25話 竜気の素質
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本日四話目!
「竜気の使い方を覚えたくないか?」
レイとシオが子供のような喧嘩を果たした翌日、グレイ爺は満を持した様子でそう言うと、レイとシオの食事をする手が止まる。
昨晩何にも食べていないからか、昨夜の分に加えて用意した朝食までも平らげていく勢いの二人は一拍間を置いた後、お互いに目を合わせる。
グレイ爺の発言を口に溜め込んだ食べ物と一緒に咀嚼して飲み込むと、レイは瞬く間に瞳をキラキラと輝かせた。
それに反してシオは、遂にこの時が来てしまったかと投げやりな様子で食事に没頭していく。
「やる! 教えてほしい! ください!」
やる気を見せるレイにとって待ち侘びた機会を前に臆することなく立ち上がる。
自分に宿っているはずの竜気の使い方をようやく知れるチャンスに、体の震えが収まらない。
シュウもガリウスも息をするように使って見せた竜気の力。
今にして思えば、下級区の人間が竜気の使い方を知らないのは、下手に力をつけて御することが難しくなるのを防ぐためでもあったのだろうと考えると、最近は影を潜めていた復讐の炎が燃え盛るような、体の奥に熱が灯るのを感じる。
それを誰に悟らせることもなく、いつものように畑仕事から水汲み、軽い体慣らしのトレーニングを積んだところで、昼頃を迎えてグレイ爺がレイとシオの二人に声をかけた。
グレイ爺の後に続いて向かった先は、レイとシオが以前魚を捕まえて遊んだ川が流れ込む森の中でも特に大きな湖。
常日頃からグレイ爺はレイとシオに対してこの湖の向こうには近づくなと言い含めていた。それにはきちんとした理由があり、この湖を境に手前が中部、奥が深部となっているらしく、レイとシオの出てきた霧の結界が置かれた深部は魔物の強さが桁違いなのだと注意されてきた。
そのため、普段からもこの湖にも近寄らないようにしていたレイとシオは、こちら側と向こう側で全く異なる生態系を組む森の異様さに目を引かれるのだった。
「竜気は、脆弱な人の器には収まりきらない強大な力。故に会得するためには命の危険が伴う。……ワシは、竜気の器を手に入れるまでに五年を要し、血反吐を吐いて我が物とした。だがレイは既に竜気に適応し、内に秘めている竜気の量はワシ以上。素質は十分、可能性もかなり高い。だがそれ故に、一度魔力の混じった体がどう作用するかはワシにも分からん。もしかしたら命の危険があるやもしれぬが、それでもレイは臨む気か?」
竜気に適応しているのは分かっているし、グレイ爺は自分が教えなくともいずれ使えるようになる力だと考えていた。
それでもレイは強くなれる機会をみすみす逃すような真似だけは取りたくなかったし、どんな理屈を並べられようともここまで着いてきた以上、怖くなって逃げ出す様な真似だけは絶対にしたくなかった。
グレイ爺は天賦の才、類稀なる竜気の素質がある、なんて言うけれどレイにはそんな自覚は全くなく、むしろ剣や弓のように才能が無かったらどうしようとすら考えていた。そこには未だ剣の道に走らざるを得なかったという根強い後悔の念が起因しており、グレイ爺からも見捨てられるとなればレイは間違いなく立ち直れないという、そんな自信だけはあった。
だが最近は、弓矢が少しずつ思った通りに扱えるようになってきて練習が楽しい。グレイ爺は否定したが、弓矢を握れば握る程、自分に足りないものが見つかってくるようで、レイは自分には才能がないのだと分かり始めていた。……だとしても、こんなにも楽しい事を辞める理由はない。諦める理由はない。だって、楽しいから。そう言って笑うことができるレイは、グレイ爺が思っている何倍も速い速度で成長していた。
それが分かっているからこそ、グレイ爺も本気で拒むことはせず、ほんの僅かな危惧を述べるに留まっていた。
例え竜気が上手く扱えなくとも、才能が無くとも、レイはもう、止まることは無い。諦めることは無い。それは竜気に限らないであろうことも、グレイ爺は全部分かっていた。分かっていながら、忠告を挟んだのだった。それでも――。
――レイは、絶対に頷くだろう。
初めから分かり切っているようなことを問うグレイ爺に対して、シオは「そんなんで諦めてくれりゃ楽だがな」なんて言って乾いた笑いを浮かべる。
当然、決まり切っている覚悟を曲げるような真似をしないレイは自信をもって頷き返す。
レイ自身、どんなに筋力を、体力をつけるためにトレーニングを繰り返しても、グレイ爺のような肉体には遠く及ばないことに悩んでいた。
日頃のトレーニングに飽き足らず、わざと負荷を増やして生活を送ってみたりなどをしてみても、一定の筋肉量を超えることが出来ないことに加え、グレイ爺の年老いても尚強靭さの失われない逞しい肉体に憧れないはずがなかったのだ。
「強制的に魔力に適応させたワシが言うのもなんだが、将来的にレイが魔力を扱えるようになることはまず無いだろう。お前の体と素質は、あまりにも竜気に傾き過ぎている」
グレイ爺の適性が8:2で魔力と竜気に適応しているとすれば、レイの体は九割九分竜気への適性で組み上がっており、そのほんの僅かな隙間に外の世界で生活するために適応した魔力が充てられていた。
「故に、ワシの用いる竜気の使い方ではなく、レイ独自の使い方を生み出してもらわねばならない」
「僕独自の? グレイ爺のやり方は違うの?」
「恐らく全くの別物だろう。レイやシオのように純粋に竜気に身を晒すことすらワシら外の人間には実現しえないものだからな」
素養、才能と言うものは、その者が持てる最大量の器に収まる分しか持つことは出来ない。例えばグレイ爺の場合、既に魔力に対しての素養が半分以上を埋める中で、竜気をも会得したのは偏に、グレイ爺の持つ器の巨大さ故だろう。しかし普通は、竜気は人には巨大すぎるが余り魔法と同じだけの容量があろうとも、魔法のように十全に扱うことは叶わない。もしも魔法と同じだけの才能を得ようとするならば、素養の器に収まる魔法の倍は収めねばならず、それは既に魔法に素養を裂く外の人間には不可能な話であった。
一杯のコップに、更にもう一杯の水を零さずに加えることなど不可能なのだから。
それが竜気に変わると、一杯どころではなく二杯や三杯もの量の水を零さずに注がねばならない。
そのためグレイ爺が扱う竜術は、これからレイが習得しようとするものとは全くの別物なのであった。
「以前に言っただろう、魔力や竜気は、人には過ぎた力、毒になると。魔力が過ぎた力で毒だとすれば、竜気はそれをはるかに凌ぐ触れただけで命の危険が伴う猛毒。下手をすれば使い手すらも蝕み自滅しかねない力じゃ」
魔力も過ぎたれば毒。竜気は触れれば猛毒。
日常生活を送る程度であれば魔力は生活を豊かにする力であるが、常に戦いに身を置くような人物が常に魔力による身体強化をし続けると、体が耐えきれずに細胞が壊死し始める。そして竜気もまた同じで、使い続ければ体が壊れていってしまう。
「魔力に関しては余程負担のかかる使い方をしなければ、一か月二か月使い続けなければ異変は現れない。途中インターバルを設ければまた回復するしのう。じゃが、竜気が蝕むスピードはそれを遥かに凌ぐ、僅か半日で人の体を壊していくんじゃ」
「壊れるって……、どうやって?」
「魔力の場合は、どろどろに溶けて消えるとも言われているな。ワシも実際にこの目で見たことはないんじゃが、処刑の一つにそういったのもある、との噂じゃ。そして、竜気に蝕まれた者は――人を辞めておった」
「人を――」「辞める……?」
「あぁ、竜気に蝕まれた者は、魔物――幻想種に堕ちる」
「幻想種、に……!?」
咄嗟にシオの方を見てしまったレイはグレイ爺の言葉を否定しようと首を横に振って応える。
そんなはずはない、と。それでも、当のシオが険しい表情をしたまま、否定も肯定もしなかったために、口元を手で覆って冷静さを取り戻すので精一杯だった。
否、シオは否定も肯定もしなかったのではなく、できなかった。
シオもまた、グレイ爺の言葉に驚き、それが真実か否かを判断していた。
グレイ爺が竜気の会得を勧めてきた以上、それが嘘である可能性は限りなく低いだろうと考えたシオは、真剣な様子で話しに耳を傾ける。
「幻想種に変わったもの、慣れの果てを、ワシはこの手で屠ったことがある。この目で見て、この手で殺した。それは紛れもない事実じゃ。……竜気を扱う者は、竜気の果てにその結末が待っている可能性を努々忘れるな。竜気は確かに強力であるが、同時に強き力には必ず代償がある。それでも、レイは竜気を極めたいと、そこに踏み込む覚悟はあるのだろうな?」
それこそが、グレイ爺が危惧している結末なのだろう。
グレイ爺がその手で葬った竜気に蝕まれ幻想種に堕ちた者が復讐に囚われた末路なのか、死闘の果てに堕ちたのかはグレイ爺の話からは読み取れないものの、相手がグレイ爺にとってかけがえのない相手であったことはその悲壮を感じさせる表情からは読み取れる。
それ程の力であることを理解したレイだったが、シオの心配も他所にグレイ爺を正面から見据えて言い放つ。
「――やるよ。竜気を、覚えるよ」
その覚悟はどこから来るものか、グレイ爺の問いに間を置くことなく即答したレイだったが、その表情は決して生半可なものではなく、一つの意志を固めた男の顔つきだった。
そも、魔力に見放されたレイに竜気を捨てる道は存在しておらず、グレイ爺がどんなに脅したところで、レイの心が揺らぐことはまずなかった。レイの夢に近づくために欠かせない力こそが竜気なのだから。それが例え、人の道を捨てることになったとしても、レイは迷わず竜気を使うだろう。
「……ま、安心しろよ爺さん。なんかあったら俺が止めるからな」
「そうそう、シオもいるしね」
グレイ爺は、レイに竜気が必ずしも力だけをもたらすモノではないことを理解してほしかった。ナイフも剣も、使い方ひとつでその身を傷付けるのと同じように、竜気もまた使い方次第で傷つく可能性があるのだと頭に入れておいて欲しかった。
「本当に分かっているのか……。まぁ良い、いい加減始めるとするかの」
自分が生きているうちは、口酸っぱく言い続ければいつかは伝わるだろう、と思い直して、グレイ爺は全身に竜気による身体強化を纏わせる。
「……わぁ」
「おぉ、マジか。一人で使えるような規模じゃねぇのに」
魔力による身体強化とは異なり、レイの目にも、グレイ爺の体の変化が見て取れた。
全身から吹き出す赤い竜気は、グレイ爺の体が高温を放っているかのようで陽炎を生み出す。しかしてグレイ爺の体は実際に高温を放っているようには感じられず、強大な力の壁が目の前に現れたかのような圧迫感を放つ。言うなればそれはまるで肉体が別のモノに置き換わったかのような違和感を感じさせるもので、全身から発する暴風のような威圧感は幻想種たるシオですら息を飲む程に洗練された姿だった。
「人の肉体には鍛えることの上限が存在している。いくら鍛えたところで、人の体では刃を防ぐことはできない。だが、魔力や竜気による身体強化を体そのものを別物に作り替え、上限を遥かに超えた力を引き出す。どれ、このナイフで切りかかってみろ」
「えぃっ――嘘……っ!?」
グレイ爺から渡された大きなナイフの刃先を差し出された剛腕に突き立てると、刃先はその肉体に入っていくこともなく、傷一つ付けられずに弾かれてしまう。
「――いたっ」
「嘘、じゃねぇよ。俺の方が驚きだよ、悩む素振りもなく切りつけるな怖いわアホ」
「だ、だってグレイ爺がやってみろって言うから……」
そのナイフでもって隣の木を切ってみると、木肌は削れ、切れ味に問題はなく、傷一つつかないグレイ爺の肌が超硬質化したのが分かる。
「魔力でここまでの身体強化を果たすには竜気の五倍の量は必要なのだが、竜気は使い慣れれば少量でここまで引き上げられるのう。正しく、質が違うんじゃ」
「へぇー」
魔力に関しては無縁なレイに魔力基準の話をされてもいまいちピンとこないレイにさらっと流されたグレイ爺は体の内側からダメージを食らうも、すぐに立ち直って話を続ける。
「竜気と魔力ではそうした効果量に違いがあれど、最も代表的な違いが――これじゃ」
そう言ってレイ達に背を向けたグレイ爺は、湖畔を歩いて湖の元に辿り着いても尚足を止めることなく、水の中に向かって足を踏み出していく。
竜気を放出して歩くグレイ爺が湖に近づく度に、湖の中が騒めいているような荒波が立つも、グレイ爺は気にすることなく歩みを進めていく。
何をするのかと見ていたレイは、その目で信じらないものを目撃する。
なんと、グレイ爺の肉体は水の中に一歩として踏み入れることなく――水面に、浮いていた。
その巨体が、まるで地面と変わりないとでもいうかのように水面に、立っているのだった。
「竜気は魔力とは異なり、その目に視えずとも放出が可能……。実際は適応した時点で少なからず視えるようになるんじゃが、それはまぁ置いておくとして。こうして竜気の放出で足場を安定化させ、水の上も歩けるようになる。こうして立ち尽くすよりも動き回った方がずっと制御しやすいんじゃがの。これは集中力と繊細な竜気のコントロールが必要になる故、竜術を覚える前にこれだけは完璧にできるようになると良い。言うなれば竜気の基礎、じゃな」
まずはこの「水面歩き」をマスターしろ、と告げると、グレイ爺は木陰に入って休憩に入る。
弓矢と同じで基礎は教えてくれるグレイ爺だが、肝心な竜気の放出の仕方も何も分からないまま放り出されては、手の付けようがない。
しかし、それを伝えたところで「自分で考えろ」と言われるのがオチだと見えている以上、ここからは自分ととシオの二人で試行錯誤せねばならないと判断し、シオに練習に付き合ってもらうことに。
結果、呼吸するように竜気を纏って生きる幻想種のシオと繋がりを持っているレイはものの一時間で竜気の放出ができるようになった。グレイ爺曰く、竜気を得ても放出に時間がかかるものだと言われ、かく言うグレイ爺は放出の会得に半年かかったのだそう。
「よっ、ほっ――っくぅう!!」
軽い身体強化で体を支えながら、一歩ずつ湖に向かって踏み出していこうとするも、みっともなく藻掻く姿で水の中に体が沈んでいく。そもそも、既に一歩目を踏み込んだ時点で足首まで浸かっている状態なため、立つ事すら満足にできていなかった。
「こ、これ! 想像以上に難しいよ!?」
「見りゃ分かる。あと、すげぇ地味」
急深の湖は、レイの歩幅でも踏み出してしまえばすぐに胸程まで浸かってしまうため、戻る際はシオの垂らした尻尾に掴まって助け出される。
そうして練習を繰り返していたが、水面歩きに関してはなんの成果も出せないまま時間だけが過ぎていた。
時間的にも最後の挑戦になるであろうと意気込むレイは、弓矢を担いだ時と遜色ない集中状態に入り、一歩湖に向かって足を踏み入れる。
ずぶ濡れになった服は水を吸って重みを感じるが、それが逆にバランスを取りやすくしてくれているようで一歩目は安定して足場を保つことに成功する。
足並みを揃えて息を整える行為と竜気の安定化を図る行為を同時に行わなければならない緊張感に、慎重に慎重を重ねて二歩目を踏み出す。
すると、そこで踏み込んだ方の足に集中しすぎて、一歩目に置いた足場が崩れていく感覚がレイを襲う。
「わっ!? つぁっ――っと、だぁっ!?」
焦りからか、咄嗟に放出する竜気の量を大きくさせ、力技でさらに三歩目を前に出し、続けて四歩、五歩と駆けて行ったところで、レイの体は頭から湖の中に沈んでいった。
「レイッ!?」
「――っ、ぷぅあっ!! 見た? 見た? 五歩も歩けたよ!」
「お前なぁ……、今のは歩けたとは言わねぇ――だ、ろ?」
心配して近寄ったシオを他所に、レイは両腕を万歳と上げて喜びを露にして見せる。
しかし、シオの言う通り「歩いた」と言うよりは「足掻いた」と言う方が正しいはちゃめちゃな動きを指摘したシオだったが、すぐにその表情に影が差す。
「わぷ、な、何……?」
シオの反応が変わったことよりも、背後から襲う波を頭から被ったことでようやく背後を確認したレイの目が捉えたのは、湖の水面がそのまま迫り上がったかのような、巨大な頭。シオの瞳によく似た縦に裂けた眼球はレイとシオの二人を捉えていて、ゆっくりと持ち上がっていく首とも胴とも区別のつかない細長い部位には、水草や貝がみっちりとくっつけた湖の魔物が大口を開けて迫ってこようとしていた。
レイとシオが逃げようにも動き出すには遅すぎており、その巨大な口が迫るのは、どうやっても避けられそうになかった。
寸分の狂い無く落ちてくる巨大な口がレイとシオに突き立つ刹那の時間、加速した時間の中で二人は、いつの間にか水面に立っていたグレイ爺に目と耳を奪われる。
「言ってなかったかのう、竜気は魔物を狂わせるんじゃ。長い時間眠っていたこいつを起こしてしまったようじゃな。言っても聞かんようじゃし、止まりもせん。しからば、目覚めさせた責任として、もう一度寝かせてやらんといかんのう……。よく見ておけ、一度しか見せんからの。これが、竜気を放つ一撃よ」
――紅蓮竜掌波。
淡々と語るグレイ爺の竜気が膨れ上がったと同時にやがて時は進み、レイとシオが次に感じたのは、魔物の口に放り込まれた暗闇ではなく、グレイ爺の気迫の籠った声と膨大な熱が一瞬にして弾ける衝撃だった。




