10.消える
「ある男の話よ。彼は、ショーウインドウのデザイナーだったの。けれど、難病で若くして亡くなった。彼が作った作品はショーウインドウに飾られたけど、最後の作品だけは未完成のまま飾られた。それが、もう一人の貴方が着ていた白い無地のドレス。彼が亡くなった後、ショーウインドウの飾りつけは別な人が担当することになった。……それが、私。」
驚く彼女の前で、ベリー醸は不敵に微笑んだ。
「ショーウインドウの飾りつけをしていると、何の因果か、この世界に入ってしまったのよ。最初はただ不思議な世界と思っていた。けれど、ある日気が付いた。この世界には必ず困った人が現れる。そしてどこからか、全く同じ人が現れて助けに来る。……現れる順番は、生前の彼がショーウインドウに飾っていた作品の順。だから一番最後に飾られた作品の貴方が、もう一人現れたってことは、もうこの世界も最後ってこと。」
「なんだかよく分かんねえけど、なんで、この世界も最後って分かんだよ。」
騎士団長が少し苛立った声で言う。ベリー醸は貴方には分からないでしょうけど、とすました顔でいる。ただ声は真剣だった。
「死んだ人間の世界よ?未練が残ってるから、この世界も残ってるに決まってるじゃない。困ってる人を当人に助けて欲しいのよ、彼は。でも、貴方が彼女を助けてしまったらこの世界は終わる。それ以上、存在する理由がないもの。」
その言葉に騎士団長が訝し気な顔になった。何も言わない瑠璃を見て、彼は察した様子で言った。
「よく分からないけど…つまり、彼女を助けたら、この世界は消えてしまうということかい?」
「そういうことよ。そのために、何度も忠告してあげたでしょう?貴方達二人が結ばれたら、全てが消えてしまうのよって。結ばれたはずの貴方達も、この世界も全て。使用人たちを利用したり、何度も警告したりと大変だったんだから。さっさとその女を諦めなさいよ。死にたくないでしょ?…私は、この世界を守りたいから嫌われ役になってるのよ。」
ベリー醸は優しく微笑んだ。嘘は言っていないような口調だった。突きつけた剣を騎士団長がゆっくりとおろす。彼女はほらねと言った顔で、瑠璃と王子の方へ来ると言った。
「嘘は言ってないわ。そもそも姫は貴方と結ばれなくて困っていたんだから。でも、だからこそ結ばれたら困るのよ。幸せな今と、全ての死、優先すべきことは分かってるわよね?王子。大丈夫よ、彼女は私が遠くへ連れていくわ。」
彼女は瑠璃の腕を掴もうと手を伸ばした。
シャッ。
突然、王子が剣を抜いた。驚く瑠璃の前で、彼はベリー醸に向かって剣を突きつけた。伸ばしかけていた手が途中で止まる。彼女は動揺した顔をしていた。震える声が飛ぶ。
「…どうして、分かってくれないの?…その女といる限り貴方はいつか消えてしまうのよ?全て消えるのよ?」
彼は瑠璃の方を見ると、優しく微笑んだ。
「理由なんて無いさ。でも、きっとこうするのが正解だと思うから、こうするんだ。俺って意外と変人かもね。」
ベリー醸の方へ向き直ると、彼は真剣な声で言った。
「もう二度と来ないでくれ。」
有無を言わさぬ雰囲気だった。ベリー醸はわなわなと口を震わせ、泣きそうな目になった。少し後ずさりながら、ぽつりと呟く。
「私は…助けようとしているのに…。」
王子は何も言わなかった。ただ真っすぐと彼女を見ていた。騎士団長も黙ったまま剣を抜き、彼女の方へ向ける。ベリー醸はくるりと背を向けると、どこかへ走っていってしまった。瑠璃が後を追いかけようと動くと、彼に腕を掴まれた。
「君は優しすぎる。確かに彼女は俺達を助けようとしているのかもしれないけど、それとこれとは話が別だ。結ばれるとか結ばれないとか、そういう問題じゃない。君や俺達には選ぶ権利がある。それにまずは…手当てをしないとね。」
真剣な声だった。王子の後ろから声が飛んだ。
「王子様。お待たせいたしました。執事でございます。」
「ありがとう。君は医者でもあったから、いてくれると本当に助かるよ。彼女を見てくれるかい。」
「もちろんでございますとも。」
彼がゆっくりと瑠璃をゆっくり地面に寝かせる。彼と入れ替わるように一つの顔が視界に入った。瑠璃が驚きのあまり声をあげる。ただその声は少し弱弱しくなってしまった。
「マスター…!」
執事服を着たマスターは優しく微笑んだ。
「……不思議な雰囲気の方ですな。あまり話さなくて良いですからね。とにかく治療を優先させましょう。」
執事が彼女の頭の方へ手を伸ばした時、ベルの音が鳴り響いた。
(ショッピングセンターのベル…。)
音はずいぶん遠くで鳴っているような気がした。視界がだんだんと暗くなっていく。マスターの声が聞こえてくるが、何を言っているのかよく分からなかった。眠りにつくように意識が飛んだ。
ショッピングセンターの前をたまたま通りかかっただけかもしれない。緑の髪飾りをした彼女は鼻歌を歌いながら歩いていた。
「今日の仕事も頑張ったー!家に帰ったら、今日のご飯に何を作ろうかなぁ。」
丁度歩いている方向にショッピングセンターの看板が見えた。思わずにっこりと微笑む。
「そうだ。ちょっと食材でも見て帰ろう。」
突然、目の前を黒い大きなものが横切った。
ドタアン。
重い音がして、彼女が目を見張る。目の前には一本縛りの女性が倒れていた。気を失っているらしく、目をつむったまま路上に倒れている。あまりに一瞬の出来事で、一体どこから現れたのか全く分からなかった。慌てて駆け寄り、体を軽く叩く。
「ちょっと…大丈夫ですか?」
何度聞いても返事がない。その時、何も言わない彼女の顔を見て、驚きの声を小さくあげた。
「貴方、雨の日に喫茶店にいた…。」
通行人は何も見えていないようで、二人の横を通り過ぎていく。瑠璃が小さくうめき声をあげ、目をゆっくりと開けた。
「だ、大丈夫ですか?」
何度か肩を叩くと、彼女はだんだんと意識がはっきりしてきたようだった。驚いた顔で彼女をじっと見る。その後、周囲に目を走らせると、すみませんと謝りながら自力で立ち上がった。腕から落ちかけていた鞄も背負いなおす。ただ、体がふらふらとしており、足元はおぼつかなかった。
「ちょっと…ぼーっとしてたみたいで…。すみません、ありがとうございます。大丈夫です。」
ぼんやりとする頭を回転させ、瑠璃は家に向かう方向へと体を向けた。とにかく横になりたかった。体が妙に重い。頭痛もひどい。軽く吐き気がしている。救急車を呼ぶほどではないと感じ、鞄の中の携帯電話は取り出さなかった。
(頭を打ったとか言ってたけど…あっちの世界にいた時ほどひどくないから…大丈夫かな…。貧血っぽいし…。)
回らない頭でゆっくりと家に向かう。目の前を紅葉の葉が落ちていく。ふらつく瑠璃の後ろ姿を、緑の髪飾りをした女性は心配そうな顔で見ていた。
プルル。プルルルル。
慌ててスマホを起動し、布団から起き上がる。あくびをかましながらカーテンを開ける。頭の方に手をやると、静かに頷いた。
「うん。痛くない。やっぱり貧血…?」
疑問に思いながらも、朝食の準備をする。その時ふと何かを忘れてるような気がした。オーブントースターがパンを焼く音が耳に届く。冷蔵庫からバターを取り出すと、彼女は首を傾げた。一人だけの部屋でぽつりと呟く。
「あれ…?」
オーブントースターが音を立てた。きつね色に焼けたフランスパンを取り出し、バターを塗って頬張る。頭を触りながらぽつりと言った。
「私…なんで頭なんて痛かったんだっけ。昨日何も無かったはずなのに。」
時計の針がカチリと音を立てて動いた。
読んでいただきありがとうございます。
遂に明かされましたね、ショーウインドウのこと。
ですがまだ、謎な部分は残っています。
何が目的でこのショーウインドウの中の世界は作られたのでしょう?
どうして困っている人が限られた人なのでしょう?
謎ですねぇ。ご安心ください。必ず後で明かされます。
ショーウインドウの世界から出てくると、現実の王子の隣にいた女性がいましたね。
ですが…せっかく掴んだショーウインドウの秘密、最後はまさかの記憶喪失…?
忘れてしまったらどうなるんでしょう…?