73話 自分が信じた道は、思いは貫き通す
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魔力が込められた黒インクが宙を舞う。
不思議な言の葉と共に綴る羽ペンに沿って、小さな瓶の淵を取り囲うようにして複雑な文様を刻み込んでいく。
それこそが魔術式と呼ばれるもので、アイリーンが書き記す魔術式は実に繊細さを極めていた。世間一般に溢れる魔道具にも、魔法使いの技術として魔術式は「魔法式」と名を変えて広まっているが、魔法使いが片手間で覚えたそれらはお粗末で、専門家であるアイリーンが書き記す魔術式とは比べ物にならない。
一般人と変わらない程度の知識しか持たないセリカでさえも、その違いは一目瞭然だった。
ただ黙って口を開けて、理解の及ばない芸術かと見紛う程の魔術式を目に焼き付けているのは、娘のセリカ。
魔術式はやがて瓶の側面を伝って生きているかのように羽ペンの示す方へと動き、やがて文字の羅列から効力を発揮する陣へと移り変わっていく。
アイリーンの作る道具は全て魔道具。
それは内容物ではなく、容器に魔術を刻むことで魔術的効力を持った瓶が出来上がる。レイやシオは瓶の中身が魔道具だと勘違いしているようだが、実際には瓶本体が魔道具なのであった。
「分解・攪拌・抽出・合成・魔混。容量さえ計って入れてしまえば、後は瓶が勝手に薬を作ってくれるようになるわ」
「今ので五個も……」
普通、魔法使いが王国全土に流通させる魔道具でも魔術式の刻印は三つから四つが限度。村にある魔道具で最も高価なものはジェニーの食堂にある魔道コンロであるが、あれには「燃焼・消化」の二つの魔法式が刻まれている。
当然数が増えるのに比例して値段も、そして魔道具のサイズも大きくなっていく。そのはずなのだが、セリカはたった今自分の母親が何をしたのかを理解するのが酷く恐ろしく感じているのと同時に、奇跡でも見ているのかと思えるほどに自分の目を疑った。
「まこん、って?」
「込められた魔力で刻印が現象を引き起こす。ここまでは昨日も言った通りね。でも、その過程で物質に魔力を込めることは出来ない、とされてきたの。魔術式が作動している時に加えて魔力を注ごうとすると、魔力同士が干渉して別の何かを引き起こしてしまう。でも、魔混であればただかき混ぜるだけじゃなくて、最初に込めた魔力を使って魔力も一緒にかき混ぜることができるのよ」
「う、うぅん……」
セリカの反応が著しくないことに気が付かず、アイリーンは若干の早口でもって解説を挟む。
魔術的要素を多く孕む今回の薬品に関しては、魔力を練り込むか練り込まないかで成果が大きくことなるのだとアイリーンは語った。
昨晩、セリカがアイリーンの魔術道具に興味を持ったことからこうして打ち解けるに至った。セリカが実際に魔術に興味があったわけでは無い。アイリーンのように研究に打ち込むだけの熱量も、有り余らせるだけの魔力も、セリカは持ち合わせていなかったから。けれどもこうして話を聞いた上に、その研究が人を助けているのを目にしたことで、更なる強い興味を惹かれていたのもまた事実なのであった。
「――本当は分解・攪拌・抽出の三つの魔術式の刻印が出来れば同じことができるわ。結局抽出した後に出てくる不純物を取り除かないといけないし、魔混も手作業でやれば十分効果のある薬が出来上がるのよ」
「じゃあ、なんで五つも刻むの?」
「それはもう、刻めるなら刻んだ方がいいからに決まってるわね。これはロマンなのよ」
ばちこーん、と華麗にウィンクを決める見た目だけは自分とそう変わりない年頃に見紛う程に美しい母親に対して、セリカは何とも言えない表情を見せる。倍以上離れているはずの母親が、少女のように明朗な表情を見せるようになったのがここ最近。あの変な子供が来てからのこと。
しかし、それ以前にも見ていたはずの母親の顔が思い出せないのは、セリカが意図して見ないように、思い出さないようにと記憶を封印してきたツケが回ってきたのだろう。
これからは、これまでの分を取り返すつもりで関わり合えたら、と失くした時間を、手放した時間を手繰り寄せる思いで決意を新たにしたセリカ。
その横顔はどこか思いつめたようにでも見えたのか、アイリーンは気を遣って声をかける。
「セリカ、その机の引き出しからモドリカの葉を取ってくれるかしら」
「うん……。――え、これって……?」
アイリーンの言う通りに傍の机の引き出しを覗いた瞬間、セリカの目に飛び込んできたのは素材とは別のモノだった。
――『セリカへ』と書かれた一綴りの手紙だった。
「本当は、セリカが家を出る時に渡そうと思っていたの。手紙もコレも、受け取ってもらえなかったとしても」
「……っ」
「セリカが今、こうして私の傍にいてくれているのは、村で私が傷付いるだろうからって、一緒にいてくれているのよね」
「っ、ち、ちがっ……!」
「違くても、私がそう思いたいの。私の大事な娘は、セリカはこんなにも優しい子なんだ、って噛み締めていたいのよ」
アイリーンはそう言って顔を赤くさせて背けるセリカの手を柔らかな手の平で包み、宝物のように胸に抱いた。
こうして並んで立ってみると、いつの間にアイリーンよりも背が高くなったのか、と哀愁にも似た思いを抱くセリカは母親を静かに見下ろす。
愛娘セリカの温もりを直に感じたアイリーンは魔術について語り散らかしていた時のような輝かしい眼差しとは異なる、人の親らしい穏やかな目でセリカを見上げたのちに、手紙と一緒に引き出しにしまっていた首飾りを自分の手でセリカの首に通す。
「ふふ、良く似合っているわよ」
「これ、って……!?」
首飾りを身に着けた瞬間、セリカの感覚が今までとはまるで異なるものを感じ取り、セリカはその変化に戸惑うばかり。
「これを付けていると、魔力を知覚する器官が増幅されてよりはっきり、より色濃く判別できるようになるわ。ほら、私とお揃いなのよ」
意識して見れば、アイリーンにも全く同じ魔術式が刻み込まれた首飾りが。
それはセリカも知らないアイリーンの過去にまつわるのだろうか、とセリカはポカンと口を開けて止まってしまう。
「い、嫌だったかしら……?」
「う、ううん。全然! そんなこと、ないけど……」
「そう? それなら良かったわ」
素直に「ありがとう」と感謝の言葉を口にするのが気恥ずかしく感じてセリカの顔は瞬く間に沸騰していく。
こんなにも自分の事を思ってくれていただなんて知らなかった、と言い訳がましく言うことは出来るが、それでセリカがアイリーンのことを蔑ろにしてきた罪は消えないし、これまでの自分がとてつもなくちっぽけで、恥ずかしいことをしていたんだと再三に渡って思い知らされる。
アイリーンはセリカの事を優しい子、と言うが、セリカからすればアイリーンの方こそ底知れない深さの器を持つ母親だと痛感させられるのであった。
「初めの内は鋭敏な感覚に慣れるまで気持ち悪くなるから気を付けて適度に外すようにね?」
「うん……」
こんな親不孝な自分でも、まだ愛する娘だと言ってくれるアイリーンに顔向けできずにセリカは思わず背を向けて感極まる。
声を押し殺して、涙を流すセリカを、アイリーンはただ黙って見守った。
『自分が信じた道は、思いは貫き通す』
グレイ爺が過去にアイリーンに見せた背中と生き様に添えられた言葉。
貫き通した結果、彼は最後に現世を離れる選択をしたのだけれども、レイと言う少年に出会えたことでその選択が間違っていなかったことを証明した。
そしてアイリーンもまた、何があっても愛娘を愛し続けると誓い、貫き通した。
いつか必ず愛が伝わると信じて。
それがこうして、実際に伝わったことを痛感するあまり、アイリーンもまた感極まるのであった。
セリカとは異なり、ただ黙って、一筋の線が頬を伝って落ちる極めて静かなものであったが、それでも確かにアイリーンは泣いた。誰に見られることも無く。
……すん、と最後に一つ、鼻を啜る音を聞いたアイリーンは静かにセリカの横に立ち、引き出しに入っていたもう一つの魔道具を手にする。
「これは、レイ君の指輪。サイズが合うと良いんだけれど」
飾り気のない、シンプルな指輪。
セリカがアイリーンの指で摘まれた指輪に抱いた感想はそんなものだった。
けれども、首飾りによって鋭敏になった知覚する魔力は簡素な感想を吹き飛ばす様な衝撃を与え、慄いた様子で目を瞠る。
「この指輪はね、セリカに上げた首飾りとは真逆の、魔力による干渉を防ぐ魔術式を組み込んだ指輪なのよ」
「どうしてそんなものを……?」
それはつまり、この指輪の魔道具を着けてしまうと魔力の感知はおろか、魔力による恩恵も受けられなくなる。それが意味することでセリカの頭に浮かんだことは、国民審査によって弾かれることが決まっている、と言う事だった。
そんな絶望的な状況に追い込まれるようなものを、セリカが妬くくらい可愛がっているあの少年に渡す意味が分からなかった。
だがそれはアイリーンも同じようで、首を傾げながらセリカの問いに答える。
「これが必要になるかどうかは、正直分からないわ。でも、この魔道具が、指輪がきっとレイ君を助けてくれるような気がしたのよ。こう、ビビビッ、とインスピレーションが湧いてきて、閃いたの。魔道具作りに欠かせないのは、こういったインスピレーション。閃きに素直でいる事ね」
それは言ってしまえばただの勘であり、頭に浮かんだものを作りたかっただけなのでは、とアイリーンと一晩過ごしたことで知らなかった母の顔を多く知ったセリカはジト目を向ける。
母は魔術に関して優れているが、同時に傾倒気味なところがあるが故に、とセリカは自分の仮説が半ば正しいのではないかとすら考えていた。
だが、「帰ってきたら渡してあげましょう」と楽しそうに微笑むアイリーンの姿を見て、それを口にすることは無かった。
毒の汚染が今も広がっている中、どこか平穏な時間が流れる家の中。
その平穏が崩れる瞬間はあっという間に訪れる。
それは、気を取り直してモドリカの葉を用いた魔道具の試運転に取り掛かろうとしたその時だった。
「――ッ!?」
ゴウッ、と強風が窓ガラスを叩いたかのような威圧感が衝撃となってセリカの背中に叩きつけられる。
思わずよろめいたセリカに、アイリーンが大丈夫かと手を差し伸べるが、セリカはその場から立つことができない。
息が苦しくなり、汗が噴き出すこの感覚を、セリカは知っている――憶えている。
それは、数年前に父親を名乗る筋骨隆々な老人が母の元を訪ねてきたときだった。
忘れようもない恐怖を感じたのは、過去にもあの一度のみであったが、それと似た感覚がセリカを襲う。
強大さで言えば遥かに過去の記憶に軍配が上がるだろう。けれども、今こうして感じているモノは、恐怖を駆り立てるような気味の悪さに秀でているようで、身の毛もよだつような感覚が止まらない。
「ぅ、ぐっ……!」
「ど、どうしたの?」
セリカの異様なまでの様子に違和感を抱いたアイリーンが表情を覗き込むが、変わらぬ様子のアイリーンは気付いていないのだと理解すると、これは知覚領域の広がった魔力によるものでは無く、常人は持ち得ないはずの竜気によるものだと即座に理解する。
その場に縛り付けるような根源的恐怖を煽る趣味の悪い竜気によって、セリカは思い出したくもない記憶を呼び起こされる。
たった今反省したばかりの記憶を、無理矢理に引きずり出される。
五年ほど前の出来事。
セリカは柱の陰から、父親を自称する老人が母に会いに来た光景を偶然目にしてしまった。
その老人は目に入れるのも恐ろしい存在感を放っており、人間としての格が違うことをその場にいるだけで思い知らされた。
その日抱いた恐怖を、セリカはしばらくの間夢に見ては魘された。その直後に、同じく竜気を操る男の下で自分の力を学び、父を自称する老人が竜気を極めていることを知った。
そんなセリカの恐怖の象徴をしてより色濃く鮮明に覚えている記憶が引きずり出され、恐怖に恐怖を重ね塗りするかのような体験を味わうも、不思議な事にセリカの体に纏わりついていた薄気味悪い恐怖は最早なんの重みも感じられていなかった。
「……え?」
気味の悪い感覚は続いてはいるものの、力の入らなかった手足にも力が取り戻されていく、活力が湧き出る感覚はどこか心地よい。それはまるで、セリカを襲っていた恐怖心をより大きなもので笑い飛ばしたかのような快活さを感じさせてくれる。
けれども、その不思議な体験に呆けてばかりもいられずに、セリカはアイリーンの研究室を飛び出し、リビングに向かう。
するとそこには、ノックの音に反応し外に繋がる扉に手をかけたジークの姿が見えた。
駆け込む勢いのまま、セリカはジークの背に向かって吠える。
あの気味の悪い感覚は消えたはずなのにまだ背筋を撫でるような感触を思い出しては体が震えると言うのに、その扉だけは絶対に開けてはならない、と言う気概で喉を開き、気迫を込めて声を上げた。
「――開けちゃ駄目ッ!!!!」




