Phase30: 災厄燃ゆ -最終戦・弐-
観客は息を呑み、走者の姿を凝視する。
観客達の脳裡には共通した思いがある。先程までの走者達が見せたあの狂騒は何であったのだろうと。今の彼らの姿との圧倒的なまでの違いは何であろうと。これでは全く違う競争ではないか。
掴みあい、殴り合い、蹴り合いして先を急いでいた泥仕合を誰もが予想していた。しかも面子が面子である。壮絶で苛烈な鮮血模様が容易に描けた。
しかし、その予想を大きく裏切り――だが誰一人失望させる事無く――競走は展開される。他者を貶める為に拳や脚を振り切るのではない。一刻も早く、一足でも前に進む為に筋肉を躍動させる。華々しい祭の最後に相応しい真向勝負がそこにはあった。
「……なんすかね、これ?」
「見ての通りですわね。がっぷり四つの真剣勝負。Lastにclimaxとは憎い演出ですけど」
「えぇっと、そういう事を言いたいんじゃなくてっすね。何であんなに速いのかなぁと。今までのランナが可哀相になるくらい、競走の質が変わってしまっているというか」
「それは悟史君達が本当に速いからでなくて?」
北条寺は心底不思議そうに、小首を傾げて玉城に応える。それは欲しい回答ではないのだけれども、微妙な差異を口にしても分からないだろうと玉城は口を噤む。確かに彼らは速い、速いのだがこれはあくまでも疾走戦という競技なのである。『走り』以外の要素をもっと入れ込んで勝利を目指すべきなのではないか。そういう考えが頭の中を駆け巡る。
悶々と思考に耽る玉城の心情を知ってか知らずか、
「……結局、最後は真向勝負でしたわね。それを言った執事さんが敵役なのは皮肉が過ぎると思うのだけれど」
と北条寺が漏らす。俯き加減で自嘲気味な表情を浮かべるも、その数瞬後にはいつもの自信に溢れる特有のスマイルで目の前の激戦に目を走らせる。そうした様子は直傍にいた玉城にしか分からないものであって、
「……やっぱ昼間に殺ットクべきだったか」
「ええっ!」
漏れ出した金色夜叉の殺意が周囲に危険を撒き散らすものではなかったのは幸運であったと言えよう。
バックストレートに競走の場が移っても、戦局は変わらず静かな熱戦が繰り広げられていた。
ただ全力で走れば良いと言う訳ではない。未だ誰も仕掛けてはいないが、いつ何時手や脚、若しくはボーラが飛んでくるかもしれない状況の中で、競争者は全力を賭してゴールへと駆けねばならない。厳しい駆け引きは競争者の精神を容赦無く削る。
高がトラック一周。
されどトラック一周。
四百メートルという短いレースの中で, その距離を走る事だけでは被らない量の疲労が彼らを襲っている。象徴するかの様に尋常ではない汗が吹き出ている。
それは最後尾の位置で追い駆けるりゅうであっても同じ事。
己が力を発揮しても縮まらない差。嘲笑うかのように少なくなっていく残された距離。何を何処のタイミングで仕掛けるにしても、少しの失敗も、刹那のタイムラグも許されない。だからこそ、焦燥に駆られるのを只管に噛み殺し、前方を駆る三人を追う。
黙々と淡々とゴールまでの距離は無くなっていく。
掛けられる声援は彼らには届かない。
意識にあるのは競争者の気配、足音と襲い掛かる可能性のあるボーラへの警戒。声援に掻き消えてもおかしくは無い競争者の息遣いさえ聴こえる程に、四者の感覚は鋭くなっている。迂闊に動けば悟られる。完全なる拮抗状態。
このまま、順位の変動無く競走は終了する。
誰が言うでもなく、だが自然と観客の中にそういう思いが伝播してゆく。もう大勢は決まったと、変化に乏しかったが最高のレースだったと観客の視線が物語る中、走者四人は最終コーナへと入っていった。
自然と体の重心がイン側へと傾くのを足の裏で感じながら、地面を力強く蹴り上げる。ストレートを走るのとは多少異なる感触があり、先頭走者は否応にもそちらに意識を向ける事になる。目で見てそれと分かるほどには変化していないが、走るスピードが若干緩んだのは事実であった。
だがそれも一瞬の事。隙とも言えない些細な、極々些細な変化。
その意識が地面へと移った一瞬、シュッと風きり音がして
「ぐっ!」
先頭走者の目の前に舞い落ちる何か。突然の飛来物に無意識に頭が仰け反り、足がブレーキを掛ける。何が飛んできたのかを確認し避ける事も出来ず、急ブレーキを掛けざるをえなかった先頭走者に、彼の急激な速度変化に対応出来なかった第二走者の足が止まる。
刹那、二人をアウトから追い抜く影二つ。
足を止めた二人も慌てて追走を始めるが、速度を零にまで落とした彼らが、速度を維持したまま駆け抜けていった二人に追いつく事など出来はしない。
「ちっくしょおおお」
胸の内に急速に溜まる悔しさが口から叫びとなって溢れ出す。叫ばなかった方もその表情に悔しさと自分の情けなさを浮かべていた。何故、一瞬でも気を逸らしてしまったのか。何故、警戒を緩めてしまったのか。
彼らが足を止めてしまった地点にぽつんと一つ。
ボーラが転がっていた。
「負けて、くれねぇかっ!」
「……断るっ」
コーナを駆け抜けた走者二人は並走し、ゴールへと向かう。あと五十メートルも無い。ゴールを示す中空に掲げられたテープが燦然と陽の光に反射し輝いていた。
「だがっ」
限界まで足を振り、手を振る。歯を食い縛り、奥歯がぎしぎしと悲鳴をあげる。
「俺のっ」
並走していた片方のスピードが更に上がる。
「勝ちだっ」
白いテープが宙を舞った。
自軍の陣地から雪崩れ込んできた生徒達。一着で駆け抜けてきた走者を揉み苦茶にしている。既にその人の群れに飲み込まれてしまった走者の姿は見えていない。歓喜の叫びが校庭中に響き渡り、今直ぐにでも胴上げが始まろうという状態。
私はゴールしたその足で、自分を代理に出場させた赤色の陣へと出向いた。派遣した私がこの様だったのだ、さぞかし怒っているのだろうと覚悟はしていた。
しかし、私を出迎えた千川は意外にも機嫌が良いである。正直不気味な印象。
「りゅう先輩、御苦労だったのね」
「……否。期待に応える事が出来なかった。面目無い」
僅かに頭を下げ謝罪する。代理の形であったにしろ、最下位で襷を受け取ったにしろ、最終コーナ過ぎでトップに躍り出る機会があったにもかかわらず、首位を奪取出来なかったのは私の失敗であった。
そんな私の肩を、誰かの手がポンと叩く。顔を起こせば、赤団長の石堂の顔があった。
「いやいやいや、充分だと思うぜ? 俺じゃあ、あんなスピードで四百も走りきれないって。タイムどれくらいだったか聞いたか? 四百を四十八、九だったらしいじゃなかったか。お前達だけ陸上競技やってんじゃねぇよって感じ」
げらげらと豪快に笑いながら、早口で捲くし立てる石堂。笑いながら私の肩を幾度も叩くのは微妙に傷に障るので止めて欲しいのだが。
「団長はちょっと黙ってるのにゃ」
そんな私を見かねたのか、千川が割り込み石堂の喋りを止めてくれた。止められた石堂は不服そうに千川を睨みつけ、口先の標的を千川へと変更する。
「あ? なんだ、ちびっ子。お前こそ黙ってろよ。正直お前の語尾は癇に障るん」
「聞き捨てならないのにゃー。あたしのこのちんまい容姿はそれはそれで充分に可愛らしい一つのステータスなのね。それにこの語尾だって重要なステータスにゃの。馬鹿にしないで欲しいのねー!」
「ああ? 誰がそんな作りきったステータスに惹かれるってんだ? 稲川の色ボケか?」
「い、色ボケって酷いにゃー!」
「んにゃ、間違った認識じゃないと思うぜ? 少なくとも女達に囲まれて宜しくやってる様には見えるだろ?」
「……肯定だ」
「そ、それはそうだけど。ってりゅう先輩も少しぐらい否定する努力を見せるにゃー」
「いやいやいや。それがこの学校に居る男子生徒の基本的な共通認識な訳だ。たとえそれがアイツに振り回されているりゅうだって同じさ。だがそれはこの際置いておいて、お前のその語尾が気に食わない。頭が沸いてる稲川相手ならありかもしれんが、普通の俺らには普通の語尾で話しやがれ!」
「む、むきーーー」
突如として始まり、ぐだぐだと長引いている団長と参謀の口喧嘩に、二人の後ろに控えていた団員達はオロオロするばかり。彼らの中には私の方へ『お助けを』という視線を向けている者もいたが、私には如何する事も出来ない。私が発端で始まってしまった口喧嘩ではあるが、生憎と止める術が無い。
無力な者はただ立ち去るのみ。
目の前で喧騒を繰り広げる二人に背を向け、赤の団員達に別れを告げる。私を引き止めようとする声がちらほらと聞こえたが、意図的に無視を決め、青の陣へと歩を進める。
「……これから仕置きが待ち受けている故、これにて御免」
聴こえていないだろうが赤の団員へと言葉を遺しておく。
本当に申し訳無い。だが私もこれから苦難が待ち受けているのだよ。
……お久振りです。瀬戸です。
掲載が遅れに遅れ、本当に申し訳御座いませんでしたぁ……此処まで修羅場が長引くとは思いませんでしたよ……
本当なら既に文化祭ぐらいまで書き上げているつもりだったのに。
公募用の方も書き上げているつもりだったのに。
予定はいつも儘ならないものです。
今後の予定ですが、一旦この連載に集中的に力を注いで何話かは週刊でお送りしたいと思っております。
不定期な連載ですが、宜しくお願い致します。