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9 「がんばって会いにおいで」 その5

「今度はリリアー?」


 無事にヒューゴを客室に放り込むことに成功したキースは、廊下に出た途端にルークに声をかけられた。ヒューゴに謝りたくないリリアが、屋敷内を逃げているらしい。


「ルークさん、時間大丈夫なんですか……?」


 キースは恐る恐る尋ねる。リリアとヒューゴ、両方の面倒をみるのはキースには不可能だ。この状態で彼に去っていかれてしまうと大変困る。


「今日は戻って来なくてもいいとは言われてますけどね……」


 そうは言いつつ、ルークは中途半端に放り出してきた仕事が気になっている様子だ。


「戻りたいですよね……」


 一ヶ月近くこの人は妹のせいで伯爵家に閉じ込められた。ルークが執事をやってくれたので、ジョージはゆっくり静養できたし、トマスの執務は捗ったし、家具の修繕や部屋の模様替えなどの普段後回しにされがちなことが一気に片付いたので、キースとしてはありがたい限りだった。

 だが、ルークの仕事は溜まりに溜まったらしい。ここでまたリリアと遊んでいる訳にはいかないだろう。


「……イザベラさま寝込んでるし、やっとヒューゴさま寝たし、エミリーさんたちも今勉強の時間ですしね。あまりバタバタ走り回られるのも困るんですよねぇ」


「……仕方がないので、卑怯な手を使って、さっさと片付けます」


 ルークは気が咎めるのか、迷っているように目を伏せた。しかし、結局その『卑怯な手』とやらを使うと決めたらしい。ひとつキースに頼みごとをしたのだった。



 伯爵家の街屋敷の三階部分は、現在ほとんど使われておらず、物置状態になっている。

 古い家具が乱雑に置かれた室内で、リリアは飾り棚の上に座って、風を通すために開け放たれた窓から外を見ている。

 裏庭の野菜畑が見える。園丁がしゃがみ込んで何やら作業している。彼はリリアがマーガレットだった頃からおじいさんだった。手先の器用な人で、マーガレットのためにちいさな箒を手作りしてくれたのだ。あれから十年以上経つ。今は、とにかく野菜作りが楽しくて仕方がないようだ。畑に手をかけすぎて、庭の方まで手が回らない。


 裏庭でとれた野菜は、アレンの私邸にいたシェフのポールとコナーの手によって、珍しい異国風の料理になって伯爵家の食卓に並ぶ。伯爵家のコックはだいぶお年だったので、急に屋敷の滞在人数が増えたせいで疲れてしまい、引退してしまったのだ。

 エミリーと侍女二人とナトン。アレンにルークにダニエル。これだけで七人増えている。そこにロバートが来たり、アレンの護衛が加わったり、エミリーの両親が訪ねてきたりする。部屋は十分にあっても使用人の数が足りない。だからと言って新しい人も雇えない。秘密が多い家だからだ。

 家令のジョージとキースだけでは手が足りず、執事のルークの代わりに今はメイジーの息子であるジャックが手伝いに来ていた。一時的なものであるにせよ、伯爵家は去年よりずっと賑やかだ。賑やかなのに、リリアは寂しい。――大きく変わってしまった日常が。


(我が儘……)


 リリィをお嬢さまではなくお姉さまと呼ぶと決めた時から、覚悟はしていた筈なのだけれど、変わってゆく環境に戸惑いを隠せない。

 リリアはルークを選んだから、リリィとはずっと一緒にいられない。

 リリィの部屋で四人で過ごした日々は過去のものだ。


 今まではいつだって屋敷にはリリィがいた。「だいすきよ。ずっとそばにいてね」リリィはいつもそう言ってくれていた。だからリリアは「ずっとおそばにおります」と返してきた。

 でもそれももう終わり。二人はこの先別々の道に進む。

 リリィは前を向いて歩き出したから……リリアの側にはいてくれない。

 わかっているけれどやっぱりさみしい。


(……欲張りだ)


 だからと言って、ルークの手を離すこともできない。

 罪悪感の次に来たのは寂寥感だった。イザベラは結婚前の女性はそんなものよ、と笑ったけれど……


 ここ一ヶ月程の間、さんざん周囲に迷惑をかけたので、さすがにちゃんとしないといけないとリリアは努めて平静さを取り繕っていた。

 そんな中で起きたのが、このリリィ誘拐未遂事件とヒューゴの襲来である。

 誘拐未遂事件に関しては事後報告だったし、戻って来たリリィも普段通りだったので、安堵の気持ちが大きかった。


 でも……その後伯爵家にやって来たヒューゴに、冷静に対応できるだけの心の余裕が、リリアにはなかった。


 リリアは自分は庶子なのだから何を言われても仕方がないとわかっている。でも、ルークの事を悪く言われるのは我慢ならない。屋敷に来るたびにヒューゴはルークに食って掛かる。ルークはまるで相手にしていないが、リリアは聞いていられない。

 キリアルト家は異民族だとヒューゴは言うが、この国の王女さまが嫁いだような家柄である。


 ――リリィとルークと手を繋ぐ資格がないのはリリアの方だ。


 異民族で、しかも得体の知れない……この伯爵家を滅茶苦茶にした女優の娘。

 ぼんやりと視界が滲む。あわててリリアは目を瞬いて涙を散らす。


 ルークは絶対にヒューゴに謝れと言うに決まっている。でもリリアは謝りたくない。向こうだって悪い。そこだけは絶対に折れたくない。

 ルークは忙しいから、その内諦めて仕事に戻るだろう。この屋敷はかくれんぼするには広すぎるのだ。


 ……かちゃん。


 遠くから、金属が軽くぶつかるような音がした。鍵の束が鳴っている。二人分の足音がして、立ち止まり、かちゃんという……鍵をかける音。そして、紅茶を注ぐような音。足音が近付き、鍵の束から鍵を探す音。扉の鍵をかける音。そして、紅茶を注ぐような音。そのくり返し。だんだん近づいてくる。


 そして、リリアのいる部屋。


 ――かちゃん……


 ドアに鍵がかけられる。そして、カップに紅茶が満たされてゆく時の音。


(閉じ込められた?)


 隣の部屋にも鍵がかけられた。同じ順番で同じ音が繰り返し繰り返し……


 鍵は中から開けることができる。でも、そうか。すべての部屋のドアに鍵をかけられてしまったら、リリアは他の部屋には逃げ込めない。


 耳を澄ますと、階段を降りていく足音が聞こえる。三階の部屋にはすべて鍵をかけ終えたのだろう。リリアは飾り棚から降りるとドアに向かい鍵を開ける。そっとドアを開けると、カタンという小さな音がした。……水の入ったカップが倒れて、廊下を濡らしている。


 ドアを少し開いて周囲を窺う。すべてのドアの前に水の入ったカップが置かれている。


 ここまでやるか……と、リリアは茫然と目を見開いた。本気でルークはリリアを捕まえて謝らせるつもりだ。指先がすっと冷えた。




「……こわい。やることが怖すぎる」


 顔色を悪くしながら、キースはジョージから借りた鍵の束から鍵を一つ選ぶと、鍵穴に差し込んで回す。その後ろに続くジャックは、手に持ったバスケットからカップを取り出し床に置くと、水差しの水を注いでいる。


「……容赦ないですね。なんか犯罪に加担しているような気がしてきますね。リリアさまかわいそう……」


「すみませんジャックさん……」


「伯爵家って本当に楽しい所ですよね……」


 はははっとジャックは力なく笑った。そう、普通の感覚ではここの使用人はやっていけない。


「……何やってるの?」


 大階段の前でばったり会ったトマスが、訝し気な声をかけてくる。


「ルークさんから逃げたリリアを追い詰めてます」


 キースが鍵をかけて、ジャックがカップを置いて、水を注ぐ。一連の流れを見ていたトマスは顔をひきつらせた。


「……こっわ」


「ですね」


「あ、次で最後ですよ。やっと終わった……仕事に戻れる」


 ジャックが解放感に溢れた顔をした。


「リリアかわいそう……でも、巻き込まれたくないから、居間に戻る」


「……そうですね。紅茶淹れますよ」

 

 兄たちはあっさり妹を見捨てた。彼らはヒューゴのせいでとても疲れていた。彼が目を覚ませばまた面倒なことになるとわかっているので、リリアには悪いが、体力と気力は温存するという選択をしたのだった。

 リリアのことはルークが何とかするだろう。……きっと。




 廊下に出て階段から二階の様子を窺うと、トマスとキースが会話している声が微かに聞こえてきた。 

 誰かに見られているような気がして、振り返る。でも誰もいない。すべての部屋のドアは開かない……逃げ場がないというのはこんなに恐ろしいものなのか。なんだか肌寒い。


 ルークはどこにいるのだろう。彼が三階に上がってきたら、あの部屋にリリアが隠れていたことはすぐにわかってしまう。水が零れているし、部屋の鍵が開いている。


 追い詰められている。……もうこの三階にリリアのいられる場所はない。


 使用人用の階段で二階に降りる。二階の部屋の前にも水で満たされたカップが置いてある。置かれていない部屋は、多分中に人がいる。どこにも逃げ場はない。……怖い。心臓がバクバクと音を立てている。

 今いきなり背後にルークが立ったら悲鳴をあげて逃げてしまうだろう。……本当に怖い。もう泣きたい。


 自分は相当ひどいことをされているのではなかろうか。

 ここまでの事をされなければならない程、自分は悪いことをしていない筈だ。


 そのまま階段をおりてゆく。当然のように一階でルークが待っていた。腕を組んで壁にもたれて。 


「……ひどい」


 一階と二階の間の踊り場に立ち、リリアは涙目でルークを睨みつける。


「……そう言われる覚悟はしていましたけどね」


「絶対に謝らない」


「……そっちですか」

 

 ルークは目を伏せ苦笑する。


「リリィお嬢さまにも言いましたが、『もう来ないで』はダメです。言い方はきついですか、ヒューゴさまは間違ったことは言ってません。私は異民族だし、お二人はもう子供ではないのですから」


「会いたくないから謝らない」


 リリアは両手を握りしめて俯く。靴が零した水で濡れているのに気付く。


「カードで良いですよ。後でリリィお嬢さまと一緒に書いて下さいね」

 

 階段をあがって来たルークが目の前に立つ。リリアは顔を上げられない。

 ……わかっている。ルークの言っていることはいつも正しい。

 ルークの言う通りだ。当主でもないリリアが「もう来ないで」なんて偉そうなことを言っていい筈もない。本来ならば伯爵令嬢ですらない。「使用人として扱え」と言った先代伯爵の言葉の方が正論だ。いつから自分の立ち位置を間違えたのだろう。


 ……胸が痛い気がする。


「……カードは書きます。直接謝れというなら謝ります。カップも私がすべて片付けておきます」


 自分ものとは思えないくぐもった声。喉の奥から何かがせり上がってくるようで苦しい。


「……だから、どうぞお仕事にお戻りください」


 指先に生まれた冷たさは、今は全身に広がっていて心を凍らせてゆく。

 ルークは何か言いかけて、ため息とともに言葉を飲み込んだ。


「本当にもう戻らないといけないので行きますが、ひとつだけ約束して下さい」


 リリィは顔を上げられない。言葉が意識の上を滑ってゆく。


「絶対に屋敷の中から外に出ないで下さい。例え誰かと一緒であっても、どんな理由であっても外出は控えて下さい。庭もダメです。ヒューゴさまに謝る謝らないは正直どうでもいいんです」 


 リリアはちいさく頷く。命令なら外に出ない。庭にも行かない。


「きちんと謝罪はいたします。外には出ません。お約束します。……後片付けは私がしておきますので、どうぞこのままお出かけください」


 平坦な声でそう告げると、リリアは数歩下がり、スカートの裾を持ってお辞儀をする。顔は上げない。だからルークがどんな顔をしているのかリリアにはわからない。


「……お願いします」


 すれ違い様、耳に届いたのは穏やかだけれど、冷たい声。踊り場にリリアは残り、ルークは階段をおりる。足音が聞こえなくなるまでその場で控える。


 それからリリアは顔を上げて、置き去りにされた水の入ったカップを回収するために二階に向かう。 

 気付かず蹴とばして誰かがカップが割ってしまう前に、すべて片付けてしまわなければならない。

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