Phase21: 災厄燃ゆ -騎馬のロンド-
銅鑼の音が観衆の腹を穿ち、一斉に騎馬が動く。四隅から出立する騎馬隊はどの陣営も当然の様に逆V字隊形、偃月の陣を敷く。数的不利を生み出さない為の陣形は長年の歴史の中で代々受け継がれ、洗練されていった結果だ。
例年通りであれば、牛歩で進攻するこの決戦は、開始一分程度で全軍が衝突する。決戦時の混沌を頭に浮かべていた北条寺に、朝霧が尋ねる。
「ねぇ、北条寺さん。騎馬戦には特に策を巡らせたりしてないの?」
動き始めた騎馬隊にちらりと一瞥を投げ、北条寺は質問者に顔を向け答える。何処か不満げな表情を浮べて、だがそれでも優雅さを纏わせているのは彼女にしか出来ない芸当だろう。
「本当なら私が奇策を使ってでも勝利させようとしたのですけどね。あの執事さんがどうしても、というからこの競技には手を加えていませんわ」
「じゃさ、あれってりゅう君の策なの?」
「はい?」
朝霧が指差した先に広がる戦場は
「ぼ、暴走?」
学園の体育祭騎馬戦史上、最も早い混沌を、又同時に硬直状態を生み出していた。
開始十秒。
銅鑼の音と共に飛び出し、校庭の中心へと躍り出るまでに要した時間である。
ここまで全速力で刹那の騎士たる私を運んでくれた騎馬に感謝の言葉を告げる。息も絶え絶えに返答する騎馬。格闘能力は無いが、脚力の優れたメンバで組んだ我が騎馬にとっては、私という荷は多少重量過多だったかも知れない。だが、彼らの最も重要な役回りは終了したと言っても良い。私はもう少々の助力をと彼らに伝え、じわじわと迫り来る他陣営に目を向ける。
他の騎馬隊は硬直していた。
整然と進められていたその歩みは微動だにしていない。
瞳に映る感情は驚愕。
この戦闘での我らの勝利の障害となるであろう源平コンビも我が後輩も、私の行動に驚愕という感情を前面に出している様で、少々物足りなさを感じている。私の見込みでは、硬直する事無く、見方を叱咤し進軍を再開すると予想していたのだが。見込み違いという所か。
仕方なく私はどこぞの悪役の如く、手招きし彼らを挑発する。
「来い逆賊共」
私の声は届いたのだろう、私に向って突っ込んでくる騎馬隊。
そう、それで良い。
悪役染みた表情を自覚する。だが、戦闘に昂揚するこの精神だけは抑えようが無かった。
「うわ、一斉に襲い掛かられるよ、あれじゃ!」
朝霧が素っ頓狂な声をあげる。それも無理からぬ事。自らそういう状況に持っていったとは言え、今のりゅうの立場は袋の中の鼠と大差が無い。況してや、窮地に陥っている自身も正面切って戦おうとしているのだ。益々状況としては宜しくない。
北条寺も眉間に皺を寄せ、彼の行動の真意を掴もうと熟考する。敵の戦力を一挙に集中させ、周囲から味方に攻撃させようと言うのか。
「……だけど、それって執事さんの戦力を台無しにしているのよね」
自分の出した結論に今一納得がいかない。
北条寺は首を振り、戦場へと再び眼を向ける。正直な所、自分の愛する稲川の雄姿を舐める様に観察しておきたいのだが、りゅうの異常行動に対する好奇心の方が勝ってしまっている。どうせ後で撮影しているビデオで何度も再生出来るし、と自分の心に決着をつける。
学園の者は誰一人として、りゅうの真意を掴めぬまま、戦局は変化していく。
ふざけるな。
りゅうの後輩であり、人材派遣委員である古森勇気は頭に血が上るのを自覚しながらも、抑え切れない憤りに身を任していた。
常に冷静な判断を心掛け、実行し、驚異の身体能力で以って依頼をこなしていく先輩は尊敬と畏怖の対象であった。自分よりも上背が無く、また一見して闘争心の無い図書館の司書に似た佇まいの彼との初めての邂逅は険悪なものであったが、りゅうの肉体精神両面での強さに惹かれ、人材派遣委員――当時は部であったが――の一員に加えさせてもらった。
その頃より精進を重ね、りゅうとの差はかなり縮められたと古森は勝手に考えていた。だが、先程の挑発はどうだ。自身を他の凡庸な一兵と同等の扱いをした。区別も特別に警戒もしていない。
ふざけるな。
まるで相手にされていない。実力はかなり詰め寄ったと思っていたのは勘違いとでも言うのか。ならば、否が応でも自身の事を意識させてやる。
古森は逸早くりゅうの許へと騎馬を走らせる。強く握り締めた棍棒からは悲鳴があがっていた。
餌に群がる肉食獣が獲物を飲み込もうと襲い掛かる。それでも獲物は逃げる気配を見せない。まるで喰われる事を達観してしまった様に。
りゅう目掛けて騎馬群が群がる瞬間を観客は観る事が出来なかった。無論観客だけではない。応援に徹している陣営側からも戦場の密集度故、何が起こっているのかを正確に観る事は不可能だった。だが、りゅうの敗北だけは誰もが容易に想像出来た。戦場中央の密集から這う這うの体で逃げ出す彼の騎馬役を見るに、正に火を見るよりも明らかと言ってよい。そしてこれから、戦場中央では大乱戦が起こるだろう。殆どの者がそう予測していた。
しかし。
戦場はそんな生易しい状況ではなかった。
大乱戦が起こると思われた密集地帯では、次々に頭上の風船が割られるという怪現象が発生していた。何時の間に割られている自分の風船に唖然とする者、未だ壊されては居ないが密集ゆえに身動きが取れない者、そして混沌に拍車を掛ける様に戦闘を再開する者。青の騎馬隊以外は統制のつかない状況に陥っている。
こういう事態になる事を予見していたのだろう青の騎馬隊が偃月の陣から、密集を包囲するV字隊形、鶴翼の陣に移行し突撃を開始する。中央に気を取られていた密集外周の騎馬は次々と青の騎馬隊に討ち取られていく。鎧袖一触するその姿に、特に稲川が討ち取る度に大歓声が挙がる。
そして内と外の圧力が拮抗し、己の風船を刈り取られた騎士・騎馬達が早々に退場していく事で初めて観客と応援の人間は気付く。
未だ中央に佇む一人の騎士、否戦士に。
「嗚呼、そういう事ね。なんて無茶苦茶。エレガントさの欠片もないわ」
「え、どういう事?」
その一人の姿に頭を抱え、呆れる様に溜息を漏らす北条寺。その姿に首を傾げる朝霧であるが、意識は既に戦場へと向けられていた。正確に言えば、中央の一人にではあるが。
「ねぇ、朝霧さん。如何して騎馬隊は歩兵よりも強いのだと思う?」
「えーと、馬の機動力が主な所かな。後は攻撃が高位置から加えられる事だとボクは思うけど」
視線を離さず答える。視線の先の件の人物は何時の間にか両手に棍棒を持ち、同様に騎馬から降り構えを取っている源平コンビと古森を相手にしていた。
「私も詳しくないから正解は分からないけど、同意見ね。でも、この騎馬戦って所詮騎馬役は人間だから機動力は無いの。だから落馬した騎士に対してのアドヴァンテージって高さなのね」
「そだね。あの高さは中々届かないし、届いたとしても簡単に受け止められるよね……って若しかして、りゅう君があの密集の中で風船潰してたって事?」
一足飛びに話の先読みを行い、その結論に朝霧は驚く。無理も無い。怒涛の初撃をかわし、あの密集の中を移動し、そしてあろう事か気付かれる事無く跳び上がり、頭上の風船を潰す等、机上の空論としか考えられない。
「でも、どうやって」
「そればっかりは本人に聞かないと……聞いても納得には程遠そうね。只、これだけは言えるかしら。あの馬鹿執事、最初から騎馬戦なんてヤル気は無かったようね」
北条寺の声に険が混じる。
「え、と?」
「……初っ端から白兵戦思考。初撃を受ける前に既に下馬してた」
「由紀の言う通りよ。そうでなければ、あんなに素早く騎馬役も避難出来なかったでしょうし」
気配無く二人に接近した榊が解答を示す。女性としては長身の榊には襲撃される直前の様子が視認出来たのか、それとも『剣士』の感がそう結論付けたのかは不明である。
「それよりここからが見所。ひつじ対鬼軍曹コンビ対後輩」
じっと戦場を見つめる榊。
「後輩って、古森君可哀想じゃないかな? ほら、下の子達がよく『貴公子』とか『破壊者』とか呼ぶくらいに人気あるし、強いんじゃないの?」
榊の古森の扱いに朝霧は多少フォロを入れる。部活の後輩が事ある毎に古森の格好良さと強さを説いてくるからである。源と平にはフォロが無いのは仕様なのだろう。
榊は朝霧のフォロに関心の無い眼を向け、また戦場へと視線を戻し、呟く様に言う。
「……観てれば分かる。ひつじは強い……ムカつくぐらい」
己の風船を狙いに来る三つの軌跡の内、二つを受け止め、一つを体の位置をずらす事でやり過ごす。
先程から同様の遣り取りを幾度と無く繰り返している。拮抗状態とでも言えよう。
三方向からの攻撃は避け続けるには大した労力ではないが、それでも決して容易とは言えない。特に頭上の風船だけではなく、私の身体への攻撃を意図的に、しかもコンビネーションを駆使して襲い掛かる源平コンビは厄介だ。どちらかが死角から攻める様にしかも上下左右に攻撃を振り分け、タイミングを微妙にずらしている。やり辛い。
後輩に関しては、未だ逆上している様で剣筋が非常に分かり易い。とは言え、この男も優れた臂力や体捌きを持っているので油断は出来ない。勿論、油断等しないのだが。
「そろそろ仕舞いとしようか」
誰にとも無く宣言する。言うなれば、自身への叱咤か。
意図的に定められたパターンで行ってきた剣捌きのタイミングをずらし、間合を微妙に調整する。この動きに反応する源は流石と言えよう。
「平! 来るぞっ!」
「合点承知!」
だが、僅かに遅い。一気に二人へと間合を詰める。この際、背後の後輩は捨て置く。
袈裟・逆袈裟に襲い掛かる二つの凶器を自身の二刀で受け止め。
そして、手を離した。
「「なっ」」
この時までユニゾンする二人。非常に良いコンビであるが馬鹿正直するのだろう。
私は両の手で二人の風船を刈り取った。
背中を見せ、源平コンビに突っ込むりゅうに古森の憤りの念は一層加速する。
ふざけるな。
鞭の様にしなる両手で二つの風船を刈り取ったりゅうに肉薄し、古森は自身の最速で腕を振り、横薙ぎにりゅうの風船を狙う。避けられる筈が無いタイミングとスピード。古森は自身の勝利を確信する。
だが、当たる寸前。
りゅうは古森に笑みを見せた。
「後輩」
りゅうの風船は呆気無く割れる。青の陣営から聞える悲鳴。
古森はりゅうを仕留めた事に嬉しさを感じるが、目の前の先輩の笑みが分からなかった。しかし、それも至近距離で聞えた破裂音で理解する。
「大局的に物事は見た方が良い。そして相手の戦力を頭に入れておけ。我が陣営には学園最速の突きを持った剣士が居る」
「一丁上がりってな。師匠」
射程距離外からの後藤の突き。りゅうに気を取られていた古森に、この突きは避けられる筈も無い。
周囲では青の騎馬隊が殲滅作業を終えていた。
銅鑼が鳴り響く。
こうして騎馬戦は青陣営の圧倒的勝利で幕を閉じたのである。
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