7.雨宿り
「俺が、君以外の女性と…?」
訝し気な顔で言う王子に、瑠璃は頷いた。彼はしばらく考えていたが、困った様子でその女性の特徴は分かる?と聞いてきた。記憶を辿ると、後ろ姿が思い浮かぶ。
「確か、私より背が小さくて、お洒落な服を着てた。緑色の髪飾りで、ハイヒールをしていて。茶髪だったかな…。」
王子は再び真剣な顔で考え込んでいたが、ふっと表情を崩すと顔を横に振った。
「ごめん。知らない人かも…。俺はその人と何か話してた?」
「うん。待ち合わせしてるみたいで、どこかへ行こうって。」
その途端、彼は顔をしかめた。不服そうにつぶやく。
「…所詮夢でも、なんか嫌だな。姫の前でそんなことするなんて。しかも腕時計を拾っておいて…。」
何も言わず両者の間に沈黙が流れる。瑠璃が慌てて何か言おうと口を開きかけたが、王子から放たれている只ならぬ雰囲気を感じて口を閉じた。下手に何も言わない方が良いように思えた。しばらくして彼は静かに立ち上がると、瑠璃に向かって優しく微笑んだ。
「一旦、騎士団長の様子を見てくるよ。春の猫もどうしたか気になるし。ゆっくりしていて良いからね。」
「うん。分かった。」
王子が部屋から出ていく。部屋に取り残された瑠璃は暖炉の方へと駆け寄った。仕事を服を手に取り、その場に座り込む。ちゃんと乾いているかを確認する。その瞬間だった。
突然、部屋の扉が静かに開いた。瑠璃が視線を向けると、見たことのない女性が立っていた。茶髪の縦巻ロールをしていて、姫より装飾の多い、白色のドレスを着ている。身長は瑠璃より少し低く、静かにこちらを見つめている。部屋の中へ入ると、扉を閉じた。仕事服を持ったまま座り込んでいる瑠璃に近づいてくると、上から見下ろした。
「ねぇ、いつまでここに来るつもりなの?」
声色が妙に冷たかった。瑠璃が返答に詰まっていると、相手は重々しく溜め息を吐いた。
「この際だから、全て教えてあげようかしら。貴方がここにいると、面倒なのよ。どこから入って来たのか知らないけど、この世界に勝手に入ってこないで。分かった?」
高圧的な態度に瑠璃は小さく頷いた。だが、全くわけが分からないので、少々不満な顔をしながら疑問をぶつける。
「でも、どうして?」
相手は小さく舌打ちをした。
「……ほんと、貴方のそういうとこ、嫌い。でも良いわ。金輪際ここに来ないって約束してくれるなら、教えてあげる。その代わり、またこの世界に来た時には、容赦しないわよ。」
脅すように睨みつける視線を受け止め、瑠璃が静かに頷いた。だが、その瞬間だった。
ガラぁン…ガラぁン…。
大きなベルの音が耳元で鳴り始めた。鼓膜が割れるほどの大きな音に、思わずうめき声をあげる。その様子に気が付いた女性は動揺し始めた。
「ちょっと、どうしたのよ。一体何が起こっているの?」
視界がぐらつくのを感じる。相手の女性のドレスの装飾がきちんと見えなくなってきた。耳が壊れそうで、両手で耳を塞ぐ。それでもベルの音は鳴りやまない。
(今までこんなに大きな音じゃなかったのに…。)
相手の女性が何かを叫んでいるが、何を言っているのか分からなかった。扉が開いたのが見える。だが開く音も聞こえない。自分の体がカーペットの上に倒れ込むのを感じた。これもまた何も聞こえない。ベルの大きな音があらゆる音をかき消していく。誰かが駆け寄ってきて自分を抱き起すのが分かったが、一体誰なのか分からなかった。ぼんやりとした視界が徐々に暗くなっていく。吐き気を催した彼女はゆっくりと目を閉じた。
ザアァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
雨音が聞こえて来て、ゆっくりと目を開ける。が、すぐに目の中に水が飛び込んできた。
「わっ。」
慌てて目をこするが、両手も濡れていた。呆けた顔で体を見ると、大半が濡れていた。びくりと体が一瞬震える。
「傘は…。」
震える体を抱きしめながら周囲を見渡す。見る限り持ってた傘はどこにもなかった。呆けた顔で視線を前に向ける。ショーウインドウの照明が、雨の中にいる瑠璃を照らしていた。
(戻って来たんだ。)
呆然と立ち尽くしていたが、しばらくするとくしゃみが飛び出た。体がぶるりと震える。慌ててどこかに避難しようとした時、頭上の雨が一瞬で止んだ。すぐ横に気配を感じて視線を向ける。
「ショーウインドウの中に行ってきたのかい?」
「マスター。」
喫茶店のエプロンを来たマスターが、優しく微笑んでいた。傘を差しだして、瑠璃が濡れないようにしてくれていた。
「店においで。こんなところにいては風邪をひいてしまう。コーヒー、サービスするよ。」
瑠璃がありがとうございますと言うと、マスターは笑った。雨の降る勢いが少しだけ和らいだ。
テーブルの上に差し出されたコーヒーを一口飲む。温かい液体が喉を通っていく。思わずほうと息をついた。
「この雨じゃしばらく帰れないだろうから、ゆっくりしていきな。」
「すみません、定休日なのに…。」
マスターは良いんだよと笑った。コーヒーを追加で一杯入れると、ごくりと飲む。カウンターの席に腰かけながら、うーんと唸った。
「自分で言うのもなんだが、なかなか悪くない味をしてるな。店を出すのも頷ける。」
瑠璃が笑うと、マスターも声をあげて笑った。近くの席にかかっている膝かけを掴むと、寒いだろうから使いなさいと彼女に渡した。エアコンの温度調整をして、再びカウンターの席に座ると瑠璃の方を見た。
「どうだったかい?ショーウインドウの中は。何か進展があったかい?」
瑠璃が返答に詰まっていると、マスターは何かを察した様子で頷いた。席から立ち上がると、近くの棚をガサゴソし始める。しばらくすると、一枚のノートを取り出した。
「実は最近、ノートを見つけてね。君に紹介しようかと思っていたんだ。」
「……マスター。その…実は…。」
瑠璃が話始めようとしたのを察して、マスターがノートをカウンターの隅の方へ置いた。新しいコーヒーを作り始める。
「新しいコーヒーでも入れながら聞こうか。おかわりいつでもどうぞ。なにせ、もう一杯私も飲みたいからね。」
コーヒー豆を挽く音が響く。定休日のため、店内の優雅なジャズはかかっていない。そのせいか、やけに静かな空間のように感じた。瑠璃が今まで起きたことを全て話していく。マスターは時折相槌を打ち、コーヒーのおかわりを適度なタイミングで作ってくれた。外の雨音が少しだけ激しくなったところで、瑠璃が話を終えると、マスターは成程とつぶやいた。
「……まさか、ショーウインドウの中がそうなっていたとは…。ますます私も行ってみたくなったよ。」
瑠璃が静かに微笑む。体の震えはだんだんと収まってきていた。
「白いドレス…赤と銀の騎士…白い王子服か。やはり関係あるかもしれない。少しは私も君の力になれるかもしれないね。このノートを見つけてよかった。」
コーヒーを作る手を止め、マスターがカウンターの席へ移動する。テーブルの端に置いてあるノートを手に取ると、瑠璃の傍へ来た。どこにでもあるノートで、見る限り題名は書かれていない。彼女が不思議そうにノートを見ていると、マスターが言った。
「二人を結ばせないでと言ってきた女性は気になるが、とにかくショーウインドウの秘密に少しでも近づけるかもしれない。その最後に会った女性から情報を得るのが出来なかったのが惜しいけど、このノートがその代わりになれば幸いだ。」
ノートを開く。そこには沢山の写真が貼られていた。一ページ目に貼られている写真を見て、瑠璃が思わず息を飲む。
「赤と銀の騎士服…。」
背景には大きな城が描かれている。もう一つのマネキンは緑と金色のドレスを着ていた。マスターが静かに頷いた。
「数年前のショーウインドウの写真でね。この頃のショーウインドウの飾りつけは、こんな感じに童話っぽいようなものが多かったんだ。時折動物のようなものも飾られていた。なかなか素敵なショーウインドウでね、当時の私は写真に残していたんだよ。向こうの君が着ていた服は、もしかしてこれじゃないかと思ってね。」
そう言って何枚かページをめくると、一枚の写真が目に飛び込んできた。二体のマネキンがそれぞれ白い服を着ている。一体は真っ白な王子服、もう一体は無地の真っ白なドレス。背景には大きなベルと花吹雪。見覚えのある服に瑠璃がドレスの方を指差す。
「これです。向こうの私が着ていた服はこの服でした。」
「やっぱりそうだったか。この服を境にね、少しショーウインドウに飾られる服の雰囲気が変わってしまったんだよ。」
次のページを見ると、確かに変わっていた。以前の童話のような服は無く、流行りのスーツやよく見るような私服が飾られている。背景も現実にあるような道路やビルが映り込んだ街角とかだ。
「どうして、こんなに変わってしまったのか、私も分からなくてね。以前のショーウインドウが好きだったから、非常に残念だったのを覚えているよ。ただ、聞いたところによると、飾りつけをするデザイナーが変わってしまったらしい。」
その時、喫茶店の扉が開いた。二人が驚いた顔で入口の方へ顔を向ける。
「CLOSEの立て札が見えたのだけれど、雨がひどくて~。マスター、少しだけ雨宿りさせてもらえませんか。」
「なるべく邪魔にならないようにしますので。」
顔を覗かせたのは、緑の髪飾りをした女性と彼だった。
読んでいただきありがとうございます。
主人公に忠告する謎の女性のご登場です。
一方、マスターが見せたノートには、姫が着ていた服が…。
ショーウインドウの謎に少し近づいたような…?
おっとここで現実の王子がご登場ですね。
って隣にこの前の女性を連れてるッ。
一体どうなることやら…。