Phase13: 災厄北へ -last day 中-
柵に身を預け、ぼうっとしている男が独り。制服には草と泥が付き、これまで地面に倒れ伏していた事を物語っている。整った顔には、殴られた形跡と血を流した痕跡が同居しており、折角の美形を台無しにしている。
そんな満身創痍な青年に少女が近寄り、声を掛けた。
「大丈夫っすか? 稲川君」
声に反応して、閉じていた目蓋をゆっくりと開ける。
ポニーテールの少女――玉城千里――の姿を見て、ふっと微笑を浮かべた。
「む? 何か変っすかね」
「何でもないよ。でもね、りゅうが他の人を寄越すなんて……ふぅ、滅多に無いからさ。一から十まで何でも自分で背負おうとするし……実際背負える奴だから。随分、あいつに信用されてるんだね、玉城って」
「そうっすかねぇ、それなら嬉しいかな。っと、少し傷の方を見せて下さいな」
薄汚れた制服を捲くり、傷の具合を確かめる。
幸いにして、肋骨骨折等という重傷には至らず、湿布で間に合う程度の軽症であった。とは言え、内臓に多少のダメージが無いと言えば、嘘になるだろう。
「うん、重傷じゃなくてよかったっすね。二三日痛むでしょうが、湿布貼っとけば治るっす」
「そりゃ安心したよ。さっきまでは結構痛かったからね」
「慣れてなきゃ、そうかもね」
そう言って、稲川の制服に付いた泥を払い、買っておいた飲料水を渡す。
眼前に広がる大海原から吹き付けてくる海風が二人を撫でる。暫し、二人の間には沈黙がおりていた。
「そう言えば、稲川君ってりゅう君と昔馴染みなんだよね?」
「あ? ああ。中学からのだけどな。実は幼馴染がいるとかいないとかって話も聞いたことがあるけど、少なくともうちの学校では、俺が一番古い馴染みだと思う。で、それがどうした?」
「特に如何したっていうんじゃ無いっすけど……りゅう君って自分の事を『オレ』って言ってましたっけ? あたしがタクシから降りるちょっと前に、そう言ってたような気がするんすけど」
「りゅうが『オレ』ねぇ……あー、そりゃヤバいな」
そう呟き、顰め面で頭を掻き毟る稲川。
それを不思議そうに眺める玉城。
「ヤバインデスカー?」
「なんだ、その似非外国人。えーと、俺も実際にりゅうの口から『オレ』と聞いたのは一回だけだ。人伝にもう一回だけあるかな。後者は中学2年の時で、詳細は良く知らない。前者は中学一年の時でさ」
ペットボトルを傾け、喉を水で潤す。一拍おいて、稲川は話を続ける。
「……色々あって、その時には十五人を文字通り『病院送り』にしたんだ」
外国墓地から逃げ出した当初は、それこそ稲川の安否が気になって仕方が無かった三人組ではあったが、大通りに出る直前に前から現れた――一見して先程襲撃してきた男達の仲間と分かる――男がこちらに駆けて来て、さらに後からも追い駆けてくるのが見え――従って、稲川は男達に『負けた』事になるが、この緊急事態にそれを気付けというのは酷だろう――目の前の路地に飛び込むのが精一杯になっていた。無論、自分達が何処を走っているか等を気にする余裕は無い。只只管に我武者羅に自分達の前にある路を走るだけ。
「……ね……ここ何処?」
「知らない、っけど、麗華分かるっ?」
「分かる訳っ、無いっ、わよっ?」
息も絶え絶えに言葉を交わす。
道が分からないのも無理は無い。只でさえ、旅行先という不慣れな場所であり、尚且つ今は方向を確認している筈も無く、地図を開く暇も無かった。これで現在位置を分かないのは当然の事。
「……教会」
「見りゃ分かる!」
「自分で尋ねておいて、自分で答えるのも珍しいわよね……って和んでる場合?」
「そして、追っ手」
「「へぇ……って冷静過ぎるわっ!」」
教会の目前で対峙する女子高生と背広の怪しげな男達というシュールな光景。
女子高生達の前方には二人、後方には一人男が控えている。人数の上では三対三ではあるが、男達の体格を見るに敵わない事は歴然としている。
「正に絶体絶命、麗しき女子達は果たして無事生還出来るのか」
「……ナレーションどうも」
「話している所悪いがよ、さっさとそこのお嬢様を渡してくれないか? 渡してくれたら、お前達二人は見逃してやるけどよ。ほらさっさと」
「五月蝿い。話の腰を折るな。それに私達が麗華をみすみす渡す訳が無かろう?」
「……まぁいい。一緒に連れて行けば良いだけの話だ」
強気に答える由紀。しかし、男達が有利である事は覆しようも無い。麗華達を連行する運搬手段さえ整えば、何時でも連行可能なのだから。
今迄口を閉じていた前方の男その二が何かを見つけて、口角を上げる。サングラスで目を見る事は出来ないが、見れば厭らしく目許も歪んでいる事だろう。
「ほら、お迎えが来たぜ。心の準備はいいか」
「……由宇、由紀。さっさと二人は逃げて。標的は私一人でしょう? なら、二人はさっさと逃げて、警察とか先生に連絡して下さいまし。今更ですけど」
「馬鹿言わない。もう今更。三人一緒に突破するのが最善」
「そうだよ、麗華。何としても、ここを突破しなきゃ……と言っても、どうする?」
「連れ込もうと接触する時が一番良い。一気に突破」
「そうね……先に謝っておくわ、二人とも。巻き込んでゴメンなさいね」
「後でたっぷり奢って貰うから構わない」
「私も」
小声での遣り取りの間に、連行用の車は徐々に近づいてくる。
そうして、黒塗りの大型ヴァンは後方の男の近くで停車した。
「りゅうってさ、昔から何でも出来る奴でさ。俺らからして見れば、尊敬の対象であると同時に、畏怖の対象でもあったんだ。分かると思うけど、自分達の能力で計り知れない者ってのは結局得体の知れない者って訳で、中学生のガキ共は無視する事で自分達を守った」
「って事はりゅう君独りぼっちだったんですか」
「クラスに限らず、俺らの学年全員が中間試験終了後くらいにはそういう状態になっていたなぁ、ただ一人、映子を除いて」
「ははぁ……何となくオチが読めてきましたよ」
「それじゃ、途中の話は全てカットして最後の所だけ。一悶着だけでなく、二つも三つも悶着があって、ある中三の先輩連中が人質として映子を連れ去ったんだ。その頃には、俺も自分の馬鹿さ加減に気付いて、りゅうの奴と仲直りしたんだがな。で、りゅうがその先輩連中に呼び出される前にさ、言ったんだよ」
稲川は脳裡に過ぎ去りしあの日を思い出す。
机の上に乱暴に置かれた書置きを目の前にして、感情を一切合財捨て去った能面の如き友人の姿。常日頃から何処か超越した印象を受けていたが、これ程までに感情を封じ込めた姿は未だ見た事は無く、それが彼をさらに異端たらしめていた。
夕日が差し込む教室で、その場に居合わせた稲川達に一言告げる。
『……救急車の手配を』
協力を申し出る稲川やその友人達に向けた表情は何処までも冷静で、告げる言葉は何処までも激昂していた。
『これは私の問題だ。私が幕を引くのが道理。それにしても……私を呼び出せば良かったものを……朝霧をダシにした事を後悔させてやろう』
「今でもあの声は忘れられないなぁ。何と言うか、トラウマ染みているかな」
「そんなに怖かったんすか?」
「ああ。一緒にいた仲間の中でチビッた奴とかいたし。で、俺らが十分くらいして屋上に行った時には、屋上は呻き声のオンパレード。呼び出した十五人全員が何処かしらを骨折。主犯格だった先輩は鎖骨、大腿骨と後肋骨数本持ってかれてたかな」
「……え? えと、その時りゅう君中一っすよね?」
「年齢を詐称してなかったらそうなんだけどな。とは言え、りゅうも五体満足無傷ですって事は無くて、五針くらい縫ってたけど。何でも、先輩連中が使ってた角材が掠ったとかで」
「そ、そうっすか。で、映子ちゃんはどうしたんですか?」
「無事。制服が少し破かれた程度で済んだよ。だからさ、俺が言いたいのは」
ぴっと人差し指を立てて、玉城に諭すように言う。
「アイツを怒らせたら、相手さんは無事に済む訳が無いって事」
随分間隔が空いてしまいました……すみません。
今夜か明日にこの後編を投稿する予定です。宜しくお願い致します。