キス
この作品には男性同士・肉親同士の恋愛描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
誰にもこんなことは話せないし、相談なんてできない。せめて血が繋がってなかったら、できれば女の子だったなら……なんて現実逃避してる。
始まりは十二月のこと。飲み会帰りの夜遅く、時計の針が午前二時を過ぎようとする頃、ようやく俺は家へと帰った。
春から始まる就職活動に対する不安からか、つい飲み過ぎてしまったのだが、玄関先で大騒ぎをしてしまっても、優しい弟はいつものように俺を出迎えて介抱してくれた。そしてそのまま酒盛りの雰囲気になり、弟の部屋で二人で飲むことになった。
由紀は毒舌だけど憎めない奴で、甲斐甲斐しくこうして酔っ払った俺の面倒を見てくれる、可愛い弟だ。
二人で他愛もない話をしながらビールの缶を五つ六つほど空け、なんとなくつけっぱなしにしていたテレビの深夜番組を見ていると、ゲイのお姉さんたちが登場して盛り上がる場面に。そこから自然と話題はゲイってありか?という話になった。
もちろん合わせたようにナシだって話になったし、由紀は何度も「そんなキモいのありえない」と繰り返していた。
だが、もともとブラコンだった俺は、酔っていたこともあり、酒で頬を赤く染めた弟を可愛いと思った。単純な人間なので、思ったことが口から全部出てくる出てくる。
「お前可愛いな」
「兄ちゃんはいつもそれだな」
笑いながら由紀はさらりと受け流したが、酔っ払ってる俺はさらに続けた。
「いやいや、マジで今日は可愛い。そこら辺の女子より可愛い。どうしてくれようか」
女よりも男に告白される回数が多い高校二年の弟は、身長が俺より二十センチ近く小さいし、体も細身で柔らかい。俺なんかとは違って、本当に女の子のように整った可愛らしい顔立ちをしている。
ちなみに俺はイケメンじゃないし、残念なことにいまだ告白されたこともない。兄弟でこの違いはなんなんだ、と思うことしきりだ。
「あははは、どうしてくれんの?」
「キスしてやんよ」
もともと飲んでいた上にさらにアルコールを追加した俺のテンションは最高潮。なんでも出来る気分だった。
「え、マジかよ。童貞のくせしてできんのかよ」
お互いのことをよく知っている兄弟ならではの的確なツッコミに若干へこみつつも、強引に肩を抱き寄せて顔を近づける。
「してやんよ。オラオラ、こっちに来いや~」
「ふざけんなよー。男なんて気持ち悪ぃ、兄ちゃんなら更にキモい」
抵抗して体を引き離そうとするが、その肩はがっちりと掴まれ放されることはない。
更に近づく俺、面倒になって離れるのをやめる弟。重なる視線、重なる吐息。そして……
キスをしてしまった。後に聞いたところによると、どうやらファーストキスだったらしい。余談だが、俺のファーストキスは合コンで酔った勢いに任せてたまたま隣に座っていた女の子としたもので、酒席では何度か友達とキスしたことがある。それも男女構わずに。きっと酔うとキス魔になるんだと思う。
冷や水を打ったように静かになる室内。由紀がびっくりした顔をこちらを見ている。黒くて大きな瞳が俺を見つめていて、心なしか潤んでいるようにも見えた。頬を桜色に染めて、じっと俺を……。
まっすぐに結ばれた唇は厚ぼったく熟していて、それを見て思わずもう一度キスをする。
もうテレビの番組なんかとっくに終わっていて、あの虹色の縦縞の画面に切り替わっていた。由紀はちょっと泣きそうになっていたし、正気に戻った俺も涙目だった。血の繋がった兄弟にキスしたのだから、酔いも醒める。
「……」
「……なんというか、すまなかった」
顔を背ける弟。淀んだ空気に死にそうな俺。こんな時でも膝をじっと見つめるその様を愛おしく感じて、再び湧き上がる気持ちを抑えるのに苦労した。
「兄ちゃんはさ、そういう人なの?」
「それってどういう……」
すると弟は少し怒ったように答える。
「平気で兄弟にキスできるヤツなのかってこと。まさかあーちゃんにもしてんの?」
あーちゃんというのは由紀より一歳年下の妹、秋子のこと。俺たちは三人兄弟で片親だった上にその親も年中働き通し。小さい頃から三人でいることが多かったから、自然と兄弟を思う気持ちが強くなった。俺が守ってあげないと、という使命感に燃えていた。
そんな訳でシスコンでもある俺は、妹のことももちろん可愛いと思うし大好きだったが、当然キスなんてしたことないし、しようと思ったこともない。
「まさか!それはねぇよ!」
だから全力で否定した。
「ならいい」
そうそっけなく言うと、由紀は再び視線を逸らす。
そんな弟を前にして、俺は横目で壁にかかった時計を見ながら、内心焦っていた。それも先ほどのキスとは別のことで。
実は、次の日朝早くからバイトがあり、できればそろそろ部屋に戻って眠りたかったのだが、なんとも気まずい雰囲気で、とてもそんな状況じゃなかった。部屋に戻ったとしても、翌朝起きてどう顔を合わせればいいのかと悩んでいたのだが……。
かなり目が泳いでいたんだと思う。そんな俺を見かねたのか、ふと笑顔を見せた由紀が言った。
「戻ればいいじゃん。俺は今日は徹夜するから、気にしないで寝りゃいいよ」
「うそ、マジ。サンキュ」
助かった。そう思い回復したテンションで、立ち上がり意気揚々と部屋に戻ろうとすると、由紀も立ち上がって俺を見上げるもんだから、なんだろうと思い視線を合わせた。
まだ酒の残り香が弟にはあって、妙に色香があるというか、ほっぺたもほんのりと赤かったし、可愛かった。思わずその姿を見てぼんやりとしてしまう。
「馬鹿だな兄ちゃん、カワイイ」
するとそういって、今度は由紀の方からキスをしてきたのだ。
もう何も言えない。頭の中が真っ白になった。思考停止。こういう時に「お前の方が可愛いよ」なんて言えないから、俺は童貞なのかもしれない。
「兄ちゃん俺のこと可愛いって言うけどさ。兄ちゃんの方が可愛いよ。なんで人がほっとくのかって思うくらいに」
弟はまだ酔ってるのかもしれない。そんな恥ずかしい台詞を実の兄に言えるぐらいだから。
「カワイイよ、兄ちゃん。……だいすき」
そう言って俺を抱きしめた由紀は、再び唇を重ねてきた。
本当に驚いてなんにもできなくて固まっていた俺だったが、その夜はそれ以上は何事もなく、すぐに部屋へと戻って寝た。その時はそれで終わりだと思っていた。
翌日の朝八時。セットした目覚まし時計がけたたましく鳴り響く。
「……クソ頭痛ぇぇ」
二日酔いの痛みをうまく例えることは難しい。経験した人なら分かるかもしれないが、ただでさえうるさい音が余計に大きく感じられる。ガンガンと頭を打ち付けられるようなあの感じ。とにかく朝から気分は最悪だった。
まぁ、それはともかく。目覚ましの音を聞いて、弟が俺を起こしに部屋へ入ってきたのだが……
「おはよう兄ちゃん」
そう言うやいなや、なんといきなり笑顔で目覚めのキスをしてきたのだ。漫画やゲームならともかく、まさか実際にそんな体験をするとは思わなかった。しかも血の繋がった弟相手に。
そしてその日から、俺たちの誰にも言えない秘密の関係が始まった。