Phase40: 災厄の夏 -冷然な炎-
居場所が分からない、連絡が取れない、どういった状況に置かれているのかも分からない。普段、りゅうとどれだけ親しく接していようともこの「ないない」尽くしは変わらない。唯一教師陣はそれらの答を持っているのだが、りゅうの状況がかなり切迫している様で、こちらからせっつく様に連絡を取るのは頂けないとの事。その為、生徒側には先の解答を教えられないのだと言う。
そんな大人の事情は知った事ではないと朝霧、後藤を筆頭に職員室へと押しかけ、殴り込み、りゅうの状況説明を要求した。
だが、そこに立ち塞がるは彼らの担任。若く見える癖にご隠居の様にのほほんとした姿が標準の教師アイザワが、その時に限っては職員室の扉で鉄壁の防御を披露。のらりくらりと政治家の答弁染みた「口防」に加え、暴徒と化した生徒を合気道で地に伏せる所作に、「防御に定評のある教師」という称号を得た程だ。
無論、一度や二度の失敗で挫けるクラスメート達ではないが、少人数で攻めようが大挙して攻めようがその度に彼らの担任が立ち塞がり、結局の所りゅうの状況を知る事は無かった。
それではと、公式な伝を使っての状況把握が出来ないのであれば、私的な伝を使えばいいじゃないかとりゅうの携帯電話に直接連絡を試みる。勿論、友人が一斉に連絡しては迷惑であろうと、後藤が代表として連絡を行った。だが、それも機械的な女性の声で連絡不可能である事を教えられるのみ。連絡したその場に居合わせた者の中には、連絡したのが後藤だから出なかったのではと疑問を持つ者が居たが、朝霧が再度掛けてみても同様の結果であった。公的にも私的にもりゅうの安否を確認する術を失った彼らには、この事実を只認めることしか出来なかった。
そんなこんなで日々は過ぎ去る。光陰矢の如し。
期末試験の結果発表後のどたばたから、進路指導や部活最終スパートと後ろを振り返りつつも前進しか許されない高校三年生の彼らは何時の間にやら終業式を迎えてしまう。
そんな慌しい毎日と校長の長口舌にクラスの大半はダウン。終業式直後の教室には机にだれる生徒達が殆どだった。例外は何時もの様に集っているハーレム集団くらいなものだ。
「あっちー。だりぃ。そして、ハーレムうぜぇ」
「随分とだらけてるんだね、昭君。りゅう君が居ないからって、そんなに生活態度が変わっちゃ駄目だと思うんだけど?」
上半身を机の上にべたりと預け、身体の冷却を行う後藤。そして、その物体を呆れた目で見据え、後藤の横に仁王立ちしている朝霧。はぁと溜息を吐き、頭を左右に振って、私は呆れていますと全身で表現しているが、後藤はそんな朝霧に目を向けようともせず。
「いやいや。こんな状況だったら師匠だってだらけるべ?」
「うーん。りゅう君だったら……」
そう言って朝霧は眉をきりりと上げ、眉間に皺を寄せ腕を組む。ついでとばかりに、ふんと鼻息一つ。
「……安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ずから涼しと言うだろう。暑さ涼しさ等気の持ち様で如何とでもなる……とか言いそうじゃない?」
「微妙に上手いな」
「び、微妙ってあんまり嬉しくないかな。結構ボクとしては上手く決まったと思ったんだけどなぁ」
「まぁ言いそうだけどな。そんなに眉間に皺寄せ無いしよ、鼻で笑うってのは無いだろうよ。もっと無表情によ、こうやって」
後藤は上半身を起こし、朝霧に向き直る。軽く顰め面を作り、声を低くし語る。
「……耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。そうした忍耐が後藤の為になるのだと思うが……という感じじゃないか」
「うーん、そうだなぁ。そうかもしれないけど。あ、そうそう。話それちゃうけど、その耐え難きを耐えーってフレーズ、何処から来たんだっけ?」
「玉音放送だろ? あー、ついでにさっきの心頭滅却だけど、あれって心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃなかったか?」
「えーとね。ちょっと待って」
後藤に手の平をびしっと向け、朝霧は自分の机へと跳ねて行く。その姿をぼーっと彼が眺めている間に、鞄からファイルを取り出し駆け戻って来る。彼女の機敏な動作に、内心ときめいてしまったのは彼だけの秘密である。
「これこれ。天目山の戦いで敗北した六角家当主らを匿った恵林寺の僧が居てね。そんな敗残の将を匿うなーって乗り込んできた織田軍が居たんだけど、それを拒否しちゃってさ。結局焼き討ちにあって、最期詠んだ辞世の偈。それが昭君の言ってた火もまた涼しの方なんだよね。で、その元ねたになっているのが……唐の詩人である杜荀鶴の詩で、こっちだと火も自ずから涼しなんだよ」
「へー……なぁ、げってなんだ?」
「うーんと、僧の悟りの境地を韻文スタイルで詠んでみたって所かな」
「なるほどなぁ。映子も勉強してんのな」
「失敬な! ボクだって受験生だし、それに日本史は必須なんだよ! 昭君も理系だからって、社会を疎かにしてるとセンターで痛い目に遭うよ?」
「うへ。了解っす」
何処と無く受験生らしい会話をする二人。それ自体は特に珍しくも無く、クラスメート達の会話でもその傾向は見られるのだ。しかし、そんな至って普通な二人を凝視していた目があったのを、誰も気づく事は無かった。
相も変わらずやる気の無さそうにSHRを進める教師アイザワが、やはり何時も通りにやる気なく成績表と先日の模試の結果を配る。受け取った生徒達は各々、その成績に見合った声音で周囲と話を咲かせていた。
雑談のカクテルパーティ状態な生徒達をやる気無き声で静まらせ、アイザワは早々にSHRの終わりを告げる。手を振り逃げる様に去っていくアイザワを尻目に、三年一組の生徒達も各々の活動を再開。或る者は部活へ、或る者は予備校へ、或る者は図書館へ、そして或る者は――今日一日だけは遊びに使おうと価値の薄い誓約を己にしつつ――遊戯場へと出掛けて行く。
ハーレムの主と他称されている稲川はその他称に相応しく、ハーレム員から同級生から下級生からと『お誘い』を受けていたが、それらを丁重に断り一人教室の外へと出て行った。断られた彼女達の視線を背に受けている事を自覚はしていた。
廊下へと出た稲川は足早に購買部へ歩を向ける。
彼女達の『お誘い』の中には食事を共にどうかといったものもあり、それを断っておいて食事に行くのも誠意に欠ける行いではある。だが、午後から行われる部活練習に不備があってはいけない。人で溢れかえる購買部を器用に掻き分け無事物資を購入。物資を持ったまま、誰にも見つからぬ様にそそくさと屋上に逃げ込んだ。
「太陽が眩しいなぁ、おい」
空から隙間無く降り注ぐ熱光線。稲川はその発生源を苦々しく睨み、ばたりと屋上に寝転んだ。
風が生温い。
生温い風に導かれて、稲川の溜息もどろりと這い出てくる。
これでは部活に行けないと、購入したメロンパンで溜息に蓋をし、無理矢理栄養補給を行う。パサパサした食感が自身の胸の内を表している様で、慌てて牛乳で流し込み不快な食感を消し去る。
稲川悟史は絶賛不機嫌中であった。
「あれあれ。どうしたんすか、稲川君。こんな所に一人でなんて」
そんな彼に不意に掛けられた声。驚愕に心臓の拍動が急激に上がる。同時に誰も居ないと寝転び独り言を呟いていたのが今更に恥ずかしく、声の主を探して視線を左右に送った。
「上っすよ、上」
声に導かれて上を見上げれば、そこに天使や天狗はいなかった。変わりによく見知ったクラスメートが稲川を見ていた。貯水槽の上から。
「よう、風神少女」
「どうもっす。稲川君。……ふうじんしょうじょって何すか?」
「鵜飼とかがこの間言ってたんだ。玉城に似たキャラがゲームに出てるってよ」
「それがふうじんしょうじょっすか?」
「天狗らしい」
「天狗っすか。私、そんなに鼻高くないっすけど……うーん。何だか私のアイデンティティが汚されている気がするっす」
それにしても暑いっすね、と手で扇を作ってパタパタと扇ぎ、片手で御菓子を――恐らく傍らに置いていたのだろう――摘んで口に入れる。風紀少女、玉城である。
「で、どうしてこんな寂れた屋上にいらっしゃったんです? 北条寺さん以下略な子達が稲川君を放っておいたりはしないでしょうに」
「うるせー」
「あ、あれっすか。ハードボイルドな固ゆで卵気分を味わおうとか」
「それ、同じ意味だからな。別にそんな気取って来た訳じゃねーよ」
「うーんと、じゃあお金が無いから日焼けサロン代わりに?」
「もう、十分日焼けしてるだろ! 部活やってたら否でも応でも日焼けするわ! 第一、日焼けしていいことってあるか?」
「うーん、ないっすね。じゃあ」
少女はにっこり笑って毒を吐く。
「誰かに嫉妬でもしましたか? 教室に居られなくなるぐらいに」
「なっ……」
「私、稲川君のクラスメートで、風紀委員なんです。風紀の乱れを察知して動くのが私達の役目っす。そういう監視ってコツがありまして。主要ポイントを抑えておくんすよ。うちのクラスの場合は稲川君ハーレムと後藤君の被害者の会っすね」
そう言って、玉城は傍らの紙パックを手に取り喉を潤す。自重しない太陽の御蔭でジュースの水温が上がっていたのだろう、僅かに眉を顰めパックを置いた。
「で、まぁ毎日毎日見させて頂くとっすね、それなりに目も肥えて分かる様になるんですよね。人がどう話して、どのタイミングで視線を向けて、その視線にどういった感情が乗せられてるのかがって。そもそも風紀って風俗を律する事っすけど、男女の交際でのきまりって意味もあるっすから。男女の機微には相当敏感っすよ、私」
そこで言葉を区切って、くりくりの目をくるりと回す。何のジェスチャか稲川には理解出来ない上に、それに思考を割く余裕も無かった。
「最近はりゅう君が居ない所為か、後藤君も結構積極的っすよね。大体あの二人で会話している事も 多いですし。ま、そういう事で稲川君が焦るのもしょうがないとは思うっすが」
「何言ってやがる!」
「もう一度言いましょうか? 私、稲川君のクラスメートで」
御菓子を口に放り込んで、指についたかすを嘗めながらにっこりと
「風紀委員なんですよ」
お久し振りです、瀬戸です。
すっかり月間or隔月が標準になってしまった本作ですが……次回からはまた隔週に戻したいなぁとか思っております。気合で。
さて内容ですが、漸く稲川周辺の話になりました。
話の展開がここから異常に早くなるかもしれません。なるべく読者様に理解してもらえるスピードで話が転がるとは思いますが、ご注意を。
何時の間にかPV110万を突破していたようで。
毎度毎度話を読みに来て下さる皆様には感謝感謝で御座います。今後とも宜しくお願い致します。