27話 神業
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レイとシオがグレイ爺と暮らすようになってから、一年が経過した。
一年間みっちりと体作りに励んだおかげか、レイの偏っていた肉体は均等に筋肉が付き、身長も僅かながら伸びたために肉付きも良くなってきた。
体の成長に伴って声変わりも果たしたは良いものの、シオとグレイ爺には口をそろえて「大して変わってない」と言われる始末。
褒められるのは食材の下処理の速さと丁寧さ、それから弓矢と竜気の扱いに関してばかりで、体の成長面には二人していつまでも子ども扱いしてくるのは、レイとしても不服で大変遺憾なのであった。それに対して不服を禁じ得ない辺り、レイの精神面は大人になる気配は欠片も見せていない。
それでも、最近はグレイ爺から体術も教わり始め、トレーニングの時間を縮めてグレイ爺との手合わせも繰り広げていた。ただ、対するグレイ爺は素手、右腕一本で相対しているというのに、レイは短弓を用いた実戦形式での手合わせという形式。
馴染んだ武器を手にしたとしても、グレイ爺の流れるような足運びを前にしては傷一つどころか土一つすらつけることは叶わないのであった。
『身体強化に頼り過ぎじゃな。結局は思考し、判断するのは自分の頭。思考を止めるな、動きを単調にするな、常に敵の嫌がる部分を攻め続けろ。レイの竜気は人並み外れてはいるが、竜気が勝手に判断して戦ってくれるわけではない。その竜気の使い方も、レイ自身が決めて動かねばならんのじゃ』
折角水面歩きを習得して実践で使える練度の身体強化までできるようになったというのに、グレイ爺に言われたのは、力任せではいけない、と言う教え。実際、シオとの繋がりがあって初めて竜気による身体強化を実践に持ち込めるレベル。レイ一人ではまともに身体強化を発動することも叶わずに、数秒と持たせることができずに地面に転がされる。それが今のグレイ爺とレイの力の差だった。
普段聞き分けの良いレイも、グレイ爺の忠告を受けたこの時ばかりは苦虫を潰したような顔でグレイ爺に無言の抗議を行ったものの、結局力任せに身体強化でグレイ爺に突っ込んだところで、考えなしでは転がされる始末だという事をとことんまで体に教え込まされたのだった。
それからも体術を中心にトレーニングに励む中、弓矢と竜気も継続して練習に取り組み、今日はその成果を確かめる時が来た。
「――ふぅ。……シオ」
精神統一を果たし、集中状態に入り込んだレイは、口にも尻尾にも木の板を持ったシオに厳かに声をかける。
準備完了の合図だ。
その声に反応したシオは、顔と尻尾を大きく振って木の板を天高く放り投げる。その数、なんと十枚。
およそ一年前にグレイ爺の投げた数の倍もある木の板は一方向だけでなく、板の数だけ乱雑に散っていく。それを確認するまでもなく、二人同時に動き出す。
レイは呼吸のリズムに合わせて矢を番え、動いた先で目で追った板が頂点に達すると同時に、気の板の一枚を穿つ。
常に十枚の木の板を視界に入れながら流れるような動作で次の矢を番え、滞ることなく引き絞った弦から矢を放つ。
しかし、二枚目の木の板を打ち抜いたところでレイの体がブレる。
シオが投擲した木の棒を避けるためだ。
タイミングを見計らったシオが、レイの死角に入って動きの邪魔をする。これは決して意地悪をするための悪意ある行動ではなく、意図して死角を生み出さないようにする訓練でもあった。
ただでさえ動く物体を穿ち抜く事にかなりの集中力を裂かねばならないというのに、その精密な射撃を三百六十度全方位視野を保ったまま行うなど、至難の業であった。
――三、四。
それを成し遂げるためにも、レイは弓を握ってからの長い時間をかけて、自分に合ったスタイルを探し求め、磨き続けてきた。
そして自分で編み出し、磨き続けた戦法それこそが、レイ自身の目の良さと弓の腕を信じた正射必中。未だ成長見込めぬ細腕からは大木を割るような威力を期待できない以上、狙いを定めると同時に矢を放つというレイの目の良さを極限まで生かした、レイが可能である神業を長い時間の努力を捧げた結果、習得するに至る。
矢を番えてから放つまでにかかる時間は一秒とかからない上に狙いは完璧である早業に、さしものグレイ爺も手放しで褒めてくれたものだった。
――五、六、七。
それに加えて、死角を生まないように頭を働かせ続けるレイは、グレイ爺との手合わせで見て真似た体捌きでシオの投擲する枝を華麗に避けていく。
さらに続けて、未来視にも近い落下予測地点に放たれる矢は適格に木の板を穿ち抜いていく。
時にはトリッキーな角度から、無理な体勢から放たれる矢のそれぞれは、まるで吸い寄せられるかのように木の板の中心を捉え、矢が突き刺さったまま地面に落ちていく。
――八、九……ッ!
最後の一射かと思いきや、極限の集中力が限界を迎えて逸れたせいか、弓矢の方向も微かに上に逸れて木の板を貫通することなく無軌道に回転して地面に落ちていく。
今回も失敗か、と背後で死角から枝を投げようとしていたシオが、あ、と声を出して咥えていた枝を落とすのが分かったが。今のレイは考えるよりも先に体が動いていた。
体に竜気を纏わせ爆発的な加速力を得たレイは、地面に落ちていく木の板が着地する前に足を滑り込ますことに成功。その勢いのまま木の板を頭上に蹴り上げると、起き上がって振り返りざまに、落ちてくる木の板を寸分の狂い無く中心を穿ち抜くことに成功するのだった。
「――十ッ!! ぃやったぁー--!!」
地面にはどれも同じように真ん中を射抜かれた木の板が十枚転がっており、その光景を目にしたレイはあまりの達成感からか、弓を掲げて雄叫びと共に喜びの舞を披露して見せる。
額の汗を振り払い、拳を高く突き上げて喜びを露にする姿は、余程嬉しかったのだと分かる。
それもそのはず、体作りも落ち着いてきて弓矢に集中できるようになってから幾度となくこの極限集中木の板打ち抜き訓練に取り組んできたものの、木の板十枚の壁はとても高く、この半年間挑戦し続けても一度として成功したことが無かったからだ。
その過程を知ってからレイの喜びようを見ると、グレイ爺がレイのことを撫でまわして褒めちぎりたくなるのも分かる事だろう。
しかし、よし、よしっ! と喜びを噛み締めるレイに対して苦言を呈する者が一人、フヨフヨと浮かんびながらレイに近寄る。
「今のは竜気の身体強化を使ったから無しだろうよ」
「い、いやっ、今のは、きょ、許容範囲だし……! 十枚打ち抜けたのは、事実だし……」
「どこでそんな言い訳を覚えたんだか……。でもよ、竜気を使わずに十枚打ち抜くのが目標だったろ? ここで妥協していいのか?」
「うぐ、それは、確かにそうだけど……」
シオの言う通り、この訓練の目標としてレイが自分で定めたのが「竜気を使わない事」であり、グレイ爺の示したレイの課題を克服するための訓練でもあったのだ。今のはシオも油断して竜気の制御を無意識のうちに手伝ってしまっていたことも棚に上げてレイに厳しい物言いを果たす。それがレイのためであるからこそシオは心を鬼にできるのだ。断じて竜気の使用を見逃してしまった自分の非を認めたくないからとかではない。
逆を言えば、レイは身体強化無しに、素の身体能力のみでこれだけの荒業をこなせるほどに成長しているのでもあった。
だが、結果的に見ればレイは竜気による身体強化を使ったことに変わりはなく、それを認めざるを得なかった。
「……うぅ、折角上手くできたのにぃ」
「罰として今日の湯沸かし当番はレイが担当な」
「うん……、って、えぇー!? 昨日も僕だったのに!? シオそれはずるいって!」
「くかか、今頷いたのを俺は見たからな! んじゃ、トレーニング頑張れよ~!」
「あ、待て――っ、もう……!」
集中状態を保てるのは極僅かな時間であり、その時間を伸ばすのが目下のトレーニング目標でもあった。
実際に、集中が切れなければ今回で竜気に頼らず十枚の木の板を打ち抜くことは可能であったし、実践においては極限までいかずとも、限りなく薄めた集中状態を長い時間保てるかどうかが生き残るうえで重要になることをレイも理解していた。
汗を拭ったレイは、疲れた体に鞭を打って矢と木の板を拾い集めてからトレーニングを再開することにした。
「おう、グレイの爺さん。見てたんだろ?」
一人ふよふよと家の方まで飛んで戻ってきたシオは、そのままカウちゃんの元に顔を出すことなく、グレイ爺が待つ家の中に入っていく。
「あぁ、見てたとも。……あれだけ動ければ、十分かのう」
「あ? 今なんて言ったよ?」
「いんや、何も言っとらんよ」
「ったく……。それより、体は平気なのか?」
「お陰様での。レイと手合わせできるだけの体力が有り余っている程じゃよ」
口の中で自分にだけ聞こえるように留めた一文を聞き返されて、グレイ爺は適当に誤魔化しあしらう。
グレイ爺が秘密を抱えているのはいつもの事。今も安楽椅子に深く腰を下ろして窓から覗けるレイの様子を眺めていたのだろう。顔色も悪くなければ、話に詰まることも無い。外見は問題なく至って普通の様子に見えるが、それで騙せるのは竜気に触れたばかりのレイくらいなものだろう。
グレイ爺の竜気を注視してみると、常に不安定で、いつ倒れてもおかしくはない様子。グレイ爺が口にする快調とはかけ離れた状況から見て、例の薬が効いていないんじゃないか、とシオは疑ってかかる。
「あの薬とやら、本当に効いているのか? それとも、飲んでいないんじゃないのか」
症状を隠すことは造作もない、と口にしていたあの時の余裕が消えたグレイ爺の様子から、もしもの可能性を口にしたシオに対して、グレイ爺は静かに微笑みを返すだけ。
今のグレイ爺の様子を見ても、そう時間のかからないうちにレイだって気付く事だろう。レイは人の機微には疎いが、決して鈍感と言うわけでは無い。空気を読むことは出来る子なのだから。
「……グレイの爺さんがくたばるのは止めねぇよ。そうしたいって言うなら、俺は止めはしない。だがな、レイが悲しむことになるのであれば、俺はグレイの爺さんが取る行動を止めさせてもらうぜ」
これ以上、レイに家族を失う悲しみを味わわせないために、シオはグレイ爺に対して、レイが納得できる別れを選んでもらうべく言葉を選ぶ。
「……レイは、今も泣いているか?」
「あ? 話を……、っ、まぁ、頻度は減ったが、夜寝る前になるとたまにな。だが最近は寝る前も弓矢だったり、体術の事だったりを話している内に眠ってるからか、滅多に見なくなったな」
露骨な話題を逸らす行為にシオが苦情を浴びせようかと身構えるも、グレイ爺の窓からレイを見やる横顔を見て、何も言えなくなってしまう。その横顔から、グレイ爺がレイを心の底から思っていることが分かってしまうが故に、シオはそれ以上何かを口にすることはできないまま、差しさわりのない会話を続ける。
シオの話を聞いたグレイ爺は「そうか」と、シオが不安になるほど儚い返事をした後、ゆっくりと腰を持ち上げ外に向かう。
「――安心せい。何も、悪いようにはならん。レイに必要な稽古をつけてやるだけじゃよ」
にかっ、と笑ってシオの頭を撫でると、グレイ爺は一人トレーニングに励むレイの元へと向かっていく。
グレイ爺の姿を見つけたレイは、嬉しそうに駆け寄って人懐こい笑顔をグレイ爺に浴びせかける。
今日は何をするのか、さっきの見ていてくれたか、と尻尾が着いていたら振り切れんばかりに尻尾を振り回す姿がきっと見えただろう。
そうして今日もレイとグレイ爺は手合わせに興じる。
結果はいつもと変わらずレイが何度も何度も地面を転がされ続けたのだが、今回はグレイ爺に左腕を使わせることに成功する。
日々成長していくレイと、それを見守るグレイ爺。
そうした日々が続いていたある日の出来事。
――グレイ爺が、倒れた。




