番外編「甥と叔父の冬休み」
多忙を極めている夫は、年末年始数日を
休めるが夏休みなどはなかった。
最初からそうだったので別に気にしていない。
適度な距離感が夫婦関係を円滑にしていると思うし、
家族には愛情を注ぐ人だ。
目の前で繰り広げられている光景がほほえましい。
「砌、冬休みは藤城の家に行こうか?
ママと旅行に行くからおじいちゃんとおじちゃんと過ごすんだよ」
「グランパ、大好き」
父は、砌からグランパと呼ばれて至極満足気だった。
(グランドファザーの口語表現か。
どうせ小さいころだけしか呼んでくれないとは思うけど)
夫の陽は、砌を抱き上げて頬ずりしている。
見た目はよく似た親子だと思う。
希望的観測は、私や陽には性格が似ず
真っすぐに育ちそうな気配があることだ。
ただ10年以上経ったころは恐ろしいことにはなりそうだ。
今でさえ幼稚園の先生を大好き。将来は結婚してと
言い放っていると話に聞いて赤面した。
普通に女の子の友達とも仲がいい。
「お母さん……お父さんと二人でゆっくりすごしてね!
僕グランパと青にぃとたのしくしてるから」
上機嫌の砌が、こちらに笑みを向けている。
「一応言っておくけど、二人に迷惑かけないでね。
あなたと違ってお仕事やお勉強がある人達なんだから」
4歳の子供に言うには難しい内容だったかもしれない。
砌は、きょとんとして大きくうなずいたが、
嫌な予感がしてたまらなかった。
後で、父を通じて弟から小言を言われるだろうか。
(いや……ないか! 不器用なだけで
砌と遊ぶの楽しんでるんだろうし)
13歳離れた中二の弟は、利発で見目麗しく
すべてに優れた少年だった。
今はまだ女性に見間違われる中性的な雰囲気もある。
「明日まで砌をよろしくね。
何か悪いことしたら叱ってやって」
藤城家の玄関先では、家政婦の操子と弟の青が出迎えていた。
青は、無表情に見えて顔には『また来たのかよ』と書いてある。
(ぶふ……たまには刺激が必要でしょう。
お勉強ばっかりじゃ退屈だものね)
「お姉さまと義兄さまは、ゆっくり旅行を
楽しんでくださいね。
一日程度なら、幼児の相手くらいできますから」
「青、ありがとう。お土産買ってくるから楽しみにしててね!」
頭を撫でようとした陽の手を上手く避けて背を向けた。
(何年たってもハグはできないだろうから諦めなさい……陽)
「お義兄さま、お義姉さまをくれぐれもよろしくお願いします。
明るく見せていても本当はまだつらいと思うんです」
大人びた発言をされ戸惑う。
一年前のことなら身も心も傷は癒えているのだから大丈夫なのだ。
きっと彼の中に何かをもたらし将来に関する意思決定に繋がった。
(退院した後うちに遊びに来てくれた時、泣いてたな……)
「ありがとう……青は本当にやさしくていい子だね」
陽はさりげなく青の手を握り微笑みかけていた。
今度は拒絶しなかった。
「……行ってらっしゃい!」
ふい、と背中を向ける姿は子供らしくてかわいかった。
砌は青の服の裾を掴んでいる。
無愛想に見える叔父を兄のように慕っている。
本質は理解しているからわが子も賢い。
青はリビングのソファに座り、隣には小さな甥を座らせた。
「せいにぃはママのおとうとなんでしょ」
「今までそんなことも知らなかったのか?」
(子供はよく寝るしあと二時間くらい耐えればいいはずだ)
「ええと、ママの弟ということはつまり僕のおじさん?」
「そうだよ。叔父さんと呼べばいいだろ」
退屈な会話に疲れが押し寄せてきた青は頭を抱えた。
(学校でクラスメイトと接する方がマシ……いやそうでもないか。
小さい子供の方がもっと単純で扱いやすい)
「うーん。おじさんって似合わないから、
せいにぃでいい」
青はあきれた。
別に無理にそう呼ばせるつもりはない。
「……お前の好きにしろ」
「あのね、昨日、せんせいにこくはくしたの」
「……お前、クソガキのくせにやるな。
夏休みにもほざいてたが」
「せんせいは結婚してるの。みぎりくんが大きくなる頃には、
素敵な子とお付き合いしていると思うわよっていわれた」
「その先生、子供相手に何言ってんだ。
理解できるわけねぇだろ」
青はため息をついた。
甥の行く末など知ったことではないが、
マセガキ一直線なのだろうことは間違いない。
(環境が人を作るんだよな……まったく)
「何にしろ不倫はよくない。
諦めて他を探すんだな」
わからないと思いつつアドバイスをした。
「同じクラスにはかわいいって思う子が、なかなかいない」
「クソ腹立つガキだな」
額を人差し指で小突いた。
「男の子で何かとかまってくる子ならいるんだけど。
関西弁を使うんだ」
「……へえ。貴重な友達は大事にしろよ」
「大事にするからピアノ弾いてよ!
青兄のピアノは、すごいんだってママもよく言ってるよ」
「翠からは聞いたことねえけど。
お前が好きな曲……年代問わずみんな大好き
ジブリでも弾いてやろうか」
青は、本人の前では言わないが影や心の中では、
姉を呼び捨てにしていた。
「まじょのたっきゅうびんがいい」
甥から出てきた映画タイトルは意外なものだった。
「……メインテーマか、それとも」
「るーじゅ」
「わかったよ。めんどくせぇけど弾いてやる」
いまいちよくわからないと疑問符を浮かべる。
(ちびっこならみんな履修済みの森のお化けのアニメじゃないのか。
ルージュの意味もなんもしらんだろ。全部言えてねぇよ)
青は、リクエスト曲を弾きこなした。
砌が小さな手で拍手をしているようだ。
「……上手いね!」
無邪気に褒められて、うっかり照れてしまった。
「お前は弾かないのか。ここのピアノは誰でも
弾いていいんだぞ」
「……聞く方がいい」
きっぱり言う砌の頭を撫でてやった。
青は週に二度、家にピアノ教師を呼び一時間のレッスンを受けていた。
砌の年齢の頃は、ピアノが救いだったのだ。
「あ、グランパ!」
砌がリビングの入り口に向かい駆け出していく。
砌の祖父であり青の父である隆が、帰宅していた。
「翠に電話もらってから砌に会えるの楽しみにしてたよ!
おじさんには優しくしてもらってたかい?」
「せいにぃ、がらがわるいけどやさしいよ」
青は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「うんうん。青は優しいからね。
お兄ちゃんみたいなおじさんだ」
「僕はずっとせいにぃでいいよ」
「そうかそうか。そろそろ晩ごはんにしようか?
操子さんが作り置きしてくれてるよ」
「お父様……一度部屋に戻ります。
お疲れの所申し訳ないですが砌をよろしくお願いします」
青はぺこりと頭を下げてリビングを出ようとした。
「やだ」
「なんだよ……離せ」
足元にまとわりいた幼児を払いのけられず困惑した。
「砌、青は思春期なんだ。一人にさせてやってね」
「ししゅんき……、わかった」
青は、父親の言葉を背中に聞きながら階段を駆け上がった。
夕食の時間、藤城邸はにぎやかな声が響いていた。
「せいにぃがピアノひいてくれた。
リクエストをきいてくれたんだよ」
「それは、幸運だったね。
青は家族の前でもめったに聞かせてくれないんだよ。
ピアノの先生が来るのは昼間だから、
私はきけないしね」
「残念そうに言うな。
休みの日とか、俺の部屋に来て聞いたりするだろ」
「……えっ。気づかれないようにしてたのにばれてた?」
「バレバレです。お父様」
「いいなあ……うちにもせいにぃ来てくれないかなあ。
ピアノ、あるのに最近誰も弾かないの」
「……冬休み中に一回だけな」
青は頭の中でスケジュールを確認しているようだった。
「すごいね! 砌は甘え上手の策略家だ」
「さくりゃくか?」
「子供にわからない単語を使わないでください」
藤城家の家政婦である操子が作った料理は、
五十代、十代、四歳が楽しく食べ終えた。
青のテンションだけが他の二名より低いため、楽しかったかどうかはわからない。
夕食後、祖父と孫の二人は一緒に入浴した。
部屋に戻り学校の勉強をしていた青だったが、
低い位置からドアを叩く音を聞きドアの方に向かった。
「……何か用か?」
「青にぃ、いっしょにねよう」
「おじいちゃんと一緒に寝ろ。俺はまだ勉強中だ」
「邪魔しないから、一緒にいていい?」
内心は非常にうっとおしかったが、
泣かれると面倒なので部屋の扉を開けてやった。
(チッ)
とここと部屋に入ってくる。
階段をよじ登る時は大丈夫だったのかと気になった。
「何でそんなに甘えてくるんだよ。
俺に媚び売っても徳はないぞ」
(バカなのかは、喉の奥に封じ込めた)
「だいすきだから」
どうやったらここまで無邪気でいられるのだろう。
相手は四歳。
自分もこの年頃を経て今があるのだが、ここまではなかった。
青は砌を抱き上げてソファーの上に座らせてやった。
自分はデスクに戻り教科書とノートに向き直る。
しばらくすると寝息が聞こえてきた。
「……風邪ひいたら俺の責任になるだろ」
子供用の毛布を持ってきてかけてやり寝顔を見つめる。
(こうしてみると愛らしいかもしれない)
離れようとしたら服の裾を掴まれたので、引きはがした。
青が眠りについたのはそれから一時間後、午後10時のことだった。
翌日、藤城邸の玄関には葛井陽が訪れていた。
砌は父親に抱えられてとてもうれしそうだ。
陽は、義父であり勤務先の病院の上司である男性に頭を下げた。
「昨日はありがとうございました。
砌はいい子にしてましたか?」
「青とすごく仲良くしてたみたいだよ。
かわいい様子を二人にも見せたかったな」
「院長……いえ義父さん、写真に撮っといてくださいよ!
マウントとられてショックです」
「……あんたら、ふざけんな」
父親と17歳離れた義兄は、
意味不明の会話を繰り広げていた。
「私も見たかったわ!」
後ろから現れた翠はにこにこと微笑み、
順番にお土産を渡していく。
「青、砌と遊んでくれたお礼よ」
「……、ありがとうございます。
頻繁なのは困るけど新鮮で面白かったです」
「それならよかったわ。
お土産は傷まないうちに食べてね」
優しい姉が特に甘いものが好みではない弟に渡したのは、
キャラクターの描かれた人形焼きだった。
陽は義父に温泉地の地酒を渡している。
「青、大きくなったら一緒に飲もうね」
「中学生の子供にふざけた医者ですね」
冗談を真顔で受け止めた青は、義兄にツンと毒を吐いた。
「三人で飲み会しよう!」
「大人になった時に覚えていたら……いつか」
若干、ほほが赤くなっているように思えたのは見間違いではないだろう。
翠は陽と砌と共に藤城家を後にした。




