6.迫りくる嵐
猫が王子の手からすっと逃れると、上半身を起こしたままの瑠璃の方に近づいてきた。後ろに回ると背中に体をこすりつけ始めた。ポカポカとした温かさが伝わってくる。なんだか花の匂いがした。王子が軽く笑う。
「珍しいな。俺以外になかなか、なつかないんだけど…。くしゃみして震えてるって、騎士団長が慌てた顔で俺の部屋に来てね。あの猫いたろっ、貸してくれって言った途端、目の前で見事に嚙みつかれてたよ。他の人になつかない割には、何故か騎士団長にものすごい噛みつくんだよね。余程嫌われてるんだろうけど、ちょっとかわいそうだったよ。」
瑠璃も静かに微笑む。背中の猫が嬉しそうにゴロゴロと鳴いた。
「この猫はなんて言うの?」
「春の猫だよ。四季の動物がよく俺の部屋にくるんだ。他にもいろいろいるよ。ただ、どの動物も気まぐれ屋だから、いない時もあるけどね。ところで…その…。」
先程とは打って変わって、少し困った様子で視線を外した。瑠璃がなんとなく察して、慌てた様子で言う。
「あ…返事…。」
それはその…ごめんと慌てて謝る。だが、王子は違う違うと両手を横に振った。
「その…いやあの、謝るべきはこっちというべきか…。えと、ごめん。なんかその、いつもと違う格好してるから慣れなくて。ちょっと、どうしたら良いか、分からない。」
「え、あ…。」
ちらりと視線を下に向けると、可愛らしいメイド服が視界に飛び込んできた。申し訳ない思いで頭がいっぱいになる。即座に暖炉の仕事服へと目を止めると、慌てて指を指す。脳内が完全にパニックだった。
「すみません、まだスーツの方がマシですよねっ。…いや、スーツもスーツでやばいっかな?」
「いやいや、そんな気を使わなくても大丈夫だよ。ただその…告白した相手に使用人の服を着させてると思うと、その…完全に俺が悪役に思えてきて…本当ごめん。他の服を用意しておけば…いや、他の服があるっていう状況の方が変か。なんかそのごめん。」
その時、部屋の扉が開いた。途端に猫がシャーっと鳴き、入口に向かって毛を逆立てた。驚く二人の視界に騎士団長の姿が入る。何ら変わりない様子だったが、瑠璃の方を見るとおっと声をあげた。
「よく似合ってんじゃねーか。あとはその、雨で濡れた髪をもう少し手入れすれば綺麗になるなぁ。使用人の顔としては真面目そうだし、優等生の雰囲気出てて申し分ないぜ。よく働いてくれそうだ。今この城人手不足だから、いつでも採用受付中だぜ。なー、よく似合ってると思わないか?王子。」
声をかけられた王子がびくっと体を震わせる。気まずい顔で瑠璃と顔を見合わせると、観念した目で騎士団長の方を向いた。瑠璃の横で猫は未だに騎士団長の方を睨みつけている。
「そ、そうだね。ところで騎士団長、騎士たちの様子はどうだい?」
王子の言葉を聞いて騎士団長は何かを察したらしい。すぐに不敵に笑うと、自分の後ろの廊下を親指で指す。
「おー、ちょっとあっちで話しようか?女のいる前で、男くさい訓練の話は無しだもんなぁ。」
声色が完全に変だった。王子がぐっと小さく呻く。騎士団長はそれを見てニヤニヤと笑っていたが、その笑顔は一瞬で消え去った。猫が物凄い勢いで騎士団長のすねにタックルした。
「いっでぇ?!」
かなりの石頭らしく、猫はスンとした様子で騎士団長の足の横をすり抜けていく。そのまま廊下に出ると右の方へ走って行ってしまった。開けっ放しの扉が猫の逃げ道を作ってしまった。騎士団長が呻きながら廊下の方へ体を向ける。苛ついた声が飛ぶ。
「あんの猫野郎っ!俺ばっか狙いやがって。どんだけ頭硬いんだよ。そんなに俺をいじめて楽しいかよ、くそっ。」
すねをさすりながら、廊下の方へ視線を向ける。だが、すぐに思い直した様子で王子の方へ向き直った。先ほどと打って変わって真剣な声で言う。途中で瑠璃の方を見ると、にやっと笑った。
「最近調べてた件がやっぱり本当だったみたいだ。証拠を集められないか、今あらゆる手を使って検討してる。お前も十分気を付けろよ、王子。…んじゃ、お前も雨の中で寝るなよ、もう二度と。俺みたいに優しい奴ばっかじゃないんだからな?あと城で働きたくなったらいつでも言えよ。ここ報酬良いんだぜ?俺がいつでも採用してやる。それじゃ、あの猫追っかけに行ってくるわ。」
そのまま廊下の方へ向き直ると、ものすごいスピードで走り去っていった。瑠璃が呆然としていると、王子が扉の方へ歩み寄り、ぱたんと扉を閉めた。軽く溜め息を吐くと、困ったように笑う。
「騎士団長は俺の親友みたいな存在でね。この城の人事も担当してる。いきなり採用の話するから困ったもんだよ。」
少し伏し目がちになって、笑ってはいるけど本当に困った雰囲気だった。椅子を引いて、座るように瑠璃にすすめてくれた。毛布をきちんと畳んで手に持ち、お礼を言って椅子に座る。王子は毛布を受け取ると、近くのテーブルの上に置いた。すぐに彼女の向かいの席に座り、ところで…と話し始めた。
「どうして芝生の上で寝ていたんだ?あんな雨の中で。」
瑠璃はえっと…と言い淀んだ。ショーウインドウの中に入って、気が付いたらあんな状態になっていたのが事実ではあるが…。必死に頭を回転させて、どうにか良い返事をしようと試みる。
(いっそ私は姫とは違う人っていうのを説明した方が良いのかな…。でも、そうすると告白されたのも私だって言ったらショックだろうし…。例え、告白されたのは姫って言ったとしても…もし姫がこれから私に助けを求めた場合、王子がまた会った時に今は瑠璃?それとも姫?と毎回聞く羽目になってしまう。それでも騙すよりは良いのかな。ずっと騙してるのは良くないよね。でも…本当に話しても良いのかな…。これから何か支障があったら…。)
一人で静かに考え込んでいると、王子がそっと言った。
「別に良いよ。言いたくなければ、言わなくても良いから。言えない場合も言わなくて良いよ。」
「ご、ごめん…ありがと…。」
「その暖炉にかかってる服もきっとそうなんだね?」
彼女が暖炉の方へ思わず顔を向ける。仕事のスーツがある。王子が笑いながら、もう少しできっと乾くよと言った。
「どうして、言えないって…。」
驚いた様子で瑠璃が言うと、彼は簡単だよと笑った。
「だって、君はいつも真っ白なドレスを着ているし、その服しか部屋に無かったはずだから。それに、君はお洒落にあまり興味がないから。他の服を持ってるとこを見ると、何かあったんだろうなって。」
窓に打ち付ける雨音が少し強くなった。二人が窓の外へと目をやる。どこからか、雷の音も響いてきた。王子が窓の傍へと近寄る。少し不安げな顔で見ていたが、すぐにテーブルの方へと戻って来た。
「これは嵐が来るかも…。近くの川が氾濫するかもしれないな。もし良かったら、今日はここに泊まって良いよ。多分、この嵐の中じゃ他に客なんて来ないだろうから。それに君も風邪気味だし。まあ、無理にとは言わないけど。もし帰りたいなら、馬車で君の家まで送るよ。」
瑠璃の頭の中に姫が浮かんだ。一刻もはやく姫に会いたいと思ったが、一度考え直した。
(送るって…それはそれで姫と鉢合わせしたら、同じ人物が二人ってなってしまう。それはそれでマズイかも…。王子に姫と私が別人であることを明かすのは、一度姫に相談してからにした方が良い気がする。)
「じゃあ、申し訳ないけど…ここに泊まっていきます。ちょっとこの雨の中じゃ、帰るのも怖いし…。」
「そっか。分かったよ。信頼できる使用人に君のことを伝えておくよ。寝るのとか、夕食とかもこの部屋になるけど、別にかまわないかな?」
「うん。寧ろ、お世話になるので、一室使えるだけでも充分ありがたいよ。」
それを聞くと王子は良かったと微笑んだ。トイレと風呂は廊下に出て向かいの部屋にあるから、いつでも利用可能だと言い、その他に必要なものは言わずとも使用人が持ってくるよと説明してくれた。外の雨音が一層強くなった。瑠璃はしばらく悩んでいたが、思い切って聞いてみることにした。
「実はその…変なこと聞いても良い?」
「え?…うん。良いよ。」
この間ショーウインドウの前で見かけた光景が脳裏に蘇る。どうにかバレないようにするため、いざ聞く時のためにじっくりと考えていた。真剣な顔で考えた通りに聞く。
「……実はその、変な夢を見てしまって。」
「君はよく夢を覚えているから、すごいよ。どんな夢?」
瑠璃は確信した。
(やっぱりこれなら怪しまれない…。)
瑠璃は親しい友人や家族に夢の話をよくしていた。そのため、この世界の姫も王子によく夢の話をしているに違いないと考えていた。予想は見事的中し、どんな夢かと聞いてきている。そんな夢の話が、実際の現実の話だとは誰も思わない…よね?と思いながら、彼女は話し始めた。
「夢の中で、貴方が私の腕時計を拾ってくれたの。…でもその後見知らぬ女の方と、どこかへ行ってしまって。」
読んでいただきありがとうございます。
主人公と王子の会話再び…ですね。
そこに少しだけ騎士団長も混ざりつつ…と言った感じでしょうか。
なんと主人公、現実で見たあの光景を夢と称して、ずばり!聞いちゃいます。
果たしてちゃんとした答えが返ってくるのか…?
ところで、皆さんは夢の内容は覚えてる方ですか?
私は割と覚えてます。一番驚いたのは、夢だと思っていたら現実だったことが一回ありました。途中までは確実に夢で夢の中で動いてたはずが、いつの間にか現実とリンクしてました。まさに夢うつつ…。