5話 良い子ちゃんはこれだからめんどくせぇ
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幻想部隊に入るためには、闇雲に剣を振るだけでは叶わない。
その力を、幻想師に認められなければ、入隊は叶わないのだ。
幻想師が認めるか、見込みがあると推薦されるかのどちらかでしか、幻想部隊に入隊することは叶わない。
そのために、レイは現時点で最も身近な幻想師に会うべく、認められるべくその人物の元へ足しげく通った。
それこそが、幻想部隊部隊長ガリウスその人であり、ゲンさんのお迎えを果たした人物。
隊長程の実力者に力を認めてもらえれば、幻想の実への道が開けるはずだと、レイは信じてやまなかった。
しかし、下級区に滞在しているという噂を信じて通い続ける事およそ三週間。レイはガリウスに可否を叩きつけられる以前に、顔を見る事すら叶っていなかった。
この三週間もの間、レイは一日足りとて農作業も、剣の鍛錬も力を抜くことはなく、全てにおいて全力で取り組んだ。しかし、そのレイの頑張りを、努力を認めてくれるのはレイの姉ヒジリのみ。
今すぐにでも認められなければならない相手には、相手にされないどころか、見向きは疎か出会うことさえ実現できていない。
時折、アカリの世話で病にも詳しいサオリおばさんがヒジリの様子を見に来てくれること以外、レイの生活に変化は何一つ訪れていなかった。
――そう、何一つ、進展していないのであった。
事前通達から四週間というお迎えへのタイムリミットが存在している以上、これ以上もたもたしている余裕はレイにはない。
サオリおばさんの検診でも、ヒジリの体は既に薬草の煎じ薬への耐性が生まれ、最早進行を留める効果すら見込めないだろうと言った。薬草知識の深いヒジリだ。ヒジリ自身、その事に気づいていなかったとは思えず、レイはただ、力なく項垂れることしかできなかった。
今日もまたヒジリはベッドの上で苦しそうに咳き込む。
症状が急変する様子はないが、ただその代わりと言わんばかりに確実に、着実に日を追うごとにヒジリの命は削られていっている。
ラナは、残りの竜気をヒジリに託すかのように、起き上がって動くこともなくなっていた。
感じる竜気が、存在感がみるみるうちに小さくなっているのが、否が応にもレイに現実を叩きつけるようで、毎朝目が覚めるたびに弱っていく二人を見るのがとにかく辛かった。
目が覚めた時、全ては悪い夢で、出会ったあの日のように笑顔で、元気に軽口を飛ばす二人が待っていると信じて眠るたび、レイは自分の無力さに打ちひしがれる。
ゲンさんがお迎えを受ける一週間前も、今のヒジリのように弱っていった記憶と、ヒジリの姿が重なる。
それはつまり、ゲンさんと同じ道筋を辿っていることが紛れも無い事実だと突き付けられているようで。
――レイは焦っていた。
どうすれば、どうすれば姉を助けられるのかと。
――レイは何度も歓楽区へ足を運んだ。
幻想師なんて無理だと分かっている。最初から無理だと分かっていたのだ。
だがそれでも夢を、希望を抱かずにはいられなかった。何もせず、姉が弱っていく姿をただ眺めていることは、レイにとって自分が苦しむことよりもずっと……、何倍も苦しいものだったから。
――だからレイは、たった一つの希望に縋り続ける。
それを諦めたら、レイは大切な何かを失ってしまうから。
「――出ていけ、愚か者が」
「お前に売るものなんか、無い!」
「何回来たって、あんたらに売れるものはないよ!」
歓楽区の店を営む人間は、下級区において最も上級区に近いとされるシュウの実家からの圧力によって、レイ、ひいてはエネルゼアの意志を無碍にした愚か者に与える施しはないと、食料の一つすら手に取ることを許さない。
お迎えが終われば、レイへの態度も軟化するであろうが、それでは遅い。
幻想の実が買えずとも、薬草よりはマシな薬さえあれば、ヒジリの苦しみを和らげることができるのなら、持ちうるすべてを投げ出す覚悟で全財産を手にやってきても、町の人たちは聞く耳を持たない。
誰一人としてレイの話を聞いてくれる大人はおらず、むしろ徒に絡まれるばかり。
これこそが、幻想部隊、エネルゼアの意志を継ぐ者たちのお迎えを断る、ましてや、歴代の幻想師の中でも最強と名高いガリウスの顔に泥を塗ったと言う前代未聞の姉弟――「愚か者」に対する正しい反応であった。
「せめて、せめて幻想師様に話だけでも……!!」
シュウの店の前で、泥だらけになりながらレイは頭を下げる。
狭い環境の中で、町の噂は農業区にいても聞こえてくる中で、シュウの店にガリウスが滞在していると知っていたから。
あんなにも自分のことを貶してきた相手に対しても、レイは姉のためならばいくらでも頭を下げられる。
――お願いします、話だけでも。と喉を嗄らしてまで叫んだところで、ガリウスは決して姿を見せることはない。
当然、そんなことをして邪魔にならないはずもなく、レイは従業員に襟首を掴まれて歓楽区の外へと連れ出される。
「お願いします! 僕にできる事なら何でもします、だからどうか、僕を幻想士に、姉さんを、姉を、助けて下さい……っ!! お願いします、どうか、話だけでも――ッ!?」
連行される途中も、あまりに叫ぶものだからか厄介に思った歓楽区の人間に冷水を浴びせられる。
一人が始めれば、水の精霊を持った人が続くなどして、農業区に続く砂利道に捨てられる頃には、頭からつま先までびしょ濡れになっていた。
「ぎゃう……」
竜気を使って精一杯体を大きくしたシオが心配そうに覗き込む。
大丈夫だよ、とくたびれた笑みを浮かべて立ち上がって服を絞ると、泥混じりの水が水たまりを作った。
固く拳を握ったところで、行き場のない鬱憤は晴れることは無い。
レイの心の中には、ゲンさんの「頑張ったら頑張った分だけ報われる」という言葉が掲げられており、それが意味することは、自分の頑張りがまだ足りないのだと言う事。
自分を責めることで感情の堰を留めているに過ぎず、レイの小さく幼い体には重すぎるほどの悪意が圧し掛かっているのだった。
とうに限界を超えているはずのレイは、他の誰かに弱音を吐こうとはしない。誰かに頼るということを、知らなかったのだ。だからこそ、今こうして心配してくれているシオにさえ、取り繕って見せる始末。
こんな格好では帰れないな、と溜め息を吐いて渇くまで外をうろつくことに。
――火の幻想種なら、濡れたことも気にしなくて良い。
――木や土の幻想種なら、農業区で一定の地位にも就けた。
――他を圧倒する幻想種なら、上級区で幻想の実にも手が届いた。
きっとレイ以外の人だったなら、そう言ってシオを責めただろう。
例え我が身の半身だとしても、より良い環境、より良い待遇が望んで誰かに責任を押し付けてしまいたくなるのは、人の性というもの。
だがレイは、どんなに貶されようと、どんなに打ちひしがれようとも、シオを責めることは無かった。
――もっと自分に竜気を操る才能があれば。剣の才能があれば。体格に恵まれていれば。
責めるのはいつも自分のことばかりで、シオへの不満など、陰りなど、一縷の機微すら感じさせることは無かった。
それ故に、いつもレイばかり傷つく現状に、シオも耐えかねていた。
「……ねぇ、シオ。……どうして、誰も助けてくれないんだろう」
それは、レイが初めてこぼした力ない弱音だった。
今にも泣き出してしまいそうな、掠れた声。
レイはただ、姉と一緒に穏やかな時間を過ごしたいだけなのに。
その時間から、姉の苦しみを除きたいだけなのに。
レイが好きだった姉の、花開くような可憐な笑顔を最後に見たのは、いつだったろうか。
今では、効果が無いと分かった薬草の煎じ薬も、飲む振りばかり。レイもヒジリも、もうとっくに苦みなんて感じなくなっているのに。
それでも、ヒジリはレイと揃って同じものを口にする瞬間が一番幸せそうな顔をするのだから、レイは無駄だから止めようなんて口にできず「苦いね」なんて言って笑うのが、お互いに精いっぱいだった。
苦しい程に疎ましい空元気を振舞う事しか、自分には出来ないのかと、大粒の涙が頬を滑って落ちていく。
――姉さんが好きだと言ってくれた笑顔を、はたして僕は浮かべられているのだろうか。
「……レイ」
短い夕日に照らされる橋の上。
呼びかけられた声に、レイは咄嗟になって涙を拭う。
縁に腰かけてシオに向かって弱音を吐くレイを呼ぶ声に振り返って視線を向けると、風に揺れる茶髪と、真っ赤な瞳がレイを一心に見つめていた。普段は心根の強気が先行して吊り上がった眦も、今だけは心配そうに垂れ下がっていた。
「今日は、出歩けるんだね。調子がいいみたいで良かったね。きっとゲンさんも喜んでるよ」
「……その、ごめんなさい」
「どうしてアカリが謝るの?」
アカリの突然の謝罪に、レイは首を傾げる。
アカリは、ここ数日でみるみるうちに体の調子が良くなっていた。
それはもしかしたら、日に日に弱っていくヒジリへのあてつけのようにも見えるかもしれない。
現に、アカリはサオリおばさんから、レイに近づくことを止められていた。レイの精神状態が危うい事を見越して、止めていた。だが、それを破ってでも顔を見せに来たのは、サオリおばさんから伝え聞いたレイの様子が心配だったからに過ぎない。
思わず口を衝いた謝罪の言葉は、アカリ自身も訳も分からないまま口走ったため、微妙な空気が橋の上に流れた。
その空気を察してか、レイは慌ててフォローに回る。
「そんな、嫌味を言ったつもりじゃなくて、ただ純粋にアカリが元気になったのが嬉しくて……」
「ううん。あたしの方こそ、変なこと言っちゃった」
嫌味に聞こえたならごめん、と正直に告げ、アカリが元気になったことは喜ばしい。
素直にそう伝えると、アカリの曇っていた表情はみるみるうちに明るく、姉によく似た華やかな年相応の少女の笑みを浮かべる。
レイが最も身近な半身に不満を持つことが無いように、アカリの回復を妬むような真似は絶対にするはずがなかった。よくできた人間、とゲンさんはレイを総評していたが、実際のところ、レイには怒りの感情がとてつもなく希薄に感じていた。
それがどれだけ怖い事か、それがどれだけ悲しいことか、今のアカリには分からないことだった。
だから今も、救いのない現実を前にどうすればよいのか、分からない。
この胸の奥でモヤモヤした感情になんと名前を付けたらいいのか、分からないのであった。
「……幻想師様って」
「うん?」
レイの隣に腰を下ろしたアカリは、嬉しさを隠そうとしても滲み出る様子でレイの話に耳を傾ける。
川辺で戯れるシオとグリンに目を向けたまま、レイは口に出してはいけないと分かっていながらも、なんとか言葉に言い表そうと口を動かした。
「幻想師様って、困ってる人を助けるものだと思ってたけど、本当は、幻想師様は助けたい人を選んで助けているのかも、って、考えちゃうと、そういう考えばかり浮かんでくるんだ……」
そして、レイとヒジリは、きっとその対象には当てはまらない。
それが幻想師の語る正義なのだとしたら、自分は悪なのかと、姉を守ろうとすることは悪なのかと。
そう言葉にしても心の中の見えない何かは消えないどころか、むしろ輪郭すら伴ってくるようで。
「……レイ、それは――」
「――おやおや、愚か者はこんなところで幻想師様の悪口か? アカリはこっちに来い。愚か者が移るぞ?」
「っ、あんたねぇ……!!」
その時、唐突に背後からかけられた嫌味たっぷりな口調にアカリは苛立たし気に振り返る。
ねっとりと絡みつく憎まれ口は、顔を向けるまでもなく誰だか分かる。
レイとの時間を邪魔されたアカリが、普段の強気な目でその男たちを睨みつけると、若干退く様子を見せつつもターゲットをレイに絞って絡んでいく。
「聞いたぜ、レイ。お前、幻想師になりたいんだってな? その目的は、言わなくても分かるぜ。幻想の実だろう? だが残念だったなぁ、新米が辿り着けるほど、幻想の実の価値はそう安くねぇんだよ」
分かっている。レイにはもう、痛いほど分かっているのだ。
だからこそ、こうしてここで項垂れているのだから。
意気揚々と絡んでいくシュウに対して、無反応を貫くレイ。
それに異を唱えたのは、シュウと同じ歓楽区に店を構える親の元に生まれた取り巻き達。
「おいおいおい、なんか反応したらどうなんだよ、負け犬!」
「犬じゃねぇだろ、負け蛇だ負け蛇!」
「ぎゃはは! シュウ君が幻想師に選ばれたとも知らずに、幻想師を目指しているなんてのは傑作だよな!」
最後の言葉に、レイは疎かアカリも激しく反応を示すと、シュウは隠し切れぬ自慢を顔に張り付け、わざとらしい態度で語り出す。
「照れ臭いじゃないか、ミツ。それに、まだ確定したわけじゃないから秘密だって言っただろ?」
「い、いやでも、もうほぼ確定みたいなもんだって昨日シュウ君が言ってたからつい……」
秘密だ、なんて口にするが、取り巻きが言わなければ自分が言っていたと顔に書いてあるシュウに嫌気が差すも、レイにとってはどうしても気になって仕方がなかった。
「おいおい、そんなに睨んでどうしたよレぇイ……。羨ましいのか? 羨ましいんだろう? 街中であんなにも恥をさらして、挙句その席を取られる……。俺だったら恥ずかしくて死にたくなるし、邪魔なお荷物はとっとと捨てていただろうけどねぇ。ま、生まれながらにしての差、ってやつ? お前は貧乏籤。俺は、当たり籤。分かったならさっさと醜く足掻く真似を止めてくれよ。毎日来られちゃウチも困るんだよなぁ」
レイの顔を舐めるかのように接近したシュウは、三白眼を思いっきり開いて至近距離で唾を飛ばす。
日頃から良い子ぶって癪に障るレイを、とことんまで貶す機会に恵まれたのだから、シュウはその機会を逃すことなく畳みかける。
「あぁ? なんだよその目はよぉ。未来の幻想師様に逆らうつもりか? あぁ、もうとっくに今の幻想師様にも逆らっていたよな? なら俺が未来への餞別として、お前に本物の幻想師の力ってのを見せてやるよ」
そう言って、シュウは腰に佩いた木剣をレイに突き付ける。
「確約されし上級の力を、約束された未来の幻想師の力を見せてやる。選ばれし者の俺が、わざわざ剣を持つ意味を教えてやるんだ。光栄に思えよ? ……なんだ、怖くて手が出せねぇのか? なら、もしお前が俺に一発でも当たられたんなら、お前をガリウス様に紹介してやってもいい」
その言葉に、レイは思わず目を瞠る。
しかしそれも束の間、ほんの数週間前にまんまと騙され、泣いて帰った日のことを思い出して、木剣に伸ばそうとした手を引き留める。
「……もし、僕が勝って、その約束が果たされなかった時は、どうする」
レイの真剣そのものな雰囲気と言葉に、シュウ含め取り巻きたちはポカンと口を開けた後に、盛大に腹を抱えて笑い出す。
それも無理はない。傍から見れば、シュウとレイの間には絶対的ともいえるほどの体格差と、幻想種の実力の違いがあった。
「――あっははは! 少しは面白いことも言えたんだな! いいぜ、俺から一本でも取れたらガリウス様に紹介する。これは絶対遂行しようとも。我が半身に誓ってな。それで、俺が勝ったらそうだな……、アカリは俺がもらおう」
「――はぁっ!?」
「――アカリはモノじゃないし、景品じゃない。それはアカリに対して失礼だよ」
「あーはいはい、良い子ちゃんはこれだからめんどくせぇ。なら、今後一切、うちの店に近寄らないことを誓え。いい加減、毎日毎日来られて迷惑してんだよ」
「分かった。我が半身に誓うよ」
突如として決まったレイとシュウの賭け試合。どう考えても勝ち目のない見世物にするような勝負。それは剣を握ったことも無いアカリですら分かる事であった。
だがしかし、レイにとっては先が塞がっている状況に差した思わぬ光明。シュウ相手に勝てば、幻想師への道が拓くかもしれないのだ。
であれば、レイはこれまでの鍛錬の成果を見せる時。
彼我の差など分かりえないレイだが、シュウの明らかに余裕な立ち振る舞いに警戒は怠らない。
この勝負、全力で挑み、全力で勝たねばならない。
レイが剣を握る手に力を込める一方で、シュウは剣先を弄ぶかのように振り回して向き合う。
この試合にかける気合の温度差はまるで朝霧が生まれそうな気配すら感じさせるのだった。