしかみえねぇよ!」


 またも笑いが起きる。いいぞ。合コンの成否はいかに場を暖かくするかだ。

 相沢はジト目で俺を見ているが言いがかりである。これで相沢はこの合コンの人気者になれるのだから逆に感謝してほしいくらいだ。

 クールに決めて彼女を作ろうという奴の魂胆は完璧に崩れたが問題ない。タワシ頭の時点でクールに決めることは不可能なのだ。

 もう一人の男子は相沢の先輩だった。そもそもこの合コンが成立と相成ったのは、この先輩がクリスマス前にパートナーを作っておきたいと言ったかららしい。


 女子のメンバーのうちの一人、池西凛いけにし・りんは顔見知りだった。合コンのセッティングを任された相沢は女子グループに顔の広い、池西に女子メンバーを見繕ってもらえるように拝み倒したらしい。露出の多い服に、人好きのする表情、はだけた胸元に早くも先輩が釘付けになっている。


 二人目は中尾といって、池西も所属しているダンスサークルのメンバーらしい。こちらもこういう場は慣れているらしく、ダンサーらしい活発な印象を裏切らないはきはきとした自己紹介を終えると、何を思ってか、俺にウィンクを寄こしてきた。先ほどの相沢いじりで目をつけられたか。

 

 女子最後の一人は、池西やダンサーとは対極的で、こういう合コンは初めてらしい。今までの話の中にも、まったく入ってこれてなかったし、この自己紹介だって消え入りそうな声で「梨元理子なしもと・りこ……です」と、名前だけ言って座ってしまったくらいだ。

 恥ずかしがりの小心者。自分を出すのが苦手で大人しい、読書が似合う女。梨元理子に対して行った第一印象の分析結果である。


 合コンの情勢はあっという間に決まった。俺、相沢、中尾の三人と、先輩と池西の二グループに分かれたのである。


「サラダ取ろうか?」

「うん、ありがとう」


 性質タチというものか、俺は大して好みでもなく、正直落ちられては困るダンサー中尾に対してあれこれ気を使ってしまっている。相沢に対しては、「我慢しろ」とか「自分で取れよ」と冷たくあしらえるのだが。

 女というものは、自分を特別扱いする人間にも弱い。相沢と自分の待遇の差を見て、どうやら中尾は俺が中尾に対して気があると判断したようだ。

 中尾は、若干体を寄せてきて、俺の女の好みや、休日の過ごし方など、若干切り込んだ話題に入り始める。ここで俺がデートに誘えば中尾は陥落するだろう。

 だが、俺は中尾を落とす気はなかった。嫌いなタイプではないのだが、実は前の彼女と同タイプなのだ。先ほどウィンクを食らったときは思わず既視感デジャヴを覚えたくらいだ。


(切り上げ時か……)


 なるべくさりげなく抜け出すことにした。ここで、相手が引くような話題を持ちかけることも可能だが、あらぬ噂を広められて風評被害に合わないとも限らない。

 ふと気がつくと、分かれた二グループのどちらにも所属していない女子がいた。梨元理子である。

 

「悪い、ちょっと用足しに行ってくる」


 俺は、いったんトイレに行く、と席を立った。

 本当にトイレには行ったが、元の席に戻らず梨元理子のそばに座った。俺がトイレに行く間に中尾は相沢と話に興じている。俺が三人のグループを抜けたのもあまり気にはなっていないだろう。

彼女を見ると頼んだカシスオレンジにほとんど口をつけていなかった。乾杯のときに一口舐めたきりだろう。


「酒、苦手なの?」

「……うん、じつは」


 そこで、俺は一計を案じることにした。


「じゃあ、アイスティでも頼んでやるよ」

「でも、グラス交換性じゃ……」と、躊躇ちゅうちょする彼女からグラスをひったくるとカシスオレンジを一気飲みしてやる。

「これで問題ないだろ?」


 そう言って、俺は店員を呼ぶブザーを鳴らす。やってきた店員に俺はメニューを指し示した。俺の指先には『ロングアイランドアイスティ』と書かれていた。


 シャイな奴は、皮一枚剥いでやれば驚くほど心を開く。俺はそれも経験で知っていた。半ばイタズラ交じりで見た目はソフトドリンクでも中身は立派なウォッカベースの強いカクテルであるロングアイランドアイスティを騙すように飲ませたのはそういう打算があったからだ。


 だが、泣き上戸の奴を酔わせた経験がなかったのは痛かった。


 アルコールの効果も覿面てきめんに顔を真っ赤にした梨元理子は、ぼろぼろと涙をこぼし、「ぐす、ぐす……」と鼻を鳴らし始めたのである。

 これには俺も驚いた。今、彼女と話をしているのは俺しかない。つまり、泣いているのを他の四人に見つかれば、「彼女を泣かしたのは俺」としか思われまい。とんでもない濡れ衣……でもないか。泣いた原因は酒で、酒を飲ましたのは他ならぬ俺だ。


 だが、あらぬ誤解は避けたい。俺は、他の四人に、彼女が悪酔いしたらしいから、連れて先に帰る、と言って、俺と梨元理子の飲み代に十分であろう一万円札をテーブルの上に投げ出すと、ぐずる彼女の手を引いて居酒屋の外に出て行った。


 俺が彼女を連れて行ったのは、ベンチだった。俺はコンビニでスポーツ飲料をペットボトルで買ってくると、梨元に手渡す。梨元は「ありがと……」と、お礼言うと、早速控えめに二口、三口口をつける。


「悪かったな。そこまで酒に弱いと思ってなくて」

「こっちこそごめんなぁ。せっかくの合コン台無しにして」


 俺は目を丸くした。謝られたことにじゃない。そのイントネーションにだ。


「大阪出身?」

「京都ですぅ」


 少し口を尖らせて梨元理子が言い返す。東京じゃ、関西者らしき訛りはみんな大阪弁だ。


「ついでに言うと、ボケもしません。オチがつかないと納得しないということもないんですぅ」


 どうやら、今まで回りに相当『大阪人』としての振る舞いを要求されていたらしい。


「いきなりボケてとか言われても無理ですぅ。『なんでやねん』とかも言いませーん。でもやっぱり東京の一発ギャグ文化は理解できませーん」


 スポーツ飲料で水分を取ったのがよかったらしい、アルコールが薄まって酔いがちょうどよい具合にまで覚め、若干多弁になっている。


「分かった分かった」

「分かってない」

「ならどうすれば分かる?」


 俺がまさかこう返してくるとは思っていなかったらしい。梨元は一瞬目を丸くすると、俺に向けていた視線を少しずらすと少しの間考えて答えた。


「あたしを飲みに連れてって」


 今度は俺が虚を突かれる番だった。



 静かな店がいいというので、俺は『ユークリッド』というバーを選んだ。行きつけというわけではないが、前に一度知り合いに連れてきてもらい、いい印象を持っていた。

 このバーの特徴は、あらゆる場所に数式がびっしり書いてあることだった。数学をやっている人間なら、さぞ頭が痛いだろうが、俺たちはせいぜい簿記程度、せいぜい微分などの経済学に使う数式、それも名前だけしか分からないので、純粋に知的な文様として楽しむことができる。


「何飲む?」

「お酒」

「勘弁してくれ」


 またぞろ泣き出されては適わない。いつか誰かが『女のナミダは凶器だ』と言っていたが、その言葉に間違いはないと実感した。


「なめるくらいでいいから。でないとしゃべれへん」


 どこのアル中だ。


「わかった」


 俺はモスコミュールを頼み、自分用にはシャンディガフを注文する。

 飲み物が来るまではずっと無言だった。飲みの誘ったのは梨元理子の方で、話があるのも彼女だ。だが、梨元はなかなか話し出さなかった。

 やがて、飲み物が届き、俺たちはやはり無言のままグラスを合わせた。やはりなめるようにモスコミュールをほんの少し口に含んだあと彼女は話を切り出した。


「あたしね。今まで友達とかあんまり作ったことないんです」

「……だろうね。で、何で合コンなんだ?」

「あたし、今度就職するんで……」


 ちょっと待て。


「ってことは……」

「あたし、四回生」


 年上だったのか。俺の驚愕を察したのか、彼女はにこ、と微笑みかけて言った。


「今から敬語に切り替えるのはなしです」

「……まあいいか。アンタもなんで敬語なんだよ」

「敬語じゃなくて丁寧語。こうしないと訛りが出ちゃうから」


 よほど関西弁についてつつかれていたらしい。訛りに対するコンプレックスというのも、友達を作れなかった原因のひとつなんだろう。


「頼むから普通に喋ってくれ。訛ってもからかったりしないから」

「ほんま?」

「誓おう。神か仏かどちらにでも」


 そういって俺は手を上げて見せた。おどけたのがよかったのか、彼女はクスクスと笑いを漏らす。控えめなその笑顔は、今まで俺が見てきたどの女にもなかったものだ。


「なんだ。暗いと思ったら、ちゃんと可愛く笑えるじゃん」

「……!」


 アルコールも手伝ってか、彼女の顔が一気に赤くなる。しまった。ついいつも口説いてる調子でしゃべっちまった。


「い、いっつもそんな調子なん?」

「……まあね。それより話の続き。今年就職だから?」


 シャンディガフについてきたつまみのバターピーナツに手をつけながら話を促す。


「このまま友達作らんとやっていけるんかなぁ、と不安になって。ほら、社会人ってお酒の席も多いやん? あたし下戸やから」


 つまり、人付き合いと酒の席の訓練として合コンを選んだというわけだ。合コンに出てくるにはいささか動機は不純である。


「別に無理する必要ないんじゃないの? 独りがさびしくなった、っていうなら別だけど」

「さあ」

「さあ?」


 寂しいかどうかなんてすぐ分かるだろうに。


「だって独り以外の状態を知らないからあたしが寂しいかどうかなんて分からへんし。だったら逆に友達作れば、独りが寂しいのかどうか分かるでしょ? もし友達作ったほうがずっと楽しいなら、その楽しみを知らないと損した気分になるし」


 わずかながら得意げに梨元理子は言った。


「……変わった考え方だな」

「“さかさま理論”ってあたしは呼んでるんやけどね」


 興が乗ってきたのか、モスコミュールを一口、もう一口と時々口に含んで喉を潤しながら彼女はしゃべり続けた。


「物事って、さかさまに考えればその意味が分かることが多いんよ」

「例えば?」

「何故、電車は存在するのだろう」

「逆に考えると?」

「電車がなくなればどうなるだろう」


 なるほど。結構簡単に電車の意義が説明できるな。


「だから、一人ぼっちが寂しいのかどうかという命題には」

「友達を作ればどうなるだろう……か」

「飲み込み早いなぁ」


 俺が理解を得たからなのだろうか、彼女は先ほどまでとは打って変わった上機嫌さを見せている。


「いつもそんなこと考えてたらいつの間にか一人になってた」

「まあ、悪いことじゃないんじゃないか? 物事を本質までよく考えることはさ」


 少なくとも何も考えない、そこらの奴よりよほど魅力を感じるね、とまた口説く調子で続けそうになるのを俺は何とか自重した。


「ありがと。しかし今日は失敗。友達作りはまた今度やね」

「何言ってんの。友達ならちゃんとできたじゃん」


 そういって、俺は自分自身を指差していた。

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