抱擁まくら
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
白銀の抱擁。
雪に埋もれた最期のことを、そのように表したことがある。
ただ埋もれるのではなく、抱擁。抱き着いているという能動的な表現をすると、いかにも自然現象に意思があるような気がして、好みの味になるのだよねえ。
古来、抱擁とは相手の無事を確かめあうことを含め、重要な意味や効果があるものと考えられてきた。
人同士、ぬくもりを分かち合うというのも、相手の存在を強く感じることのできる行いだし、他者あってはじめて自分が分かるといわれる人の特性上、ありがたいことだろう。
抱きしめるものがあってこそ、落ち着くことができる。これは何も生き物同士に限ったことじゃない。
僕の昔の話なのだけど、聞いてみないか?
年子だった弟と、まだ同じ部屋で寝ていた小学生のころの話だ。
弟はけっこう寝相がすごくてね。部屋の明かりを消して、一緒に寝入ったとしても、しばらくするとこちらを蹴り飛ばしてくるんだ。
しょっちゅうではなく、70パーセントくらいの確率かな。蹴ってこないときでも、ふとんを引っぺがすわ、敷布団の上をくるくる回って頭と足が逆になるわ、単純に兄が嫌いなだけでここまでやらないだろう。
そして、たまにほとんど動かないときがあったりすると、たいてい枕を抱きしめている。
頭を乗せていたはずの枕を、寝返りついでに引き寄せると、ぎゅううっとハグをかますんだ。
はために、かなりの力を込めているように思えた。
ただでさえちっこい枕は、抱きしめられているうちに、どんどんと弟の身体へ押し付けられていく。
柔い材質も手伝って、くわえられる力のまま、身体をどんどん潰されていき、しまいには弟の上半身に完全に包み込まれてしまうことしばしば。
「おめえ、彼女にやるときはもっと加減してやれよ?」と思いつつも、こいつはどうにも異常だ。本人もこの間、まったく感知していない様子だったよ。
そこで導入されたのが、抱き枕だったわけだ。
サブカルにあるようなキャラや動物を模したようなものじゃなく、模型で見る胃のような格好をした、医療用抱き枕なやつだったね。
横向き寝に適応し、快眠の助けになるとのことだったけど、僕からしてみると、こいつを抱くようなことしたらかえって寝づらいんじゃね? というのが第一印象だった。
ひとまず、ものは試しと兄弟二人きりの布団に、ニューチャレンジャーといわんばかりに乱入してきた抱き枕。採用されたその日から、弟との取っ組み合いに臨むことになった。
一流のレスラーは、たとえカカシ相手であっても手に汗握るレスリングを展開できる、と聞いたことがある。
今回の弟対抱き枕は、さすがは抱き枕の面目躍如というか。弟の圧力を受けて、むざむざ潰されるような無様はさらさない。弟のベアハッグを正面から受けて、当然ながら逃げ出すこともしなかった。
技を受けるのはプロレスの基本と聞いたけど、相手の力を真正面から愚直に受け止めるなど、非生物じゃなきゃ音をあげているところだろう。まあ、こうしている今も「きしみ」はあげているわけだが。
抱きしめながらも、いつもするような寝返りの悪さは見せない。この点でもくろみの一部は功を奏したといっていいだろう。
が、抱き枕はそのぶんの圧まで受け止めて、ますます弟にからまれていく。
当初は腕だけだったのが、そのうち足をまたぐようにからめ出し、いまや自分の肩に抱き枕の頭部分を乗せている始末。
「おめえ、この調子でファーストキスまで抱き枕に捧げるんか? やめとけ、やめとけ」などと思いつつ、僕もなかなか眠れずにいる。
だってさ、はためにめちゃくちゃうるさいんだよ? 寝言いったりはしないけれど、抱き枕側の悲鳴ってやつがさ。
間に壁どころか、薄い布団一枚あるかどうかの「秘め事」をどうやって無視しろというのかってやつさ。
でも、おかげで唯一の目撃者になることにもなったけれど。
目をつむっては、音で起こされるのを繰り返され、どれくらいが経っただろうか。
これまで聞こえてきた「きしみ」がふと止んで、僕はまた何度目かになるか分からない目覚めをする。
弟はこちらへ背を向けたまま、動かずにいた。「ようやく、おさまったか……」と安堵するのも、最初のうちだけ。僕はほどなくおかしいことに気づいた。
弟の肩が、いや身体が上下していない。普通なら呼吸をするときに、身体の動きが見られるところなのに、それがまったくない。
もしや、と起き上がって、背中ごしに弟の顔の前へ手を持っていく。手のひらに、いつまでも弟からの息は当たってこない。
「これは、まずいんじゃ!?」と、完全に立ち上がって、僕はそれを見る。
弟が元いた位置、パジャマを着こんでいたのは例の抱き枕だったことを。
そして生まれたままの姿ながら、その色は抱き枕本来の白く染まる弟が抱かれているところを。
驚いたが、よく見ると弟と抱き枕が入れ替わっているのが、上半身のみという状況にまた息を飲んじゃったよ。
見間違いかと目をこすっている間に、先ほどまでは元のままだった足の先が、弟と抱き枕でぱっと入れ替わるのを確認する。
――これ、枕に乗っ取られるぞ!
子供ながらの直感だった。そしてこのまま引きはがすのもまずいと思った。
弟と枕がつながっているこの状態を引きはがしたら、いわば接続を断つようなもので戻れなくなる。なんとしても、弟の部分をもとへ戻さなくては、と。
マニュアルがないなら、本能だ。
僕は弟の身体になりかけている枕の上へ両足で立つと、容赦なく体重をかけた。チューブの中身を無理やり絞り出してやらんとする動きで、何度も足踏みをした。
音も振動も大きかったようで、両親が部屋へ飛んでくるまでにそこまで時間はかからなかったし、うるさくするなと怒られもした。
けれど、そのときにはもう枕も弟も元通りの姿へ戻っていたんだよ。
弟の寝相の悪さ、力の入れ方。あれはどこか、自分自身をそこへとどめ置くために必要な儀式だったのかも……などと、僕はこの一件で感じたよ。あいつが落ち着く中学生あたりまで、それとなく気にかけていた。
ヘタにすべてを受け止めてくれる相手だと、つい身を任せてしまうこともあるんだろう。文字通りにさ。