82話 命を奪う権利
読んでいただきありがとうございます。
本日五話目。
夜空を駆るようにして、ものの数分で丘の手前まで帰ってきたレイとシオ、それから気絶した桃髪の少女。
地面に降りて早々にシオは体を縮ませてレイの傍を漂う。
意識のない桃髪の少女を地面に引きずるわけにもいかないため、シオが尻尾で担ぎ上げられるくらいのサイズで帰り道を歩く。
アイリーンとの約束である、もう一度一緒に空の旅をしよう、という願いが想像もしていなかった形で叶ったという事実を認められずにレイは俯き、黙ったまま歩みを進める。
「っ、レイ!」
そんな中、家に向かう道の半ばで名前を呼ぶ声が聞こえて顔を上げる。
駆け寄ってくるのは家で待っていたはずのセリカであり、その顔はレイ達の帰還を喜ぶような明るく朗らかな様子ではない、眉根を寄せた緊張と不安に満ちた様子だった。
「レイ……、ママは――」
レイがその問いに答えるより先に、セリカの視線はレイの腕の中へと移る。
腕から零れるのは見間違えようのない自分と同じ、夜の闇に溶け込んでしまいそうな程に梳かれた濃紺の髪。閉じられた瞼は優しく微笑んでいるが、それはもう二度と開かれない。それは水気を失っていく唇もまた同じで、今ではあれだけ拒絶して鬱陶しいと感じていた自分の名前を呼ぶ声がもう二度と聞くことができない。
取り返しのつかない現実を前にセリカの顔が増々悲壮に暮れていく。
延々とわき続ける暗い絶望に、嗚咽を漏らすことも出来ずに涙を流す。
レイは黙って、セリカの手にアイリーンの首を差し出すのだった。
「う、うぁ……、ごめん、ごめんなさい……、ごめんなさい、ママ……っ」
わぁっ、とアイリーンの首を抱き締め泣き出すセリカの姿は酷く弱り切っていた。
セリカが繰り返し口にする謝罪が何に対してなのか、レイとシオには分からない。けれども、それを探ろうなどと言う無粋な真似はしないで、夜空の下、セリカが泣き止むまで見守り続ける。
レイとシオが分かることはただ一つ。
それは、死んだ相手に思いを告げることは出来ないと言う事。
いくらこちら側で訴えようとも、亡くなった相手からは許しも、怒りも、愛も、何一つとして返ってくることは無い。
傷付いて反省しているセリカに対して追い打ちをかけるような言葉をレイとシオが口にするはずも無く、それらは今一度レイとシオの二人の心に深く刻まれる。
ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返し謝罪を口にして泣き叫ぶセリカを前に、アイリーンが口にした言葉を思い出す。
『――笑顔も大切だけれど、それと同じくらい、泣く事も大切……、感情を出すことは心の溜めに必要な事なのよ。辛かったら泣いていいし、苦しかったら誰かを頼ってもいい。もちろん、楽しかったら心から笑っていいのよ』
グレイ爺の、あけすけで真っ直ぐな性格とは異なる、全てを包んでくれる雲のような、空のような広大な心を持つ慈母。それがレイから見たアイリーンの印象だった。自分の道がどんなに険しくとも、笑顔一貫で貫き通す頑固なグレイ爺とは対照的にも感じていた。
けれども、それは対照的ながらも二つ揃えばぴったりと組み合う歯車のようであった。
そんなアイリーンの優しく背中を押してくれる言葉を胸に、レイが決意を新たにし始めると同時に、セリカが泣き止んで、レイの名前を呼ぶ。
「……ねぇ、レイ」
アイリーンの首を抱いたまま、俯いたまま、号哭を止めてポツリポツリと問いかける。
「……あいつ、アイツは、爺は、死んだのよね」
「じじい――あぁ、グレイ爺は、亡くなったよ。僕たちが看取った」
セリカの苦しそうな問いに対して、レイははっきりと答える。
涙を見せずに、真剣な様子で答える。
グレイ爺の死は、確かに悲しいものだ。
けれども、息を引き取る最後のその瞬間まで傍に居られたこと、きちんと別れを言えたこと。何一つ悔いのない別れだったとも言えるがゆえに、比べるものでは無いと分かってはいても、ヒジリとの最期の別れと比べても悲しみの度合いはまるで違うものだった。
それに加えて、グレイ爺は最後まで笑って往生したのだ。
それがグレイ爺の本望である以上、レイもまた笑顔で誇らしく語ってやらねば、今もあの世で呵々大笑なグレイ爺に怒られてしまうと言うもの。今頃は、そっちに向かったアイリーンと仲睦まじくしているだろうか。
……グレイ爺の最期が人間としての死に様の手本だとするならば、ヒジリとアイリーンの最期はどうだと言うのか。
グレイ爺は、笑って息を引き取った。ヒジリも、アイリーンも、最期は笑顔だった。
だが、前者と後者では意味合いがまるで違うことに、レイは心の底から憤慨する。
理不尽で、不条理な死を突き付けられても尚笑顔で、誰かのために命を捨てた二人を称えるのではなく、そのかけがえのない命を奪った存在に対して、隠し得ない程の憎悪を燃やす。
しかし、ヒジリの命を奪った幻想士への怒りは、仇を討つ権利はレイだけのものであると同時に、アイリーンの命を奪った騎士への復讐はセリカだけが持つ権利だった。
シオに諭され、行き着いた結論がそれであり、自分はあくまでもセリカが抱える怒りを共有するだけの存在。自分が手を下すのは訳が違うと納得させたがゆえに、騎士達の生死に関しては相手に委ねる形で終えてきた。
たとえそれが、自分の手で命を奪う行為から目を背けるための、逃げるための言い訳にセリカを利用していると言われようが、関係ない。
――グレイ爺には言えなかったレイの夢の一つが、姉の命を奪った幻想士への復讐なのだから。
(――命を奪う権利、と言うものがあるのなら、それは被害者の最も近しい人間に与えられなければならず、ヒジリを奪われた僕は幻想師に、アイリーンさんを奪われたセリカは騎士に対して、報復を、復讐をするだけの権利は与えられて当然なはずなのに。……これが間違っている事、正しくない事だって言うのは分かってる。けど、他者から命を奪った人間が守られる世界が正しいと言えるのか。今こうして泣いている女の子が世界を憎み、恨むことが正しいと言えるのか。――答えは”否”だ。何一つとして正しいものなんか、無い。だけど、この道を誰かに肯定してもらうつもりもさらさらない。正しくないと分かっているからこそ、シオだけが理解してくれているのならそれでいい。だから僕は、僕にとってのシオのように、セリカの助けになりたい。僕らは、世界に牙を剥くことだって、爪を立てることだって出来るのだから)
自分と同じ境遇にあるセリカを見て、セリカもまた自分と同じ道を歩んでくれると信じて手を差し伸べる。
それが、グレイ爺がレイにしてくれた手の差し伸べ方だから。
グレイ爺の話題がセリカの口から出て、思わずと言った形でレイが歩み寄ろう一歩を踏み出した時、後方で見守っていたシオは渋い表情でレイの背を眺めていた。
(――違う。違うぜ、レイ。お前とセリカは、違うんだ。同じ道は、歩けねぇんだ……)
いつかにレイの独白を聞いたシオは、「それがレイの望むことなら」と二つ返事で着いてくることを承諾した。それは人間とは価値観が異なる幻想種だからこその判断。復讐を悪しきものとは捉えない、虚しいものとは捉えないが故の軽い返事だったが、グレイ爺の反応を見てすぐに気づいた。
――レイは、復讐を誓うことでしかヒジリを忘れないでいる方法が見いだせなかったのだと。
強い感情は、抱えているだけで精神的負荷がかかる。
それを知ってか知らずか利用して、レイは自分を異端であると暗示することでヒジリへの強い思いを想起させる。そうすることで、日を追うごとに薄れていくヒジリと過ごした時間を忘れないでいられる、と考えたのだ。
実際は復讐も憎悪も、それの付随品に過ぎない。
それはグレイ爺の死を受け入れ、弔ったことで、より色濃くレイの心に根付く。
外の世界に踏み出しても尚、レイはどこまでもヒジリに縛られている状態であり、ヒジリを弔うことができない自分を人知れず常に責めていた。
アイリーンはそんなレイの不安定な心の内を見抜いていたのか、的確な言葉をレイに授けてくれており、あのまま過ごしていれば間違いなくレイは良い方向に進むはずだった。
……進むはずだったと言うのに。
そんな有り得たかもしれない未来が奪われたことに加えて、ヒジリにそっくりな少女との出会いもあって、レイの精神は更に不安定な状態にあった。
そうやって同じ境遇の仲間を引き入れようとするのは、レイの決して埋まる事のない孤独感がそうさせるのか。
ヒジリとラナが奪われてできた穴は、シオ一人では埋めてやることができない。シオは自分のスペースを埋めるので精一杯。
グレイ爺でも、ギンでも、アイリーンでも埋まらなかった孤独の穴は、やがて人を陥れる落とし穴に成長しかねない。そう危惧していたところに、レイの同情を誘う都合のいい相手が目の前に現れた。
シオが危惧した通りに、レイは無意識に傷付いて消耗したセリカを自分の孤独を埋める穴へ誘おうと一歩を踏み出そうとして――レイの足は踏みとどまった。
レイの足を踏みとどまらせたのは、セリカ。
セリカの苦痛に満ちた悲痛な叫びが、レイの意識を呼び戻すのだった。
「――こんな状況になって、あれだけ憎もうとしていた父親に縋ろうとした自分が、そんな卑怯なあたしがいるのが許せない……! あたしは、最期までママに愛してるの一言も言えなかったっ。でも、もう言えない……。あたしはもう、一人だから……。ママのいない世界じゃ、あたしはどうすればいいか分からないの! お願い、ママ……。あたしも、連れてって……。これからずっと一人なのは、嫌……、一人は、怖いから……!」
セリカには、レイには想像し得ない後悔が山のように積み重なっていた。
レイは、大切な人を憎んだ経験はないから。あったとしても軽い喧嘩、次の日には仲直りしている程度の軽い仲違い。
けれどもセリカは長い間アイリーンを、グレイ爺を恨み憎み続けた。時には酷い暴言をぶつけたこともある。それに対して結局謝罪する機会を逃した結果、アイリーンは亡き人となった。
他にも、後悔していることを挙げればキリがないくらいに悔いている今、セリカの心が折れてしまうのも無理はない話だった。
レイの目に映っていた、強い心持ちの少女の姿は既になく、今目の前で泣きじゃくる姿は、母に甘えられない人恋しい寂しがり屋の少女にしか見えない。
年相応よりもずっと幼い、悲観に暮れた、それこそ、自分が世界で一番不幸だと疑う余地も無く認めて泣き叫ぶ、ただの少女がそこには蹲っていた。
レイが考えていたよりもセリカは、人間はずっと脆く、弱いものだと知って、レイは踏み出そうとした足を、引き込もうとした手を引っ込める。
「……レイ。誰もがお前のように強くはいられない。だからお前も、少しは弱くなってもいいんだぜ」
自分がセリカとは違う、と言う事実を前に、自己を形成するものが人とは大きくずれていることを認識し、思わず呆然とするレイに対して、シオがその目を覗き込むようにして語り掛ける。
――もっと心配させてくれよ、と。
その言葉を受けてレイは、アイリーンの言葉の真意に気が付く。
誰かに頼ると言う事は、一人じゃないと言う事。
感情の吐露をすると言う事は、自分の感情を周りと共有すると言う事。
自分はこれまで、そう言ったことをきちんと行ってきただろうか?
いや、無かったかもしれない。全部、自分で解決しようと自分の中で完結させていた。
ゆえに、レイはセリカの苦痛を分かっているようで、何一つとして分かっていなかった。知ったような気持ちでいただけだった。
境遇が似ていようとも、人はそれぞれ考え方も異なれば、生き方も違う。
その生き方を定めようとするレイのやり方は、セリカの有り得たかもしれない未来を奪う行為に繋がりかねず、レイが忌避し嫌悪する連中と同じ道を辿るところだった。
「反省するのは後にしろ。今は、やることがあるだろう?」
「――うん」
いつも先回りしてレイの往く道を明るく照らしてくれるシオに、なんてお礼をすればいいのか分からないレイは、涙が溢れてくるのを必死でこらえて、今度はしっかりとした足取りでセリカに近付いていく。
ひっくひっくと泣きじゃくっては震える肩に手を置かれ、セリカは泣き腫らした目で、不安と微かな期待で満ちた瞳をレイに向けた。
潤んだ瞳に揺らがぬよう、深呼吸を繰り返して心の凪を保った後に、レイは努めて明るい様子で語り始める。
「僕は、ヒジリの弟、グレイ爺の息子。レイ!」
「俺はラナの弟、グレイの爺さんの息子、シオ」
打ち合わせをした訳でもないのに息もぴったしに合わせてきたシオに笑みを浮かべて自己紹介を果たす。対するセリカは、今さら何を言い出すのか、と困惑した様子でレイとシオの間を視線が行き来する。
それでも、胸にぶら下がる首飾りに手を伸ばしたのは、知らずのうちに心が動いたからだろうか。
「同じグレイの爺さんの子供ってんなら、姉弟ってわけだな。俺みたいな弟は嫌か? ん?」
「シオはこんなでも気遣い屋さんなんだよ。……ほら、セリカは一人じゃないでしょ?」
レイとシオの言葉を受けて、セリカは肩の力を抜いてアイリーンの首を持ちあげる。
再び涙が流れ出したが、その涙には熱が取り戻されたかのようにも思えた。
「ママ……、あたし、一人じゃなかった。一人じゃなかったよ……!」
そのうえで、レイはセリカの意識を更に奥へと向かわせる。
レイに誘導されるがままに振り返ったセリカは、レイが指差す先、壊れた玄関の前で様子を伺っていたジークの姿を目にすると、たちまち憤慨した様子で首を横に振った。
「嫌よッ! あたしは、アイツは、ジークは許さないわ!!」
ジークはセリカに見つかるとバツが悪そうに視線を彷徨わせるも、その場から逃げることはせずに覚悟を決めた様子で居住まいを直す。
セリカの完全なる拒絶を耳にしても尚、決意の瞳を揺らがすことなく、セリカを見つめていた。
「許す許さないはセリカ自身が決める事。僕たちが許せ、許すな、なんていうつもりは無い。それを決めるのはセリカであって、それが必ず一つのけじめになるだろうからさ。……でも、それでも、憎むべき相手を履き違えないでほしい。本当にジークを憎むべきかは、もう一度話を聞いてから判断するのでも、遅くはないはずだよ」
「それでもっ、あたしは――」
「――はいそこまで。これ以上は体に障る。何の得も無いのに風邪を引くのは、アイリーンも悲しむぜ」
セリカの思考のカギを外すように、話をぶつ切ったシオの提案に頷かされて、セリカはレイ達と共に家の中に入っていくのだった。
その間も、ジークに向ける鋭い視線は収まる気配はないままだった。




