5.雨の中で
少し時が経って、ショーウインドウの中の飾りつけが変化した。あの時以来、ショーウインドウの中に瑠璃は入れていなかった。現実の王子とも会っていない。あの隣にいた女性も見かけていない。あのショーウインドウのことは、あまり深く考えないようにしていた。不可解なことばかりで、考えれば考えるほど分からなくなっていくからだ。
春が終わり、梅雨の時期の飾りつけになったらしい。ショーウインドウの中には、少し長袖の服や、傘を持ったマネキンが飾られ、背景には雨の降っている景色が配置されている。今日も仕事帰りの彼女は、ショーウインドウの前で立ち止まった。土砂降りの雨の中、紺色の傘をさして静かにショーウインドウを見つめていた。通行人がそばを通り過ぎていく。
「…やっぱり、ここに来ちゃうなぁ…。姫が心配だもん…。」
瑠璃は寂しそうに笑った。その時、ショッピングセンターのベルが鳴り響いた。一瞬はっとしたが、寂し気に笑った。
「行けるわけないよね…。」
彼女がそうつぶやいた時、遠くから小さな悲鳴があがった。驚いて横を見ると、歩道をものすごい勢いで走ってくる自転車が見えた。透明なカッパを着ていて、ちゃんと籠に入った荷物にもビニールがかけられている。
「避けて!」
近くの女性が悲鳴を上げた。近くの人が歩道の真ん中から慌てて避ける。その時通行人がたまたま避けようとして下がったため、瑠璃はショーウインドウに向かって押し出される感じになった。
「うわっ。」
体制を崩して、ガラスにぶつかると思った途端、意識が暗転した。
顔にポツポツと水があたる。ゆっくりと目を覚ますと、灰色の空が見えた。静かで優しく雨が降り注いでいる。その時、横から突然傘が出て来た。黄色い大きな傘。ぼんやりとした目で周囲を見ようとした時、一人の男性の顔が視界に現れた。
「お前何してんだー?こんな場所で寝てたら、風邪ひくの間違いないぜ?」
赤色と銀色の騎士のような服を着た男性が、不敵に微笑んでいた。年齢は瑠璃より少し年上な感じだ。そのまま寝ている彼女にそっと手を伸ばす。
「お前、珍しい服着てんなぁ。たまにいるんだよな、そーゆー服着てる奴。俺と絶対気が合わないと思ってるぜ。でもま、お前は他のやつと違う気がするんだよな。雰囲気か?とにかく助けてやるぜ。ほら、俺の手を使いな。」
「あ、ありがとう。」
そっと手を取り、立ち上がる。傘をさしたまま、相手はそっと歩き始めた。慌てて一緒に歩く。彼は少し気を使ってくれているのか、歩くスピードを落としてくれた。
「ついてきな。何があったか知らないが、城の方で話を聞いてやるよ。俺、こうみえても騎士団長なんだぜ?」
「え!」
思わず声をあげると、騎士団長はにやっと笑った。携えてる剣に手をあてる。
「俺って実は強いんだぜ~。ま、王子には及ばねえがな。」
「え?王子?」
「ああ。俺が仕えてる王子。強いんだよなー、あいつ。あ、敬語使ってねえけど、気にすんなよ。俺達立場上は上と下だけど、年齢が近くて気が合うから仕事外じゃタメ口なんだぜ?」
(もしかして…王子ってあの王子かな…。)
彼女が思った途端、くしゃみが出た。急に体が寒くなり、ぶるぶると震える。その様子を見て、騎士団長が笑った。
「ほーら、言わんこっちゃねぇ。さっさと行こうぜ、城の方に。」
そう言うと歩くスピードが速くなった。慌てて瑠璃も歩くスピードを速くして、騎士団長についていった。
しばらくすると、芝生の中に大きな城が現れた。雨の中に真っ白な城が立っている。赤い屋根が綺麗だ。かなり立派な城で、まるで童話の中の城の様だった。木で出来た大きな扉の前に立つと、門番がゆっくりと開けてくれた。
「ご苦労様です、騎士団長様。」
「おーう。お疲れ様っす。」
騎士団長が陽気に挨拶する。中に入ると、さらに扉を何個かくぐり、赤いカーペットが敷かれている廊下に来た。壁には金の装飾がついたランプが並べられ、優雅な雰囲気が醸し出されている。騎士団長が入口の傘立てに傘を置くと、丁度近くの曲がり角から一人の男性が出て来た。こちらに気付いている様子は無く、ため息を吐きながら扉の一つを開けると中に入っていってしまった。
(今のは…王子…。)
一人静かに息を飲む横で、騎士団長がため息を吐いた。不思議な顔で横を見る瑠璃に、彼は苦笑した。
「あれが王子だよ。俺が唯一勝てない王子。までも、奥さんいるって点では俺の方が優位だわな。あいつまだ独身だし、気になってる女に、やっと告白したってのに返事が返ってこなくてあのざまよ。毎日溜め息ばっかり吐いて。…ま、そんだけ返事が返ってこないってなると、俺もちょっと不安なんだけどな。告白薦めたの俺だし。いけると思ったんだけどなぁ…。」
「…返事がまだ来てないの?」
驚く瑠璃に騎士団長は困った顔で頷いた。彼女に靴を脱ぐように促し、自身も靴を脱ぐ。そのまま廊下を歩きながら説明してくれた。
「どこぞの女だが知んないけど、あの王子があんなに楽しそうに話してるのは見たことねぇよ。まあ、その女に会うまでは社交パーティーとかに参加しても、城に帰ってきたら毎回げっそりして部屋に籠ってて。なんかこう…沈んだ目をしてたもんな。なんていうのあの…深海の魚の目をしてた。今戻りかけてるけど。」
瑠璃が驚いていると、丁度騎士団長がある一室の前で立ち止まった。
「うし。ここにしよう。ちょっと待ってな。」
廊下の奥の方に消えると、すぐに帰ってきた。タオルと毛布を数枚持っている。扉を開けると、部屋の中には豪華な家具と暖炉があった。近くのテーブルに持ってる毛布を置くと、瑠璃にタオルを数枚渡した。
「ここは客室用の部屋で今はあんまり使われていないから、多分人はあんまり入ってこないと思う。これでよく拭いて、毛布と暖炉であったまりな。俺はこれから執事のところに行って変えの服でも貰ってくるからよ。」
「ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げると、彼は別に気にすんなと笑いながら部屋を出て行った。渡されたタオルで体をよく拭き、暖炉のそばで暖まる。もっと火のそばに寄ろうとした時、体がブルリと震えた。まだ寒気が止まらないやと思い、ふわりとした毛布を使うのは気が引けたが、毛布へと手を伸ばした。体を包み暖炉の傍で縮こまる。しばらくして、部屋の扉がガチャと音を立てて開いた。騎士団長が入口で手を振っている。片手には紙袋が引っ提げられていた。
「よっ。着替え持って来たぜ。執事が他の使用人に聞いてくれてなぁ、フリーサイズ用意してくれたぜ。とりあえず、女性用のメイド服を持ってきてくれたみたいでよ。これに着替えな。サイズに文句があったら、俺に言ってくれ。別なのを他の使用人に聞いてやるから。着替えてる間は俺、ちっと訓練場の方に行ってくっから。訓練してる騎士たちの様子を見てくらぁ。」
そう言って感謝も聞かずに、部屋を出て行ってしまった。仕方なくその場でメイド服に着替える。サイズもぴったりだ。濡れた仕事服を暖炉の傍にかけ、毛布にくるみながら暖炉の前に座り込む。ゆらゆらとしている火の光を見ていると、だんだんと眠くなってきた。思っていたよりも疲れていたのかもしれない。
(ちょっとだけ…瞼閉じても良いかな…。)
静かに目をつむる。暗闇の中にいると、暖炉の火の熱がより暖かく感じる気がした。座っていた体制を崩し、床に倒れて縮こまる。赤いカーペットがふかふかしていた。肌触りが良い。もう起きていられないのを悟り、眠りに落ちた。
なんだかお腹のあたりがポカポカと温かくて、小さく呻いた。
「うう…。」
丸くて大きいものがお腹に触れている。そっと手で触れるとふわふわとした感触が広がった。
(毛布よりモフモフしてる…。)
優しくなでると、ゴロゴロとくぐもった音がした。触ると呼吸してるのか、少し上下している。ぼんやりと目を開けると、かわいらしい鳴き声が聞こえた。
「にゃ。」
(え、猫…?)
目をぱっちりと開け、お腹の方を見る。そこには淡い黄色の、光る猫がいた。少し肥満気味で、お腹や腕がぷっくりとしている。目つきは悪く、オレンジ色の目でじとーっと瑠璃を見ていた。時折ゆらゆらとしっぽをゆらし、瑠璃の体に擦り付けている。目を合わせたまま硬直していると、猫がむくっと起き上がった。その途端、先程まで温まっていたお腹がすぐに冷えるのを感じた。
(この猫が温めてくれてたんだ…。)
それにしても温かいような気がしたなあと思っていると、猫がぴょんとジャンプして瑠璃の体を飛び越えた。慌てて上半身を起こして猫が行く先を見ると、金の装飾が付いた豪華な椅子と真っ白なズボンを履いた足が二本あった。猫が足のすぐそばで座り込む。すると上から手が伸びて来て、頭を優しく撫でた。
「ありがとう。君は優しいね。」
聞き覚えのある男性の声が響く。猫は嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らした。瑠璃が驚いていると、王子は笑った。
「おはよう。寒気は止まった?騎士団長から事情を聞かされてね。この子を連れて来たんだ。」
猫が嬉しそうに、にゃーんと鳴いた。
読んでいただきありがとうございます。
投稿五話目です。
ショーウインドウの中の人物が一人増えました、騎士団長です。後書きを先に読む方もいるそうなので(昔読んでいた本の後書きにそう書かれていたことがありました)、どんなキャラかはあまり書かないでおきましょう。
どうやら彼の話によると、ショーウインドウの中の姫はまだあの告白の返事をしていないようですね。
ショーウインドウの中の王子は、じれったい様子。姫に会う前は深海の魚の目をしていたなんて…姫に会えて良かったですね。ですが、瑠璃(主人公)が寝て起きたら近くにいるのは怖い…流石に怖い気がする…。
そういえばショーウインドウの中になんで入れるんでしょう?それにこの王子、本当に姫にとっての王子なのでしょうか?告白の返事はどうするつもりなのでしょう?現実も一体これからどうなってしまうのでしょう?
謎だらけ…。ですが、そのうち明らかになりますのでご安心ください。