2話 笑顔が大好きだからね
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「パパは、レイとヒジリさんを、守ったんでしょ」
翌日、レイはモヤモヤとした曇り空を胸の中に抱えたまま自分の田畑の収穫と世話を終え、成果を親元に提出しにやってきた。
昨日の分の作業が遅れていた故に、普段の倍の量の収穫物を運ぶのは発育の遅いレイにとっては重労働だった。
それでも、物心つく前から教え込まれた農作業。無駄な動きの一切を省いたおかげで、日が完全に暮れる前のは終わらせることができた。
レイの暮らす農業区の一角を占める親元はゲンさんで、税金の管理も任されていた。
今はゲンさんの代わりとして、これまた農業区の母と名高いサオリおばさんが管理を担っている。
そしてそのサオリおばさんを「ママ」と呼び、昨日お迎えを果たしたゲンさんを「パパ」と呼ぶ少女こそ、ゲンさんとサオリおばさんの義理の娘である、アカリだった。
夕日が森の中に沈んでいく中で、農業区一大きいお屋敷の庭先で、レイは昨日の出来事をアカリに話していた。
「うん……」
「なら、そんな暗い顔はしないでちょうだい。あたしは、あたしのパパを誇りに思ってるから」
アカリは、とにかく心の強い女の子だった。
ゲンさんの妻サオリおばさんは、子供が作れない体で、幻想種も特筆すべき点はないくらい普通の人だった。
しかし、幻想の森では資源は限られているがゆえに、そんな普通の人に居場所を与えることは難しく、普通の人は段々と隅に追いやられていく運命にあった。いわば、閉ざされた幻想の森という社会の中で、役に立たない人間は隅に追いやられ、いずれは奈落に落ちてしまう。
そうして落下の危機に瀕した者こそ、お迎えの対象者なのであった。
だと言うのに、サオリおばさんが今こうしてゲンさんの代理として立っていられるのも、ゲンさんが彼女を妻として迎えたからであった。
そしてそれはアカリも同じで、酷く体の弱いアカリは子のできないゲンさんとサオリおばさんの子供として養子になることで、お迎えから逃れていた。
アカリは、体の弱さをかき消すほど心を強く保ち、両親の負担にならぬようにと生きてきた。
しかし、昨日はいつもの発作を起こして寝入ってしまい、サオリおばさんと共に最後のお別れもまともに言えなかった。
「アカリだって、泣いてるじゃん……!」
「あたしは……! 泣いてなんかないのっ!!」
故に、こうしてゲンさん、父の最後の雄姿を聞いて、涙を流すまいと唇を嚙んで前を向き続けようとする姿こそが何よりもアカリらしいと、レイももらい泣きするのだった。
「ぴゅい?」
その横で、あざとらしさすら感じる程に可愛い鳴き声で首を傾げるのは、アカリの幻想種。
その名をグリン。鷲の上半身と翼、獅子の体を持つ幻想獣種、鷲獅子の幼体だった。
グリンの視線の先には、レイの頭の上に乗る蛇そっくりの名前負けした神性竜種のシオがおり、同じように首を傾げるのであった。
「お待たせ、レイ。これは今日の分ね。ヒジリの体調はどうだい?」
一頻り泣いた後、アカリと横に並んでグリンとシオのじゃれあう姿を見て笑っていると、屋敷の奥からサオリおばさんがやってきた。
「あんまり、かな。でも、もうすぐでちゃんとしたお薬を買ってあげられそうなんだ!」
「そうかい、頑張ったねぇ。……でも、レイはちゃんとご飯食べてるのかい?」
「た、食べてるよ。小さいから、わかんないだろうけど……」
「……これでなんか美味しいもの食べな。あんまり無理しちゃダメだからね」
「そんな! もらえないよ! 今日の分だって、本当はいつもより多いみたいだし……」
「いいから受け取っておくれ、レイ。それはほんとウチの人がレイに、って渡そうとしていた分だからね、貰ってくれないと困るくらいなんだ。それから、しっかりご飯は食べるんだよ。あんたの顔色見れば、あたしにだって分かるのさ。ここで倒れられちゃ、あの人に示しがつかないからね……」
サオリおばさんだけでなく、彼女の半身である幻想種、毛むくじゃらの犬のムクも一緒になってレイの事を心配そうに見上げてくる。
彼女の言う通り、レイはここ最近、最低限の食事で賄ってきた。
今日だって日中は空腹との戦いで、屑野菜の切れ端でどうにか補っていたくらいなのだから。
だが、そうしなければ姉のための高価な薬に手が届かない。自分の体を削る事で姉の薬が買えるのなら安いものだと考えていた。
アカリも、サオリおばさんの言葉で気づいたようで、心配そうに眉根を寄せていた。
「……うん、ありがとう。今日はこれで、美味しいご飯にする」
ゲンさんの名前を出されては断るわけにもいかず、レイはいつもより重くなった巾着を手に、終わりかけの市場に寄ってから家に帰るのだった。
「姉さんただいま。今からご飯作るね」
家とは言え、木組みの小屋を分割したようなワンルームの部屋は、二人で暮らすには手狭であるが、この姉弟が暮らすには十分だった。
窓際に設置されたベッドから聞こえるくぐもった「おかえり」に思わず笑みがこぼれるレイ。
「おかえりなさい、レイ」
「ただいま、ラナ。今日も姉さんはよく寝てた?」
「えぇ、今しがた寝たふりをするくらいにはね。今日も窓からレイの働く姿を見てひやひやしてたわ」
「もう、あれくらい平気だって言ってるのに」
そう言って今日の姉さんの様子を報告するのは、姉さんの幻想種、聖王竜の名を持つ神性竜種、ラナンキュラス。愛称はラナ。まんまるとした滑らかな白いもちもちボディが魅力的な竜種で、レイの姉がヒジリであるように、シオの姉のような存在がこのラナだった。
――ヒジリとラナがレイの元に現れたのは、今から二年ほど前。
当時レイは8歳で、ヒジリが18歳だった。
物心がついた頃から教え込まれた農作業がようやく板につき始め、収穫物がゲンさん達に認められ始めた時、ヒジリはやってきた。
突然家に押しかけてきて、「今日からここに住むわ。お姉ちゃんと呼んでちょうだい」と豪語したときは、あまりの情報量の多さに頭が破裂するかと思ったものだ。
『へぇ、レイのお姉さんかい』
色々と秘め事がある様子も、ここ農業区では当たり前。
訳の無い人なんて、脳足りんな歓楽区の住人か上級区にしかいないだろう。
だからか、降って湧いたような姉はすぐにゲンさん達に認められた。
両親に関しての記憶がない僕としては、ゲンさんのような命の恩人とは異なる初めての肉親との接触に、どこか期待していた。今となってはその期待も間違っていなかったのだが、当時のレイにとってヒジリの存在は正しく空想上の存在。
本当に姉なのか、どこから来たのか、今までどこにいたのか。
尋ねたいことはいくらでもあった。あったと言うのに、ゲンさんのところからの帰り道、レイは隣を歩くヒジリに『僕のお父さんとお母さんを、知りませんか』と尋ねた。
あの時のヒジリの泣きそうな表情は、今も忘れられない。
あの時初めて抱き締められた感覚を、今も忘れない。
『これからは、お姉ちゃんが一緒だから……! ずっと、一緒だから!』
それまで、滅多に涙を流すことも泣きわめくこともなかった、手のかからない子供だったレイは、初めて触れた優しさ、慈愛に包まれて、半身であるシオと共にヒジリの胸の中でたくさん泣いた。
それからしばらくして、ヒジリは体調を崩して一人では歩くことさえ難しくなる。
『本当なら、私の力で何とか治せるんだけどね~』
上級区の治癒士として名を馳せていたと自慢する姉は、事実聖王竜の力で数多くの上級区民を救っていた。ゲンさんの元に届いた新聞には、隅っこの方に「治癒士不足、高騰する治療費」なんてコラムができていたくらい。それを聞いて鼻高々とする姉は、どこか虚しかった。
虚しいと言えば、ヒジリとラナの竜気が減少の一途を辿っていることだろう。
歩行困難になったのも、ラナが元の大きさに戻ることも難しい状態。それは嘘でも例えでもなく、ゲンさんに起こった症状と何ら変わらない状態。このまま進めば、いずれはお迎えの対象になるのは間違いなく、レイは初めてできた家族を失わんとするために空腹にも耐え、必死で働いていたのだ。
竜気が戻れば、これから先もずっと一緒に暮らせるはずだと信じて。
「ご飯、できたよー」
「今日はちゃんと、レイも食べてくれるのね。お姉ちゃん嬉しいわ」
「わ、分かってたの……?」
「当り前じゃない。私を誰だと思ってるの? お姉ちゃんだぞっ? ……でも、私のために我慢させてると思うと言い出せなくってね。ごめんなさい、レイ」
「姉さんが謝ることじゃないよ! サオリおばさんに言われたから……」
「あら、だから今日はお肉入りなのね。また今度、お礼を言わなきゃいけないわね」
竜気がなくとも、食欲はある姉に見透かされていた恥ずかしさに加えて、久方ぶりのまともな食事に涎が止まらないレイ。今ここでいたずらに待てでもされれば、その手に嚙みつく用意はいつでもできているくらいには腹を空かせていた。
レイとは違って、毎日しっかりと食事を摂っていたレイの幻想種であるシオも同じくらい目の前のポトフに釘付けであった。
食べましょうか、と言う姉の一声に、配給の堅いパンとスープを貪るように平らげる。
弱っている胃腸にはかなり刺激が強かったけれども、豪華に干し肉とくず野菜と言う具が入った薄く塩味のついた素材の味が染み出たポトフは、二週間ぶりのまともな食事に歓喜するレイの肉体の芯まで染み渡るのだった。
縮んだ胃がこれ以上を拒絶したところで食べ終えると、残った食べかけの堅パンをシオがゴリゴリと咀嚼して飲み込んでいた。相変わらずの健啖家に、シオにとっての姉であるラナが微笑ましく眺めていた。
「おいしかった~」
「レイと一緒に食べる食事が、一番美味しいわ」
「本当? ……もっとおいしいもの、食べさせてあげたいけど」
「確かに、味はもっと複雑なものを知っているけど……、レイのご飯は他のどんなに高級なものよりずっと美味しいのよ」
「え~、そうかなぁ。でも、うふぽしぇふりかっせ、とか、えすぷーま? みたいな、新聞に載ってるやつも食べてみたいけど」
「それもきっと、レイと一緒なら私の知る味よりもずっと美味しく感じられるかもしれないわね」
「……? 味が、変わるの?」
「えぇ。美味しそうに笑顔で食べるレイを見てると、こっちまで美味しく感じられるもの。お姉ちゃんは、レイの笑顔が大好きだからね」
向かい合った正面から、決して目を逸らさないヒジリの熱い視線と言葉を受けて、レイの顔はどんどん赤に染まっていく。
ぶわっ、と沸き上がった羞恥心を隠すように、食器を片付けるレイは、慌てた様子でヒジリに背を向ける。
「あ、ああ、あんまりからかわないでよね! もう、食後の運動してくる! ついでにお湯も沸かしていくから、見ておいてよ!」
「あらあら、照れちゃって、レイはかわいいわね」
「ラナまでからかわないで!」
耳まで真っ赤にして抗議するレイをみて、ますます笑みが深まるヒジリとラナ。
その横で何事もなく食事を続ける薄情な半身に溜め息を吐きながら、レイはドアノブに手をかけたところで立ち止まる。
忘れ物? とヒジリが声をかけると、レイはもごもごと口ごもりながら、消え入りそうな声で呟いた。
「ぼ、くも……、姉さんが笑ってる顔は、大好き、だから……」
「ん? 聞こえないわ、なんて言ったの?」
「――っ、な、なんでもないっ!!」
やり返そうにも、その勇気が出ないレイは、もういい! と畑の横まで走って行ってしまう。
当たり前のように好意を告げる姉に翻弄されるのはこれが初めてではないが、いくらやられても慣れないものは慣れない。
むしろ嬉しいまである高揚を忘れようと、うがー、と吠えながら畑の外周を走り回り、木剣の素振りを行うのであった。
「…………」
「あらあら、照れちゃって……。これも、いつまで体裁を保てるのかしらねぇ」
確かに届いていたレイの言葉にブラコンのヒジリもまた、顔から火が出るのを両手で抑えるのであった。
「……?」
ようやく満腹になったシオは、何があったのかと、窓の外で汗だくになって運動をする自らの半身に目を向けるもさほど興味を示すことなく、マイペースなまま大きなあくびを一つするだけだった。






