第3話 真実の愛よりも
最終話です。
それから私は何人もの医者や学者に診察を受けた。
その中に前は親しくしていた魔塔のおじいちゃん(賢者なんだって)もいて、わたしが本当に記憶のないことを悟って泣きだされてしまった。
孫のように思ってくれてたようだ。
なんだか申し訳ない。
おじいちゃんは落ち着きを取り戻してから、こう言った。
「シンシアは、どうやら自分で強い忘却の魔法をかけたようじゃ」
「忘却の魔法⁉ そんな恐ろしいことができるんですか?」
「シンシアほどの魔力と複合魔法の使い手ならば、ありえないことではない。
たぶん闇魔法で記憶を浮き上がらせて、光魔法で消していったのじゃろう。
じゃが消したい記憶が広範囲過ぎたんじゃ。
結局は全ての記憶が消えて、しかも普通ならば体が覚えているような記憶まで失ったのじゃ」
「では記憶が戻るということはもう?」
「難しいじゃろう。
だが人の心というものは、我々魔塔においても解明できておらぬ。
何か大きなきっかけがあれば、戻らないとも限らない。
ただその可能性は限りなく低いということじゃ」
「ではやはり婚約継続は」
「ワシからも無理じゃと伝えておこう。
でもなぁ、ワシでもお前達にでも一言相談してくれていたら、助けることもできたじゃろうに」
父母兄が魔塔のおじいちゃんに頭を下げていた。
公爵家だから王族以外に頭を下げることなんてめったにないって聞いてたけど、そのめったなことだったようだ。
それからわたしとシャルル第二王子との婚約は破棄された。
とうとう会わずじまいだった。
まぁ会っても知らない人だ。
嫌なやつみたいだし、なんの感慨も浮かばない。
それでなるたけ王都から離れた公爵領に移動することになった。
私とポール兄ちゃんと、ちょうど兄も領地の見分に行くので一緒に向かった。
兄が帰ると母が来てくれた。
父はさすがに来れなかったが、手紙をたくさんもらった。
初めは自分で読めなくてポール兄ちゃんに読んでもらったけど、だんだん読めるようになってきた。
片言だけど返事も自分でかけるようになった。
相変わらずのみみずだけど、ちょっとましになったかな。
婚約破棄から1年ほど過ぎたある日、すごくさわやかだったので外でお茶を楽しんでいた。
ポール兄ちゃんは兄がくるのを出迎えるためちょっと席を外していて、私とメイドさんたちだけだった。
もう王家に嫁がないから、気楽に過ごしていたのだ。
この辺になると、あのおかしな違和感も落ち着いていた。
そしたら一台の馬車が許しも得てないのに庭に入り込んできた。
中からきんきらきんの男が一人降りて、こちらに向かってきた。
顔は悪くないけど、兄のような上品さも、ポール兄ちゃんのような逞しさもない。
お金はあるんだろうなってぼんやり考えていた。
するとその男は唐突に私の顔を殴ったのだ。
えっ? 通り魔? DV?
私は椅子から落ちたが、怖くて腰が抜けてしまい立てなくなった。
「おやめ下さい、シャルル殿下!」
メイドさんたちは私が乱暴されないようにかばってくれたが、皆払いのけられた。
「シンシア!
貴様が仮病なんぞ使ったおかげで母は処刑され、マインは美貌を失ったのだぞ‼
お前の魔法でなんとかしろ‼‼」
シャルル王子がもう一度手を振り上げたので、私が目をつぶると「グァッ」という声がして殴られることはなかった。
目を開けるとポール兄ちゃんが戻ってきて、王子の腕を捻っていた。
「第二王子であるこの私に対して不敬だぞ!
手を放せ‼」
「放さなくてよい、ポール。
その者はもう王子でも王族でもない。
陛下の血を1滴もひいていない、ただの平民上がりの男爵だ」
「何を言う! 私は」
「あなたは、当時側妃でありながら不義密通をはたらいた女と、役者風情との間にできた子です。
あなたにそっくりですよね。役者のお父上は」
「ぐっ!」
「陛下はあなたが実子でないと知りながら、廃籍はしたものの命は取らず、あなたの大好きな男爵令嬢と結婚させてくれたのですよ。
これほどの温情はなかなか見られないものです。
感謝こそすれ、こんな所で公爵家の子女に暴力を振るうなど謀反を疑われても仕方がありません。
あなたが王家の血を引いていないことは完全に証明されておりますので、そのような馬鹿なことはしでかさないことです。
もう誰もあなたの尻ぬぐいをしてくれないんですから」
「くそっ!」
「イヤですね。下品なことだ。
お生まれがお生まれだから仕方がないですね。
まぁあなたの妻になったあのあばずれも、たいした治癒魔法もできないくせに出来るなんて嘘をついたと聞きました。
それであなたの母親にひどい折檻を受けて、治すこともできず二目と見られない顔になったそうですね。
母親の罪ですから、あなたが責任を取るのが当然でしょう?」
「シンシアとさえ結婚すれば、コイツの魔法でマインの顔も俺の地位も取り返せる」
兄はものすごく大きなため息をもらした。
「どこの公爵の子女が、いわくつきの平民出で、妻帯者の男爵に嫁ぐと思うんだ?
元王子だったから丁重に扱ってやったのに。
ポール、そのままコイツを地下牢に入れろ。
シンシアを殴った罪に問う。
暴れるなら手傷を負わせても構わない」
「おう、承知した」
そのやり取りを聞いて、わたしは安心したのかそのまま意識を失ってしまった。
◇
それから5年が経ちました。
わたしは元気になり、結婚しました。
お相手はポールです。
といっても公爵家は兄が継ぎ、私は領の一騎士の妻になっただけです。
でも今では読み書きも、マナーも問題なくできるようになりました。
シャルル王子だった男爵は私を殴った罪で罰金刑に処せられたのですが、その後身分を偽って詐欺を起こしたため、一昨年処刑されました。
それを聞いた妻のマインは生活に困窮し、どこかにいなくなったそうです。
ここに来ないか心配でしたが、兄や夫は大丈夫と言ってくれるので安心しています。
シャルル王子の襲撃の後、夢を見ました。
わたしは華やかな存在でしたが、実質は王妃から火傷や切り傷など驚くような虐待に遭っていました。
彼女は母に公爵である父を取られたことをずっと恨んでいて、私でうっぷんを晴らしていたのです。
それを治癒魔法で隠していました。
女遊びが激しくても、公爵家の後ろ盾が必要なシャルル王子を信じていました。
王子妃になれば、この苦痛から逃れられると。
ですがあの男はマインと言う女と情を交わしたばかりか、わたしを見せかけの妃にして仕事だけをさせて飼い殺しにすると約束していたのです。
「マイン、そんな難しい仕事できな~い」だからだそうです。
それで思い出したのです。
妙に甘ったるい声のそのセリフが、前世で読んだWEB小説に出てくるものだということをです。
読んだときにとてもムカついたものでした。
それは毒殺された第一王子に代わって、シャルル王子が王になるのです。
彼が愛人に現を抜かしたため、白い結婚で虐げられた王妃が真実の愛に目覚め、国を捨て隣国の王子と結婚し、シャルル王を倒す話でした。
物語ではハッピーエンドだったけど、でもそれはわたし自身が不義密通して、国を裏切るということなのです。
家族や国民はどうするつもりなのですか?
考えられません。
しかも隣国の王子と出会うのは6年後なのです。
それまで王妃とシャルル王子の虐待を受けなければなりません。
知らなければまだ我慢ができたのに、未来を知ってしまったのです。
わたしはもうボロボロでした。
真実の愛なんてどうでもよかったのです。
この痛みも、苦しみも早くなくなりたかったのです。
あれだけひどい目に遭ったせいで、わたしの心は壊れていたのでしょう。
外側の怪我を治しても、心についた見えない傷はどんどん深くなっていたのです。
魔塔の賢者様のおっしゃる通り、わたしはありったけの魔力で自分に忘却の魔法を掛けました。
前世のわたしに全てを任せてしまいたかったのです。
その後、どうなるかは考えもしませんでした。
気がつけばわたしは今世の記憶だけでなく、前世の記憶も失っていました。
忘れるにも程がありますよね。
本来ならば前世のわたしが婚約を解消するのを願っていたのですから。
でも結果的にそれがとてもよかったのです。
家族と使用人が、こんなにわたしを愛してくれているのを知ってしまったから。
わたしはこんな素晴らしい大切な人々に囲まれていたのに、自分で全てを捨ててしまったんです。
それを当時知ったら、わたしの心は今度こそ罪悪感で潰れていたでしょう。
顔は痛かったけど、シャルル王子には感謝しかありません。
彼がいなければ、こうして記憶を取り戻すことなんてできなかったからです。
でも記憶を取り戻したことは秘密です。
前世の私はとても平凡で、ブラック企業で働くただのOLでした。
そのせいかわたしには華やかな社交界に行こうとか、贅沢三昧したいとか思わないのです。
家族も夫も、ずっとこの領で静かに暮らしていいと言ってくれました。
字が読めるようになったので読書が楽しいというと、王都からたくさんの本を送ってくれます。
そのうち子どもも生まれるでしょう。
そういう穏やかな暮らしの方が、真実の愛よりも重要なのです。
それが、今のわたしにとっての本当の幸せだから。
お読みいただきありがとうございます。
シャルル王子に金があったのは、死刑になった王妃がマインの顔を傷つけたので賠償金があったからです。
王妃は暴力でうっぷんを晴らすのに慣れて、治癒ができるマインならいいと思ったんです。
どっちも屑です。
後半、丁寧語になったのはわざとです。
ここは今世のシンシアの気持ちです。
家族と使用人が~知ってしまったから。もわざとです。
ここは記憶がない間の前世のシンシアだからです。
最後の一行も語尾のだから。もわざとです。
ここで今世と前世が完全融合したんです。