Phase10: 災厄北へ -Interlude 1-
紛う事無き晴天。
昨夜夜半まで降り頻った雨は夢の如く掻き消え、目の前には雲ひとつ無い。
「各クラス、早くバスに乗ってねー! 今日は一つ廻る所が増えてるから時間無いのよー!」
「おら、さっさと乗れ! 時間が無いんだ、さっさとしろ!」
「クラスによっては人数が少ないかもしれないけど、気にせずにねー!」
バスへの乗車を促す教師陣の声が辺りに響いている。声にせっつかれる様にして我らはバスに乗る事になる。最後の方に聞こえた内容は昨日の事件とは関係が無い事を祈りたいが、残念ながら自分のクラスの人数が半減しているのを鑑みるに、無関係どころか核心そのものらしい。彼らの処遇は聞かされてはいないが、冥福を祈っておこう。
生徒の列に並び、バスのステップに左足を掛けた時に、後から声を掛けられる。珍しくも修学旅行に同伴している保健医の聖教諭だった。
「あのりゅう委員長さん? ちょ、ちょっと聞きたい事があるんだけど、い、いいかな?」
「……如何為さいましたか、聖先生?」
一介の生徒相手に挙動不振になる教師は如何なものだろう。どうもこの教師は私を獅子か何かと勘違いしているのではないかと。生憎だが、私はカニバリズムなる高尚な悪癖は無いし、女性を食す程にプレイボーイでもない。表立って事を起こした事など、近年は致していない筈だが。
ステップから離れて話を聞く事にする。
「せ、生徒会長さんが何処にいるのか、知らないかしら? り、りゅうさんも昨日は委員会専用部屋にいたのでしょう?」
落ち着かない様子で眼鏡を弄りながら尋ねてくる。少々逡巡し、思いを巡らしている様子を醸し出し、私は答える事にした。その際、目が合い、小さく「ひぇぅ!」と怯えた声を出されたのは甚だ心外ではある。
「恐らく未だ部屋に居られるのかも知れません。私は早朝から館内の警備をしていたものでして、申し訳無いのですが、会長とは今朝方顔を合わせていません」
「そ、そうなの。ご苦労様」
「いえ。しかしそうなると、会長は……否、これは申す事でもないか」
如何にも訳有りです、という風に小さく言葉を繋げておく。私の知る限り、こういう言い方をすれば、職務に忠実で、生徒に理解のあるお節介焼きさんと評判なこの教諭の事だ。喰い付いて来るだろう、と予測。
「ど、どうしたのかしら。些細な事でも話してくれると嬉しいんだけど」
案の定、餌に釣られた。入食い状態とも言えるかも知れない。
私は伏目がちに、躊躇う様に振舞う。
「……ですが、これは非常に個人的な話ですので」
「そうねぇ。でも、ここだけの話にしておくから。もし、その所為で生徒会長さんが大変な事になったら、大変でしょう? なるべく、そういう目には遭わせたくないし」
「……仰る通りです。ここは先生を信頼してお話し致しましょう」
「あ、有難う」
目を合わせる度に、怯え、どもる聖教諭。少し威圧すれば、泣き出すのではなかろうか。
私は如何にも深刻そうに、偽りの『真実』をとうとうと騙り出す。
「先生は会長が非常に厳格な方だと言う事はご存知でしょう? 会長は非常に規律を大事に為さり、それを遵守しようと日々取り組んでおられます。その姿勢は誰も崩す事が出来ない程、頑ななまでに。そして、その規律は他人に対するものだけではなく、当然のように自分に対しても、いえ自分に対してだからこそより一層厳しい規律を持っておられます」
「そ、そうなの」
「ええ。まるで神を夫とし、貞操を守り抜く修道女の様です。そして、規律を破られた際には、厳しい戒めが待っているそうです。私は幸運にも、その戒めに遭った事も自身に対して戒めている会長を拝見した事は御座いませんが」
「な、なんだか息が詰まりそうね。保健医としてはすごく心配なのだけれど」
良い反応だ。正に私が企んでいた通りに、聖教諭は話を聞いている。
「正鵠。過剰な規律による緊縛は歪みを引き及ぼします。先生は保健医でいらっしゃいますから、ご存知だとは思いますが、これは一種の強迫観念、強迫行為と見受けられます。自分を戒めておくという行為が安堵を得ているのでしょう。意識的にも無意識的にも、そこに囚われているのかも知れません」
「よ、良く知ってるわね。私よりも心理学詳しそうね」
「……ご冗談を。独学の上、齧り掛けです」
因みに、先生のどもりは神経症レベルの吃音とも言います、と心の中で付け加えておく。吃音は無意識下での恐怖等が表面に出てきていると見られ、つまり私に恐怖感を持っていることになる。
本題から逸れた話を元に戻そう。
「詰まる所、生徒会長は束縛に対して安堵を感じております。ところで修学旅行と言えば、学外での大規模なイベントであり、また昨日の雨でイレギュラが発生しましたので生徒会の負担もかなり大きくなっております。従って、生徒会長には多大な軋轢がかかっているとも言えます。……先生、そういう場合、人間はどういう行為に走りますか。否、自分の安息の場所を無意識にでも知っている人間がとる行為は?」
「も、勿論、そこに逃げ込むのよね? という事は、四条さんは自分を戒めている?」
「この場合、戒めるというよりも、『縛り付けられている』という概念に意味があります。つまり……」
思わず、口の端が上がってしまいそうになる。意識的にこれを下げ、加えて眉を下げ、深刻な表情を作り上げる。さぁ、仕上げに取り掛かろう。
「会長は自分自身を縛り付けているものと思われます、物理的な意味で」
「そ、そう。それは確かに個人的な話よね……」
引き攣った顔で応える聖女史。
すると、ホテルの玄関ホールからこちらに駆けて来る教師が一人。
「聖先生! 四条の奴が見つかりました! やっぱり生徒会の部屋に居たんですが……」
「如何なされたんですか?」
「そのぉ……長い布を自分自身に巻き付けててですね、木乃伊みたいになってんですよ。一応、人材派遣委員長にヤラレタなんて言ってますがね、ってお前此処に居たのか」
「先程から聖先生とお話しておりました。……そうですか、私にされたと仰られてるんですか」
「ああ。性質の悪い丁稚上げだとは思うんだがなぁ。お前がこんな事するとは思えんし」
日頃の行いが功を奏している。立場を磐石にする為に、聖教諭に小声で付け加えておく。
「無意識にでも行ったのでしょう。その為に私という犯人役が必要だったのかもしれません。聖先生、後はお願いしても宜しいですか」
「え、ええ。こちらで何とかしておきます」
「それでは先生方。私はバスに乗っておきます。私個人の所為で日程を遅らせる訳にもいきませんから」
「ああ。四条は他の馬鹿連中と共に送っておくから心配すんな」
「宜しくお願い致します」
踵を返し、バスへと乗り込む。妙に空いている我がクラスのバスの一席に座り込む。席は思いの外柔らかく、座り心地は大変に良かった。
結局、私が何をしたのか。
バスタオル一枚のみを体に巻き付け、迫ってくる四条はかなり執拗に私に絡んできた。私は完全に無視を決め込んでいたのだが、一向に注意を向けない私に頭の螺子がさらに緩んだ四条はバスタオルを脱いだ。それはもう、恥も外聞も無く脱いだ。しかも裸のまま、私に抱きつくという凶行。
家庭の事情により、女性の体は見慣れているとは言え、裸のまま上目遣いで擦り寄られた経験は無い。流石に拙いと軽くテンプルを揺さ振る事で、暴走特急の意識を刈り取った。その後、なるべく大事な部分を拝まない様、細心の注意を込めて下着を着させたが、私としては未だ意趣返しが出来ていない。そこで、部屋中のシーツを剥ぎ取り、連結させて、四条にキツク巻き付けていった。暫くすると木乃伊な四条が完成したので、これをベットに放置。一応、風邪を引かない様、部屋の温度調整はしておいたので大丈夫だろう。
さらに、聖女史を使って、この行為を『四条自身が行った』とする事で、私の意趣返しは完結する。これで、旅行の残り四日間は無事に過ごせるであろう。
私といえば、昨夜は本当に館内の警備をしていた為、一睡もしていない。椅子の座り心地、降り注いでくる朝日が気持ち良く、私は眠りへと堕ちて行った。意識はしていなかったが、眠ったお陰で後方のハーレム狂騒曲が聞こえなかったのは僥倖だ。
待たれた方は、お待たせ致しました。
ハーレムのハの字も出てこない今回ですが……ご容赦下さい。