6話 身の程を教えてやるよ
読んでいただきありがとうございます。
幻想の森において、真剣は幻想師のみが持つことを許される。
聖区にいると言われる炎と鉄の扱いに優れた幻想種が生み出す剣は、羽のように軽いとも、大木すら容易く切り落とすなど、様々な謂れを持つ。
その真剣こそが幻想師の証であり、幻想師を夢見る子供たちにとって一番最初に憧れを抱くもの。
故に、幻想師を目指す子供たちにとって、剣での試合は絶対に負けられないもの、負けたくはないものであった。
「ハンデとして、俺は俺の幻想種の力を使わないでおいてやるよ! まぁ、お前は好きに使ってもいいぜ? その竜の面汚しに、何かできるもんならなぁ!」
ハッ、と鼻で笑いながら芝居がかった風体で煽っていくシュウ。
――幻想師は、半身たる幻想種の力を自分の物として扱うことができる。
取り巻きの子供たちも、傍らに連れたジャッカルのように身軽な身のこなしも、水の精霊のように奇跡のごとく水を生み出したり、沼蛙のように頑丈になったりと、それぞれに応じた力を持ちうることができる。
対して、レイはシオの力を欠片すら引き出すことができないでいた。
引き出す以前の問題として、シオが何の力を持っているのかすら知らない。
幻想種としてはトップクラスに竜気への適性が高いはずの神性竜種に属するシオだが、力に目覚める気配は微塵もなく、レイは大食いがシオの力なのかも、なんて本気で考えていた。
しかし、傍から見れば能力の目覚めない幻想種は使い物にならず、農業区に押し込められる形で存在している。能力が目覚めていない幻想種は数多くいれど、幻想師を目指すのならば能力を使えないのであれば話にならない。
同じ下級区の人間であるシュウやその取り巻きたちのように、それらを虚仮にする風潮が農業区と歓楽区の間に深い溝を生み出していた。
レイが愚か者でなくとも、シュウは初めから農業区育ちという存在を認めずに見下すことが多くあった。
試合において、幻想種の力でもってとれる作戦は多く、農業区の中には今回のように歓楽区の人間と試合をして勝利を収めた過去もあるほどに、戦況を覆す力が宿っていた。
それほどの力をレイが使えないからとシュウは手加減をしてくれた……、というわけでは当然なく。
シュウは、愚か者の分際で幻想師を夢見る己の立場も理解できない愚図に、地面を舐めているのがお似合いだと思い知らせるがためだけに自分に枷を嵌めた。プライドの塊のようなシュウという人間にとって、レイのような人間は目障りであった。
「幻想種としても失格、人間としても失格のお前らに、身の程を教えてやるよ」
――だがしかし、当然それも嘘。駆け引きの一つと捉えることもできた。
外から見ていたアカリはその可能性も踏まえてレイに進言しようとするも、その肝心なシュウの幻想種の姿は見当たらない。陰に隠して戦闘の最中にレイを急襲するのではないかと考えていた。
そして、それこそがシュウの幻想種の特徴で、その全身は実の親でさえも見たことがないと言う程に正体不明だと言うことはこの場の誰も知らない。それはつまり、シュウにとっては懐にもう一本のナイフを隠し持っているという、負けの二文字など過ることもない圧倒的有利の状況だった。
そして、今のレイにはそんなことに思考を割く余裕などなく、彼の発した言葉に不快感を露にするのだった。
「……もう一個追加だ。僕が勝ったら、シオに謝れ――!」
勝負事に、本当の命のやり取りを前に、始めの合図はかからない。
アカリがグリンとシオを抱いて祈る姿を横目に、レイは屈めた膝に力を込めて地面を蹴った。
型の決まりなどない、好きに剣を振り続けたレイの剣だったが、それは児戯と呼んで笑うには行き過ぎたものにまで昇華されていた。
「「「ッ!?」」」
取り巻きが息を飲む音が風に乗って届くが、それもすぐにシュウが構えた木剣とレイの打ち出した木剣がぶつかり合う甲高い音でかき消される。
競り合いになれば当然体格のアドバンテージがあるシュウに軍配が上がるため、シュウのはじき返す勢いに乗って自ら後退する。
「ハハッ、お前の努力が伝わってくる一撃だった、ぜぇっ!!」
ずっと認めてもらいたかった剣の実力。それを初めて褒めてくれたのが、いつだって自分を見下して貶してくるシュウ。その事実に、レイは怖気が走るような感覚で腕に鳥肌が立つ。
しかし、その怖気とは打って代わって「だがな」と言葉を続けるシュウの気配が変わったことに警戒する。
レイの剣を弾き返して振り切ったせいで大きく開いた脇を締め、両手で木剣を握るシュウはこれから訪れる未来を想像してニタリと笑みを浮かべた。
「俺はお前とは違って優秀なもんでな。幻想種に頼らずともある程度の竜気を扱える上に、お前の努力を鼻で笑い飛ばせるだけの才能が、俺には備わっているんだよ。見せてやるよ、幻想師に選ばれた俺の実力を。そして知れ、お前が幻想師を夢見ることなど、分不相応だったとな!!」
刹那、レイの頬を風が薙ぐ。
それが、シュウが通ったことによって生まれた一陣の風だと理解したのは、背後からの一撃を防いだ後だった。
「レイっ!?」
「――ッ、痛……!?」
「…………ハ、ま、まぐれで避けれたのか」
確実に肩口を叩き割る勢いで振った手に残るのは、ほんの微かな手応え。
訪れるはずだった未来とは異なる事態に、シュウは有り得ないとばかりに瞠目する。
シュウの目には、レイが自分の軌道を読んで振り返り、木剣を盾にしながら剣の間合いから外れるべく動いたように見えた。
反応速度に合わなかったからか、シュウの本気の振り下ろしはレイの体を剣ごと吹き飛ばしたのだが、シュウにとってはこの一撃を受け流されるとは思っていなかった。
(反応した、だと……!? そんなバカなことが、できるはずがないだろう! そんなことは、俺と同じく竜気を纏っていないと不可能なはず。それを、あいつからはほんの僅かな、子供かと見紛うくらいのささやかなものしか感じられない。――だとすれば、目で見てから動いた、とでも言うのか? ……それこそ馬鹿げている。確かにあいつは目が良い。だがそれは視力が良いだけの話で、俺のスピードについてこれるなんてことは絶対にないはず。あっては、いけないんだ。……落ち着け、落ち着け俺。今のは偶然。まぐれで防いだに過ぎない。現に今も、俺の一撃であいつは地面を転がっているんだからな……)
「はぁ、はぁっ……。いったぁ……!」
三白眼を見開き内心では焦るシュウと同じく、レイも転がっていた地面から立ち上がって高鳴る心臓に耳を傾ける。
(ふ、触れただけ、掠っただけで右腕がちぎれそうなくらい痛い……! 右腕の痺れが取れないし、恐怖すら感じてしまう。でも、シュウの動きは、目で追えた! まともに受けちゃ、戦いにならないだろうから、次はとにかく、受け流さないと……!)
かっこわりぃ、だっせぇ、みっともねぇ。
取り巻きたちがシュウへの称賛に混じって、情けなく地面を転がったレイを馬鹿にする。
しかし、レイの耳には、アカリの心配する声しか届いていなかった。
「レイ! 頑張って!!」
「きゃう~!」
「ぎゃうっ!!」
痺れが取れてきたころ、レイは応援を背に剣を構えると、同じタイミングで我に返ってきたシュウも剣を構えた。
相対したシュウの姿は、レイの目から見ても初めて対峙したかのような威圧感を感じる。
その変化がレイにとっては絶望的で、今の一撃がまるでお遊びだったかのようにシュウの竜気が膨れ上がった。
「レイ、てめぇ、今、なんで避けた……?」
「な、なんでって、当たったら、負けちゃうから……」
力を込めれば折れてしまうような細枝なレイの体躯からして、同い年とは思えない程に成熟したシュウの一撃、それも竜気の乗った大人顔負けの一撃はまともに食らえばただじゃ済まないのは目に見えている。
これだけの一撃を放つことができる大人は歓楽区にだっていない。確かに幻想師に選ばれるだけの実力は間違いなくあると言えた。
しかし、次も躱せるものかと、シュウの剣に視線を寄せると、突如としていつもの飄々と嘲るシュウの顔つきが真剣そのものに変わる。ある一つの感情を軸にしてシュウのプライドが巻き付くような、整理するには時間が必要な感情が彼の中で渦巻いているのが見える。
そして、レイはシュウが抱いた感情に、シュウ自身が気づくよりも早く察知する。
――あれは、恐怖だ。
それは、レイがシュウから日常的に与えられてきたもの。
シュウはそれを相手に与えることで悦に浸っているが、レイは高揚する気分を微塵も味わえない。
誰よりも早く感じ取ったレイだったが、それに気を取られるわけにはいかない。
一瞬の油断が命取りになる試合で、レイは瞬きを忘れたかのようにシュウの動きを凝視する。
「てめぇが勝つ未来なんか、一生来ないんだよ……っ!!」
「――ッ!?」
有り得ない、あってはならないのだと叫ぶかのようにシュウの力の一端がレイへと迫る。
きりきり、と引き絞られたシュウの体がレイの眼前に吸い寄せられるように動く。
駆け込んでくるのに一切の無駄を省いた足運びは、レイには到底真似できないものだった。
加えて、レイが感じた予感は的中し、見えているのに体が動かない。言う事を聞く聞かない以前に、動いてくれないのだ。
ただ本能の赴くままに急所を守るように掲げられた木剣は、その身を犠牲に奇跡的にシュウの袈裟斬りを防いでくれる。
あまりの衝撃に木剣は根元から粉砕され、両腕に響く衝撃は先ほどの比ではない。
やはり、レイ本人をしても最初の一撃はまぐれであり、努力ともいえない多少の努力では、決して埋まることのない生まれながらにしてある差を埋めることはできないのかと悟りながら腰から崩れ落ちていく。
「ぁぐ……!!」
腰が引け、木片が舞う視界の中で、レイの目は続くシュウの動きを捉えていた。
剣が折れたのに。
戦闘不能だと言うのに、シュウは攻撃の手を止める様子はない。
ざり、という砂利が擦れる音に遅れて、シュウが踏み込んだ足とは逆の足を、腰のひねりだけでもって前に出す。
その足が伸びて届く先は、レイの腹で。
「――かはッ!?」
シュウの足裏がレイの腹部に、まるで突き刺さったかのような衝撃をもたらす。
そうしてただ空気が漏れた音だけを残して、その場につくはずだった腰から体をくの字に曲げて後方へ飛んでいく。
川辺に近い田んぼに落ちると、口の中に泥の味が広がっていく。
アカリの悲鳴も、取り巻きたちの唖然とした表情も、レイの目にも耳にも届かない。
見えているのは、自分の胸部を足裏で押さえつけてもう一度木剣を振りかぶるシュウの姿。
刃のない模擬剣だとしても、重みのある木剣でなら容易に人を殴り殺せる。
――その気に食わない目の一つや二つを、潰すことだって可能なのだ。
「――レイっ、レイ……っ!!」
「シュウ君、それ以上は――」
試合と言えど、人を殺すことは何があってもご法度である以上、さしもの取り巻きたちも焦った様子で止めに入ろうとした直後、シュウには声が届かないのか、持ち替えた木剣がレイの瞳めがけて振り下ろされる。
その最後の瞬間まで、レイは目を閉じることなくシュウを見つめていた。
恐怖に揺れる眼差しで、眼前に迫る剣先を見つめていた――。
「――ギャラァアアッ!!!!!」
瞬間、レイの視界は、木剣の先ではなく、天色の鱗で覆われた大きな体に覆われる。
らしくない咆哮を上げるシオの姿は、レイの頭の上で寛ぐサイズとは異なり、体格に恵まれたシュウよりも大きな体をしており、その体格から繰り出されたタックルは竜気で体を強化していたシュウをものの見事に吹っ飛ばした。
「し、お……?」
幻想種の中には体内の竜気を自ら調整することで体のサイズを変えることができるものもおり、今のシオは、成長途中の真の姿ともいえるものだった。
「シオ、ありがとう――ッ痛……!」
心配そうにぎゃしゃあ、と鳴きながら額を寄せる大きなシオに強がって見せるが、ただでさえ薄いレイの体は、シュウの蹴り一発で耐久の限界を迎えていた。
「レイ! 大丈夫!?」
シオに続いてアカリが駆け寄ってくる。腕に抱かれたままのグリンは大きくなったシオに興味津々の様子だった。
田んぼを荒らしたことを申し訳なく思いながら砂利道に上がると、腹部の痛みも徐々に和らいでくる。
「なんとか、ね……。でも、せっかく応援してくれたのに、手も足もでなくて、ごめん……」
「そ、そんなことない! レイだって……、レイだってかっこよかったし!!」
なぜだかレイ本人よりも悔しそうにするアカリに照れ臭くなるレイ。
そんな連中を横目に、レイと同じく泥に塗れたシュウが不機嫌な様子で田んぼから上がってくる。
「しゅ、シュウ君……」
どこかよそよそしく声をかける取り巻きは、アカリとは違ってシュウからは距離をとったまま声をかける。
「……チッ、白けた。帰るぞ」
一度大きくなったシオに視線を向けた後に、取り巻きに振り返ることもせず三白眼を尖らせたまま歓楽区への道を歩いていく。
「……約束は守れよ落ちこぼれ。金輪際、二度とウチの店に近づくんじゃねぇ」
最後に首だけを振り返らせてそれだけを言うと、後から駆け寄ってくる取り巻きたちと共に、今度こそ帰っていった。
「……レイ、本当に大丈夫なの?」
「うん、本当に大丈夫だよ? 不思議と、もう痛くないんだ」
「その傷もそうだけど、あいつの店を出禁になったってことは、歓楽区のお店のほとんどに入れなくなったってことだから……」
「……まぁ、なんとかするよ。他のみんなも、協力してくれてるしさ」
基本的に、配給以外の用事で農業区の人間が歓楽区に赴くことはほぼない。
ヒジリのように薬であったり、たまの豪華な食事であったりと、農業区の人間も好き好んで自分たちを見下す連中の前に顔は出したりしないのだ。
そのため、基本は配給と自分たちや周囲との物々交換で日々を暮らすことが多かった。
故に、今回の試合に賭けたものとしては、レイにとってはさほど価値の高いものではなかったのだが、シュウは自分の家に並々ならぬプライドを抱えている上、農業区の人間の暮らしぶりを知らなかったことで、意図せずにフェアな試合になっていたのであった。
「あ、アタシにも、できることがあったら言ってね? なんでも手伝うから……!」
「うん、そう言ってくれると、僕も嬉しいよ。……今日、アカリと話せてよかった」
「うん……、ふぇ!?」
それぞれの家への帰り道、シオとグリンはお互いの半身の腕の中で眠りにつく中で、レイはぽつりと零す。
本当は、もう諦めそうだった。諦めたかった。
一人で抱えることが辛く、その思いを少しでも吐き出せたことで、後悔したくない、と言う思いを再確認できた気がする。
シュウとの試合で、今一度希望がある事が分かったし、まだまだ諦めるに早いのだと気づけた。
吐き出す相手は、ヒジリでも、サオリおばさんでもなく、アカリだったからよかったのだと、そう伝えると、アカリの顔は夕日に照らされて真っ赤に染まって見えた。
「あ、アタシでよければ、いつだって、なんだって聞くから……!」
「うん、ありがと。じゃあ、またね。あんまり無理しちゃ、だめだからね!」
「こっちのセリフよ……」
病み上がりだから、と分かれ道で大きく手を振るレイに対して、アカリはくすり、と笑みをこぼす。
「……あ、伝えるの忘れてた」
本当はもう一つ言いたいことがあったのだが、レイの足は速く、既に畑の向こうにポツンと影が見えるだけに。
「まぁいっか。また今度言えば」
久しぶりに笑って話して触れ合えたレイは、いつの間にか大人になっていたような気がしたアカリだったが、レイは今も昔も変わっていなかった。そのことを再認識したアカリは、胸の奥で出てこようと顔を見せた感情にもう一度蓋をする。
この蓋を開けるのは、また次にレイと会った時にしようと決めて。
――今日も、幻想の森に夜が訪れる。
暗くて長い、先も見えない真っ暗な夜が、訪れる。