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番外編 小箱の話


帳簿を遡れば、合鍵が何本存在するのかはわかるのだろうが……今はやりたくない。


リリィの護衛というか監視に戻るためにアレンは家政婦室から立ち去った。

 二人の問題は二人で解決の糸口を探してもらうしかない。リリィの性格を考えると、慣れるか決別するかの二択しか用意できない気がするが、殴る蹴るの話にならないから問題ない。

 疲れているなと自分でも思う。どんどん思考が攻撃的になっていっている気がする。


 そして、アレンと入れ替わるように家政婦室に入って来て、向かい側の椅子に座ってそわそわしているリリアは、一体何がしたいのだろう。とりあえず、全身で『構って欲しい!』と訴えかけているのは見てわかる。

 自分がいると話しにくいことがあるのだと察して、ダニエルは笑いを堪えながら家政婦室から出て行った。


 二人きりになると、リリアはますますそわそわし始める。目を上げて俯いて、意を決したように口を開きかけて、やっぱりやめて……を繰り返している。ルークが手を止めて目を上げると、真っ赤になって慌てて俯き、「何でもないのです」とちいさな声で恥ずかしそうに呟く。しかし、書き物に戻ると、また落ち着かない様子になる。

 何がしたいのかはよくわからないのだが……見ていて気持ちは和む。このまま穏やかな気持ちで就寝したい。……その願いが叶ったことはほとんどない。


「あの……あのね、ルークさま」


 意を決したようにリリアが声をかけてきたので、ペンをおいてきちんと向き合う。

 頬を真っ赤にして、リリアが言葉に詰まりながらも、一生懸命な様子で言った。


「ルークさまの小箱の中には、何が入っていたのですか?」


 小箱? と、ルークは目を瞬いた。本当に疲れているので、一瞬何を言われたのかわからなかったのだ。家政婦室に沈黙が落ちる。鍵を入れていたあの花の模様の箱のことかと思い至って、さて、どう説明しようかと頬杖をついて小さく息をついく。

 その途端、リリアが口に出したことを後悔したような顔になった。

 

 




 魔女が暮らしているのは北の果ての国だ。かつてはどこの港にも魔女がいて、船乗りたちのために、星を読み解き、天気と風を操ったと言われている。しかし、時代と共に彼女たちの役割は失われ、宗教による弾圧もあり魔女たちはどんどん姿を消し、北の果ての国のちいさな島に、数人の魔女が残るのみとなった。


 しかし、天才的な商才を持つ女性商人によって状況は一変する。大陸に空前の魔女ブームが巻き起こったのだ。

 恋に特化した占いや可愛らしいお守りは、女性たちの心をがっちりと掴み、豪華客船で魔女の住む島を訪れるツアーは大人気。地図の片隅にひっそりと存在している島はにわかに活気づいた。


『後継者不足で数年後には失われてしまう技術もあるでしょう。ですから、魔女の島に行くなら今!』


 などと広告で煽るから、余計に観光客が殺到する。魔女の占い本は飛ぶように売れ、魔女の紋を刺繍した扇子を貴婦人たちが競い合うように蒐集し、現地に行って直接魔女に占ってもらったとなれば、羨望の眼差しを向けられる。そして運命の小箱は飛ぶように売れている。


 それが良い事なのか悪い事なのかはわからない。ただ、魔女たちの暮らしは各段によくなったのだそうだ。


 魔女の暮らす島には宿泊施設がないから、観光客は夜には客船に戻る。昼間のお祭りのような賑わいが嘘のように島は冷たい静寂の中に沈んでいた。

 同じ場所とはとても思えないなとルークは思う。

 道の両端には露店が並び、普通に歩いていても肩がぶつかり合うくらいの観光客がいたのに……今は誰もいない。

 静かなのに、色んな音がする。風が窓や戸を叩き、路地裏で猫が喧嘩をしている。どこかで鳥が鳴いた。今夜は満月だから、明かりがなくても足元が見えるくらい明るい。


 辿り着いた魔女の店の入口には、複雑な紋を刺繍した魔除けの青い布がかかっていた。昼間来た時とは違う図案だ。あの時はあまりに観光客が多すぎて、店内に立ち入ることができなかったのだ。


 月光を受けてきらりと光ったその図案が一見何を表現しているのかわからない。ただ、精緻な刺繍に目が惹きつけられた。きっと長い長い時間をかけて丁寧に刺し埋めてゆくのだろう。心が大きく震える。多少値が張っても、どうしても魔女の刺繍を手に入れたいと思う者たちの気持ちが理解できるなと思った。


 事前に書物から得た知識によると、模様ひとつひとつに意味があるのだが、組み合わせによって全く違う意味に変わることもあるのだという。魔女たちは刺繍をしながら魔法の呪文を唱える。だから布には呪術的な力が宿る……。

 本を読んだ時にはその『呪術的』の意味が理解できなかったのだが、一目見た瞬間に心に流れ込んでくるものがあった。この怖いような胸がどきどきと高鳴るような気持は、一体何だろう。風に翻る布を見つめながらそっと心臓を押さえる。


 家の外には世界には書物を読んでいるだけではわからないことが、本当に沢山ある。妹たちにも、この美しい布を見せてやりたかった。


 八歳になった頃から、両親やロバートは、海外での買い付けにルークを同行させるようになっていた。当然の如く従兄のレナードも一緒だった。


 一歳年上の従兄は気付けばいつも隣にいた。キリアルト家の中では、たいてい二人はいつもひとくくりに扱われてきた。すべての通過儀礼も二人まとめて片付けられる……

 数年前までは二人で仲良く遊んでいた。そんなような記憶がある。

 しかし、あまりにもずっと一緒にいたせいで、八年目にしてお互い一緒にいることに飽きた。今更もう話すこともない。

 最近では、相手の存在を無視してそれぞれ自分の好きなことをしている。一人になりたいという気持ちはお互い様だ。でも、キリアルト家の人間は、個別に扱うのが面倒くさいのか、何もかも一度に片付けようとするのだ。……そこはもう諦めた。


 ロバートとレナードの後に続いて店内に足を踏み入れる。

 薄く透ける布が天井から吊り下げられて、店内に丸い空間を作り出していた。白や青の貝殻で模様を描いた箱が、絨毯の上に直接並べられている。その中心に年老いた魔女は座っていた。


 天窓から生暖かい海風が入って来て、部屋を仕切る布を大きく揺らした。世界が揺れているような気がしてくる。海面に顔を出そうとするように天を仰ぐと、四角く切り取られた空の中に明るい満月が見えた。月明かりを浴びて、魔女と小箱がぼんやりと発光している。

 魔女は大きな四角い布を二枚合わせたような、いかにも年代物という雰囲気の服を身に纏っていた。そこにもびっしりと不思議な模様が刺繍が施されている。きっと何代にもわたって受け継がれてきたものなのだ。


「今日は月が大きな満月。私たちにとっては特別な日だ。その子たちのものを選べばいいのかい?」


 しゃがれた魔女の声が近付いたり遠ざかったりする。眠たいということもあるけれど、本当に魔法にかけられたかのようだ。水の上を漂っているような感覚に戸惑う。

 ルークの隣で落ち着きなく店内をきょろきょろと見回していたレナードが、突然挑むような目を魔女に向けて言い放った。


「俺は自分で選びたい」


 その言葉に、ロバートはやれやれとばかりに頭をかいた。


「こっちは一度言い出すときかないんだ。いいか?」


「構わない。確かに、負けん気の強い目をしている。……自分の運命を誰かに委ねたくない。それは、意に沿わぬ未来を恐れているとも言える」


 魔女は声をあげて笑った。レナードはその言葉に露骨に不機嫌になる。しかし反論するようなことはせず、予め目星をつけていたかのように、ひとつの箱を拾い上げた。


「これがいい」


「……迷いがないね。まっすぐな子だ。自分で全部決めて、すべての責任は自分が持つ。でもそれで可能性を捨てる事もある。……鳥の箱だね。開け方はこの紙に書いてある」


 肘置き代わりにしている丸テーブルの上から、一枚の紙を取ってレナードに渡す。重石代わりに紙の束の上に置かれているのは、何の鉱石なのだろう。光を吸い込んでいるように真っ黒だ。


「そっちの子はどうする?」


 そう問われて、魔女にまっすぐに見据えられた時、無意識に足が後ろに下がっていた。強風に体を押されたような気がした。


「僕は、あなたがどうやって選ぶのか、見てみたい」


「おまえは自分の未来を他人に選ばせるのかよ」


 バカにしたようにレナードが言うが、魔女がどうやって他人の運命を読み解くのか、この沢山ある箱の中からどうやってひとつを選び取るのか気になって仕方がない。今を逃したら二度と見ることは叶わないかもしれない。たった一度の機会をつまらない対抗心で逃したくはない。


 臆することなく魔女の視線を受け止めたルークを見て、魔女は青い目を細めた。


「成程、こっちの子の方が、我が強いのか。……気に入らない運命は絶対に受け入れない」


「なんだよそれ」


 レナードが嘲るように鼻で笑った。いい加減失礼だからやめろと思うが、口を開けば嫌味の応酬になりかねないので、無言でやり過ごす。面倒なので関わりたくない。

 老婆はぐるりと床に並ぶ小箱を見回して、テーブルに体重を預けるようにして椅子から立ち上がり、ひとつの箱を迷いなく拾い上げてルークに差し出した。

 不思議だなと思った。何となくその箱が気になっていたからだ。その箱だけが一際暗く闇に沈んているように見えた。無意識に視線がそこに向いていたのだろうか。それに魔女は気付いていたのだろうか。


「こっちの子には、花の小箱を。開け方はここに。開かないなら今はその時じゃないということ」


 そうして、魔女はまた椅子に戻ると、レナードに渡したものとは違う文章が書かれた紙をルークに手渡す。「二人とも今開けてみるかい?」と問われて、少年たちは同時に頷いた。ロバートはにやにや笑いながら二人の様子を眺めている。

 ルークは説明書きを読んでから、手順通りにゆっくりと蓋を回した。


「……あ」


 先に箱を開けたレナードが、めずらしく素直に驚いた声をあげた。覗き込もうとしたロバートからさっと小箱を隠す。


「……おまえな。金払うことになる俺には見る権利があるだろうが」


「自分の運命を、何で他人に見せなきゃならないんだよ」


「だったら自分で代金払え」


「誕生日プレゼントだって言ったよな?」


 尖った声でレナードが言い返す。ロバートはやれやれとばかりにため息をついたが、無理に箱の中身を覗き込もうとはせずにそのままレナードから離れる。

 ルークの手の中で蓋が開く。何故か駆け寄って来たレナードが先に小箱の中を覗き込んだ。意味がわからない。


「……え?」


 戸惑ったような声が上がるが、レナードの頭のせいで中が見えない。……邪魔だ。自分は拒否したくせに、何故他人の運命を本人より先に覗き見ようとするのだろうか。

 レナードは複雑そうな表情でルークを見てから、魔女に視線を移した。魔女は含みのある笑顔を浮かべている。


「ここにある小箱の中身全部知ってるとか?」


 レナードは絶対に騙されるものかというように、魔女を睨みつけている。どうしてこういう失礼な態度を平気で取れるだろうか。


「さすがにそれは無理だね」


 澄ました顔で魔女は答えた。「どうだかな」と小さくレナードは口の中で呟いて、箱を持ったままさっさと店の外に向かって歩き出した。離れた場所で中身を取り出して確認するつもりなのだろう。代金はロバートに払わせる気だ。

 レナードの性格からして間違いなく、色より宝石の金銭的価値に重きを置いている。


 ルークは改めて箱の中を覗き込む。小箱の中には吸い込まれそうな闇があった。

 箱の中は真っ黒に塗られている。ぼんやりとしているルークの頭の上から、ロバートが中を覗き込む。そして驚いたように呟いた。


「不良品? あるいは、一生独り身?」


「つまり空っぽか。……大当たりだ」


 魔女の目がきらりと輝いた。顔に喜色が浮かぶ。中身が入っていないなら宝石の原価分得をした、という理由からではないと信じたい。


「大当たりって、これ、詐欺だぜ? ばーさん」


「でも、それがその子の運命」


 その答えを聞いて、ロバートは、笑っていいのか怒っていいのかわからないというような複雑な表情になった。そしてしゃがみ込んでルークの目を覗き込むと、両肩に手を置いて真剣な顔で告げた。


「運命の相手はいない。一生独身。……まぁそういう生き方もある。落ち込むな」


 落ち込んでいないので、哀れまないでほしい。それより、中身が入っていないことが大当たり。という魔女の言葉の真意が知りたい。ルークはロバートを振り払うと、月光の中に立つ魔女を見た。やはりほのかに発光しているように見える。


「そうとは言ってない。……この子には、運命やら手掛かりやらの『きっかけ』は必要ないんだよ」


「とか何とか言って、正規の代金ぶんどる気だよな?」


「その運命を買うのならね」


 魔女はゆっくりと目を細めた。ぞくりと背筋を冷たいものが駆け下りた。まるで別人のような、猛禽類を思わせる鋭い眼差しがルークに向けられた。


「どうする? その運命、自分で買うのか?」


 ロバートは面白がるような目をしている。今までがんばってためてきたおこずかいが、空の小箱を買うことによって、ほとんど全部消えてしまう。


「その子は買うだろうね」


 魔女の言葉にルークはしっかりと頷いた。





「やっぱりいいで……」


「空だったんですよ」


 その場に沈黙が落ちる。リリアは数回瞬きをした後、顔を強張らせた。……言いたいことはわかる。ルークは目を伏せてため息をつく。信じてもらえるとは思っていない。でも、本当に空だったのだ。今は鍵入れになっているが、本当に高価な空箱だった……


「魔女は『大当たり』だと言って笑ってましたけどね」


「空っぽなのに『大当たり』なのですか?」


 いつも『うそつき』だと言うくせに、リリアはあっさり信じたようだった。そわそわと浮足立った雰囲気は一瞬にして消え失せて、今は無理に笑顔を浮かべているようにも見える。声も少し暗い。


「レナードの選んだ小箱の中にはちゃんと何かは入っていたみたいなんですけどね。……要は入れ忘れであって、不良品なんです。でも、それが運命だからと、正規の代金は払わされましたね」


 リリアが眉間に皺を寄せて考え込んでいる。


「それは……詐欺というのでは」


「普通だったらそうですけど、そこは魔女ですから」


 ルークはちいさく笑って、リリアに尋ねた。


「それにしても、あっさり信じましたね?」


 はっとした顔をして、彼女は気まずそうに目を伏せる。


「……オーガスタお姉さまから、そういえばそんな話を聞かされたことがあったんです。ルークさまが選んだ商品が外箱だけだったことがあったって。だからきっと、商才はあってもあの子は商人にはならないだろうって思ったって」


 少し躊躇う様子を見せた後、リリアは諦めたようにそう答えた。手を伸ばして、そっと自分よりちいさな手に重ねる。驚いたように顔を上げた少女を見て、ルークはほろ苦いような気持になりながら小さく笑った。


「確かに、商人としては、空箱を掴まされるようなら外れでしょうね」


 あの頃はまだ両親も妹もそばにいて、父の跡を継いで貿易商になる未来を疑いもしていなかった。……でも、オーガスタはあの時点で別の未来を見ていた。


 あの時、月明かりの中で魔女は非常に嬉しそうな顔で『大当たり』と言った。この箱を選び取った自分を誇らしく思っているようにも見えた。

 今でも不良品を掴まされたとは思っていない。……オーガスタの言う通りだ。自分は本当に商人には向いていなかった。


「……ああ、一応言っておきますが、私もロバートも、勝手にお二人の箱を開けて中身の宝石を入れ替えたりはしていませんからね?」


 何やら落ち込んでいる様子のリリアの頭を軽く撫ぜてから、筆記具を片付けるために立ち上がる。このままそっとしておこうかと思ったが、気が変わった。

 余計なことをぐるぐる考え始めた挙句に、過去の色々を思い出して底なし沼に嵌まり込み、自分に自信を無くしてまた逃げられるのは、大変困る。


「リリアさまは、どうして水色の石を見て、私だと思ったのですか?」


 はっと顔を上げた少女の栗色の瞳を覗き込む。じわじわと頬が赤くなってゆく様子をじっと眺めていると、


「いじわるですっ」


 涙目で怒って家政婦室から飛び出してしまった。意地悪を言ったつもりはなかったのだが。


 その内気付いて戻って来るだろう。結局同じ事なのだと。

 魔女の言った通り、『きっかけ』なんて必要なかった。どんな色の宝石が入っていても関係なかった。ただそれだけの話。 

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