Phase6: 災厄北へ―1st day 前―
広大な大地。
見渡す限りに広がる大自然。
そして、見上げれば澄み渡った大空が。
パンフレットに載っている謳い文句と、目の前の光景を比較してしまうのは仕方が無いと思う。『五月晴れ』とも言われる五月なのにとか、北海道には梅雨が無いのにとか周辺からは不平不満が聞こえてくるが、相手は自然現象である。矮小たる存在な人間如きにはどうする事も出来ない。そもそも不平不満の前者は、旧暦五月の梅雨の合間の晴れの意味であるので、多少的が外れた意見だと思う。
つまり、端的に言ってしまえば、北海道到着早々我々は大雨に見舞われている。
それはもう、タライを引っ繰り返したような大雨。
まだ午前中であるにも関わらず、空に掛かる分厚い暗雲が大地を仄暗く見せている。
文字通り、これからの旅行に「暗雲」が立ち込める事が無ければいいのだが。
騒ぐ同級生達を尻目に、まだ本格的に踏めずに居る北海道の大地を眺めていた。
「で、師匠。今日は何します?」
大雨の御蔭で、修学旅行のスケジュールは大幅に変更せざるを得ないようで、先程から教師陣と修学旅行担当の委員連中が、突かれた蜂の巣の働き蜂さながらに慌てふためいていた。兎に角、旅行を計画している側がそんな状態なので、ただ受動的に旅行を楽しむだけの生徒達は暇を持て余していた。かく言う私も特に為すことも無く、生徒の喧騒から離れた場所で独り、鞄から取り出した本を読み耽っていた。
後藤はそんな私を発見して、声を掛けてきたらしい。
「何をするも何も、修学旅行はある程度スケジュール管理されている筈だが」
「そうなんですけどね。どうもこの大雨じゃ予定通りって訳にもいかないようで、今日はホテルに缶詰になりそうなんですよ。折角の旅行だと言うのに台無しですわな」
「私は養生出来るなら、それに越した事は無い」
「うわ、何か年寄りっぽい発言。師匠、そんなんじゃ駄目っすよ。もっとアグレッシブにというか、活動的にならないと。稲川に全部美味しい所持ってかれちまいますぜ? もしかしたら映子や生徒会長までも、あいつの毒牙に! 駄目だこれ以上、あのハーレム男の好き勝手には」
「五月蝿い」
勝手に独りで盛り上がり、悟史に私怨を積らせている後藤の言を遮る。こういう話は聞いていても愉快にはなれない。逆にこれ関連の話だけで盛り上がれる人もいるようだが、私は生憎そういう類の人間ではない。
私はパンっと読み掛けの本を閉じ、多少後藤を諭す事にする。自分でも柄ではないとは思っているが、旅先で気分が高揚しているせいだとでも思っておこう。
「後藤。いいか? お前やクラスの連中が嫉妬の念に駆られるのも最もだとは思うが、悟史を貶めるような言い方は論外だ。万が一、悟史が力づくで彼女達を手篭めにし、ああいう状態を維持しているのなら、軽蔑の対象にはなるだろう。だが、実際彼女達は自分の意志で悟史の傍に居ようとしている。それは悟史の方が他の誰よりも魅力があるという事に他ならない。だからな、後藤。幾ら嫉妬しようが、殺意を募らせようが私の知った事ではないが、愚痴を言う暇があるのなら、自分の魅力を磨く努力をする方が建設的ではないか?」
「……あぁ」
「恋慕する相手にだけ伝われば良いとか、若しくは相手の事だけでも深く理解しようという覚悟や努力も必要かもしれないがな。お前の場合は……例えば、朝霧の好みや趣味をもっと理解しようと」
「い、いやいやいやいやいや、なにいってんだ、師匠」
どうやら隠しきれているとでも思っているらしかった。実に微笑ましい事である。
「うわ、何か嫌な笑顔」
「人の顔に文句を付けるな」
暫く、後藤とホテル直行後の予定を協議していると――とは言え、後藤が一方的に捲くし立てていただけで、何も決まってはいないのだが――漸く空港から移動すると言う事が伝えられた。空港でこれだけの大人数が待機している事自体、営業妨害になるのではないかとも心配するのだが、心配した所でどうしようもない話ではある。
それぞれのクラス毎に割り当てられたマイクロバスへと、雨の被害に極力合わない様小走りで乗り込む。どうやら、私と後藤はこのクラスの最後尾だったらしい。クラスメートがきっちりと座席に座っているのを見渡し、そしてふと疑問が生じる。何故、クラスメート達はこんなに迅速に、しかも整然と着席しているのだろうかと。
その理由を解消してくれる人物がバスの最後尾からしゃなりしゃなりと現われた。
「遅いですわ、後藤さんに『執事』さん。さっさとこの座席表に従って座って下さいね」
クラス委員長、北条寺麗華。
委員長という概念の実在、委員長のイデアは三つ網に眼鏡、そして面倒見の良さだと、以前後藤が激しく語っていたが、その理想像に真っ向から立ち向かう様な容貌を持つのがこの北条寺である。名前こそ日本人ではあるものの、明らかに日本人とは違う金糸の如き金髪、高校生、否大学生でもあるまじき豊満な体、そしてあるやり手の大企業の役員の娘というお嬢様ステータスを持ち、さらに性格もよろしいという『ミス・パーフェクト』。
どうやら彼女が持ち前のリーダシップを発揮し、座席表を事前に用意、皆を着席させたと見て良い様だが……
「何故、私だけ補助席なんだ?」
「あら、『執事』である貴方には丁度宜しいのではなくて?」
この女、私にだけやたらと厳しい。そして、悟史には殊更に甘い。言うまでも無く、『稲川ハーレム』の住人である。
「そして何故最後尾の5人掛けの席に四人しか座っていない? その余りに私が座ればよかろう?」
「その席は生憎私達と悟史君だけで一杯なんです。他の人が入り込める隙間は無いわよ?」
「……なら最初から悟史と二人掛けで座ればよかろう?」
「でもそれじゃ、他の二人に公平じゃありませんから」
何を言っても無駄らしい。私は心底どうでも良くなったので、補助席で了解する事にした。
補助席の座り心地が悪かったのは言うまでも無い。
バスの道中、私の直後の席から悟史の悲鳴とハーレム住人の嬌声が聞こえていたそうだが、私は読書に没頭していたので気にはならなかった。寧ろ、気にしていたらグロッキになるのは確実だったであろうから、これは適切な判断だと言える。時たま読書から意識が離れて、バスの外の光景に目を奪われる事があったり、隣の女子におやつを頂いたり、逆隣の男の『マル秘作戦実行計画書』の手直しをしていたが、意図的に後の雑音はカットしていたので、私の精神は至って健康である。ちなみに後ろの騒音を私に報告した後藤と朝霧の表情はげっそりとしていた。
バスがホテルに到着してもなお、大雨は止む事を知らなかった。益々雨足は強くなっていき、道路を伝う水の流れも濁流クラスにまで発展している。今日一杯、雨は止みそうに無い。
多少中途半端さが残りますが、ここまでで一区切りを。
感想等々お待ちしております。
追伸:enoz様、多謝。