98話 出立(2)
読んでいただきありがとうございます。
本日二話目。
「……んで、着替えてきた、と」
「どう? 似合ってる?」
「着れりゃあどれも同じじゃねぇのか?」
「僕もそう思う……」
生憎の曇天模様の下、土や血のほか、所々下手な縫合の跡が残っていたグレイ爺お下がりの狩人服を脱ぎ捨て、セリカセレクトの服装に着替えたレイとヒバリは庭先に立って生まれ変わった姿を見せびらかしていた。
けれども、レイもシオもお洒落にはとことん興味が無いのか、無価値なように思えてならないというのを隠そうともせずに首を傾げ合う。
シオにとっては、衣服は急所を隠すものでしかないし、レイもまた似たような狩り感を共有しており、セリカからすればプロデュース甲斐のない二人だ、と溜め息を吐かざるを得ない。
けれどもその価値観は幻想の森という極めて閉鎖的かつ差別的な環境で育ったが故の弊害であり、外の世界のように食べ物も着る物も豊富では無かったことを如実に表したものであり、レイにとっては突然手渡された衣服があまりにも上等なもので理解が追い付いていないだけとも言える状況だった。
幻想の森では、ヒバリの襤褸布よりは幾分かマシな麻布を紐で留めただけの、外の人間からすれば服とは認識できないようなもので過ごしていたし、グレイ爺お下がりの狩人服でさえもレイにとっては最上級な衣服であった。それが、一段どころか数段飛ばしで与えられた手触りも肌触りも良好な衣服を身に纏っては到底理解が追い付かないのも無理はない話だった。
いわゆる上等な着物が供給過多な状態で、着心地は今までのどの衣服よりも上等だと言うのに、そこはかとない不安感がどことなく着心地悪く感じさせているのであった。
それもそのはず、セリカのお下がりは互いの身長差の分袖も裾も余るため、パンツもシャツも袖と裾をまくった状態で、どこか気が引き締まらない風体になってしまうからであり、その上レイとは正反対の反応を示すヒバリもまた、居心地の悪さを引き出す要因の一つだった。
「はぁはぁ……! マスターと、お揃い……! こんなことが許されていいのでしょうか!? セリカには感謝してもしきれません。この恩は必ずお返ししますから、今はどうかこの紐を外してくれないでしょうか? あぁ、マスターを遠く感じてしまいますっ」
ヒバリの喜び方は、セリカが想像したものの斜め上を優に超えていく反応で、セリカは頭を抱える羽目になってしまう。
しかし、セリカプロデュースの服装はヒバリのスラっとしたスタイルにばっちりはまっており、そこいらの町娘と変わらない格好だと言うのに王都の貴族様のような気品や麗しさが漂う結果になったことはセリカの達成感をくすぐるのであった。やはり、美人はその美しさを誇ってこそ美人だと再認識し、いい仕事をした、と自分のセンスを誇るのも束の間、自分とは喜びのベクトルが異なる、美人が勿体ないと思わせる行為に走るヒバリに肩を落とす羽目になるのであった。
ヒバリの服装はレイとお揃いなのではなく、セリカの欲望を前面に押し出した結果、レイがヒバリとお揃いなのだが、その些細な違いも関係ないと薙ぎ払って敬愛するご主人様の元に興奮をありのまま曝け出して魅了の魔眼を使ってレイを誘惑しようとすり寄った結果、現行犯としてシオの手によって破壊された木の魔道具の枝先にぶら下げられている。
「あのゲロ女は気にすんなよ。まぁ、良く似合ってると思うぜ?」
「そうですよマスター! とてもよくお似合いです! ヒバリはマスターとお揃いである事、この喜びをどう表現したらいいか悩んでしまいます。あぁ、マスターとお揃いなど、この身に余る光栄でございます故に、この悦楽はヒバリの宝物です! ですからマスター、どうかお傍に……!」
「興奮が冷めるまでそこで頭冷やしやがれゲロ女」
「ヒバリにはヒバリと言う名があります! ……うぅ、マスター、ヒバリは寂しいでございます」
「反省してるみたいだよ?」
「よく見ろ、噓泣きだぜ」
「……くっ」
嘘泣きをまんまと見破られたヒバリは吹っ切れたのか、ご主人様に向かって熱烈なラブコールを投げかけ、木の枝にぶら下がりながら体をくねらせるのだった。
「って言うか、こんな上等な服、もらってよかったの?」
「いいのよ別に。前にママへの当てつけのために買ったけど結局着なかった服だもの。むしろ貰ってくれないとあたしが困るって言うか……」
「そ、そっか。それなら遠慮なくもらうね。ありがとう、セリカ」
思ったよりも闇の深い代物だったようで、レイは自分とヒバリの衣服を見比べて値段を推し量ろうとするのは止めようと心に決める。ヒバリのチュニックなんかは、繊細なレース生地も相俟って物凄い値段に思えるが、レイは触れるものかと唾を飲み込んで耐えるのであった。
そんないたたまれない表情を見せるセリカは、彼女の母アイリーンがレイと初めて出会った時に羽織っていたローブに身を包み、肩からは魔道具一式が入った鞄をかけている。
その姿は一目見るだけで母の、魔女の跡を継いだのだと分かるシルエットで、彼女の背後に立つジークが目を丸くしている意味も良く分かると言うものだった。
そんなセリカは、今までの刺々した口調からはかけ離れた、アイリーンを想起させるような穏やかで柔らかな声音でレイの名を呼ぶ。
「……これは、ママが最後に遺してくれた指輪の魔道具。レイのために作った、って言う大事な魔道具なの。受け取ってちょうだい」
「っ!? そんな大事な物、受け取れないよ! 最後の魔道具なら尚更、セリカが持っているべきだよ!」
セリカの手の平に乗るのは、シンプルなデザインの指輪が一つ。
されど、その指輪に秘められた力が、込められた慈愛が、レイには手を取るまでもなく感じ取れる。
だからこそ、そんな思いの込められた代物を、形見を自分が持っていいものかとセリカに突き返す。自分にはグレイ爺から貰った首飾りがあるから、と言って、セリカが持つべきものだと説得に励んたところで、セリカは既に心を決めているのか一度たりとも首を縦に振る気配を見せない。
それどころか、レイがこうして自分に突き返すことを予想していたかのように微笑むと、空いている片方の手で自身の首から提げる首飾りに手を伸ばした。
「あたしには、ママと同じ首飾りがある。これも、大事な形見。これはあたしが願った普通の生活に馴染むためのもの。ママはあれだけ自分のことを嫌っていたこんな可愛くもない娘の願いを、最期に叶えてくれようとしてたの。それだけで、あたしには勿体ないくらいのものなのよ。……それに、ママが最期に笑ってくれたのは、笑顔を見せてくれたのはあんたの……、レイのおかげ。レイは、多分あたしよりもママのこと好きだったでしょ? ママを奪われて、あたし以上に怒っていた――、怒ってくれたレイだから、ママの形見、願いは、レイにもらってほしいの」
あの時自分は、泣く事しか出来なかった。
絶望する事しか出来なかった。
だと言うのに、レイは自分を慮って、胸の内に渦巻いた怒りを冷静に御し、ジークを宥め、誰よりも大人な行動を取って見せた。
レイにとってアイリーンが紛れもなく大切な存在であったのは、セリカが横目で彼ら彼女らのやり取りを見ていたから、聞き耳を立てていたから分かる。あの時、レイは自分の手に爪が食い込むくらい拳を握り締めていたのを知っているからこそ、今この瞬間まで、この指輪を渡す決心がつかなかったのだ。
恥も外聞もなく言ってしまえば、セリカはレイに嫉妬していた。
だがそれも、レイと実際に関わり、アイリーンの生前も死後も向き合うよう手を引いて、背中を押してもらったことでそんな思いも消え、今では義弟が可愛くてしょうがないと感じるまでになっていた。
アイリーンが首飾りと指輪と共に遺した手紙を、昨日の晩まで目を通すことができないでいたセリカ。
今もまだ全てに目を通すことができたわけでは無いが、レイへと綴った思いの欠片を読み通すことは出来たからこそ、今こうして最期の形見である指輪を渡すに踏ん切りがついたのであり、その最初の一歩を踏み出すために必要な向き合うための力を与えてくれたのは、アイリーンの死後レイと過ごした短い時間であった。
レイに言わせれば、セリカを癒した自覚など無いと言うだろうが、ジークのように献身的に気を遣ってくれるよりも、ただありのまま、自然体でもって接してもらえる方が何も気負う事が無くてセリカにとってはありがたかった。
そんな思いが、感情が込められたセリカの言葉を受け、レイは思わず息を飲む。
セリカがアイリーンの形見である首飾りから手を離し、レイの手を取る。
「これはきっと……、ううん。必ず、レイを守ってくれるわ。あたしは、ママにもレイにも、シオにも守られてばっかりだったから力にはなれないけど、ママは絶対に、レイの事を守ってくれるから」
そう言って手を離したセリカの表情は、笑顔だった。
その笑顔は、レイが大好きだった決して絶えることは無いヒジリの浮かべる笑顔にそっくりで、レイの目にはセリカとヒジリが重なったように見える。
似ても似つかないはずのセリカにヒジリが重なったことにレイが呆然としている最中、シオの声に我に返り、シオの声のままにセリカの手に包まれていた左手に視線を落とすと、セリカの手の平にあったはずの指輪が人差し指にすっぽりとはまっていた。
不思議と指輪のサイズはぴったりで、巧みな装飾が無い代わりに、指輪の表面には再現不可能なくらい細やかな魔術式が刻まれている。
空の悪戯なのかシオが気を利かせてくれたのかは分からないが、雲の切れ間など無かった蓋をするような曇天が晴れていき、日差しが指輪を照らしてくれる。それはまるで旅立ちの祝福のようで。
気が付けば、ぶら下がりの刑から抜け出したヒバリもその指輪に熱視線を向けており、ご主人様以外に興味を示さないヒバリが興味を示したと言う事実が、その指輪の精巧さを物語っているものがある。
違和感も覚えない程にしっくりはまった指輪に、本当にいいのか、と再三にわたってセリカに視線で問いかけると、セリカは鞄の中身をガチャガチャと鳴らしながら、腰に手を当てて笑う。
「――どうかしら? 少しはあんたのお姉ちゃんらしく振舞えたかしら? 人差し指は別名お姉さん指とも言うの。シスコン気味なレイには、お姉ちゃんからの餞別を黙って受け取るべきよね?」
そうやって意地悪く笑って見せるのはいつかのやり返しか、それとも照れ隠しなのか。
そんなセリカを見て、レイは今一度指輪を空にかざした後、思ったままの感情を口にして、礼儀正しく頭を下げる。
「ありがとう、セリカ! ……大好きだよ、姉さん!! ――行ってきます!!」
「んじゃあな、また会おうぜ。ジークも、死んだら許さねぇからな」
「セリカ、またマスターとお揃いにしてくださいね。では」
「はいはい、行ってらっしゃい、レイ、シオ、それからヒバリも」
ぺこり、と頭を下げたレイが再び上げた時には、空に佇む黒い雲すらも弾き飛ばすくらいに眩しい、晴れやかな笑顔を浮かべた後に、セリカ達に、アイリーンの家に背を向けていく。
湿っぽくもない、どこかあっさりとしているレイ達に向かって面倒くさそうに、ぶっきらぼうに言い放ちながらもその背を見送るセリカは、レイ達の背が森に消えていくまでその場を動かずに見送り続けた。
その横では、ジークが大手を振って見送り、遂に旅立っていくのだった。
レイとシオが言うように、何も今生の別れでは無い。だからこそああしてレイ達はすっぱりと切り替えて旅立っていけるのだと分かっていながらも、母とのような死別では無いと言うのに、セリカはジークに背を向けて、未来へと踏み出した誰かを祝福するかのような雲一つない空に向かって視線を上げる。涙が零れ落ちないように。
――本音を言えば、ずっと傍にいて欲しかった。
母の代わりに、傍にいてくれるものだと思っていた。
けれども、セリカにはセリカの。
レイにはレイの道がある。夢がある。
ゆえに、今は一時の別れの時なのだと。
そうだとしても、セリカにはそう簡単に割り切れるものではないし、セリカにとってレイとシオ、ヒバリの存在は母に近しいくらいに大きくなっていた。
だが、だからこそ今は別れなければならないのだと、もう一度会うために別れなければならないのだと言い聞かせても、セリカの目からは涙が溢れてくるのを止められなかった。
それを知ってか知らずか、ジークは静かに声を発する。
「……寂しくなるね」
「うっさいわね。あたし達もさっさと村に向かうわよ」
「……泣き腫らした目じゃ、みんな心配すると思うけど」
「……はんっ、あの村の連中が魔女を心配するわけ無いじゃない。まぁでも、それくらいの方が説得力が増していいかもしれないけど」
すん、と鼻を鳴らすセリカは歩み出した足を一度止め、背後を振り返る。
レイ達が自分の道を進むように、セリカもまた、自分で決めた道を進むのだと、歩み出すのだと決心をつけるように誰もいなくなった我が家に言葉を投げかける。
「……行ってきます、ママ」
瞬間、セリカの言葉に反応を示すかのように吹いた突風がセリカの髪を舞い上げて、帰らずの森に向かって吹き抜けていく。
それはまるで――。
「……ママも、行ってらっしゃい」
この日旅立つ旅人たちが、それぞれが祝福を受け、風に乗って、自分の道を歩み出していくのであった。
ブクマ、評価等ありがとうございます。
これが第三章の最後になりますね。完全に最終回のノリになっていました……。




