番外編「あなたになら騙されてあげる」
20年前の翠さんと陽さんを書いてみました。
バーカウンターよりは少し後の時間軸です。
青も出張っております。
夢の国連行エピソードは極上Dr.の番外編「fall in blue」にて。
陽さんはとんでもなくいい男かもしれない。
現在の関連作品では40代だけど20年前からやばかった。厳しい時は厳しくちゃんと言ってくれる大人の男。この時、24歳。
院長室の扉を開く。
珍しい先客がいてきょとんとする。
大学二年の私に対し、13歳下の弟は7歳。
その年齢にしてはしっかりとした立ち振る舞いをする。
母を亡くしてから瞳に暗い影を落としているが、
彼は、それでもこちらから目をそらすことはない。
きりりとした青い瞳に、黒髪は小さな王子様のようだ。
元々の薄茶色の髪をブラックのヘアカラーで染めているのは、父。
目立つからということだったが髪や目の色を変えても、
顔の造作だけは変えようがない。
同じ六分の一イギリスの血を引いているが、
私の方は父方の顔立ち。
弟の青は、母の血を受け継いでいた。
「……人の顔をじろじろ見ないでくれますか。
大学生になっても基本的な礼儀がなってないんだから」
「ツッコミが遅いわよ? ここで何してるの?」
「お父さまに聞きたいことがあって待ってるんですが……
お忙しそうなので家に帰ろうかなと思った所です」
「そうなの!? じゃあ私も帰ろうかな。
今日は恋人の姿を見に来ただけなのよ」
「葛井さんならさっき見ましたよ。
あなたと違って忙しそうなので、あきらめて帰った方がいいです。
彼とらぶらぶで浮かれているのはわかりますが」
正論を言われてぐうの音も出ない。
「……医学部六年生の忙しさはわかってるの。
いるってのを確かめたかっただけ」
青は無視して部屋を出ていこうとした。
「何が聞きたかったの!?」
「あなたには関係ないです」
ツンとした態度だが耳元が赤い気がした。
病院の後は実家に寄ることにした。
一人暮らしを始めて一年。
定期的には帰っているが毎日過ごすことはない実家。
リビングで待っていると仕事帰りの父が帰ってきた。
「翠……今日、病院に来ていたの?」
「うん」
恋人の勇姿を見に来ただなんて言えない。
初めてできた恋人のせいか本当に浮かれている。
女子高では女子にモテたけれど、
医大生と付き合うことになるとは思わなかった。
しかも告白されて付き合うようになった。
私の素性を知って、一瞬驚いていたが、
気にしていないようだった。
実習している病院の長女と医大生。
私が、医大を目指していれば彼と出会わなかったかもしれない。
「頑張ってるよ。卒業して医師免許を取ったら、
藤城総合病院で働きたいと希望しているとは聞いた。
うれしいな」
「そうなの!?」
「知らなかったのかい?」
「お父さま、学生とそんなに親しく話してるの?」
「いや、彼の方から言ってくれたんだよ。
優秀だから、彼がうちに来てくれるの楽しみだ」
「私のことを気にする人ではないから、
自分の意思だけで決めたんだろうな」
「もしかしたら翠との将来を考えているのかもしれない。
医師の夫と結婚したい夢は話したことあるの?」
「……あるような。でも、陽と出逢ったのは偶然よ」
「気まぐれで病院に、遊びに来てびびびっと来ちゃったんだ。
よかったね」
「まだどうなるかはわからないわ」
「応援しているよ。翠には幸せになってほしい」
「ありがとうございます」
「今度、屋敷に連れておいでよ。
青も寂しい思いしてるから」
「もちろん連れてくるけど、距離感がね……」
夢の国連行をしたのは一か月前だ。
はしゃぐ大人をしり目に弟は至極冷静だった。
一人で電車に乗って帰ると聞かないのを必死で止めた。
「そうだね。距離感に気をつけなきゃいけない。
皆、青が大好きだから構いたくなるのはわかるけど」
「……日曜日の午後くらいに呼んでみて。
一緒にお茶をしよう」
陽のマンションの部屋の前で待っていると彼は、帰ってきた。
今日は運がいい。
手っ取り早く用件を伝えることにした。
「陽、次の日曜の午後って時間ある?
よかったら実家に遊びに行かないかなって」
「院長先生が呼んでるの?」
「うん。お茶をしたいって」
「大丈夫だよ。粗相しないように気をつけないと!」
「そんなのしないでしょう」
「……あのお屋敷、だだっ広くて緊張するんだよ。
そうは見えない?」
「その嘘眼鏡のせいでわからないわ」
陽は目の前で眼鏡を外した。
度の入っていない眼鏡を一日中かけているが、
周囲は度なしだと知らないことだろう。
「待っててくれてありがとうとか
言うと思ったの? こんな時間まで
危ないにもほどがあるだろ。
誘惑には負けないと自負する君だけど、
力の強い男の手を振り払って逃げられるのか?」
ぐい、と手首を掴まれる。
力はこもっていないが、気迫を感じる。
「……ご、ごめんなさい。少しでも会いたくて」
「僕から会いに行くから週末まで、
いい子で待ってるんだよ」
「泊まっていっちゃ駄目?」
「駄目だ」
陽は、あっさりと私を退けた。
「今は俺の言うことを聞いてくれないかな?」
「はい……」
「時々、君は想像を超えた行動をしてこっちを驚かせる。
こんな姿を見られるのは僕の特権ってことかな」
間近で見つめられると心臓が跳ねる。
童顔の綺麗な顔立ちだが、確かに彼は大人だった。
「帰るわ……」
午後八時。
そんなに遅い時間でもないし、私のマンションまで電車で一駅だ。
「送っていくよ」
厳しくて優しい恋人は私の手を握り愛車の場所まで連れて行った。
帰り際、交わしたキスは胸が苦しくなるくらい情熱的だった。
日曜の午後、待ち合わせをし陽の車で実家に向かった。
玄関で待ち受けていた父は、腕を広げていた。
「……割とオープンなコミュニケーションを望む人かな」
「寂しがり屋だから」
少し離れた場所から耳打ちで会話する。
父と陽は同じくらいの身長だとあらためて気づいた。
10センチ以上違うから背伸びしなくては届かない。
「ヒールのある靴を履けばいいのに」
「……170センチ超えるから履かない」
「背伸びする君もかわいいけどね」
とどめを刺された。
悔しいが頬を染めてしまう。
彼以外、交際した人がいない事実に打ちのめされることもある。
全部が初めてでうれしい。
過去のあれこれで嫉妬するほど子供ではないが、
陽は慣れている。どう考えても。
気負うこちらとは違い、父の胸に飛び込んだ。
「いらっしゃい。よく来たね」
「お邪魔します。歓迎してくれてありがとうございます」
「翠の恋人だから当然だよ」
自分からは抱擁を返さずされるがままだ。
受け身じゃなくて、その内自分からも抱擁を返す未来は見えるが。
距離感を測りかねているのだ。
「翠はいい?」
「この年で父親とハグは抵抗感あるわ」
「……陽くんと付き合うまではしてたじゃないか」
役目が変わっただけ。
屋敷の中に入ると、弟が玄関にいた。
「いらっしゃい……」
一言伝えると二階に駆け上った。
陽が残念そうにつぶやく声がする。
「ああっ。抱きしめられなかった!」
「大げさに声を上げないの。
私も何年もしてないわ」
「玄関で出迎えてたってことは、歓迎してたってことだよ。
青のハグまでたどり着くにはあと20年はかかるかな」
リビングへと誘導しながら父はくすくすと笑っていた。
「その頃、翠と結婚してるといいな。
俺は医師として活躍してるんだろうか」
「……先の話はしない!」
父に淹れさせるわけにいかないのでお茶を淹れてきた。
紅茶の好みを把握して三人分ぞれぞれ用意する。
陽はストレートで私がミルクティー、父はレモンティーだった。
「そんなに会ってないからか心の距離が一ミリも近づかないよ」
「夢の国に連れて行ってくれたの感謝してますって、
言ってたんだけどね。照れ隠しかな」
(機嫌損ねたわけではなかったってことか)
「ツンツンデレなんだから」
三人でティーカップを傾ける。
「緊張しなくてもいいよ。ここにいるのは実習先の院長ではなく
恋人の父。さあオープンマインドでいこう」
「翠さんとは、真剣交際をさせていただいてます。
卒業して医師になってから言えと思われるかもしれませんが」
父は優雅な微笑みを浮かべている。
「二人の気持ちは燃え上がってるのはよくわかってる。
わがままな翠に半年もよく付き合ってくれてるよ」
「……時々、僕を困らせてはいますけど、
許容範囲です。かわいくて仕方がないんで」
父の目の前にかかわらず手を握ってきた。
「ちゃんと言ってくれるからすがすがしいね。
翠が出逢ったのが陽くんでよかったよ」
少し気恥ずかしくなってきた。
「個人的にも、院長……いや隆先生は大好きなので
これからも仲良くさせてください」
和やかに時は流れた。
1ヶ月後、お化け屋敷のあるテーマパークに行きたいと言い出した陽に連れられて浅草に来た。
お化け屋敷なんて、子供の頃に行って以来だったし、私の方がいつも彼を振り回していた手前、何も言えない。
(車に乗せてもらえるんだから電車より楽)
「翠、今日は一日かけてたくさん遊ぼうね」
「そうね。大人だって遊園地来てもいいもの」
「お化け屋敷、手がこんでるわね」
「……怖すぎる。どこから声がしてるんだよ」
陽は思いきり抱きついてきた。
本気で震えている。
長身の身体を震わせて私にしがみつく彼からは、
甘い香水の匂いがする。
どくん。
心臓がひとつ鳴った。
「行きたいって言ったの誰なのよ」
「僕だっけ」
わざとらしくとぼけた。
スタッフの人が頑張ってるのに、
下手なことは言えない。
「……お祈りして出ましょ。
頑張ったあなたにご褒美あげるわ」
「言質はとったからね?」
ぐいぐい手を引っばられて、お化け屋敷の出口をめざした。
熱のこもった演技をした人達に拍手を送りたい。
子供が泣いているのは見ていてかわいそうだったけど。
(将来、ここに来るのかしら)
お化け屋敷から出たあとは、
残りのアトラクションを巡った。
お土産を買って遊園地を出る頃には、夕方過ぎていた。
「楽しかったね。なかなか有意義な一日だった」
「……たまには気が抜ける日があってもいいわよね」
「これから家に来る? 君の大学は明日、午後からだったよね」
「行くわ」
陽の部屋でお茶を飲んで、一緒にごはんを作って食べた。準備から片付けまで手際よくてむかついたけど、
彼は何だってできる人だから。
朝なんて来なくていい。
帰りたくないって、思いながら
甘い夜を過ごす。
お風呂に入ったから香水の匂いなんて
消えていて同じボディーソープの匂いだけがした。
「家庭教師なんてやめて、お化け屋敷でバイトしたら?」
「……人を怖がらせるなんてできないな」
「ここでは演技してないでしょうね?」
「こんな時に因数分解を延々と解いてたら嫌だろ」
耳元でささやかれると肌が震える。
(溺れていないなんて許さない)
「あなたの俺って素?」
「ほんの一部だよ」
理性を保つのは、その時だけでいい。
キスをして、強く抱きしめ合いながら、
またを願うの。
「陽、好きよ」
「ああ。俺もだよ」
問おうとした唇はキスでふさがれた。
「……少し足りないかな」
彼とこの先の人生を生きていくって、
最初から知っていた。




