81話 桃髪の少女
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本日四話目。
「……」
シオの体に体重を預けていた状態から、僅かな休息を経て自分の足で地面を踏み締め立ち上がる。
全身に響く鈍痛は指一本動かすだけでも痛みが波及して全身を苛むように痛みが広がる。
重度の筋肉痛が永遠と続いているような不快感は何度体験しても慣れることは無く、今もシオの体に手をかけていなければ膝から崩れ落ちていた事だろう。
そんな状態でも、レイはきちんと自分が向き合わねばならない、向き合いたいという思いを抱いているからこそ自分の足で立つことを選んだ。シオもまた、レイを今すぐにでも休ませなければならないと分かっていながらも、ヒジリによく似た正体不明の少女との対峙を優先させた。
その間、ヒジリにそっくりな顔をした少女、桃髪の少女は一言も言葉を発することなく、ただ黙って全ての経緯を眺めていた。
夜闇の中でも目立つ桃色の髪と深い青の瞳は紛れも無くヒジリと同じで、けれどもレイとシオの知るヒジリが決して絶やすことのなかった微笑みは欠片も浮かべない。
頭では全くの別人だと分かってはいるのだが、目から入ってくる情報は、彼女が死んだはずの最愛の姉であると訴えてくる。
そんな理解が及ばない状況でレイが軋む体を動かそうとしたその時、桃髪の少女から魔力が奔るのをシオが感知する。
「レイ! 気を付けろ、この女……、レイ?」
桃髪の少女に動きは見られない以上、レイが魔力の発動を感じ取ることは不可能。
ゆえにその弱点をカバーするようにシオが「気を付けろ」と声を発すると同時に、レイを庇うようにその巨体を動かし二人の間に割り込む。不可視の魔法が発動された場合、魔力を感じ取れないレイは対処のしようが無い。持ち前の感性で反応を示すことは出来るだろうが、その程度だ。竜気覚醒の反動負荷がかかっている現状では無防備の状態なのだから。
だからこそシオが身を乗り出したわけだが、いつもなら一も二もなく反応が返ってくるはずの相棒からの反応が無いことに違和感を持ってシオは振り返ると、そこにはレイが立っていた。
立っているのは問題ない。レイが自分の意思でシオに寄り掛かったままではと判断したがゆえに自分の足で立つことを選んだのだから、それは何も間違っていない。
問題なのは、レイがただ立っているだけ、という点であった。
棒立ち、突っ立っているだけ、立ち尽くす……、なんとでも言い表せるが、その通りにレイはただ直立したまま動いていなかったのだ。
レイとシオの間には、決して崩れない、解けることのない信頼、絆が結ばれている。
お互いがお互いを信頼し合って培われた、目には見えない確かな繋がりが結ばれている。
ゆえに、今のようにシオが魔力を感知して非常事態を報せたのであれば、レイは説明を求めるよりも先に、疑問を抱くよりも先に体を動かすはず。
ギンとの戦闘時も、そうやって動いては嵐のような魔法の束を潜り抜けたものだった。
であるならば、レイはシオの声に対して臨戦態勢、もしくは警戒した様子を見せるはずだというのに、レイは今や外れた肩のことも、全身に走る鈍痛の事も忘れたかのようにポーっ、とした様子で突っ立っている。
その状態が何よりも異変を表しており、この状況を作り出したであろう犯人、桃髪の少女に鋭い睨みを向ける。
最早その目には、先ほどまで向けていた「ヒジリかもしれない」と言った微かな希望すら映さない、完全に敵として憎み、睨んでいる目を向けていた。
この時点でシオの中では桃髪の少女がヒジリではないと言う事は確定されていた。なぜならば、ヒジリもまたレイを愛していたから。愛する弟に異変が生じる行為を行う人物がヒジリであるはずがない、と断言できるからこそであった。
「何しやがった!?」
「…………」
その睨みは並大抵の騎士であれば卒倒し、中央騎士であろうとも問答無用で黙らせるだけの威圧感を放つ。
けれども、桃髪の少女はその睨みで黙っているわけでもないような様子で沈黙を貫く。
ただ一つ、暗く深い青だった瞳が――光を宿していなかったはずの瞳に桃色の輝きが宿っていた。
しかしその瞳から感じる魔力は微々たるもので、シオには何の魔法なのか、なんの魔術なのかは判別できなかった。
かと言って見過ごせるものではない以上、遂には牙を剥くのだが、桃髪の少女はそんなシオを視界に入れることなく、ただひたすらにその背後で立ち尽くすレイに視線を注いでいた。
そんな少女が、おもむろに両手を広げる。
それはまるで歓迎しているようにも見えるが、その誘いは間違いなく悪しき誘い。
だがしかし、レイに向かって両腕を広げる少女の姿は、そのそっくりな顔面も相俟ってますますヒジリに似てくる。
――いつもああして、畑仕事を終えた幼いレイを迎え入れるのはヒジリだったから。
昔懐かしい記憶が蘇る中で、シオには目の前で繰り広げられる茶番劇に反吐が出そうだった。
あまりにもレイの姉を、ヒジリを冒涜する行動に対して、シオは我慢ならず「シャアッ!」と威嚇して手を出してしまう。
シオにとっての手、即ち尻尾が少女に迫ると、桃髪の少女は避ける素振りも見せることなく顎下に命中し、脳を揺さぶられた衝撃で易々と意識を刈り取られてしまうのだった。
「――んうぇ!?」
余りの腹立たしさについで、とばかりに棒立ちを続けていたレイの額をペシン、と叩くと、レイは素っ頓狂な悲鳴を上げて我に返った。
「何されたのか分かるか?」
「え? うんと、うんと……。あの女の子を見てたら、なんか急に胸がきゅうん、と苦しくなって、頭がポヤポヤしてきて、あの人から目が離せなくなって……。そしたら急におでこが痛くなって――って感じかな。あれも魔法だったの?」
「知らん、分からん。気味が悪いくらい、何もわからなかった。それと、でこを引っ叩いたのは俺だ」
「えぇ!? やけに痛いのはシオのせいだったのか……」
むう、と赤くなった額を擦る傍で、シオは得体の知れない少女に警戒心を強める。
魔力を感知した以上、あれは魔法か魔術のどちらかではあるが、レイにとっては対処のしようがない。
シオは自分に効かなかった、あるいは対象にならなかったのは、少女の魔力ではシオの防御を突破できないと判断したからだと考えていた。
魔術の事は詳しくは分からないが、魔法に関してはギンの容赦のない教育のお陰でかなり精通しているとも言えるほどに技量があるシオ。
魔力同士の争いは、肉弾戦以上に分かりやすい。
単純に保有量の大きい方、威力の高い方が勝る至極簡単な仕組みなのだ。そこに技術が加わるのは同レベル帯での小手先の技術でしかない、と教わった。
ゆえに、シオはギンとの鍛錬の最中、魔法を魔法でかき消すような真似はせずに、ただひたすらに凌ぎ続ける事に集中した。その過程でギンのアドバイス通りに魔力の練り方だったりを実践を通して学んだ。
そうやって、ありとあらゆる魔法に詳しいギンの知識をほぼ受け継いだシオでさえ、今目の前で気絶する桃髪の少女が何の魔法を使ったのかは不明。それはつまり魔術であると確定することもできるのだが、魔術であれば必ず必要となる媒体を少女が持っている様子は無い。
襤褸切れ一枚しか身に纏っていないし、後ろ手に隠していたと言う様子もないのだ。媒体を経ずに魔術を行使できるのだとすればそれは最早魔法と何ら変わらないのではないか、と思考を繰り返していると、意識を失っていた騎士達が呻き声を上げ始める。
「……こいつらの目が覚める前に、戻るぞ」
念には念を、と真っ先に目を覚ましそうだった大柄な騎士の男めがけて三度目の尻尾が振り下ろされる。
既に全身血塗れだろうが、シオは容赦なく目覚めかけた意識を刈り取り再び沈黙させる。
「うん。セリカが、待ってるもんね。……今から帰ります、アイリーンさん」
麻袋を捨て、アイリーンの頭を抱くレイ。
苦労の数々が皺に出る中年の女性になろうとも、決して美しさは損なわれない綺麗なままの死に顔。
それが、レイにとっては酷く罪悪感を刺激するもので、どうして笑っているのか、笑っていられたのか。どんなに考えても分からないままだった。
せっかくセリカと仲直りできたのに。
これから先、苦労した分だけ幸せな未来が待っているはずだったのに。
報われることがないまま、アイリーンはこの世を去った。殺された。未来を奪われた。
その事実がどれも受け入れられずに、地面に横たわる騎士に憎悪を向ける。
「この人たちのせいで……」
「レイ」
「分かってるよ、シオ。分かってるけどさ……! でも、この怒りは誰にぶつければいいの? このままじゃ、僕は僕を許せそうにない……」
あの場では、セリカが一番悲しいはずだと判断し、唇を噛んでまで感情を吐露するのを抑えた。
実際、あの状況でレイが自分を責め始めてしまえば収拾がつかず、今こうしてアイリーンの首を取り返すには至らなかっただろう。
だからこそ、今ここで騎士を打ちのめしても尚、アイリーンの首を取り返しても晴れることは無かった感情を吐き出す。もしレイの心が晴れるとすれば、アイリーンが奪われなかった未来のみだろう。
「あまり自分を責めるな。起こった過去はもう変えられねぇ。今をどう生きるか、ただ最善を尽くすことしか、俺たちに出来ることは無ぇ。レイも、それくらいは分かってるんだろ」
「分かってるよ、分かってるけど……納得しちゃったら、アイリーンさんの死を受け入れちゃったら、駄目な、気がするんだ……!」
「……そうだな。だが、俺は何も許せとは言ってねぇ。俺たちに出来るのはこれまで、って話だ」
「もう、何もできないの?」
「それはお前次第だぜ、レイ。こいつらにアイリーンを、母を奪われたのは、他でもないセリカだ。俺たちはあくまでも他人。奪われた分を取り返す役目は、当人の権利だからな。……時が来るまで、俺たちはもう何も出来ねぇよ。我慢して、堪えて、堪えて堪えて堪えて堪えて……、その時が来るのを、待ち続けるしかねぇ」
腸が煮えくり返っているのはレイだけじゃない、と伝えるかのように牙を剥く。
僅か数日の関わり合いで、アイリーンはレイだけでなく、シオからも尊敬を集めた。
それだけの人間を、いかなる理由があろうとも奪っても良いなどとのたまう摂理など、壊れてしまえばいい、と本気で考えながら、熱い吐息を吐いた。
「シオ……」
「――俺たちは今、出来ることを全力でやった。それで十分だ。後はただ、時を待つしかねぇ。その時に備えて、今は帰ろうぜ」
「……うん」
納得はしかねるが、反対もしない。と言った様子で首肯を返すレイに、シオは背中に乗るよう声をかける。
シオは何事も明言を避け、常にレイに考える余地を与える。
このことを踏まえても尚、レイが騎士を抹殺しに動こうと言うのなら、シオも当然付き添うだろう。
だがしかし、感情のままに動くことが本当に正しいものか、と言う疑問の種を植え付けさせることでレイにいくつもの選択肢を与える。
それこそがシオ流の教育術、もとい、レイを幸せにする会の教義の一つでもある、幸せに導く手引きであった。
「ねぇ、シオ」
グレイ爺と、ヒジリと同じ死に顔のアイリーンを胸に抱いたレイが、背に跨った状態で声をかける。
そうだろうな、といくつかの想定が浮かび上がる中で、シオは続くレイの言葉を遮るかのようにして言葉を挟んだ。
「俺は一応、止めておけ、とは言っておくぞ」
「うん、でも……」
当然、ヒジリとよく似た少女を放ってはおけない。レイは間違いなくそう口にするだろうと予想していたが、レイが視線を向けたことで明確になる。
「危険なのは分かってるけど、お願い」
様々な言葉を選んでいたが、結局は真っ直ぐな目で頼み込むレイ。
シオがレイの頼み事を拒否するはずも無く、ハァ、と大きな溜め息を吐いて桃髪の少女を尻尾の先で器用に掴んで持ち上げる。
多少ばかり雑な扱いではあるが、ヒジリとは全くの別人だと考えている以上、シオが桃髪の少女に礼を尽くす義理などあるはずもない。
「レイが責任持って世話するんだぞ」
「世話って、なにそれ」
光輪の翼をはためかせ、森の上空に飛び上がったシオは、まっすぐにセリカが待つ家に向かう。
背中にはアイリーンの首を胸に抱いたレイを乗せて、夜も更けた空を飛翔するのであった。




