8 「がんばって会いにおいで」 その4
「おまえはもう、二度と外には出るな」
リリィは伯爵家の居間で怒られていた。ルークの背中に隠れるリリィを忌々しそうな目で睨みつける高圧的な男は、眉間にものすごく深い皺を刻んでいる。年はまだ二十代前半の筈だが、顔が怖いため実年齢よりかなり上に見えてしまう。
イザベラと同じ金色の髪に青い瞳。ここの家もわかりやすい色を得るために苦労している。
――黒い髪にエメラルドグリーンの目をしたふくよかな国王と、金の髪に青い目をした宰相。
長く続きすぎて誰にもこの伝統を壊せない。髪は鬘でなんとでもなるが、瞳の色ばかりはどうにもならないのだ。そろそろ色々限界がきている。
会う度毎に何かしら文句をつけてくるから、リリィとリリアはこの母方の従兄が好きではない。
子供の頃の彼は、顔を合わせた瞬間にリリィとリリアを怒鳴りつけて即退場。しばらく出入り禁止というのを繰り返していた。成長と共にさすがに学んだらしい。ここ数年はたまにふらっと現れると、無感情な声で淡々と文句を並べ立てるという技を使ってくるようになった。
ルークに拘束されているリリアは、威嚇する子猫のような目で、男を睨みつけているし、リリィは怯えながらルークの背中に完全に隠れている。二人はお揃いの淡い水色のワンピースに着替えて、髪型も全く同じにしている。本当に双子のようだ。
「急に外に出ようなんて思うから、こういう目に遭うんだ。大人しく屋敷に閉じこもっていればいい」
そもそも今回の件はリリィは巻き込まれただけで何も悪くない。どうしてこの従兄はわざわざ伯爵家に来てまで被害者を怒っているのか。そこはもう本当に誰にもわからない。
「だから、むやみやたらにひっつくなと言っているっ。二人ともはしたない。……全部おまえのせいだ。おまえが甘やかしたせいでこいつらはどんどん楽なほうへ楽なほうへ流されて……」
怒りの矛先はルークに向かう。昔からこの従兄はルークを目の敵にしている。宰相一家は民族主義の先鋒だ。異民族に対して厳しい。
そして、キリアルト家は非常にわかりやすく異民族の血を引いている。
「私は外に出るなとまでは言ってませんからね」
ルークはリリアを抱きしめながら、穏やかな声でそう返した。ルークの方はといえば、まるで相手にしていない。子犬に吠えられているくらいにしか思っていないのだろう。
「発言は許していないっ。だから異民族のおまえは二人から離れろと……」
その瞬間、基本的には温厚なリリアの怒りが爆発した。
「ヒューゴお兄さまだいっきらいっ。顔も見たくない。もう来ないでっ」
ルークの腕を振り切ると、走って部屋から出て行ってしまう。
「ヒューゴお兄さまだいっきらい。私全然悪くないのにっ。被害者なのにっ。何で怒られるのか意味わからない。気分悪い部屋に帰る。二度と来るなっ。疲れたから寝るっ」
ルークの背中から顔だけ出して、リリィも早口でそう言い捨てると、リリアを追いかけて部屋を出て行った。
「……あ、言い返した」
「……お嬢さま、ちゃんと反抗できましたね」
今までは委縮して震えているだけだったリリィが、ルークの背中から顔を出して相手を睨みつけ、しかも言いたいことをちゃんと言った。ヒューゴの背後で様子を見守っていたトマスとキースがとても驚いた顔をした。
「おまえたちっ。話はまだ終わっていないっ」
ヒューゴと呼ばれた男が声を荒らげるが、二人はもう去ってしまった後だ。
「どうなんだ、あの態度っ。おまえたちが甘やかすからあんな風に育ったんだろうっ」
ヒューゴは兄たちを振り返って怒鳴る。トマスはお気に入りのソファーに座り、その背後にキースが控えていた。
「今妹の成長を喜んでるところだから、静かにして」
「やればできるんですね……やっと反抗期来ましたね」
「いや、ある意味ずっと反抗期だったよねリリィ」
「よかったですね、ヒューゴさま。とうとう報われましたね」
トマスとキースはとても嬉しそうだ。キースから純粋すぎる感謝の眼差しを向けられて、ヒューゴも勢いをなくした。
「……だからと言って、あの態度と言葉遣いは貴族令嬢としてあるまじきものだ」
「……いや君のルークに対する態度もどうなんだろう?」
表情は変わらないがトマスの従兄はたじろいだようにすっと目をそらした。
「こいつは異民族だから嫌いだ」
ぼそぼそと言い訳するように小さな声で言う。眉間の皺がますます深くなる。
「俺も生粋の異民族です」
「おまえは平民だから別にいい」
キースが自主的に申し出ると、ヒューゴはあっさりとそう言い切った。
「…………大丈夫なの? この人」
「年々ひどくなってますよね……」
キースがため息と共に呟く。そしてかわいそうなものを見る目でヒューゴを見た。
「最近ものすごくお疲れなんですよ。ここのところ忙しすぎて、あんまり寝てないみたいで。本人曰く、頭痛がひどすぎて自分を制御できないらしいです」
「後で二人には謝らせます。さすがに言いすぎですから」
ルークは二人が出て行った扉を見て、困ったように言った。
「お前に言われたから謝りに来られても、不愉快なだけだ。帰るっ」
「はいはい。様子見てきます。……キース君、甘い紅茶淹れてあげてください。それか少し寝るように言ってやってください。キース君の言うことなら聞くかもしれません。私が言うと逆効果になるんですよね。……基礎体力の差だと言ってるんですけどね」
ルークはそう言い置いて、部屋から出て行った。
「だから、そういう所がだなっ」
「ああもうわかったからうるさいよ。叫ぶから余計に頭痛ひどくなるんだよ」
「紅茶飲みますかー? それとも異民族の淹れたお茶が飲めないとか言うならジョージさんに頼みますよー?」
キースが、病人を大切に労わるように声をかける。
「……キースのがいい。おまえは紅茶を淹れるのだけは上手い。砂糖とミルク多めで」
ヒューゴは脅しつけるような顔で、注文をつけた。
「はいはいー。ちょっと待ってて下さいねー。美味しいの淹れてきてあげますからねー」
キースは見事な作り笑いを浮かべて、部屋を出て行った。
「だから、なんなんだその態度はっ」
キースの背中に向かってヒューゴが叫び、頭に響いたのかますます表情を厳しくする。
「ねぇ、君の表情筋、怒りの感情以外に対応できてないけど、大丈夫?」
幼い子供が見たら泣いて逃げそうなくらい、険しい表情をしている従兄に向かって尋ねた。
「いつもへらへらしてるおまえと一緒にするなっ」
「……あーはいはい」
あー余計なこと言ったなとトマスはソファーの肘置きに頬杖をつく。
「サボってないでさっさと立て直せ。そのためにあの異民族がここに出入りするのを許してやっているんだ」
「……何しに来たのさ本当。あれだけ馬車で練習したのに、どうしてこうなるのかな。……わかったわかった頭痛いんだよね? だから顔怖いって」
トマスは窓の外を見ながら、投げやりに言った。
「私だってこんな没落した伯爵家に来たくはないっ。さっさと立て直せと何度も……」
「様子確認したいから来たいって言ったの君だよね。ホントめんどくさいなぁ。キース、紅茶いらないから、客室に運んどいて。もうダメだこの人」
右耳から左耳に聞き流しながら、トマスはため息をついた。
「私は忙しいんだ。王宮に帰る」
「周囲が迷惑するから、とりあえず今すぐ寝ろ。ルークの言う通り体力に差があるんだよ。あっちは軍人なの。お仕事で鍛えてるの」
さすがにイライラしてきたため、トマスの言葉遣いも荒れる。
「はいはいー。こっちですよー。ちょっと寝ましょうねー。このままだと過労で倒れますよー」
戻って来たキースは、作り笑顔のまま強制的にヒューゴを背中を押して移動させる。
「……ルークは倒れてない」
ヒューゴはキースを振り返って、真顔で言った。表情筋が少し動いた。悲しげだった。
だからあの男と張り合うな。と、トマスとキースは思った。どちらがより優れているという話ではなく、単純に基礎体力の差なのだ。
「あなたは倒れます」
いたって真面目な顔になってキースはそう返した。
ルークがリリィの部屋に行くと、当然のように扉には鍵がかかっていた。
「ふたりとも開けて下さい」
「窓空いてるから、そっちからどうぞ」
ノックをすると、中から不機嫌そうなリリィの声がする。つまり、リリアの部屋からバルコニーを飛び移れということらしい。ここは二階だ。やってやれないことはないが、今やる必要性を感じられない。
「ジョージさんから鍵を借ります」
「リリアは来てないからね。先にそっち片付けて。……ルーク怒るもん」
「……言い過ぎたとわかってるなら怒りません。向こうも悪いので」
鍵が開いて、扉が開く。ムスッとした顔のリリィが立っていた。
「カードでも良いので謝っておいてくださいね。二度と来るなはダメです。……でも、ちゃんと言い返せましたね。大丈夫ですか?」
リリィはすぐに機嫌を直し、誇らしげに胸を張った。
「……うん。結構平気だった。不条理には怒りで対応すればいいってわかった。でも言い逃げは良くないわね」
「あれで良いんですよ。あの状態のヒューゴさまと言い争っても泥沼化するだけです」
「なんで、いつも睨みつけてくるかな。……不愉快だわ」
はっきりと眉をひそめたリリィを見て。ルークは微笑んだ。
「……子供の頃のリリィさまと結構似てますよ?」
リリィはぐっと言葉に詰まる。幼少期、アレンに対するリリィの態度は似たようなものだった。リリィとヒューゴは性格が結構似ているのだ。
「……リリアは来てないからね」
「……外には行っていませんよね?」
ルークは真顔で尋ねた。もう一人のお姫様は非常に行動力がある。使用人のふりをして徒歩で買い物にも行ってしまう。
「さすがに今日この状況で外には行かないわよ。屋敷内のどこかにはいるとは思う。あの子逃げ回ると思うから追いかけっこがんばって。広いわよねこの屋敷」
仕事の途中で抜けて来たので、できれば早めに戻りたい。しかし、お姫様はそんな事情は全く酌んでくれない。しかも貴族令嬢とは思えぬほど体力があり運動能力も高い。忙しいからとこのままの状態で仕事に戻れば、さらに拗ねる。
「じゃ、私疲れたからちょっと横になる」
目の前でぱたんと扉が閉まった。廊下の奥、一瞬だけちらりと見えた水色のスカートの裾。慌ててそちらに目を向けても、そこにはもう誰もいない。
そう簡単に捕まってくれないことを知っているルークはため息をついた。