76 墓守の元王族 その3
――自力で何とかしてみせろ。
それは『黒の女王』から与えられた最初の試練だった。
キリアルト家はたった二代で巨万の富を築き上げ、キリアの実質的な支配者となった。その頂点に君臨するのが『女王』オーガスタだ。彼女はその勝負運の強さから、未来を見通す目を持っているのではないかとさえ言われている。
――キリアに逃れた王族は、自国に残った者たちよりはるかに優秀であるようだ。……ならば連れ戻せばいい。
国力の低下が止まらない現状に不満を持つ者たちはそう考えた。国のためだ何だと言っても結局、目当ては『キリアの女王』が保有する莫大な資産と、次男の息子が受け継いだ母方の血筋だった。そして、それは当然オーガスタの予測の範疇だった。
ルークとレナードは、髪と目の色は同じで身長もあまり変わらないが、顔はそれ程似ていない。ルークはロバートに似ており、レナードはウォルターに似ている。誰が本物かを知っているのはオーガスタと両親だけだ。
『国に戻り、孫と一緒になって国のために働いていただきたい』
海難事故から半年も経たない内から、毎週のように書状が届くようになった。その頃、キリアルト家の人間は心が荒み切っており、戯言に付き合っている心の余裕は全くなかった。
無視を決め込んでいると、母国に一人残ったルークの祖母を人質に取っているかのような内容が付け加えられるようになる。これに腹を立てたオーガスタが、投資先に大損害を与えてやるというような内容の手紙を相手に送り付け、脅した脅されたで揉めに揉めている内に当主が代わった。
これでようやく諦めるかと思ったら、文面の『孫』が『娘』になっただけの同じ内容の手紙が届き始めた挙句、家族旅行を装ってガルトダット伯爵家まで押しかけてきた。丁度夏季休暇中で、ルークとレナードは伯爵家に滞在していたからだ。
「自力で何とかしろとのことです。失敗すれば鮫の餌」
オーガスタがキリアから飛ばした『鳩』はそう言った。
ガルトダット伯爵家の双子は十歳になったばかりで、ルークの婚約者となるためにやってきたクラーラは十五歳だった。
招かれざる来客は、自分たちの立場を優位なものにするために、ジョエルという王族の少年を同行させていた。ルークたちからすれば格下の相手なのだが、ガルトダット伯爵家としては、他国の王族を追い返す訳にはいかない。
「ジョエルさまは大変優れた御方なのです」
応接間に案内されたクラーラの父親は、娘そっちのけで、まるで物語の定型文のような言葉を口にした。ジョエルが連れている三人の従者がその後に続いた。
「非常に優秀なあなた方は、ジョエルさまを支えるために、この世に生を受けられたのです」
「ジョエルさまのご威光はあなた方をさらに眩しく輝かせることでしょう」
「ジョエルさまのおそばにいることが許されるのは選ばれた人間だけなのです。我々はこのように素晴らしいジョエルさまにお仕えできることを、大変誇りに思っております」
……何を言っているのか全くわからない。良くないまじないの言葉を聞かされているような気がして仕方がない。
「ジョエルさまを支えて国を盛り立てていただきたい!」
高揚した声で四人にそう告げられた時には、さすがにこいつら頭大丈夫かと心配になった。これを初対面の格上の相手に告げる神経を疑うが、レナードはそうは考えなかったようだ。
……何の作用だ? ぼそりと隣で呟く声が聞こえた。レナードは考え込む時によくやるように目を眇めて左の二の腕を掴んでいた。
良からぬものが持ち込まれたということは間違いなかった。
ラウダナムではない。この家の先代とは全く様子が異なっている。クラーラの父親も三人の従者も、体格も血色も良く健康そのもので気力が漲っている様子だった。印象としては、暑苦しいの一言に尽きる。士官学校でよく見かけるタイプの人間ではあるけれど……でもどこかおかしい。
揃いも揃って何かが欠落している。非常に歪な形で安定している。特におかしいのは目か。まるで幼児のように澄み切っている。
「ウォルターならわかるんだろうがな……」
レナードが口の中で続けた言葉に小さく頷く。しかし、オーガスタが『自力で何とかしろ』と言ってきたのだから頼れない。
一方のジョエルの方は、三人の従者とクラーラの父親を背後に従え、ガラス玉のような青い目で彫像のように微笑んでいた。
勘のいいリリィは姿を見ただけで怯え、同じく勘のいいトマスはすぐに逃げた。
仕方がないので、イザベラの父親であるこの国の宰相閣下にご登場願い、キリアルト家が経営する最高級ホテルに放り込んでもらった。ルークとレナードも一応ホテルまでは付き添った。
ホテルの正面玄関を出て、待たせている馬車の近くまでくると、フェレンドルト公爵は見送りについてきた二人を振り返った。完全に目が血走っていた。
「ふたりとも、絶対に相手に怪我を負わせてはならんぞ。何があっても絶対に、だ」
威圧的な風貌をした公爵は、厳しい口調でルークとレナードにそう言い聞かせた。馬車に乗るために用意された踏み台に片足まで乗せたものの、急に思い直したように足を地面におろして方向転換し、切羽詰まった顔でルークの目の前に戻ってきた。
「ルーク、わかっているな? 相手に怪我させた時点でこちらの負けだ。折れてもその内くっつくとか、傷跡が残らないなら大丈夫とかではないのだからな!」
十七歳の少年に対し、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるかの如く、両肩に手を置いて念を押す。子供が見たら泣そうな程恐ろしい表情をしているが、頭痛を堪えているだけで特に怒っている訳ではない。
「お急ぎください。予定が詰まっております」
「とにかく馬車にお乗り下さい、時間がございません」
公爵は二人がかりで馬車に引き戻され、馬車の中から両腕を引っ張られ、外から腰と背中を押されて無理矢理馬車に詰め込まれた。閉まろうとした扉が勢いよく開いて、老公爵は馬車から転がり落ちんばかりに身を乗り出した。
「危険です! おやめください」
「いいかルーク、どんな態度を取ってもいい。だが、頼むから相手に怪我だけはさせてくれるな。あのな、おまえはリル王女さまに似て、ちょっとアレなところが……引っ張るな、まだ話は終わっておらんのだっ」
何故レナードではなく自分なのだろう。その疑問が表情に出たのだろう。公爵は凶悪な顔つきになった。……女性が見たら失神する。
「後日また改めてどうぞ」
「待てっ、本当によく言い聞かせておかないと、とんでもないこ……」
公爵の体が馬車の中に引きずり込まれて扉が閉まる。老人を乗せているとは思えない速度で馬車は走り去っていった。
「……おまえ、士官学校で何をやった?」
レナードに胡乱気な声で尋ねられても……心当たりが多すぎてよくわからない。少なくとも自分から手を出したことはないし、全員今も息をしているはずだ。自称友人がきれいに後始末をしてくれた筈なのだが、やはり伝わるところには伝わるものらしい。
……祖母と似て『アレ』とは何だ? ルークの中にはそんな疑問が残された。
これは『王家の血を取り戻すための婚姻』なのだ。クラーラは祖父と父の言葉を盲目的に信じ込んでいた。
しかし、使命感に燃えていた少女は、たどたどしい言葉で一生懸命挨拶して、お辞儀をした愛らしい双子の姉妹に、一瞬にして心を奪われてしまった。頬がバラ色に染まり目が輝いた。誰がどう見てもあれはまさに恋に落ちた瞬間だった。
人馴れしていないリリィとリリアは、大好きなルークと同じ色を持っているというだけで、クラーラが信用できる人間だと判断した。拙いながらも一生懸命自分と会話をしようと試みる二人が、クラーラからしてみればもう可愛くて仕方がなかったのだろう。あっという間にルークとレナードは、クラーラの中では視界に入ると存在を思い出す程度の相手になり果てた。
――クラーラがホテルに滞在するようになって三日目。当然のように彼女は今日も伯爵家の双子に会いに来ていた。
イザベラとクラーラの母親は気が合うようで、連日キースを着せ替え人形にして楽しく遊んでいる。キースを生贄に差し出したトマスは、面倒事には関わりたくないとばかりにさっさとフェレンドルト家に逃げた。まだヒューゴの面倒をみている方がマシだと考えたようだ。
問題の父親は、王宮に招かれたジョエルに後見人という立場で付き添っていた。
宰相に懇願されたアーサーが彼等の相手役を渋々ながらも引き受けてくれたのだ。ジョエルの相手はルークとレナードには荷が重いと彼等は判断した。
――いっそのことクラーラも、ジョエルたちのように得体の知れない嫌な人間だったなら良かった。
しかし、彼女は心の底から国の将来を憂いている、非常に礼儀正しく素直な性格のお嬢さまだった。そうでなければ、怖がりなリリィとリリアが懐く訳がない。
子供部屋の真ん中のテーブルを取り囲むように四脚の椅子が並べられていた。膝の上に座らせたリリアの頭を撫ぜながら、クラーラが一生懸命何か言っているのだが、ルークとレナードはその話を聞き流しながら無表情でチェス盤を挟んで座っている。背後のベッドではリリィが平和に昼寝をしていた。
「……選挙は公正とは言い難いし、要職に就くために莫大な賄賂を要求されるから、優秀な人間がどんどん排除されていってしまう。国民全員が少しずつでもいいから意識を変えてゆく必要があるんだ。どうか国を正しく導くために力を貸していただけないだろうか」
二人とも返事をしないので、膝の上のリリアがクラーラを見上げた。小さな手がテーブルの上でピアノを弾くように揃えられている。
「むつかしいおはなし、ですね。単語がむつかしくて、聞きとれませんでした。クラーラお姉さまは、むつかしい政治のことも、ちゃんと、理解されているのですね」
十歳になったばかりのリリアから尊敬の眼差しを向けられたクラーラは、頬を真っ赤に染めた。異国の言葉を考えながら一生懸命喋るリリアの口調は普段より幼く、それがまた大変可愛いらしい。
「そんなことはないんだ。すごくなんてなくて……誰もが思い付くような当たり前のことを言っているだけだよ。政治は男の世界だから、女が口を出すなとお父さまとジョエルさまにいつも注意されるんだ……何もわかってないくせに、可愛いげがない女だって」
少し沈んだ声を出したクラーラに気付いたリリアが、きょとんとした顔になった。
「どうして、むつかしいおはなしをすると、可愛げがないのですか?」
リリアが不思議そうに首を傾げる。
「それは…………そうだね、なんでだろう?」
思いもよらない事を言われたというように目を瞬いてクラーラが呟いた。リリアはそれはもう愛らしく微笑んだ。
「むつかしいお話をしている時の、クラーラお姉さまは、とても……えっと、かっこいいです!」
「……かっこいい」
嬉しそうに呟いて、クラーラはぎゅうっと膝の上のリリアを抱きしめた。「リリアはかわいいな。リリィもかわいい。いいな。羨ましいな……」そう呟いてリリアの頭に顎を乗せて幸せそうにクラーラは笑った。
女性だと許されるが男性だと許されないことがこの世には沢山存在するのだと、ルークとレナードは思い知った。自分たちだって昔みたいに双子を膝に乗せてぎゅっとしたい。……でもそれをすれば、即雷避けだ。
オーガスタは、いつまでも、いつまでも、いつまでも、ぐずぐず妹離れできない弟と従弟に、もう二人は十歳になったのだから、きちんと淑女として扱いなさいと厳命していた。
「リリアはかっこいい私が好き? 女の子らしい方が好き?」
レナードが手に持った白の歩兵で黒の歩兵を蹴り飛ばすと、不自然に大きな音を立てて盤上に置いた。次の瞬間ルークの持つ黒の騎士が白の歩兵を踏みつぶして転がした。その黒の騎士は、白の騎士の頭突きをくらって倒れる。……盤上の争いは殺伐としていた。
「クラーラお姉さまはかわいくてかっこいいですよ?」
レナードが「けっ」と嘲るように笑った瞬間、黒の歩兵がベッドの奥にある壁に当たって硬質な音を立てた。何の予告もなく至近距離から投げつけられた駒を、レナードは見事な反射神経で避けていた。
「何しやがる」
「手が滑った」
「ざけんな」
白の王がルークの頬ぎりぎりを掠めて、開け放たれたドアから隣室に飛び込み壁に当たった。二人はただ黙って睨み合った。
「王様……飛んで行っちゃいました」
リリアが困った顔をして、白の王が飛んで行った部屋に視線を向ける。ドアの向こうはリリアの部屋だ。リリィとリリアの子供部屋は中で繋がっている。
「一緒に拾いに行こうか」
「はい」
リリアはクラーラの膝からぴょんっとおりると、にっこり笑って左手を差し出した。
さりげなく頬杖をついたレナードの背後で再び硬質な音がした。盤上から黒の騎士の姿が消えている。ルークが何気なく首を傾げると、白の女王が王を追いかけるかのように隣の部屋に飛び込んでいった。
「…………楽しいですか?」
純粋に疑問に思ったのだろう。リリアが無言でチェスの駒を投げつけ合っている、大変大人げない十七歳と十八歳に尋ねた。
「全く?」
頬杖をついたままレナードが投げやりに答える。ルークは無言のままだ。外の人間がいる時はいつもこうなるので、リリアは気にする様子もない。アレンを守るという立場上仕方がないのだと彼女はちゃんと理解している。
リリアはちょっと困ったような顔で笑ってから、クラーラと仲良く手を繋いで歩き出した。
……イライラする。
これなら、まだアレンの面倒をみている方がマシだとさえ思う。
いっそクラーラをアレンに引き合わせれば、一目惚れでもして……となっても、話が面倒なことになるため、アレンはリルド侯爵家の街屋敷に隔離されている。
連日クラーラは、『船に乗っていつか遊びにおいで』とリリアを口説いている。彼女に一切悪意はない。だからこそ厄介なのだ。彼女はリリアがもう可愛くて仕方なくて、離れがたく思っているから、軽い気持ちでそんな言葉を口にしてしまう。
そして、船に乗せられてしまえば伯爵家に二度と戻って来られないなどとは考えもしないリリアは、クラーラの言葉に嬉しそうに頷くのだ。一週間程度の小旅行に行くくらいのつもりで。
それが……
――帰ってきたら、お花の冠を作ってね。
そう言って笑顔で手を振っていた妹たちの姿と重なってゆく。黒い感情がじわじわと心を染め上げて行く。
クラーラがリリアの手を引いて隣の部屋に入ってゆく。ルークがため息をついて立ち上がるのに合わせて、レナードも立ち上がって二人でリリアたちの後を追う。
ジョエルたちは気付いているのだ。リリアを自国に連れて行きさえすれば、ルークは必ず一緒について来るのだと。だからこそ、絶対にリリアから目を離す訳にはいかない。
「……なっ、……おまえ達いつの間にっ、ここで何してっ」
ドアの向こう側からクラーラの切羽詰まった声が聞こえた瞬間、ルークの鼻先でパタンとドアが閉まった。




