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冬の入り口、日曜の指定席

何を思ったか、ソフトホラー書いちゃいました。

あまりホラー感無いかもですが、お読み頂けるとうれしいです。

挿絵(By みてみん)


そこに座っているのが誰かは、考えるまでもなかった。


冬の始まりの頃だった。世間ではハロウィンが終わった途端、

次はクリスマスだと気の早い店が飾りを吊り始める。

駅前の雑貨屋の窓には、十一月だというのに小さなツリーが立っていた。

吐く息が白くなるのを見て、今年もそんな時期か、

とどうでもいいことを思った。


親父が死んで三年になる。医者は「老衰です」と言った。

便利な言葉だ。

人の息が少しずつ薄くなっていって、最後に消えるまでの時間を、

たった二文字で表現してしまう。

息を引き取る瞬間には立ち会えた。手を握った。

骨ばって、冷たくて、触れているのに遠い手だった。

泣くとか叫ぶとか、そんな派手なことはなかった。

ただ、胸の奥が崩れた。自分の中で何かが落ちていく音だけがした。

走馬灯を”見た”のもこの時が初めてだったか。


葬儀も諸々も終わり、三回忌も済んで、日々の忙しさに呑まれていった。

心の穴は、埋まるというより、穴のある状態に慣れていく。

そんなふうに思っていた。


その日も、特別なことはなかった。

夕方。居間の灯りを点けた。

外の冷えがそのまま付いてきているみたいで、部屋の空気は固い。

窓は閉め切ってある。エアコンも暖房も入れていない。静かだった。


それなのに、ふっと。

空気が揺れた。

カーテンの端が一度だけ震えたように見えた。

風の通り道なんてないはずなのに、薄い布が誰か通り過ぎたみたいに動いた。

耳の奥に、ほんのかすかな「きしみ」が入った気がした。

ソファが、座面の布を擦ったときの音。

昔、親父が腰を落とすたびに鳴っていた音。


……気のせいだ。

そう思い直そうとした瞬間には、揺れは消えていた。

室温も、匂いも、何も変わらない。

自分の心だけが、取り残されたみたいにざわついている。


テレビをつけた。

ニュースの声が立ち上がるまでの、ほんの一瞬。

黒い画面が、居間を映す。

その反射の中で、ソファの一角だけが妙に暗い。

誰かの輪郭が、そこにあるように見えた。

もちろん、何もいない。ソファは空だ。

けれど、俺の視線はそこに吸い寄せられる。

親父がいつも座っていた場所だった。

背もたれの角、肘掛けの位置、リモコンを置く癖。

笑うときに膝を叩く癖。番組に向かって勝手にツッコミを入れては、

俺を振り返って「なあ?」と同意を求める癖。


……帰ってきてるのか。

口に出すと、部屋が恥ずかしがるみたいに、いっそう静かになった。

そういえば今日は日曜日だ。親父が好きだった番組の時間だ。

ニュースからチャンネルを変える。

いつもの音楽。いつもの司会者。

親父の好きだった、どうでもいい雑談のテンポ。


俺は、ソファの「隣」に腰を下ろした。

手を置いた座面が、少しだけ沈んだ気がした。

最初からへこんでいたのか、それとも今、誰かの重みがそこにあるのか。

確かめるのが怖くて、視線はテレビに固定したままにする。

画面の中で芸人が大袈裟に驚く。いつもなら親父が笑うタイミングだ。

「そうはならんだろ!?」

ツッコミで俺が言うと、ほんの少し遅れて、

ソファがまた「きし」と鳴った。

返事みたいに聞こえた。


思い出が勝手に溢れてくる。

親父が笑っていた場面、呆れていた場面、急に真面目な顔になる瞬間。

俺は、自分の声で親父の口調をなぞる。

わざと同じタイミングでツッコむ。隣にいるつもりで。

気づけば、部屋の冷たさが和らいでいた。暖房を入れていないのに。

俺の肩の力だけが抜けていく。


番組が終わる。

エンディングの音楽が途切れた瞬間、また、ふっと空気が動いた。

カーテンが揺れる。

ソファの沈みがほどけていく感覚が、ゆっくりと戻っていく。

温度が一段だけ下がる。

戻ったんだな。

そう思った。


テレビを消す。黒い画面に居間が映る。

その一瞬、ソファのその場所だけが、わずかに曇って見えた。

しかし、何もない。ただ、そこに「誰かの居た跡」だけが残っている。


俺は立ち上がって、仏壇に線香を一本立てた。

火が点き、煙が細く上る。香りが部屋の空気を少しだけ柔らかくする。

「また、いつでも帰ってきなよ」

声が震えそうになって、途中で笑ってごまかした。

親父が生きていたら、こういう言い方を嫌がっただろう。

照れるタイプだった。死んでからのほうが、素直に言えるなんて皮肉だ。


そういえば、親父は食い意地が張っていた。

番組の後はいつも、何か甘いものを探しに冷蔵庫を開けていた。

俺が笑うと、「お前も食うだろ」と言い訳みたいに追加で買ってくるのだ。

……夕食にも来るかな。

そう思ってしまった自分に、俺は気づいた。期待している。

会いたいと思っている。


棚の奥から、親父の好きだった菓子を取り出す。

冬になると、決まって買っていたやつだ。

包みを開けた瞬間、甘い匂いが立つ。皿に載せて、仏壇の前に置く。

「ほら、用意した」

返事はない。けれど、その夜、居間の冷たさはどこか遠かった。

冬の始まりの寒い一日。わずかな時間だったが、暖かい一日になった。


そういう日が一日でも増えるなら、また頑張って生きていける気がした。


(完)

私の好きな言葉で「なにを一番愛しているかは、失った時にわかる」という言葉があります。

当たり前に存在している時にはわからない価値。

失ったものの大きさは、後になり後悔と共に重くのしかかってきます。

声とは表現が違う。そんな想いを文章にしてみました。

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