Phase3: 災厄の残り火
体育館に所狭しと並んだ生徒達を前に朗々と語る校長。
古今東西に存在する校長を押し込めた集合の平均値とは言わないまでも、
『校長』という言葉で連想される校長像はカツラと長口上ではないか。
御多分に洩れず、我が高校の校長も長口上ではあるものの、
その頭を飾るのはカツラ等ではなく、寧ろ校長像を逸脱したアフロである。
あのアフロを如何にして維持し続けているのか、そういう話であれば、生徒も喜んで聞き入ると思う。
とは言え、アフロの維持等、始業式に相応しい内容だと到底受け入れられないのであって、
ステレオタイプな演説を延々と強制的に聞かされているのである。
「青春が」とか、「勉学は」とか、「君達は」とか、「元気ですか」とか時間が経つにつれ、
校長の弁は立ち、誰も止められなくなっている状態が既に十五分程。
真面目に聞いている者等、少数の人間しか居ないであろうと周りを見渡すと、何故か目にハンカチを当てて聞き入っている馬鹿発見。
後藤だ。
「感動するような話か?」
「ゴメンよぅ、今迄こんな無駄に青春送っててごめんよぅ、母さん」
どうやら自省の念がうず高く彼を取り巻き、耐え切れずに涙を流しているみたいだ。
自分の世界に閉じ篭って、只管に悔い改めているのか。
さらに広範囲に目を向けると、同じ様にハンカチを手に目尻を拭っているのがちらほらと。
彼らの共通点が今一掴めないが、しかし何処かしら同じ匂いがしそうな雰囲気を醸し出している。
それと気になるのは、どうして皆黄色いハンカチを手にしているのか。
ハンカチは必須なのか? そしてその色に意味はあるのか?
「多分、あれ映画部の連中だよねぇ?」
私の観察対象が分かったのだろう、後ろから朝霧がすすっと近寄ってきて話しかけてくる。
確かに、後藤は映画部と剣道部の掛け持ちだったが、あの黄色いハンカチを持参している連中全員が映画部だとは。あれは何かの合図なのか、それとも校長からのサクラの依頼か。
「多分さ、『幸せの黄色いハンカチ』だから黄色なんだと思うよ?
それと、ハンカチ持参してるのは、ほら、最近『ハンカチ王子』って呼ばれてる選手がいたでしょ?
ああ、それと悟史君がハンカチで落とした子もいるしさ。それに肖ろうと」
「成程。確かに去年陥落した子がいたな」
思い出したくも無いが、思い出せてしまう自分の記憶が恨めしい。
去年の秋口、悟史と偶々屋上に上がろうかと階段を昇っている時に、ふらふらと下りて来る生徒が居た。後から聞いた話では、彼女は偶々貧血状態に陥っていたらしく、足元が覚束無かった。当然、そんな状態ではまともに歩行するのは難しい。予想通り、彼女は足を縺れさせて階段を転がり落ちてしまうが、途中で悟史がクッションになり――と言っても、受け止めたのは私で、悟史はクッションになったお陰で代わりに転がり落ちていったが――事無きを得た。段の角にでも当たったのか、悟史も彼女も掠り傷を作っていたが、悟史は自分の事等気にせず――自分の傷に気が付いてなかっただけなのだが――彼女の傷に自分のハンカチを当てていた。自分の事よりも他人を気遣う悟史の行動に感銘を受けた彼女は、間も無くハーレム住人となったという訳である。
彼女は何処かドジな所があった、可愛らしい女性であったが、一学年上の上級生であり、今はもうこの高校には居ない。近くの国立大学に通っている筈である。
「童貞一つ守れない男に何が守れると言うのか!」
「校長!!!!」
校長の話は何処までも脱線しているようだった。
結局、校長は体育担当教師に羽交い絞めにされながら退場する事となった。
最後の「第二、第三の校長が!」という台詞は校長の執念を表す良い言葉だったと思う。
とは言え、本当に第二、第三の校長が投入されると、阿鼻叫喚のジェノサイドが展開されるだろう。
そうなる前に校長には繭の様に眠りについてもらうか、大人しくしていて貰いたい。
序でに、映画部の連中は連行される校長を号泣しながら見送っていた。
誰も校長を解放しようとしない辺り、胡散臭さを感じる。
その後、始業式は新任教師の紹介へと移り、何事も無く終了した。
始業式での紹介によると、我らの担任はアイザワユウイチという名前で、担当教科は物理らしい。
この教師の名前が呼ばれた時、男子生徒の何割かが反応したのだが、果てさて何なのだろうか。
教室に帰る道中、涙で目を腫らした後藤に尋ねると
「元祖ハーレム男の名前なんですよ、師匠。まぁ、只単に名前が一緒なだけですけど」
との回答があった。一高校の男子高校生何割かを反応させる程の元祖ハーレム男。
それだけ全国に名前が散らばっているとすれば、気軽に恋愛をすることもままなら無いだろう。そのアイザワユウイチとやらに哀悼の意を示しておく。
さて、我らがハーレム男はと言うと、始業式中は空間を操作する事無く、犠牲者を増やす事は無かったが、教室帰還中にハーレム住人を勢揃いさせてしまい、帰還中の生徒群に多大なる犠牲を与えたらしい。私と後藤、そして朝霧はこうなる事を予測して、早々に教室に戻ってきていた。賢明である。
「今日この後さ、どっか行かないか」
と後藤。目の腫れは大分治まってきている。
「そうしたいが、後藤。明日の新入生用部活説明会の準備は出来ているのか?」
新入生の部活勧誘は明後日から本格的に始まる。
明日はその下準備として、まず新入生全員に部活・同好会を一通り紹介しようという試みである。それぞれの部活が思い思いの方法で部活紹介を行い、中には大掛かりな仕掛けを持ち込む部活もある。後藤は映画部と剣道部の部長を兼任している為、準備に忙殺されていると思ったが。
「それならもう大丈夫。無事完了してるっす」
と力強いコメント。寧ろ、と私の方を見て言葉を続ける。
「師匠の方こそ、準備してるんですか? 人材派遣部」
「否。そもそも私は部の運営には関わってない。それにあの部は無くなった」
「え?」
「あれ。昭君知らないの? 人材派遣部って今年度から人材派遣委員会になったんだよ?」
「えええええええ」
「生徒会直属の委員会へ昇格。私も生徒会の委員という事になってしまった」
「師匠、まじっすか……」
そもそも『人材派遣部』の発足経緯からしても如何わしい部活ではある。
私がこの部活と関わりを持ってしまったのは、矢張りあのハーレム太郎が原因である。
高校一年次に生徒会長に見初められたハーレム太郎が所属していた部があった。その部、サッカー部は弱小で、一人でも怪我をすると試合が出来ないという台所事情を抱えていた。その頃の私はと言うと、色々な部活に顔を出しては辞めるという行為を頻繁に行っていた為、どうやら生徒会に目を付けられていたらしかった。
そして、春の公式戦とやらが開催され、その公式戦途中で右サイドの選手が故障。もう試合続行不可能かと監督も、観客席で傍観していた私もそう思っていた時。私は生徒会長に直々に呼び出され、こう脅された。
『貴方が様々な部活で行ってきた事はあまり褒められた事ではありませんわね。
部活の最優秀な選手と試合をして打ち負かせて行くなんて何処の道場破り被れかしら?
しかも、打ち負かせたら、はい、サヨウナラ。宝の持ち腐れですわね。
くすくす。それにね、私としては公にしたくは無いのだけれども、
貴方、陰でこそこそ仕返しに来た連中を捻り潰してますわよねぇ? ねぇ?
……さぁ、私に協力して下さいますぅ?』
高慢ちきな御嬢様生徒会長を捻り潰してやりたかったけども、
ここで下手に立ち回って、兄に迷惑を掛けるわけには行かないと、私は生徒会長に協力した。
そして、何故か手渡されるサッカー部のユニフォーム。
にこやかに微笑んで
『ではこれから、貴方は人材派遣部の名誉部員とします。
今日の部活動は、このサッカー部の助っ人。見事、悟史を助けたのなら、今迄の行為はチャラにしてあげますわ』
私は人材派遣部の部員とされてしまった。結局の所、悟史を助けたいが為に、生徒会長が権限をフルに使って、人材派遣部なるモノをでっち上げた部。悟史のハーレム力にひきづられた者が権力を持つと碌な事にならない事をこの時学んだものだ。
余談だが、その年の春の公式戦は驚異の勝ち上がりを見せた。悟史はこの地区での得点王として、その名を轟かせた。
発足の理由がそんな一人の人間の我侭だったものの、このシステムを後の生徒会長までもが気に入り、さらに今年度はこれを委員会にしてしまっている。これでいいのか、この高校。
「そうっすかぁ……益々大変になるんじゃないっすか、師匠」
「そうでもない。後輩も力を付けているからな、最近は私が助太刀する事も少なくなった」
「へぇ。じゃ、今日は遊びに行きますか。映子はどうする?」
「ボクも部活無いし、準備も無いから付き合うよ」
「じゃぁ、俺らも一緒に行くわ!」
我ら三人に戦慄が走る。この声は、紛う事無きハーレム太郎の!
振り向けば、にぱっと悟史が笑顔を向けて、満面の笑みを向けて立ち塞がっている。
しかも、こちらの言い分を聞かずに、また後で、と言って席へと戻っていった。
また、知らない内に犠牲者が増えていたりするが、それを気にする余裕すら我々には無い。
その後の担任の自己紹介やら、注意事項やらは我々の頭を素通りしていった。
気が付けば放課後で
気が付けばファミレスで、食べさせ合いを間近で強制的に鑑賞させられたり、
気が付けばカラオケで、ベタベタなデゥエットを強制的に聞かされたり、
気が付けば我々三人は振り回されていた。
そして、ハーレム空間から解放された我らは各々の床に付くなり、気を失うのである。
高校三年の初日はこうして幕を閉じるのであった。