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Phase41: 災厄の夏 -思い・記憶-

「ファー!」


「オッケー! ドンピシャ!」


 右サイド、左サイドから中央へと次から次へとボールが飛来する。ゴール周辺に陣取ったフォワード役がそのボールに合わせてゴールへと頭でねじ込む。または、トラップでディフェンダの密着をずらし、守備の間を縫う様に蹴り込む。或いは、自身は囮に楔になり、後方より上がってきた第二線の選手へと球を預ける。

 言うまでも無く、サッカーの練習だ。

 サッカーの部長たる稲川は、声を張り上げるなり身振り手振りで指示するなりと忙しい。自身がプレイしていない時の方がエネルギを消費しているのではないかと思う程、周囲に対するフォロゥを徹底している。


「坂井っ! そこはダイレクトで押し込めっ!」


「りょーかいだ!」


「三井の方は大方それで良いが、今のスピードで上げると前線の奴が外に流れちまうっ! ファーに上げるならもうちっと低めに上げるか、スピード抑えて上げた方が前は押し込み易いっ! 出来るかっ?」


「あー、いけると思うっす! いけるっすが、それならグラウンダで上げた方がいいすかねっ?」


「相手ディフェンス陣の間を抜けるならやれっ!」


「無理っす! ”生”言ってすみませんっしたっ!」


 そうしてメンバに指摘し、キビキビと行動する姿は彼の類稀なる――所謂『イケメン』と名高い――容姿と相俟って非常に凛々しい。常日頃からハーレム員達に対して優柔不断な態度を見せ付けられているクラスメートが見れば、もれなく別人のようだという評価を貰えるだろう。現に彼の振舞を見てもだえている女生徒がグラウンド周りの其処彼処に見受けられる。稲川が汗を拭うなり、髪をかき上げるなり、はたまたシュートを華麗に決めるなりする度に、鼻息を荒くし恍惚とした表情を見せる彼女達は一種の病人と言える。

 重度の病人な観衆に凝視される一方で、稲川はその練習熱心な姿とは裏腹に、サッカーとは別の事に思考を割いていた。無論、彼の胸中にあるのは屋上であっけらかんと告げられた自身の秘事。

 

 稲川は朝霧が好きだった。


 りゅうと中学で初めて出逢うよりももっと以前から、稲川と朝霧は出逢い関係を築いてきた。世間一般でいう幼馴染の関係だ。一緒に広場を駆け抜け、共におはじきで遊び、時折いじめ泣かしてしまう。二人の共通する思い出は数え切れないだろう。

 そうして、幼稚園を過ぎ、小学校も低学年から高学年になるにつれ、自身と彼女が違うという事に気付かされる。男と女。思春期の階段を一歩上り始めれば、彼女の中の『女の子』を意識し始める。

 活発に動く肢体。

 彼女が跳ねる度にふわりと舞う黒髪。

 何より、彼女の眩しい程に輝く笑顔。

 彼女の何処も彼処もが自分の好きな場所だった。彼女を見ているだけで元気が出て、幸せな気分にもなれた。彼女ともっと話したくて、彼女にもっと自分を見てもらいたくて、サッカーと友人の誘い以外の時間はなるべく彼女と過ごす様になった。勿論、そんな彼を見て友人達は彼をからかったが、「そんなの俺の勝手だろ!」と一蹴。その頃には既に女子生徒から絶大な人気を誇っていた稲川を、男子連中がからかう以上の追求を許されなかったのもあっただろう。二人だけという事は少なくなったが、稲川と朝霧は多くの時間を共有していた。

 そして、本格的に思春期に突入した中学時代。

 それまでの時間と同じ様にとはいかないが、それでも朝霧と共に過ごす事は多いだろうと稲川は予想していた。結果的に見れば、それは大凡おおよそ正しい予測ではあった。持ち前の明るさを発揮した朝霧は現在の高校での立場と変わらず、男女共にそれなりの人気のある生徒だった。とは言え、共に時間を多く過ごした人との付き合いの方が矢張り心地の良いものなのは言うまでも無い。朝霧もそれは例外ではない。稲川を筆頭とした旧友との交流が最も多かったのは間違いない。

 しかし、稲川の予想を覆した事が起きる。

 それがりゅうの存在だ。

 入学当初より、周囲とは大きく異なる雰囲気を醸し出す男子生徒。筋骨隆々としていたり、目付きが鋭い三白眼だったり、女性と見間違うほどの美貌の持ち主だったり、はたまた雲を突くような大男だったりした訳ではない。確かに体格は良いのだけれども、寧ろ小柄な部類に入る男子。ただ、彼の持つ独特の雰囲気は周囲の男子生徒が持つ――その年頃の男子が必然的に持つ様な――浮ついた活発なモノではなく、人生の成熟が完了した大人のおとこが魅せる深いモノに近かった。無論、彼ら彼女らが彼の雰囲気を『そうだ』と気付いた訳ではない。単純に自分達とは違う、隔絶した差異を否応にも感じさせられたと言うのが正しい。

 『自分達とは違う』生徒が居る。こうした事態自体はそれ程珍しくも無く、大抵はその生徒が疎外されるという事に収束されるだろう。そして、稲川や朝霧の周辺は特に変化無く、彼らの日常は続いて行く筈だった。

 だがしかし、略全ての生徒が『大抵』の対処方法を取る中で、朝霧だけは何故かりゅうに積極的に構う姿勢を見せた。何故彼女がそうしたのか、それは稲川には今以て分らない。だが、彼女がそういう行動を選択した事によって、彼女と彼の関係は大きく軌道修正された。

 そう、このままと時が過ぎれば『彼氏彼女の関係』となる――稲川は淡く期待していた――立場から、単なる『幼馴染』の立場へと。

 稲川自身、そういう事態の変化を指を咥えて見ていた訳ではない。流石に良く知らなかったりゅうの事を悪し様に言う様な真似はしないが、りゅうとの付き合いをそれとなく逡巡しゅんじゅんさせる様に話を持っていく等対応はした。しかし、彼自身もサッカー部という本格的な体育会系の部活に身も時間も取られていた為、その対応も満足にはいかなかった。

 そして、そうこうしている内に起きたあの事件。

 原因がりゅうにあり、結果として全てをりゅう自身で片付けてしまった事件。そして、その巻き添えを食らった朝霧。客観的に見れば、りゅうには朝霧と縁を切られても仕方の無い一件。だが、朝霧は彼から離れる事無く、寧ろより一層りゅうと親しく接する始末。稲川は何もりゅうが他人と仲良くなる事に批判的だった訳ではなく、クラスメートとは親密であるべきだとは思っていた。矛盾している様だがそれは真実で、ただ朝霧には彼女が危険に遭わされた事もあって幾分慎重に接して欲しかった。

 事実、そういった思いをりゅうに伝えた事もある。「映子に普通に接していて、罪悪感は無いのか」と。真剣に問う稲川にりゅうは若干眉を八の字に傾ける。


「……私もそう思ってな。周囲の空気を読んで欲しいと指摘したんだが……一向に改善してくれない」


「もっと直接的に言わねーのかよ? 柳の話し方がまどろこしいから、伝わらなかったんじゃねーの?」


「幾度かは離れろとも言ったんだ。そしたら、な……彼女と親しい君なら分るだろう?」


りゅうは肩を竦めて自分の言葉に効果が無かった事を伝える。


「……まぁ。何かあれば、君らが割って入るだろう? それだけ彼女の事を見てるんだ。朝霧は幸せ者だな」


「み、見てねーよっ」


「別に照れなくとも……まぁ良い。君の忠告は分った。私ももう少し何とかしてみようと思うが。何とかならなくても、恨んでくれるなよ? 私としては精一杯対応する事には変わりないのだからな」


「お。おう」


「……そう、だな。稲川。それだけ朝霧を見てる君に朗報だ。一つ、男の約束とやらを――」


そういった遣り取りがあった事を稲川は憶えている。

 りゅうは確かに稲川の要望通り、朝霧と距離を置こうとしたらしい。休み時間の際には、近くに寄ってこようとする朝霧を撒く様に何時の間にかりゅうが消えていた事があった。或いは、自分からクラスメートの輪に入り込んで、他の生徒と会話する事で近寄る朝霧を牽制する事もあった。

 しかし、結局の所、そうしたりゅうの努力は朝霧の攻勢の前に泡と消え、朝霧はりゅうに構い続け、稲川は彼女の態度にヤキモキし、その感情に比例する様にサッカーへと傾倒していく。まるで複雑な胸中を吐き出すかの様に。

 そして、そのヤキモキ感が堰を切った結果が、今でも夢に出るあの放課後の一幕だった。


「……まだ、俺の中じゃ終わってねーんだよなぁ」


「え? 悟史先輩? 今さっき、練習終わりって言ったじゃないですかぁ」


「んなっ! あー、うん。終わりだ終わり」


「ははっ、変な先輩っ」


 何時の間にやら、練習は終わっていたらしい事に気付く。タオルとドリンクボトルを配りに来た女子マネージャが稲川の独り言に怪訝な表情をしていた。

 とりあえず誤魔化す意味も含めて、そそくさとタオルとボトルを受け取り礼を言う。聞かなかった事にしますねぇと笑いながら去っていくマネージャを手で追い払い、練習後の整備と体調管理に関して指示を飛ばす。その折も朝霧の事を考えていた辺り、稲川の頭も重症になってきているのかもしれない。





 既に陽は落ち、街道を街灯が照らしている。

 該当が多く設置されている住宅街の道を稲川はずりずりと突き進んでいた。確かに体力的な疲労はあるのだが、それよりも精神的な疲労の方が今の彼を襲っていた。

 どうしたら、朝霧と付き合えるのか。

 どうしたら、彼女の言った『優しさ』を持っていると思われるのか。

 りゅうが居ない間に確かに積極的になっている後藤を如何すればいいのか。


「駄目だよなぁ、こんなんじゃ」


 知らず知らずに愚痴が口から転がり出てくる。愚痴が出て来れば出て来るほど、彼の胸の内が軽くなるなり疲労が抜ければいいのだが生憎とそんな事も無く、逆に良く分からないものが胸に堆積していき足取りは重くなる一方である。

 重くなる足をずりずりと引き摺り、一歩一歩と自宅へと歩を進める。そう言えば飯も作らなくてはならないと今更ながらに思い出し、思わず道路へと五体倒地しかける。ああ、こんな時に飯を作ってくれる彼女か幼馴染が、と考えた所で朝霧の顔が浮かび、再度気分が落ち込むという負のスパイラル。


「もう、どうにでもなれってんだよ」


 ふらりふらりと足を進めてようやく辿り着く我が家。さて、それでは入りますかとポケットの中から鍵を出し、ドアに近付こうとして漸く気付く。


「悟史先輩」


「えっ?」


 自宅のドアの前に体育座りをする少女。小柄で活発そうな姿が印象的な彼女は


「先輩。今日泊めてくれませんか?」


「え、あれ。智恵ちゃん? マジ?」


 あのりゅうが率いる『人材派遣委員会』の委員である赤坂智恵、その人であった。

 

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