4話 ずっと、一緒に生きるために
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翌朝、いつもの様子に戻ったレイに、物足りなさを覚えたヒジリが引っ付いてくるのを剝がしてから、畑に向かう。
その前にサオリおばさんの元に寄って借りたままだったお金を返しに行く。これからは、二人で生きていくと決めたレイの顔を見て、サオリおばさんは嬉しそうにレイの頭を撫でた。
「頑張れば、報われる……! シオ、今日も頑張ろうね!」
ゲンさんの口癖を自分に言い聞かせて、今日を生きて明日に繋げるために農作業に没頭する。
昨日受けた厭悪の限りを尽くしたような嫌がらせも、大好きな姉に慰めてもらったおかげかすっかり頭の中から消え去っていた。
レイの半身たるシオも、背中に浮かぶ光輪と光の羽を使ってふよふよと浮かびながら雑草を抜くのを手伝ってくれる。
例え見かけは蛇だとしても、シオは立派な神性竜種。その気になれば空だって飛べるのだ。
シオのように、幻想種は共に生きる半身の手伝いを自ら進んで行う。
半身に課せられた仕事は自分の物とも考えているのか、誰に言われずとも半身の真似事から入る。
農業区で最も多いのが、下級竜の土竜だったり、土属性の小精霊であり、その多くは農作業の土いじりが得意であった。
作物に応じて土壌を変化させるなど、そういった幻想種の手を借りなければできないことも多く、ここ農業区では重宝される存在でもあった。
しかし、シオはお世辞にも土いじりが得意な幻想種とは言えず、もっぱら食べる専門であった。
それでも、シオはシオなりに、愛する半身たるレイの役に立つべく汗を流す。
とは言え、下級区の人達の大半はレイと同じように土いじりが得意ではない幻想種を半身に持つ者ばかりであり、レイが特別苦労しているわけでは無かった。
そんな農業区には向いていない幻想種を共にすれど、その中でもレイは人一倍働くことで、与えられた広大な田畑を管理していた。
体が小さくとも、内に秘めたる力、体力は大人をも凌駕するほどで、レイは歓楽区の連中に舐められようとも同じゲンさんの世話になった子供たちからは信頼されるくらいには大人であった。
「そろそろ休憩にしよっか」
周囲を霧の森に囲まれた幻想の森では、一日の昼の時間は限られており、昼と夜の二食で一日を過ごしていた。
レイは病に伏せる姉のために、昼時には一度家に戻り、必ず二人で昼食をとるようにしていた。
長い時間目を離していることが恐ろしいというのもあるが、ヒジリもレイと似た者で、体が弱っているというのに平気で昼食を抜くことがあった。
曰く、レイにばかり負担はかけられない。とのことだが、そんなことをしてヒジリの竜気が余計弱まったらどうするのかと当時のレイは本気で叱ったものだ。
今では何も言い返すことができないのだが、その予防のためにも、食事の時間は必ず二人そろって取るようにしていた。
「今日はサンドイッチなのね」
「昨日のパンとお肉が少し余ってたからね」
そして、決まって最後は苦い煎じ薬も飲み干す……、のだが、昨日レイが甘えた反動か、今日のヒジリは頑なに薬を飲むのを拒んでいた。
「……苦いから嫌よ」
「もう、飲まないともっと悪くなるから……」
「嫌なものは嫌なの」
昨日めいっぱい甘えたせいか、なかなか強く出れないレイに、とことんまで自分の要求をつきつけるヒジリ。横目でラナに助けを求めるが「諦めなさい」と小さく首を振る。当然、シオはサンドイッチに齧り付いたまま戦力には数えられない。
「レイが一緒に飲んでくれるなら、飲んであげるわ」
「いや、これはヒジリの薬だし、量があるものでもないからさ……」
「それならまた摘んできてくれれば、私が調合するわ。それで、レイは飲むの? 飲まないの?」
「……うぅ、分かったよ」
すっかり立場が逆転したレイとヒジリは、言い負かされたレイが自分の分の煎じ薬も用意する羽目に。
二杯用意された薬を前に、なぜか笑みを浮かべる姉の姿に顔が引きつるレイ。
えぇいままよ、と二人でせーのでコップを傾けると、レイはあまりの苦さに顔をしかめてしまう。
「うえぇ、にっがぁ……!」
「あははっ、本当、すっごく苦いのよ、これ――ぷふっ……!」
揃って舌を出して精一杯の苦さをアピールするが、口内を這いずる苦味はなかなか消え失せない。
想像を絶する煎じ薬の苦さに悶絶している姿を見て、ヒジリは楽しそうに笑う。
「こんっっっ、なに、苦かったの……!?」
ぺっ、ぺっ、と唾を吐いても、喉の奥に張り付いた苦さは忘れられない。
うへぇ、と項垂れるレイに対して、ヒジリは余計お腹を抱えて笑い出す。
あはは、あはは、と目の端に涙を浮かべるほど笑い転げる姿はなんとも幸せそうで。
それでも、笑われている身としては、恥ずかしくてしょうがない。
それと同時に、いつも飲み渋る姉がここまで後を引かないのはおかしい、と判断してテーブルに置かれたコップをのぞき込む。
「姉さん、さては全部飲んでないんじゃない!?」
けれども、のぞき込んだコップの中身は空っぽで、それは姉が全て一口で飲み干したことの証左でしかなかった。
「やっぱり、レイは面白いわね。ほんと、レイと一緒なら何でもできる気がするわ。今もほら、薬だって簡単に飲めたしね」
目の端に浮かんだ涙を拭ってとびっきりの笑顔を浮かべる姉の姿に、レイはそれ以上何か小言を口にすることができなかった。
それは、口にするのも憚れる程に幸せそうな姉の姿を見て、満足してしまった。
太陽のように明るい笑顔は、永遠に続くかと思われた口の中の苦みも吹っ飛ばしてしまうほどに強烈だったから。
「……はいはい、薬を飲んだから、あとはゆっくり休んでてください」
「あら、今なら畑仕事だって手伝えるわよ?」
「姉さんは休むのが仕事でーす」
「ぶー、レイったら拗ねちゃって。かわいいんだから」
「ヒジリ。レイをそんなにいじめないの」
軽口を挟む姉をベッドまで移動させると、レイは仕事の続きに戻っていく。
「これから薬を飲むときはレイも一緒だからね~?」
その声に、またあの苦さを味わうものか、と忘れていた苦味が蘇ってくる思いで畑に向かうのだった。
「……これは、違うし、これも、違う。これ、かな?」
「ぎゃう」
スンスン、と薬草の匂いを嗅いで判別するシオが反応するものだけをかごに集めていく。
今日できる畑仕事は終わったため、レイは農業区の端、霧の森付近に足を運んでいた。
意図せず煎じ薬を飲む人数が増えてしまったため摘む薬草の量も倍になっているので大変ではあるが、畑仕事のように頭を使うわけでもない薬草摘みは好きな時間だった。
シオに任せておけば、薬草の正否は正しいもので、量も簡単に集まる。
霧の森は外界との繋がりを絶つためのものらしく、その名の通り条件が揃わずとも常に方向感覚を狂わせる霧が漂っている。
だと言うのに、霧の森を畑から遠目で見ても普通の森に過ぎないはずなのだが、森に近づけば近づくほど、奥に進めば進むほど霧が濃くなる不思議な森だった。レイからすれば、それは外敵を立ち入れないためのものではなく、内側にいる人間を外に出さないためのもののように思えてしまう。
なぜなら、外敵を防ぐための霧の森だとしても、霧の森を抜けて魔物が現れることはそう珍しくないからだ。だとしても、それは所詮子供の空想に過ぎないのだが。
そうして頻繁に霧の奥から魔物と呼ばれる化け物が現れるのだが、幻想部隊が駆除にあたる。秩序の守り手の名の通り、幻想の森を乱す魔物を許しはしない。
そんな幻想部隊に憧れていたのだが、幻想部隊に姉を取られそうになった事に加えて、彼らは自分が虐められていても助けてはくれないのだと知ってからは、レイの中で幻想部隊の価値は底をついていた。
幻想部隊に対して良い印象を捨て去ったレイであったが、彼らの狩った魔物肉は下級区民の食事として配給されることになるので、レイからすればどんどん入ってきてどんどん駆除されると嬉しい、なんて考えていた。
下級区の中でも上等、中央区にある酪農場では、魔物肉ではない家畜の肉が作られているらしいが、すべては上級区に献上されるため下級区民は一生口にすることはできない。週に一度、乳製品と呼ばれるものが配給される程度で、下級区民にとっての食事は自分の畑で採れた物や、他の畑の物との物々交換で得た野菜と、毎日配られる堅いパンだけだった。
「暗くなる前に帰ろっか」
これから先、どんなに頑張っても薬が買えないことをサオリおばさんに告げると「これからは我慢しないで、たくさん食べな」と言われたので、これからは我慢することなく、栄養のある食事という豪華な食生活に期待を膨らませる。もしこのままヒジリが衰弱しきったとしても、その日が来るまでは笑顔の絶えない生活を送りたいと考えを切り替えていた。
その考えが甘いと言う事は誰も教えてはくれないが、レイはそれを信じて貫くのみ。その一歩として、使い道のなくなった竜文貨で豪華な食卓を彩ろうかと考えていた。
しかしレイの口では豪華とは言え、テーブルに並ぶのは下級区では普通の食卓である事が察せられたサオリおばさんは微妙な表情を見せるのだが、栄養ある食事を夢見てはレイは自分の身長が伸びるかもしれないという期待で胸がいっぱいだった。
「今日は、キノコと野菜と魚を焼いたやつ――だよ!」
薬草を摘む傍ら、食べられそうなキノコもシオに判別してもらい、帰り道に野菜と魚を交換してもらったのだ。
少量の塩味での味付け故に、幻想の森では魚を好んで食べる人は少なかったが、ヒジリが好むが故に、レイも食べ慣れていた。
「ん~! 美味しい! さすがレイ! 私の自慢の弟! 天才!」
好物を口にして顔を綻ばせるヒジリを見て、レイも料理を口に運ぶ。
取って付けたような誉め言葉も、レイは真正面から受け取って気恥ずかしい気持ちのまま口いっぱいに料理を放り込んだ。
その満足な出来に、レイがヒジリに負けず劣らずの笑みをこぼすと、それらを遥かに超える喜びを放つシオに目を奪われる。
んまんま、と喋っているかのように息を吐きながら料理に頭を突っ込むシオ。
普通下級区民にとって食事は簡素なものであるのが多く、レイたちのようにここまで調理にこだわる人はそう多くない。
レイも時折料理するのが面倒な日もあるのだが、半身たるシオが最も味にうるさいため、調理せざるを得ないのであった。
疲労困憊で料理する気力も湧かないため素材そのものを出した日なんかは、シオは空腹にもかかわらず一口も手を付けることなく不貞寝してしまう。
翌日は半身たるシオが不調のせいか、レイも体調が振るわなくなってしまう。なんてことがあった日から、レイはどんなに疲れていても料理はするようになった。しなければ明日の命に関わるのだから、しないわけにはいかなかった。
幸い、蒸かし芋なら平気のようで、困ったときはそれでやり過ごしていた。何が違うと言うのだろうか。
そんなこんなで夕飯も食べ終わり、食後の煎じ薬を飲む時間に。
今日はどっちが苦味を顔に出さずに飲み切れるか、なんて遊びをしてレイは早々に渋い顔をして負けた。
あの時のヒジリの大爆笑はきっと、遠く離れた隣の家まで聞こえていたかもしれない。
そして訪れた夜更け。
ヒジリやラナ、シオの寝息に交じって、レイは足音を消して家の外に出る。
物置に立てかけた木の棒――木剣を手に、仄かな星明りの下、素振りを繰り返す。
そう、レイは夜な夜な、こうして剣を振る。
たった一つ、ヒジリを救うために、剣を振るのだった。
――幻想部隊に入れば、薬に手が届くかもしれない。
どんなに頑張っても、”かもしれない”の領域でしかないが、このまま下級区に居続けるとすれば、”かもしれない”にすら手が届かない。それは昨日、シュウによって痛いほど分からされたから。
かと言って、幻想部隊に入れたところで竜文貨五千枚など用意できるわけもない。
だからと言って、レイは諦めたくなんてなかった。
お迎えの実行は事前通達から四週間後。それまでに幻想士として認められ、その地位を担保にどうにかして幻想の実に届かせる。
夢のまた夢に過ぎない理想論だけれども、レイには、姉が助かるなら全財産すら、自分の体すら捧げる意気があった。
――姉さんのために。
――姉さんが元気になるために。
――ずっと、一緒に生きるために。
それだけを考えて、ただひたすらに姉のために剣を振る。
幻想師は子供の憧れ。それは下級区において常識で、歓楽区の大人たちもまた子供のころの夢を捨てられずに興味をそそられる程。
加えて下級区での人気が高い理由が、人々を守るために奔走するその姿は輝いているという高潔なものに加えて、下級区の人間が上級区に上がる唯一の手段、と言う点もあったからだ。
幻想の森中からの尊敬と称賛を集める存在。正しく光のごとき存在に憧れない子供はおらず、皆その手に剣を握る。
しかしそれも十歳に上がる頃には憧れは、夢は諦め、現実を見据えるようになる。
農業区で生き、お迎えが来るまで働く。それが当たり前なのだと、皆剣を捨てていく。お迎えの時に、幻想師が見れるならそれで良いと生きている。
それが当たり前。それこそが現実なのだから。
だがここに、輝かしい姿に憧れるわけでも、尊敬と称賛に夢見るわけでもない、地位と、お金だけを夢見て剣を振る少年が一人いた。
夢を忘れた大人たちに腹を立てるわけでもなく、ただただ自分の目的のためだけに剣を振る少年が、汗を流していた。
疲れ切った体に鞭を打って、大量の汗を流すその横顔は、ただひたすらに、姉との未来だけを見据えて戦っていた。
ゲンさんから送られた手彫りの剣。
――頑張った分だけ、報われる。
――だから、頑張る。
そう言い聞かせてくれる木剣は、レイを奮い立たせるのだった。