Phase24: 災厄燃ゆ -回避の代価-
熱気渦巻くグランドへと歩を進め、押し合い圧し合いしている群集を掻き分け、自らを将とする青陣営に辿り着く。なるほど、これはあのハーレム空間に居た時と同等の疲労感を体力面に味合わせる物である事を身を以って理解した。但し、精神的に疲労しない分回復は早く、速攻性且つ持続性且つ苛烈な毒を持つアレよりかは幾分も良いものと言える。
己が体力の消耗を可能な限り客観的に評価しつつ、陣営上重要な会議が行われるであろう場所に顔を出すと、そこには確かに青の幹部が勢揃いしていた。当たり前ではあるが。
私は軽く謝罪の言葉を投げ掛け、比較的空いているスペースに腰を下ろす。同時に話を進めてくれと言うジェスチャを行ったのだが、如何やら雰囲気が異様である。一人は不機嫌さを濃縮した様な態度で私を睨み、他数人は物言いたげにこちらに眼を向ける。
私は何かをしたのだろうか。それとも、余りにも此処に至るのが遅かったのか。
「何だ?」
取り敢えず、相互理解をしなければ話は円滑に進まない。コミュニケーションはその為の重要な手段である。
私から歩み寄る形で話を切り出す事にしようと声を掛けたのだが、彼らはこの言葉が気に入らなかったらしい。私に対して一斉に言葉を吐き掛けてきた。
「貴方のせいで、貴方のせいで! 私と悟史君との優雅で甘美な昼食時間が露と消えてしまったじゃありませんかっ! 如何してくれるんですか!」
「何だじゃないっすよ! ハーレム達に連れて行かれて結構パニックだったんですから!」
「何だ、じゃないよ! こっちは心配したんだからねっ!」
「ししょー! もちっと俺らの事を頼って下さいよー」
「ぶーぶー! こっちは昼飯の時間が取られてるんだぞ。後で奢れよ!」
と各々が勝手に口喧しく喋るお陰で何を言っているのだかが一向に掴めない。
際限無く高騰していく場を収斂させる為にパンと柏手を打ち収める。ぴたと囀りを止める一同。場に久方振りの静寂が訪れ、グランドの喧騒が流れ込んで来た。
「私は聖徳太子でも三面六臂の阿修羅でも無い。一度で聞き取れるのは三人までだ」
「嘘っ? 三人も聞き取れるの?」
「冗談だ」
無言で手や足が飛来してくる。それらを甘んじて受ける程、御人好しでも極端な性癖持ちでも芸人気質でも無い。出来得る限り最小限な動作で捌いては避け、捌いては避ける。省エネ志向は己に優しい。
「当たれっ。当たれよ。くそったれ」
「……いい加減に止めて欲しいのだが。私達が一同此処に会しているのは斯様な戯れに興じる為ではなかろうに。午後の決戦に向けての最終確認や調整の為にそれぞれの時間を割いてまで集合したと私は愚考していたのだが、それは浅慮だったか?」
私は私限定に暴徒化する面子の中でも比較的素面と見受けられる玉城に問い掛ける。問うている間にも連中、特に北条寺と後藤辺りが拳や膝を繰り出してくるが、一切合財無効化していく。
玉城は聖人君子と言わないまでも、流石に礼儀を弁えている人物であり、やり場の無い拳をぷらぷらさせて私の問に答えてくれる。
「そういう意味合いで集合したのも一要因っすけど、それ以上にこの時間に集合を掛けたのはハーレムに連行されたりゅう君を救出するってのが主な理由なんですっ。皆心配してたんですから」
「……そうか。それは申し訳無かったな」
ハーレム関連で周囲に心配されるとは終ぞ想像していなかった。本人達にその気が無いのだろうが、多少高みの見物を決め込んでいる節があり、誰も彼も障らない様忌避し眼を背けているとばかり思っていた。
認識を改めざるを得ない。私は迫ってくる拳や肘、果ては丸めた紙の束を叩きつつ、皆に向けて謝罪の言葉と感謝の念を送る。最低限の礼儀であろう。
私の言動に暴徒化した面々の暴走が沈静化し、私に掛かる負担が一気に消え去った。
そう思った矢先。
「私としては」
次なる武器として妙に鋭利な文房具を握り締めていた北条寺が剣呑な雰囲気を瞳に宿し、ぼそぼそと、だがしかし彼女らしい明瞭な声で愚痴を漏らす。
「大事な大事な悟史君との濃厚な愛の昼食会を自軍の戦略会議の為に潰されて」
キチキチキチと彼女の左手から彼女の心境を語るかの様に異音がする。
実は彼女は大企業役員の娘であると同時に稀代の魔術師であり、あの様に体の各部位から動物を出現させたりする事を大の得意としており、今回は左手から百舌を出現させたに相違無い、隠し場所はあの発育した胸か金色の髪の中か――という法螺が真であれば良いのだが。
僅かに覗く鋭利さが目に痛い。
「そのランチには貴方が紛れ込んでいるって話があって」
ゆらりと体躯が揺れる。
今し方迄暴徒だった一行が後退りを始める。更に挙って私の背後へと移動してゆく。
「あの悟史君と一緒に居られる素晴らしい一時を貴方が必死に逃げ出そうとしてて、そんな貴方を救出する為に又作戦会議が行われる事になって」
――キチキチキチキチ――
ゆらりゆらりと左右に体を揺らしながら、私の方に接近してくる北条時。先程までこちらをじっと睨め付けていた瞳は顔を伏せている為覗く事が出来ない。
青幹部一同は私を盾に、視線を床に、誰一人北条寺と相対する意思を見せない。
「必死に作戦を練り上げて少しでも早く彼の元に行こうと思ったのですのに」
ゆらゆらと金色の美髪も揺れる。
両手に備えた文房具がキチキチと声を上げ、妖しく輝いている。
「貴方のせいで貴方のせいで」
彼女の歩みは止まり、揺れはぴたりと治まる。
彼女の両の手が私の顔へと近付いてくる。
背後に隠れる一同は小刻みに私に振動を与える。
「コノウラミハラサデオクベキカ」
髪の下から金色に輝く瞳が私を射抜いていた。
私の脳裏に浮かんだ事は二つ。
――何時から彼女は日本の文化に造詣が深くなったのか
――尾崎紅葉先生、金色夜叉が降臨しましたよ
何事も無かったかの様に会議は踊る。
「そういう訳で午後一発目の競技に関しては特に意見が分裂しています」
何事も無かったかの様に北条寺は優秀な戦略担当へと戻っている。乱れていた金髪は尻尾に調髪されている。髪型が変化している事を除けば、常日頃の彼女と変わり無い。
ただ誰一人として彼女を直視出来ていない。皆一様に心に創を負ってしまったのかもしれない。
「つまり、要点を簡潔に言ってしまえば」
過ぎ去ってしまった時間を取り戻す事は出来ないが、挽回する事は可能である。私は会議を円滑に進める為に多少でしゃばりであるとは自覚しながらも口を挟む。
私に向けられる一同の視線は感謝の意に満ち溢れている、そういう幻想を感じた。一様に『発言してくれて有難う』であるとか『ぐっじょぶ』であるとか、そういうこの場には出せない言葉を視線が内包している気がする。これがここ最近頻繁に後藤が口にする『電波』という物だろうか。
「姫役を朝霧から北条寺へ、近衛役を私から悟史へと変更する意見があると」
「ええ。そういう事です。勿論、貴方にはバックアップとして尖兵役に回ってもらいますが」
総力戦。
午後最初の競技であり、男女が同時に戦場に立つ唯一の肉弾戦の事である。男女が共に立つ競技は他にも二人三脚等が該当するが、戦闘を伴う競技となると之の他無い。
参加人数は総勢十二人。ある例外を除き、特にメンバに規定は無く、十二人居れば男子生徒であろうが女子生徒であろうが、一年生であろうが違反ではない。構成員は尖兵と呼ばれる十人と近衛、姫と呼ばれる役が一人ずつ必要となる。そして、勝利条件は至って単純である。相手側の姫と呼ばれる人物を自軍の陣地の最奥へと引っ張って来れば良い。
だが、実の所それ程単純に事が進む事は無い。色々と行動を阻むルールが存在する為である。先ず最も困難である点は相手を攻撃する際に打撃は一切禁じられている事である。必然的に戦場では相撲染みた純粋な力勝負かサブミッションを狙った技勝負が主流になる。
次に問題となるのは、尖兵役は一度背中を地面に付けてしまうか関節技で降参した時点で行動不能となり、行動続行する為には自軍の最奥まで戻り、其処に居る審判にチェックを受けなければならない事である。一方で近衛役にはそういった制限は無い。
そして、ルールには明確に記されていないが、姫役は勿論抵抗する事が認められている。その為、姫役に護身の心得がある女子――『姫は女子である事』が前述の例外である――であれば、容易に相手方へと連行される事は無い。
ちなみに競技には時間制限が設けられ、どちらの軍も勝利条件を満たさなかった場合、更に5分間の延長戦を行う事になる。それでも決着の付かない場合には、尖兵の『死亡数』が少ない方を勝利とする。また、この競技はトーナメント方式である事も述べておく。
「私は別に構わない」
近衛であろうが尖兵であろうがやる事に変わりは無い。我が前に立ちはだかる者を蹴散らし、相手の姫を簒奪、或いは味方の為に道を拓き我が軍に勝利を齎す。目的も思考も洗練されている。
だがしかし、私の同意に驚嘆を示す者が一人。
「えっ」
朝霧だ。
『姫』役という名に未練でもあるのか、それともこの肉弾戦に参加したいのか。
「別に良かろう? 私が思うに近衛役として悟史を、姫役として北条寺の方が都合が良い。私は知っての通り、それなりに体に自信がある。私の『命』を無限にするよりも、他の人にその権利を与えた方が効率が良い。姫役に関しては、朝霧と比較して北条寺の方が上背があろう? 人を抱えるなり引っ張っるなりの際に上背があった方が抵抗し易かろう。こういった事を踏まえて意見させて貰っているのだが、どうだろう?」
「う、うん……」
渋々という表情で朝霧は首肯する。それを苦笑して見ている玉城と後藤。
私の意見に異を唱える者が出なかった為、結局近衛・姫役はハーレム員達に譲る事に決まった。尖兵の方が危険と隣り合わせに居る分、楽しめそうな気はする。交戦開始が待ち遠しい。
会議は終了し、其々午後の準備へと散らばって行く。
りゅうも同様に何処かへ去って行くのを尻目に、青の幹部三人は溜息を付いていた。
「残念だったな、映子」
「そ、そんな事無いけどさ。ほら、あの雰囲気を身近で味わいたかっただけだから。近くで応援してればそんなに大差無いと思うし」
後藤の慰めに誤魔化す様に朝霧は笑って応える。
そんな朝霧を何とも言えない表情で眺めている玉城がぼそりと言葉を吐く。
「北条寺さんも思い切ったらGOGOっすねぇ……
幾ら『近衛』『姫』の体育祭後カップリング率が七割越えとは言え」
「……うん」
「はぁ、映子が『姫』だったらヤル気が違うんだけどな。ま、なっちまったもんは仕方が無いか。精々、あの我が儘お姫様をガードするとしますか」
「うん。昭君頑張ってね」
「頑張るっす。応援してるっす」
「おうよ」
夜の私はガードが固いの、と歌いながら会議跡地から去っていく後藤と、それを笑いながら応援している朝霧と玉城であった。
脱稿です。
多少、コンバットのルールが理解し難いかもしれませんがご容赦を。まぁ、アメフトを想像してみると少しは理解の足しになるかもしれません。
説明不足でしたら申し訳御座いません。