70話 思いやりを捨てた人間は獣と変わらない
読んでいただきありがとうございます。
本日三話目。
途端、その一石を皮切りに投げ込まれる大量の小石と、心無い言葉の数々。
「魔女め!」
「善人ぶるな!」
「お前が毒を持ち込んだんだ!」
「どうしてこんな非道いことが出来るの!?」
「出ていけ! 魔女め!!」
「帰れ!」
「魔女め……! 俺たちは騙されんぞッ……!! 俺たちが騎士を呼んだから、こうして皆殺しにするために毒を用いたのだろう!! 貴様、人の心がないのかっ! このっ、化け物めがっ!!」
「っ、レイ君!?」
何ひとつ的を得てなどいない男が、勢いに任せて手に持った石を勢いよく投げつける。それまでは直接人を傷付ける行為から目を背けるかのようにレイの足元であったり、届かぬ距離に転がすように放られていた。
しかし、荒い呼吸をして目を血走らせる男は、明確に排除すると言う意志を以てレイ目掛けて投石する。
勢い良く放たれた石はレイの額に直撃し、鮮血が舞う。直撃を受けたレイだったが、それでもその後ろのアイリーン及び家屋に傷がつかぬよう跳ね返った石をその手で受け止め、地面に転がした。
「……」
「……おい、レイ」
「大丈夫だから」
半身を傷付けられた怒りで殺意を放とうとしたシオを宥め、右目が赤く染まる中で村人たちを睨み返す。今さら額の傷が一つ増えたところで、レイにとっては変わりない。アイリーンやセリカが傷を負うくらいなら、自分が身を挺してでも守るべきだと判断した。
「……っ」
実際に血が舞ったからか、村人たちの怒りが下火になりつつ冷静さを取り戻しつつある中でも、レイに投石をぶつけた男の怒りのボルテージは決して下がることはなく、変わらず敵意をむき出しにしてレイの前に立ちはだかる。
「あなたの家族は無事だったでしょう!? なのに、どうして……」
投石が落ち着いたからか、アイリーンの隣から顔を出すセリカが口に出すと、レイもまた男の顔を思い出す。
彼は確か、自分の子供が苦しんでいる中でも決してレイ達の救助行為には手を貸そうとはせず、アイリーンとセリカの処置をただ恨めしそうに睨んでいた男だ。子供は男の妻、つまり母親の献身的な支えもあって無事だったが、レイ達が去った後で憤怒する声が聞こえてきたのを思い出した。
しかし、セリカの口ぶりではどこか恩着せがましく、男を余計に刺激する結果になってしまうのではないかと危ぶまれる。アイリーンもまたそれを危惧していたのだが、その予想はまんまと的中し、男はさらに憤慨した様子で口角泡を飛ばす。
「お、お前たちが持ち込んだ毒だ!! 治せるのは当然だろう!! それに、この魔女共の手を借りたやつらも同罪だ! ――いや、そもそも毒なのかも疑わしいがな! 所詮魔女共の自作自演。倒れた連中もまた魔女の一味が演技したに過ぎない! 俺たちを余計に怖がらせ、魔女の思うままに村を操ろうったってそう上手くいくと思うなよ! 俺がお前たちの策謀を防ぐ! そうして俺はこの村の救世主となるのだ!! 見ていろ! この水が毒ではないことを、俺が証明して見せる!!!」
どう考えても破綻している内容に、男と同じようにアイリーンに向かって石を投げていた村人たちも「それはやり過ぎだ」と言った様子で困惑する。
けれども、男は自分の言葉をそうだと信じて疑う余地も無いように演説し、汚染された井戸から水を掬って見せる。
それだけならよかったものの、自己を持たない、大多数の意見に流され続けてきた無責任な村人たちの幾人かは感化され、男を支持するものまで出てくる始末。
「いいぞ!」
「やれ!」
「俺たちの正義を証明してくれ!」
その様は言うまでも無く異様で、気味が悪かった。
本当に救う価値があったのか、とレイが疑問を抱く中で、背後にいたアイリーンが井戸の水を口に運ぼうとする無謀で愚かな男を救うために動き出す。
駄目だ、と口にしたところで止まりそうにないことは分かっていても、アイリーンの悲痛な声を聞くくらいならば、とレイは手に持った石の欠片を指で弾き、浅はかで脳足りんな男の手に持った水を叩き落とした。
「――ぐぁっ!?」
見えない何かに弾き飛ばされた地面に転がった男は、手の平の激しい痛みに困惑する。
周囲の村人もまた同じように、アイリーンやセリカもまた驚愕した様子を見せる中で、たった一人、冷たい視線を向ける少年を見てほくそ笑む。
「は、ハハ……! ついに本性を現したな! 化けの皮を剥いでやったぞ余所者め……! どうする、俺を、俺を食ってみるか!?」
安い挑発をして見せる男は、その様だけ見れば十分に勇敢なのであろうがレイの目に映る男は、尻餅をついて後退りながら、声を震わせ、顔を引きつらせているだけの弱者。本当にレイが村人を何とも思っていなければ、これ以上不快な気持ちにさせる村人に対して恩赦も情けもくれてやるつもりは無く、今頃はその喉笛に矢が突き立っていた事だろう。
今こうして憐みの目を向けるだけで済んでいるのは、偏にアイリーンが望まないからと言う理由に過ぎない。それ以上何もしてこないのを見て、「怖気づいたか」と調子に乗る男が周りの村人に支えられて立ち上がる。
支離滅裂でなんの証拠も、説得力も感じなかった男の言葉に賛同するように、再び目の前で人垣を形成していく村人たち。
ちらり、とアイリーンの横顔を振り返ってみると、アイリーンはその綺麗な顔を崩して苦々しい表情を作り出して歯噛みする。それはセリカもまた同様で、「意味わかんない」と呟いては母親の方を心配そうに見上げていた。
加えて、アイリーンによって家族の命を救われた村人も、アイリーンの助けに入る素振りは無い。圧倒的大多数の意見の前に、孤立することを恐れているようだった。閉鎖的で繋がりの深い村の中で村八分になることは、死を意味すると言っても過言ではない。
村八分を恐れての行動だろうが、八分にされようがされまいが、そう遠くない未来にはこの村は立ち行かなくなるだろう。それならば、恩を仇で返すような真似ではなく、恩には恩で報いろうと考えるのが、人間では無いのだろうか、とレイは考えてしまう。
――思いやりを捨てた人間は、獣と変わらない。
ヒジリが言った言葉だったか、それともゲンさんだったか、不意にそんな発言を思い出した。
――獣の中にも当然、思いやりを持つ獣もいる。だがそれは広くても自分の家族に限定される。動物の中で、家族でもない他者に思いやりを持てる存在、それこそが人間の唯一性であり、人たらしめる要素である。
それであれば、目の前で思いやりを捨て、流れるままに身を任せて思考を放棄し、言葉を交わすことも忘れた存在を何と言えばいいのか、レイには思い当たらなかった。
「……まるで獣だな」
口々にアイリーンを、レイを罵る村人たちは、きっと自分たちは安全だと思い込んでいるに違いない。
アイリーンもレイも、反撃する素振りを見せないのだから、好きに口撃していいものだと本気で思い込んでいる。
「いくらなんでも、これじゃあアイリーンさんがかわいそうだよ……」
報われて然るべき行いをしたはずのアイリーンの心境は、今や失意の底にあり。想像するだけでも胸が痛くなるような状況で、レイは何も出来なかった。ここで手を出すことが、アイリーンが堪え続けている今を無駄にする行為だと分かるからこそ、投げられる石からアイリーンとセリカを守る事しか、できなかった。
身体強化を施していないレイの体は、並の人間と変わらない。日頃の鍛錬の成果で多少は丈夫な肉体を得ていようとも、石がぶつかれば血が出るし、痛いのだ。
そんな現状に怒り狂うシオもまた、レイに止められ、歯痒い思いを募らせる。
体中に打撲痕が増えていく中、レイは決して折れることなく前を、村人たちを見据え続けた。
――この痛みは、知っている。知っているから、耐えられる。
決して折れない眼力に、村人たちには決して曇らせることができない眼光に、次第に罵声も投石も勢いを弱めていき、遂には悪意の雨も止む時を迎える。
けれども、真の悪意は遅れてやって来る。
後方からざわめきが聞こえ、アイリーンの時は避けるように開いていった人垣が、道を譲るかのように開いていく。遂にレイ達の目の前まで道が開くと、鎧を着こんだ五人に加えて、村長とジークの姿が見える。
騎士が足を止めると、村長とジークの二人が慌てた様子でレイ達の元へと駆け寄ってくる。
「な、何事かっ!?」
「酷い怪我だ……っ」
アイリーンがレイの体を心配する横で、レイはその場で膝をつくことも無いままに腕を下げ、ただ憮然とした様子で騎士の動向に目を光らせていた。
『よくやった』
特段耳が良いわけでは無いレイがその天賦の才である目で唇を読んだ先では、村人を扇動した男に向かって騎士が耳打ちしていた。しかし、その光景を目にしてもレイは驚かない。
何せ、川を汚した犯人が騎士連中であることを知っていたから。非道の頂点とも取れる行為を微塵も後悔した様子など無く行った騎士ならば、村人の中に手の者を仕込んでいてもおかしくない、とシオから言われていたからだった。
村人、ひいては国民から圧倒的な支持を集め、実際に愛を囁かんばかりに慕われている可能性も含めて考え、村人が騎士に有利になるよう動く可能性は十分以上にあった。
もしあの場で手を出していたならば、レイとアイリーン、加えてセリカの立場は非常に悪くなってしまっていただろう。作戦立案のシオが真っ先に我慢の限界を迎えると言うのが一番の想定外であったが、今ではすっかり冷静さを取り戻し、服の下で完全に息を潜めている。
「……おや少年、酷い怪我だな。おい、治してやれ」
先頭の騎士、アルフォンゾは明らかにレイを見下した態度で近寄っては、土と血に塗れたレイを鼻で笑って指示を飛ばす。その指示に従ってアルフォンゾの横に現れた騎士もまた、表情を隠す素振りも無く回復ポーションをおざなりな様子でレイの頭からかけた後、地面に唾を吐いて下がっていく。
安物とは言え、回復ポーションは確かに効果を発揮しレイの傷は瞬く間に消えていく。
アイリーンがハンカチを当ててくれていた額の傷もまた、血痕だけを残して綺麗に消える。その光景を目にした村人が一様に騒めき立つ。
「余所者に施しを与えるなんて……!」
「流石は騎士様だわ!!」
これはつまり、騎士への信頼を底上げするためにレイはパフォーマンスとして利用されたのであった。
その事実にシオが憤慨しないはずもなく、背中に回った尻尾が怒りでワナワナと震えているのが良く分かる。
加えて、パフォーマンスをすることによって底上げされた信頼は妄信の域に突入しており、余所者、異端者であるレイが例え確たる証拠を持ってきたとしても、決して聞く耳を持つことは無いだろう。むしろ、証拠をでっち上げたとさえ言われ、騎士の思う壺に陥る。
レイとセリカが真実に辿り着いていようといなかろうとも、効果的かつ、決定的な一手であり、僅か一手でレイ達が逆転する芽を摘んだのであった。
何をしても無駄だ、と牽制するかのように見下す騎士アルフォンゾは、目の前の小さな子供から目を離してその隣で甲斐甲斐しく世話を焼く魔女アイリーンに視線を移す。
喧嘩を売るような視線に当然アイリーンは気が付くも、一瞬だけ目を向けたのちに興味無さげな様子で目を伏せ、即座にレイの血を拭う作業に戻った。
「っ、貴様――ッ」
この状況、どう見ても魔女の方が不利であるのにも関わらず、アイリーンは怒り狂う事も無ければ悲しむ訳でもない、ただ純粋に心の底から興味が無いような目を向け、興味関心をレイに戻す。アイリーンの優先すべきものは騎士よりも自分の立場よりも、アイリーンを守ってくれた立派な騎士サマを労う事であった。
無視をされた程度では騎士アルフォンゾも憤慨などしなかったものを、興味も無いと言った様子の流し目が、アルフォンゾのトラウマと重なってしまうがゆえに、騎士アルフォンゾは一歩を踏み出す。
あの日の――三年前の屈辱を薙ぎ払うべく。
しかし、踏み出した一歩は、他の騎士でもなければレイでもない、ただの老人に止められてしまうのだった。
「――騎士様、まずはこの事態の収拾に動いてもらってもよろしいですかな」
「……あぁ、だからこうして動いているのではないか。此度の元凶たる、川に毒物を流し村を恐怖の渦に陥れた災厄の魔女を討つために、な。……理解したのなら、退いてくれると助かる。それとも何か、村長自らその危険な魔女の説得に及び、こちらに引き渡してくれるとでも?」
騎士アルフォンゾの演技がかった発言に村人たちはいちいち騒ぎ立てる。騎士の言葉に、自分たちの疑念に裏付けがされたおかげか、まるですべてが解決に向かっているかのようにあちこちから安堵の声が色めき立つ。
圧倒的に騎士を支持する村人たちを前に、村の中だと言うのに村長はアウェイな状況に立たされてしまっていた。けれども、不愛想で頑固でドケチな村長は元から村から浮いていたような存在。ゆえに、この空気感が異様に気持ちよく、昂ってさえいた。
されどこの状況で立ち上がって声を上げるのは危険極まりなく、そもそも魔女を庇い立てする行為自体、村長にとっても危険すぎる橋を渡っている。
騎士アルフォンゾの口から次から次へと溢れ出す言の葉はもっともらしい説明を語ってはいるものの、真実を語っている様子は無い。そのことから言葉の隅々まで欺瞞に満ちているのを感じ取った以上、アイリーンへの恩義を抜きにしても、村長がこの場から引く事などあってはならなかった。
――村を荒らした人間を、どうして信用できようか。
村長は、目の前の騎士を信用するくらいならば、アイリーンが懇意にしている素性の知れない少年に信を置く方が得策と見た。
今も尚、騎士アルフォンゾに無かって変わらぬ目を向け続ける少年は、その小さな身体にどれだけの力を秘めているのか、歳を重ね、さまざまなものに目を通してきたからこそ分かる感覚が警鐘を鳴らし続けている。この少年は敵に回してはいけない、と。
――ゆえに、庇う。
否。それがなくとも、罪なき人間が傷付く状況を、見ていられなかった。
愚かな息子が残した最愛の孫は、甘やかして育てたせいかこういった場面では極度に緊張して動こうともしない。であれば、背を見て学べ、と杖を片手に騎士へとしかと向き直り一言。
「断る」
そう断言し、不快な様子で表情を歪める騎士達をその目で睥睨する。
「……ほう。魔女を庇い立てすることがどういう意味か、分からぬ村長では無かろう」
「えぇ、十分に承知しております。それでも、アイリーン殿はこのような極悪非道な所業をしでかすお方ではないと知っているのも事実。ゆえに騎士様と言えども、証拠も無い状態で押しかけられたところで、村の恩人を売るような真似は出来ませぬ。恩には恩で報いる……。片田舎の村人であろうと、心根までも雑草……、いえ、害虫と同じだと思われるのは心外ですからな」
それは騎士に言い放つでもなければ、自分に言い聞かせるわけでもない。ただひたすらに村人に対しての失望が多く込められた声音は、村長が一歩たりとも動いていないと言うのに、目の前の村人で構成された人垣は後ずさり、確かな動揺が走った。
腕を組んで村長を見下ろしていた騎士アルフォンゾは、村長の言葉に黙することを選ぶ。失礼に及ばないギリギリのラインで挑発を行う村長の器用さに感心したのと同時に、その言葉に言い返すことができないのもまた事実であった。
当たり障りのない内容であれば、村人たちの信頼が薄れ、けれども頑なと言い返してはどこかボロが出る可能性もある。
そう思考しにらみ合いが続くと思われた状況で、騎士アルフォンゾの脇から一歩踏み出した騎士がアルフォンゾが恐れていたことまで口にしてしまう。
「……雑草だ、害虫だなどと言っては村人がかわいそうだ。ほら、今も委縮してしまっているでは無いか。それに、証拠なら間違いなく存在している。川の汚染は確かにこの魔女の家の傍から広がって――」
「――川の様子をご存知、と? おかしな話ですね。騎士様方は私とジークが迎えに行くまで、あの空き家から出て無いと仰っていたではありませんか。幸いにも空き家は川辺とは正反対。騎士様方に万が一のことがあってはと一安心したのを、ワシは確かに覚えていますぞ。……だと言うのに、何故、騎士様が川の様子をご存知なのか。お答え次第では、審問官にお伝えすることも考えねばなりませんな」
「……」
その騎士は確かにアルフォンゾの力になろうとしたのだろうが、全くの逆効果。
村長は鬼の首取ったり、と言わんばかりに晒された弱点を苛烈なまでに突き、村長とアルフォンゾは睨み合う時間が続く。
その間に村長はジークに指示を飛ばし、レイ達をこの場から逃がすことを優先させる。
「村長さん、ありがとう」
当然騎士の邪魔が入るかと思いきや、なんの手出しもされることなく騎士の横を通って、開いていく人垣を抜けていく。
「容疑者をみすみす逃すとは、どういったおつもりかな村長」
「容疑者? いえいえ、彼らは村の恩人ですよ騎士様。そこは勘違いなさらぬよう」
「魔女がいつ牙を剥くかもわからない状況を引き延ばしにすると言う事が、村人を危険な目に合わせる事に繋がることを、理解していないのか。現にこうして――」
「現にこうして? そうですな、えぇ、まったくもって騎士様の言う通り。村に危険をもたらす存在を、排除するのもまた村長としての使命。しかし、排除されるのは……、貴方がた、ですがね」
「貴様、俺に向かって唾を吐くつもりか?」
「この老いぼれが、そんな大それたことが出来まるように見えますかな? 先の話の続きといきましょう。――何故、騎士様は川の汚染をご存知か? 何故、アイリーン殿の家を知っていて手をこまねいているのか。お話いただけますかな?」




